第255話 吐き出した気持ち
「痛ったぁ。何すんのや?」
僕は頭を擦りながらシゲルに文句を言った。はっきり言って相当痛かった。
「何すんのや?……や無いで。お前、今すぐに宏美ちゃんに謝って来い」
シゲルは明らかに怒っていた。初めて彼の怒った顔を目の前で見た気がする。
「……」
僕は頭を擦りながら黙っていた。
「どう聞いてもお前が悪い。パリがどうのこうのとかはお前が勝手に決めたらええことやけど、宏美にそんな八つ当たりみたいな事をしてどうすんねん。それも意味不明な八つ当たりやし……」
「分かっとう」
「だったら、こんなところにおらんと宏美んとこ行かんかぁ」
「なんか。こう……宏美が俺にもう会いたくないのかなぁ……とか、会わんでも平気なんかなぁ……とか……」
シゲルに話をしながら、『こんな事はシゲル以外には言えんなぁ』と思いながら、驚くほど素直に自分の気持ちを話していた。相当情けない話をしている自覚があった。
「そんな事を宏美が思ってないのんはお前が一番分かっとうやろうが」
「うん。判っとる。俺が一番、ガキんちょやって事も分かっとる」
「じゃあ、なんでそんな態度したんや?」
「なんでやろか?」
「それを俺に聞くかぁ? アホかお前」
とシゲルは本気で呆れたようにのけ反った。
「俺も分からへんねん。何か、俺が言う前に先に宏美に『逝ってよし』って言われたような気がして寂しかったのかもしれん」
シゲルに話をして自分でも少しだけ自分の気持ちに整理がついたような気がした。
誰かに本音を……それもそうと情けない話をぶちまけるって案外気持ちが良い。胸や喉につっかえていたものが一気に出て様な気がする。でもこんな話ができるのはシゲルだけだ。
「お前は子供かぁ」
とまたもや呆れたようにシゲルは言った。
「だからさっきから『ガキンチョや』って自分でも言うてるやろが」
「……まあ、でも何となくお前の気持ちも分かるけどな」
と、のけ反ったままシゲルは天井を見上げながら言った。
「そうやろ?」
「いや、やっぱり前言撤回や。もう一発、喰らいたい?」
と僕の目の前に握りこぶしを突きつけてきた。
「いや、結構」
と僕は慌てて首を振った。ちょっと図に乗り過ぎたようだ。
「まあ、お前はこう見えても寂しがり屋さんやからなぁ」
とシゲルはしみじみと言った。
「そっかぁ?」
「なんや? 気ぃついてへんのか?」
「May be」
「なにが『多分』や。ええ加減な奴っちゃなぁ」
とシゲルは笑った。勉強嫌いの少年院帰りが、ちゃんと僕の英語が分かって返事を返してきた。
――やっぱりこいつは真剣に生きているんだなぁ――
とその一言を聞きながら
「よく言われる」
とその笑顔につられて笑った。シゲルの事を改めて見直した。
シゲルは珈琲カップを持ち上げ、ゆっくりと口へ運んだ。
初めて彼とここに来た時は煙草を吸っていたが、もう完全に止めたようだ。
カップを手に持ったまま
「お前はフランスかぁ……」
と呟くようにシゲルは言った。僕は話題が変わって少しホッとしていた。
「まだ行くとは決めてへんけど……」
「でも行くんやろ?」
そう言ってカップを皿の上に静かに置いた。
「まあな。行きたいとは思う。本場の音を聞いてみたいとは思う」
「寂しくなんな」
「ホンマかいな。ま、当分先の話や。まだ一年以上あるわ」
「そうやな。でもエエ話や。こんなチャンス、普通はないんやろ?」
「ああ、ないな。鈴原のオトンのお蔭や」
そうだ。全ては冴子のオヤジのお陰だ。
「ホンマやな。でもそうやってお前は自分の夢に向かってまた一歩前進できるやん」
「そうかな」
「そうや。羨ましい話やで、ホンマに」
とシゲルは言った。
彼にとっては僕の悩みなんて、とてもくだらない事かもしれない。『悩む場所を間違っている』と罵りたくなっているのかもしれない。
「ま、宏美の言う通りやん」
シゲルは話題を変えるように顔を上げて言った。
「そうやねん」
「宏美もホンマは離れたくないんやろなぁ」
とシゲルは言った後に軽く何度が頷いた。
「そうやろか?」
「まだ言うとるわ。お前にも分かっとるんやろ」
「うん」
僕は素直に頷いた。
「お前の留学の話を聞いて即座に『行ってらっしゃい』って言える宏美も凄いなぁ」
「うん」
全くな話だ。どう考えても宏美には感謝する事さえあってもイラつく事など無いはずだ。
「ええ彼女やんか」
「うん」
改めてこうやってシゲルに諭されるように言われて、やっと僕も気分的に落ち着いてきた。
そもそもこんな事は他人に言われるまでもなく分かっていた事だ。なのに何故か僕は宏美の落ち着いた態度にイラついていた。
何なんだろう? この感覚は?
でも、シゲルと話をしていてやっとさっきまでのイライラが消えた。本当に意味不明なイラつきだった。
「お前のお陰でやっと落ち着けたわ。やっと宏美の言葉を素直に受け入れる事が出来たわ」
シゲルに会いに来て良かったと心の中で思っていた。彼に素直に感謝の気持ちを告げた。
「そっか。それは良かった」
と言ってシゲルは笑った。
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