第166話 拓哉と哲也
「それじゃあ、メンバーが揃ったところから練習初めて! 一年生は研修館に移動よろしく」
と千龍さんが部員に声を掛けた。
「はい!」
と体育会系の部活のような気持のいい返事が音楽室に響くと、部員はガタガタと音を立てて立ち上がり楽器を持って各々の練習場所に散っていった。
「じゃあ、俺たちも練習するか?」
と哲也が僕と篠崎拓哉に声を掛けた。
僕はピアノのある場所でしか練習ができないので、僕たちの練習場所もおのずと限られてくる。今日はここに残って練習する事になっていた。
例の『PIANO MAN』をこの三人で演奏してから、なんとなくそのままこの面子で演奏することが多くなっていた。彼らと一緒に演奏するのは非常に楽しい。
「今日はプレリュードからはじめる?」
と僕はピアノの前に座って二人に聞いた。
「ああ、それでええんとちゃう」
と哲也が答えた。拓哉も頷いた。
僕たちはドミートリイ・ショスタコーヴィチ作曲の『プレリュード』を演奏し始めた。
彼はソビエト連邦時代の作曲家であり、この曲は昔の映画『馬あぶ』という映画のために作曲された楽曲だった。
のちにこの曲は『二つのバイオリンとピアノのための五つの小品』用の曲として編曲されたが、僕たちは長沼先生から教えてもらったこの曲を課題曲にしていた。
先生に教えてもらうまでこの曲の存在すら知らなかったが、一度弾いてからとても好きになった。
原曲はフルオーケストラだったが、チェロとコントラバスとピアノの三重奏でも十分いい音だ。
でも、一度他の弦楽器も入れて演奏してみたいなとも思っていた。
弾き終わると哲也が大きなため息をついた。
「なんや? そのため息は?」
と拓哉が気になったのか心配そうに聞いた。
「調子でも悪いんか? 別にいつもと変わらん音やったけど」
と僕は哲也に聞いた。
彼は
「いや、そういう訳ではないんやけどな。ごめん。要らん心配させたな。もう一回、音合わせよか」
と言うと弓を構えた。
僕と拓哉は顔を見合わせたが、本人が「なんでもない」と言っているのでそれ以上は聞かなかった。彼の奏でる音もいつものようにきれいな粒を生み出していたので、僕はそれ以上何も考えなかったが、本人にしかわからない何かがあるのだろうぐらいは思っていた。
午前中はトリオで三曲。哲也と拓哉でロッシーニの曲を中心に何曲か演奏した。
二人が演奏している間は僕は二人の調べを聞いていた。
哲也が言う程悪い音ではない。一緒に演奏している拓哉もいつも通りだ。彼は一体何が気に食わないというのだろうか……などと考えながら彼らの演奏を見ていた。
「どうやった?」
哲也が聞いてきた。
「ええんとちゃうか? もっとテンポを上げてもええかもな」
僕は素直に思った事を答えた。
「そうか、じゃあもう一回やろか?」
哲也は拓哉に向かって言った。
「ああ」
拓哉は疲れた素振りも見せずに頷いた。
――結構、この二人休憩なしで弾いてるよなぁ――
拓哉は哲也が納得するまで付き合うつもりのようだ。拓哉なりに哲也に気を遣っているようだ。愛想がいい訳ではないが、拓哉は寡黙で良い男だと僕は二人を見ながら思った。
いつの間にか時計は十二時を回っていた。
「そろそろ昼休みにしようか?」
僕は音楽室の壁に掛けられている時計を見て言った。
黙っていたらこのまま夕方まで休憩なしで二人は弾いていそうだった。
「そうやな」
拓哉も哲也も異論はなかった。
他の部員はまだ音楽室に戻ってきていなかったが、その辺は部員が各々自由にスケジュールを決めることになっていたので、気にすることもなく僕たちは昼食をとることにした。
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