第55話 リストランテ・バール
仁美さんに連れられて行ったその店は、南京町のメイン通りから路地に入ったところに存在していた。
「イタ飯屋というより、バールやな」
とオヤジがその店の入り口から建物を見上げながら言った。
「そうよ。リストランテ・バールよ。一平ちゃんはこういうお店は良く知っとぅでしょ?」
仁美さんはそう言いながらさっさと店の中へと入って行った。
「父さん、リストランテって?」
と僕が聞くとオヤジはひとこと
「イタリア語でレストランの事や」
と教えてくれた。
「あ、なるほどぉ」
と宏美が感心したように頷いた。
宏美はスペルがすぐに頭に浮かんだようだった。僕は彼女に遅れる事二秒半で理解した。
僕たちが中に入ると仁美さんの姿は見えなかったが、ホールスタッフに二階に案内され階段を上った。そして案内された窓際の丸テーブルに座った。
まだ時間が早いのか2階には他にお客さんは誰も居なかった。
古びたフローリングの床と高い天井。そして年季の入った窓枠がこの店の雰囲気を更に高めているような気がした。
案内をしてくれたホールスタッフも僕たちが着席したのを見届けると、さっさと階段を降りて行った。
そんなに明るくないが、かと言って暗い訳でもない。レストランとしたらもう少し明るさが欲しいが、バーならもう少し暗くしてほしい……そんな明るさのフロアだった。
2階の丸テーブルにポツンと取り残された感が湧き始めた頃、奥の通路から見るからに陽気な小太りのイタリアのオッサンを連れて仁美さんがこっちにやってきた。オッサンはブレザーの下から見えるサスペンダーが似合っていた。
――こんな映画に出てくるような如何にもイタリア人みたいなオッサンをよく見つけて来たな――
そう思うと笑いそうになった。いや、少しにやけていたかもしれない。
テーブルまで来ると仁美さんは
「ここのオーナーよ。この前、取材で使わせてもらってからちょくちょく来てんの」
と僕たちに紹介した。
「ようこそ、いらっしゃいました。私がこの店のオーナーのMichele Malipiero(ミケーレ・マリピエロ)です。本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます」
と流暢な日本語で挨拶をした。
「良い感じのお店ですね。ミラノに在りそうなお店ですよねぇ」
とオヤジは周りのインテリアを眺めながら言った。
「おお、ありがとうございます。実は私はミラノ出身です。良く分かりましたね」
ミケーレさんは大仰に驚いてそしてにこやかに笑った。
「いえいえ。それは単なる偶然です。判った訳ではないです」
とオヤジは自分の言った適当なお愛想が的を得てしまって少し慌てていた。
いつもなら『ええ、私のゴーストがそう囁くんですよ』ぐらいの訳の分からないギャグをかましそうなものだが、それも言えないぐらいにマジで慌てていたようだ。
それはそれでオヤジのリアクションとしては面白い。
「そうなんですか。驚きましたよ」
とオーナーは映画に出てくるような陽気なイタリア人の様に笑った。清々しい笑い方だった。
オヤジはそれに救われたように
「日本語お上手ですね」
と話しかけた。
「ええ、ありがとうございます。でもね実はこう見えてもイタリア語も話せるんですよぉ」
とオーナーは茶目っ気たっぷりに応えた。僕も宏美もそれに釣られて笑った。
「オーナーさんはもう日本は長いんですか?」
笑ったついでに僕は聞いた。
「15年ぐらいになりますね。ミケーレと呼んでくださいね」
と言われて僕はどっきりした。
人に……特に外国の人に『……て呼んでくださいね』と言われたのは生まれて初めてだったので新鮮な響きの言葉に聞こえた。
「あ、はい」
僕が返事をしている間にミケーレさんは仁美さん笑顔で促し、椅子を軽く引いた。仁美さんはそこへ静かに座った。
まるで打ち合わせたかのように自然な流れだった。
なんだかとってもオシャレな動きの流れだった。
オヤジの台詞ではないが本当にミラノのバールに来たみたいな錯覚に陥りそうになった瞬間だった。
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