第41話 音の粒
「ああ、そうやったなぁ……そん時に鈴原のオヤジには……『旧家にはそんなものが居ても不思議ではない。うちにもおるが、ワシにそれが見えんだけだ』って普通に流されたわ」
「まあ、あのオヤジなら言いかねんな」
と安藤さんは納得したように頷いた。
「ああ、太っ腹なオッサンや」
とオヤジは笑った。
「まあ、ワシが辞めさしたから、この孫にも会えたんやけどな」
と爺ちゃんが口を挟んだ。
なんだか鈴原の爺さんの話は、聞きたくないみたいな雰囲気を僕は感じた。
「オヤジ、もしかして鈴原の家の帰りか?」
オヤジが爺ちゃんに聞いた。オヤジもそれに気が付いた様だ。
「お? 分かるか?」
そう言いながら爺さんは眉間に皺が寄っていた。
「オッサンにまた将棋負けたんやろう?」
とオヤジは眉間に皺をよせて少し見下し気味に言った。
「ふん! 今日は調子が悪かっただけや」
「やっぱり、また負けとるやんか」
オヤジは呆れたように叫んだ。
「だから今日は調子が悪かったって言うとるやろ」
と爺ちゃんは反論したが、
「まあ、ええわ。そういうことにしといたるわ」
オヤジは笑いながら軽くいなされてしまっていた。
オヤジは楽しそうな表情でグラスのスコッチを飲んだ。
多分いつも負けているんだろうな……僕はそんな顔をして爺ちゃんの顔を見ていたんだろう……爺ちゃんに睨まれた。
慌てた僕は話題を変えようと話をオヤジに振った。
「父さん。僕がピアノを弾いたら父さんと同じ目に遭うんかな?」
「同じ目?……ああ……なんや? 怖いんか?」
「う~ん。どうやろ……その景色が見れるんなら満足かも……でもまだ分からん」
と僕は素直に本心のまま答えた。
「そうか……まあ、お前はそれはないのとちゃうかな」
オヤジはあっさりとそう言った。
「え?そうなん?」
「俺はお譲と出会ったからそういう風な人生になったんではないからなぁ。出会わなくてもそういう約束やったらしい。逆にお嬢に出会ったお陰で助かったというか命拾いしたも言えるな。そういう訳でお嬢に出会ったぐらいではお前の人生は変わったりはせん」
とオヤジは言い切った。
「そうかぁ……」
爺ちゃんが僕の耳元で呟くように言った。
「まあ、後はお前が神に愛されているかどうかやな?」
「なんか宗教ぽいな」
僕は爺ちゃんに振り向いて応えた。
「そうやな。正確には神が愛した音色を奏でられるかどうかという事やな。神々の吐息を聞けるかどうかやな」
今度はオヤジが笑いながら僕の顔を見て言った。
「オヤジはそれを聞いた?」
オヤジは少し考えてから答えてくれた。
「まあ、なんとなくな」
「今からでも間に合うかな?」
「間に合うんとちゃうか? なんせお前もお嬢には愛されているようやからな。お前の場合は吐息ではなくため息かもな」
「ため息?」
「まあ、吐息もため息も似たようなもんやけどな。単なる言葉の綾や。ただ神々もため息しか出ないような音色をお前が奏でて聞かせてやればええ」
そう言っているオヤジはなんか楽しそうだ。そして少し悔しそうにも聞こえた。まだ少し思いが残ているような気がした。
「うん」
そう頷きながら僕は神々に自分の音色を聞かせてやれなかったオヤジの代わりに、僕がリベンジしてやりたいと思った。
いや正確にはそういう思いが心の片隅に沸いたのが分かって少し驚いていた。
「父さん……ピアニストを諦めるって辛かったんとちゃうの?」
僕はまた余計な事をオヤジに聞いたと言葉にしてから少し後悔した。
しかしオヤジは気にする素振りもなく応えてくれた。
「まあなぁ。だからオトンに……お前の爺さんに八つ当たりしまくってやったわ」
そう言うとオヤジは笑った。
そして僕は更に余計な事を聞いてみたくなった。
「後悔してない?」
「ないな。悔しくはあるけどそれは、今ここに自分が存在することの対価だと思えば何でもない」
オヤジは本当に吹っ切れたようだ。間髪入れずに応えた。
それを聞いていつかオヤジの弾くピアノを生で聞いてみたいと思った。
オヤジはどんな音の粒を出すのだろうか? もう聞く事は出来ないだろうけど。
そして僕は見てみたい。僕の奏でる音の粒を。
僕はどんな色の音を出すのか?オヤジには見えるだろう。オヤジの神々の吐息を聞いてみたい。
オヤジが後一歩で見られなかった世界を見てみたい。
「お袋に来週は顔を出すって言うといて」
急にオヤジは僕の頭越しに爺ちゃんに言った。
「分かった……言うとく。それと今度は亮平と3人でお嬢にも会いに行かなぁあかんしな」
「そうやな。来年ぐらいに行くか」
とオヤジは応えた。
頭越しに会話をするのは止めてもらいたい……とも言えずに僕、は二人の間に座ったまま会話を聞いていた。
「ああ、離れの露天風呂にも浸からなあかんしな」
「そうやな」
オヤジがピアノを辞めた理由は、にわかには信じられない話だった。お嬢と出会っていた僕でさえ初めは信じられなかった。
でも、お嬢が居なかったらオヤジはそのままピアノを弾いて早世していたかもしれないのか……そうすると僕はこの世に居なかったんだなと思うと、僕がここに居るのはお嬢と爺ちゃんのお陰かもしれない。
そんな事を考えながら僕はオヤジと爺ちゃんのなんかくだらない言い合いを聞いている。
罵り合いかもしれない。本当に仲の良い親子だ。我が身内だけど。
安藤さんが僕の前にコーラを置いてくれた。
この頃はジンジャエールばかり飲んていたなぁとか思いだしながら飲んだ。久しぶりのコーラも美味かった。
コーラが入ったグラスの周りについた水滴を見ながら僕は思った。
僕の鍵盤のパレットはどんな色を奏でられるのか……それを見極めたい。
今日の色の粒にもう一度囲まれたい。
安藤さんがアンプのボリュームをゆっくりと上げると、JBLのスピーカーはまた60年代のロックを流しだした。
店はいつもの店の色に戻っていった。
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