第112話 リベットのロック
「おい、どないしたんや? ボーとして?」
オヤジの声で僕は我に返った。
「いや、ちょっと考え事をしていた」
「なんや宏美ちゃんの事でも考えていたんか?」
「そんなんちゃう」
と答えたが、オヤジのいう事はちょっとだけかすっていた……。
「なぁ、父さん」
「あん?」
「俺の音ってどんなんやろ?」
「お前の音?」
「うん。確かに父さんがさっき言った通り、お嬢のお陰で本当の音というか音色というか、今この場で一番きれいに聞こえる音とかそんなんが聞こえるようになってその音ばかり追いかけていたんやけど、それってどうなんやろ? って思うねん」
「ふん。やっぱりお前も気が付いとったか」
オヤジは目で話の続きを促した。
「この前な、渚さんに『今は自分の音探しの時期』みたいな事言われたし……」
「お前の音ねぇ……」
オヤジは天井を見上げて少し考えていた。
「今お前にとって大事な事は何なんやろうな」
オヤジは視線を僕に向けると聞いてきた。
「大事な事?」
「そう、何のためにピアノを弾くのか? って言うのが分かってないのとちゃうか?」
「う~ん」
改めてそう言われると考えてしまう。
「なんかなぁ……お前を見ていると情報量が多過ぎてどこへ向かったらええのか分からんようになった経営者を見ているような気がするわ……そう、物差しがないんや。お前の物差しが……」
「物差し?」
唐突にピアノとは不釣り合いな言葉が出来ての出僕は理解できなかった。
「そう、お前の物差しや。基準になるもんや。言ってみれば、何のためにピアノを弾くのか? という事や。これがはっきりしたら今のお前に何が必要で何が要らんのかが分かる。それが無いから自分のやりたい事を計りかねている、自分の音が分からんようになってる……みたいな状態になってもうてるんちゃうか? 父さんはそんな気がすんなぁ」
「そうなんや……」
「お前は母親に似て頭が回る。だからなんでも理論武装しようとする。要するに考え過ぎや。それはそれでええことなんやけど、もっと自分の気持ちに正直になった方がええかもな」
オヤジはそう言うとビールを飲み干して
「安ちゃん、リベットくれ。ロックで」
と言ってビアグラスを差し出した。
安藤さんは黙ってグラスを受け取った。
「ただ単にピアノを弾いたらあかんのか?」
僕はオヤジの顔も見ずに言った。なんかこれまでやってきた事を全否定されたような気持になった。
「それでええっていうとんやけど……」
とオヤジは怪訝な表情を浮かべて言った。
「え?」
「所詮は楽器やぞ。楽しまなくてどうすんねん。自分が楽しんでないもん、人が感動するか!?」
もっともだと思う。
「それでコンクールに落ちたら……」
「なんや? そんな事心配しとるんかいな? ええやん、そんなもん落ちても……それに藝大なんか行かんでもピアニストになれんで」
と藝大を目指していたオヤジは言った。
「もっと言うたらクラシックに拘らんでもええんとちゃうか?」
「ええ??」
「別にモーツアルトやヴェートーベンやバッハやリストしか弾いたらあかんなんて誰も言うてないんやし……お前の人生やぞ。ジョン・レノンやビリー・ジョエル弾いたってええやんか。父さんはそう思うけどな」
オヤジの目の前にグレンリベットに満たされたグラスが置かれた。中の丸く削られた氷がとっても綺麗だなと思った。
「フィディックでなくてええんか?」
「今日はリベットの気分や」
オヤジはそう言うと僕に向かって話し出した。
「このスコッチかってストレートで飲むのもロックで飲むのも水割りで飲むのもカクテルにするのも、飲む奴の勝手や。父さんは好きやからロックで飲んでるんや。あ、そうやお前もクラシックやなくてロックやれや」
と最後はくだらんダジャレを言い放った。
「折角、父親らしいええ話してんなぁ……って聞いていたら、オチはそれかい?」
安藤さんが呆れかえったように鼻で笑った。
「ロックかぁ……」
オヤジのくだらんダジャレが僕の琴線に引っ掛かった。
「え? 本気か?」
安藤さんが驚いたように声を掛けてきた。
「いや、ロックとかはどうかと思うけど、確かにクラシック以外もアリかなって思います。いや、他を知らんので……そう言うのも面白いかな? って思います」
僕は今湧いてきた想いをそのまま口にした。
「ま、父さんはお前の好きなようにしたらええと思うわ。でも何を
オヤジはそういうともうそれ以上この件に関して何も言わなかった。
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