第50話 オヤジが言えなかったこと


「どういうこと?」

僕は聞き返した。そういう言い方をされたら気になって仕方ない。

しかしやっとレーシーの話についていけると思いかけていたのに、彼女の話は僕の考えの及ばないところからやってくる。


「う~ん。まあいいわ。ここまで話しておいて今更だもんね……亮平の音は確かに人を感動させるけど、コンクール向きではないという事よ。明らかにあなたの音は評価が分かれる音らしいわ」

レーシーは少し悩んでいたが結局は話してくれた。


「らしい?」


「そう。コンクールの事はわたしには分からないけど、亮平のお父さんが思った事はそれよ。亮平というピアニストが奏でる音としては文句ないけどコンクールとしてはそれは難しい音。これからコンクールに出ようかと思っている亮平にそれを先に言うべきかどうかをお父さんは迷ったみたいね」


 その言葉を聞いて『レーシーがヨーロッパにいたころにコンクールなんてあったんだろうか?』という素朴な疑問が浮かんだが、それはこの場では敢えて聞かなかった。それよりもオヤジがそこまで考えていたという事に対する驚きの方が勝っていた。


「それで父さんは言わずにおこうと決めた訳か……」


「今はね。いずれ言う時が来るかも知れないとは思っているみたいね」


「そうかぁ……コンクール向きではないんかぁ……」

とレーシーに言いったが、僕には腑に落ちるというか、案外それを納得して聞いていた。


「やっぱり言わなかった方が良かったかな……落ち込んだ?」

ピアノの蓋の上に座ったレーシーは心配そうに聞いてきた。


 目の前で妖精に心配されるのってちょっと楽しい。僕は彼女が心配するほど落ち込んでいなかった。案外冷静に受け止めていた。


「いや……そんな事はないで。僕もなぁ……コンクールには元々あんまり興味がなかったからなぁ。ただこれからは出ようとは思っとったけど……そうやなぁ……去年弾いたラベルは同じようにはもう弾かれへんわなぁ……いや、もっと巧く叙情的に弾けるような気もするけど、それはラベルの意思とは同じとは言えんな……うん。分かるわ。父さんが思った通りやと思う」


「そうなの?」

僕が案外気にしていないようなので、レーシーはちょっと当てが外れたみたいな表情をしたが、同時にホッとしたような表情も浮かべた。


「うん」

僕はちょっと考えた。気持ちを整理するためにも。


「そうやな。やっぱり弾きたいように弾くわ。その方が楽しいもん。コンクールで超絶技巧のリスト弾くより、音楽室でこんなんを弾いた方が受けるからな」

僕はそう言ってレーシーの前でラジオ体操第一の伴奏曲を弾いた。


「ああ、これね。夏になったら朝から公園から聞こえる曲ね」

レーシーはこの曲を知っていた。そして笑った。

「とってもファンキーな曲ね」

と言って腰掛けてブラブラさせていた足を曲に合わせて揺らした。


 これからどうやってコンクールに出るかはさておき、コンクールのためだけのピアノは弾きたくはないとラジオ体操第一の伴奏曲を弾きながら強く思った。


 僕がこれをオヤジに言ったら『それでええんちゃうか』と絶対に答えてくれる自信もあった。

何故か頭の中で仲本工事が伴奏に合わせて体操してた。


「レーシーが教えてくれて良かったわ。ホンマにサンキュー」

と僕はレーシーに感謝した。この妖精のお陰でオヤジの事や考えが理解できた。あまり説教臭い事を言うオヤジではないので、僕の事を本当はどう思っているのか分からなかったが、ちゃんと息子として見てくれている事が感じることができてとても嬉しかった。


「そう?だったら言って良かった」

レーシーはほっとしたように笑った。それはそれで可愛いと僕は思った。この妖精の笑顔は結構僕の好みだな。

宏美に言ったら怒られるけど……まあ、間違っても彼女の存在は言わないけど。


「それにしても同じように弾いているのに出てくる音は全く違う。同じ神の音を聴き、意思を感じているのに奏でる音は違う……本当にこの二人は凄いわ」

そう呆れた様に言うと

「でもあなた面白いモノの眷属になっているのね。お父さんもだけど……」

と、レーシーは唐突に話題を変えた。


「眷属?」

どうやら彼女はついでに余計なものまで見たようだ。


「そう。神に繋がる者とでもいうのかな? あなたの後ろに神の姿が見えるわ」


「そうなん? どんな神様?」


「う~ん。元々は人だった……亮平のご先祖様……ルーツね……で今は神の姿をしている。相当修行した様ね。あと、その奥にもいるわね」

僕の頭の中にはお嬢の姿が浮かんでいた。


「へぇ……人が神様になれるんかぁ」


「あら、なれるわよ。仏にも」

レーシーはあっさりと言った。この妖精って仏教徒か? 一神教ではないのか? 近頃の妖精は何でもありか?

僕はそれも突っ込んでみたかったが流石にそれはやめた。


「……そうなんや」

僕にはよくわからない世界なので、それ以上聞くことは止めた。

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