第333話ブルースは楽しい

 この前、翔からブルースへの想いを聞いた僕は、GW中に安藤さんの店で改めてオヤジにブルースピアノについて教えてもらった。

オヤジがロックやブルースについてもそれなりに見識があるのは知っていたが、予想以上に知っていたのには流石に驚いた。

オヤジはピアニストを諦めた後は、自分の好きなジャンルの曲を好きなように演奏していたと言った。


「ただ単に好きな曲を弾くピアノも、それはそれで楽しいもんだ」

とオヤジは言っていたが、本音はどうなんだろう? とオヤジの表情から読み取ろうとしたが、全然分からなかった。


 その時に安藤さんが

「暫くはピアノを弾かずにギターばっかり弾いてたけどな」

と当時の事を思い出しながらオヤジをからかったが、

「まあな。そんな時もあったなぁ」

とオヤジは軽く笑って流していた。

そのやり取りを観ながら僕はオヤジの弾くギターはどんな音色か聞いてみたくなっていた。



 そんな事を思い出しながら、僕も様子を伺うようにブルーノートスケールでもう12小節を軽く弾くと、それまでリズムを刻んでいた翔が僕からソロを奪っていった。

完全に流れをつかんだように翔は軽いタッチで音を刻んでいく。



 ピアノもギターも完全なアドリブだ。

今弾いているコードはFのスリーコード。

この単純なコード進行だけでブルースは始まる。


 真剣勝負のピアノとギターの掛け合いである。

僕のピアノ人生で初めての経験。まるで自分がブルースメンかJAZZピアニストになったような気分だ。


フレージングの知識はあるが、ブルースのフレーズは安藤さんの店で聞きかじった程度と言って良い。

出たとこ勝負でしかない。

しかし翔が大好きだというブルースは本当に弾いていて気持ちが良い。

翔が大好きだという気持ちもよく分かる。



2コーラス翔が気持ちよさげに弾いた後、僕にそのあとを振ってきた。

もちろん受けるしかない。


 彼のギターの演奏を受けてその答えをピアノで返す。

僕も同じように2コーラスで返す。

翔が笑ってそれを受けなおす。

どうやら満足いく返答になったようだ。

全くのアドリブで打ち合わせもないが、次相手がどう弾くか何故か分かる。


 僕は翔とのこのブルースという枠の中での掛け合いを楽しみながら音を紡いでいった。ピアノを弾きながらこの状態がまるで茶席でも主人と客の会話の様な気がしていた。

茶席の約束事やしきたりを守りながら会話とお茶を楽しむ。茶道って古臭いものだと思っていたが、何のことはない。

今僕たちがやっている事はまさにそれの様な気がしてならなかった。


 縛りの中に自由を見つけるのも案外悪くない。

翔とはピアノとギターで語っている方が楽しい。くだらん翔の笑えないギャグにも付き合わなくて済む。


そしてこの楽しい会話も終わる時が来た。僕たちはエンディングを迎えた。


 ホールは観客の歓声と声援に包まれた。

こんな即興のブルースにこの声援は驚きだった。幾人かの女子生徒は明らかに翔の演奏に違和感と驚きを持っていた。しかし、それは彼女たちからまた新たな発見のように好意的驚きに見えた。


「へぇ……なかなかブルースしてるやん。本格的にブルースに転向したら?」

と翔がギターを抱えたまま笑って聞いてきた。


「それは無い」

迷わずに僕も笑いながら返した。

確かにこれはこれで楽しいが、そこに縛られたくはない。


「そうやろな」

と言いながら彼はトーンを絞ってからギターのチューニングをやっていた。

こもったようなギターの音がホールに鳴り響く。


そして

「もう身体も温まったやろ? ほな本気でいくで」

とギターを弾き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る