第262話 元旦

……で、気が付いたら朝で、高校生で人生初の二日酔い状態を経験中だった。


――オヤジはこの苦しみを小学二年生で経験したのか?――


そう思うとオヤジの事を少し尊敬できそうな気がした。


 部屋の扉をノックする音が聞こえた。

扉がスッと音もなく開いてオフクロが顔を覗かせた。


 僕が起きているのが分かると

「お雑煮食べれる?」

と聞いてきた。


 僕はゆっくりと身体を起こして、もう地球が回っていない事を確認すると

「少しだけなら」

と答えた。


 顔を洗ってから食卓に座った。

軽い頭痛の上にまだ頭がぼぅとするが、むかつきはほとんどなくなった。

ただ身体は相変わらずに怠いままだったが、顔を洗ったおかげで少しはすっきりした様なきがした。


 目の前にはお雑煮が置いてあった。僕は箸を手に取りお椀を持ち上げた。

餅はそれほど要らないが、このおすましと大根は美味しい。


 オフクロも僕の目の前に座って黙ってお雑煮を食べはじめた。


――オフクロは一体何時まで飲んでいたのだろうか?――


もう完全に素面でいつものオフクロだった。


――一晩寝たら酔いが覚めるのか?……っていつ寝たんだ?――



 そのオフクロが僕の顔を見て

「ボーとした顔をして……二日酔いか?」

と聞いてきた。やはりオフクロにはお見通しのようだ。


「うん。少し……」


「生意気なやっちゃ。未成年が酒飲むからや」

と言ってオフクロは器の薄く切った大根を口に運んだ。


「母さんが飲ませたんやろが」


「そうやったっけ?」

と意外そうな顔で返事をした。


「覚えてないんかいな?」

予想はしていたが、こう素直にあっけらかんと忘れられていると少しむかつく。


「去年の話は忘れたわ」

この一言でこの話題は終わった。


――年が明けてからの話なんやけど――


と僕は思ったが口には出さずにいた。正月早々言い争いはしたくない。


静かな正月の朝だ。


 お雑煮を食い終わった僕は、テーブルに置いた空になったお椀を何気に見ながら


――美味しいお雑煮やったなぁ。案外食えたわ――


と満足した気分に浸っていた。朝起きた時の気怠さは更にマシになってきたような気がした。


 僕は顔を上げて一呼吸おいてからオフクロに

「フランス行きの話……言わなくてごめん」

と謝った。


「うん? ああ……でも、これからそういう大事な話はすぐに言うように」

と言ってオフクロはお椀をテーブルに置いた。


「うん」


「本当にフランスに行きたいんやな」

オフクロはまっすぐに僕の目を見て、念を押す様に聞いてきた。


「うん」


「判った。頑張りや」


「うん」


「あんたは夢を叶えるんやで。自分のために」


「うん」

僕は素直に頷いた。

そして

「ところで聞きたい事があるんやけど……」

とオフクロの顔色をまだ窺いつつ聞いた。


「うん? なに?」


「昨日、飲んでいる時に母さんが詠んだ『言うなかれ、君よ……なんたら』ってあれ何なん?」

僕はまだ働かない頭ではあったが、気になっていたあの言葉の意味をちゃんと知りたくて聞いた。


「『言うなかれ、君よ、別れを 世の常を、また生き死にを』や。なんや? 撃沈した割には覚えとったんやな?」

オフクロは少し驚いたような顔をしたが、もう一度同じ詩を詠んでくれた。


「その時はまだ撃沈してへん」


「そっかぁ……あれはね大木惇夫という人の詩や……お義父さんが……私があんたのお父さんと離婚が決まって挨拶に行った時にな、ボソッとそのその詩を詠んでくれたんや……なんかそれを聞いたら胸が熱くなって『ええ詩やなぁ』って思っていたんやけど、まさかあそこであんたにそれを言うとは思わなかったわ」


「そうなんや。なんかええ詩やなぁって俺も思た」


――うちの爺ちゃんも、粋な事をするな――


「そうかぁ。やっぱり私の息子やなぁ……ええ感性してるわ」

と言ってオフクロは嬉しそうに笑った。そして何か思いだしているようだった。何を思い出しているのかは皆目見当もつかなかったが、その表情からは悪い思い出ではなさそうだった。



暫くの沈黙の後オフクロが口を開いた。

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