第361話小百合と瑞穂
「セカンドで何をすべきなのか……か」
と僕は小百合の言葉を噛みしめるように反芻した。僕はそこまで考えが至っていなかった。
「実は昨年、一年生の面倒を一番見てくれていたのが瑞穂さんと琴さんなんです。私がファーストで自分の事だけを考えていた時に恵子たち一年生の面倒を見てくれたのはあのお二人だったんです。瑞穂さんはその時コンクールに出るための練習もしなくちゃならないのに私たち一年生のために時間を作ってくれていたんです」
小百合の言葉で僕は思い出した。彩音さんや僕や冴子がコンクールの事しか考えていなかった時に、同じようにコンクールに出場する瑞穂は琴葉と一緒に一年生の面倒を見てくれていた。
それを僕はコンクールが終わってから恵子に聞かされて言葉も出なかった。あの時の驚きと瑞穂に対する申し訳なさが蘇ってきた。
そんなことを思い出しながら
「そうやったなぁ……でもお前も結構セカンドの奴らの面倒を一緒に見ていたやん」
と僕が言うと
「多少は見たかもしれませんけど、瑞穂さんや琴さん程ではないです」
と謙遜するように首を振った。
この会話をしていて僕は合点がいった。
瑞穂がなぜ小百合をセカンドにコンバートしたか、何故例の三人を含めて一年生と二年生を夏休みまでセカンドにしたかを。
全て来年、小百合が三年生に進級した時の布石だ。
――その答えが『一体感』だったのかぁ……少なくとも来年ヴァイオリンは……いや、オーケストラも器楽部自体も小百合を中心に回るようにするつもりなんだな――
間違いなく瑞穂はコンマスを小百合にするつもりだ。部長も彼女という可能性だってある。
瑞穂は自分が器楽部の幹部を引き継いだばかりのこの時期にそこまで考えていたのか?
いや瑞穂は去年のコンクール期間中もずっとこの器楽部の事を考えていたに違いない。
例の三人が入部してくることまでは考えてはいなかったと思うが、何人かの経験者が入部してくる可能性は考えていただろう。一番大事な小百合の人間性や考え方や部長としての資質も見ていたに違いない。
ふと初めて瑞穂に会った頃の事を思い出した。
哲也と三人でトリオを組んだ時に瑞穂が持ってきた『Eleanor Rigby』の楽譜が目に浮かんだ。
あの瑞穂が徹夜で編曲した気遣いの塊のような楽譜。
――ああ、そうやった。瑞穂はそういう奴やったわ――
僕がそうやって過去の思い出で頭がいっぱいになっていたが
「だから私が先輩から受けた教えはちゃんと後輩に伝えないといけないと思うんです」
という小百合のひとことで現実に引き戻された。
「ああ、勝てないなぁ……」
と僕は思わず呟いてしまった。
「え?」
と小百合は聞き返した。
「いや、何でもない」
と僕は軽く首を振りながら答えた。
そして
「そこまで分かっとんやったら何も言う事ないわ。余計な心配やったなぁ」
と僕は頭を掻きながら言った。ちょっとばつが悪い。何も考えていなかった僕が恥ずかしい。
小百合に対しても瑞穂に対しても。
「いえ。亮先輩に聞かれてちゃんと自分の考えをまとめる事が出来ました。彼らにももっと言うべきことをちゃんと言えるように頑張ります。ありがとうございます」
と小百合は頭を下げた。しかし逆に僕が慰めてもらったような気がしてきた。
小百合は頭を上げると
「でも、あの三人、本当に腹が立つぐらい上手ですよね」
と少し呆れ気味に笑いながら言った。
「うん。他の二人は知らんけど、悠一は昔からよく知っとうからな。あれはヴァイオリンだけは真剣にやっとったなぁ」
「そうなんですね……そういえば悠一が言うてましたよ。『亮先輩もっとまじめにヴァイオリンもやればええのに』って」
と小百合が思い出したように言った。
「は?」
と予想外の小百合の言葉に僕は思わず聞き返してしまった。
「はい。私もそう思いました」
とにこやかな笑顔で小百合は言った。
「え? そうなん?」
「亮先輩、ピアノもヴァイオリンもどちらも凄いです。『天は二物を与えた』ってみんな言ってますよ。部長もそれは認めていましたよ」
と小百合は自分が褒められた訳でもないのに嬉しそうな表情をしている。
「冴子も?」
「はい。『亮平は音楽の神様ミューズに愛された人間』って言ってましたよ」
「ふ~ん。冴子がねえ……そんな事を……」
全く思いもしていなかった事を並べ立てられて、理解がついていけてなかった。頭の整理に少し時間が必要だった。
冴子が僕の事をそういう風に見ているとは思ってもいなかったので、どう応えていいのか戸惑ってしまっていた。
そんな僕の戸惑いに関係なく小百合は明るい顔で
「はい!」
と元気に良い返事を返してきた。
「この頃ヴァイオリンは真面目にやっているねんけどなぁ……」
と頭をかいて言い訳する以外に何も浮かばなかった。
「はい。それもみんな知っていますよ」
と更に明るく元気な声で小百合は言った。
小百合を元気づけようかというぐらいの勢いでいたのに、何故か僕自身が小百合に激励されているような気がしてきた。
「そうですかぁ。じゃあ、これからも頑張って精進します」
と僕は恐縮しながら小さな声で応えた。
「はい」
と小百合はにこやかに笑って応えた。
――本当にいい後輩をもって僕は幸せだわ……ふん――
と口には出さなかったが、悔しいぐらい彼女はいい後輩だと思った。
そして瑞穂でなくても誰もが彼女を次の部長につけたくなってしまうという事も理解した。
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