第34話 オヤジとピアノ

「え? 父さん?」

思わず僕はオフクロに聞き返した。今確かにオフクロはオヤジがピアノを弾いていた……みたいな事を言ったと思う。

空耳かオフクロの言い間違いか、一瞬誰の事を言っているのか理解できなかった。


「そうよ。コンクール前になるといつもピアノの前であんたと同じような顔をして鍵盤を見てたわ」

オフクロは自信たっぷりな表情で言った。


「え? 父さんってピアノを弾いていたんや? カスタネットとちゃうんか? タンバリンは天才的なんとちゃうんか?」


「あ!……天才的って……そこまでは言ってないけど……」

オフクロは驚いたように慌てて両手で口を押えた。

そんな事をしても吐いたセリフは戻らない。


「父さんがコンクールでピアノを弾いていたなんて初めて聞いたぞ。なんで今まで黙っとたんや?」


「いや、隠していた訳ではないのよ。敢えて言う話でもないから……」

相変わらずうちのオフクロは突っ込まれると言葉遣いが丁寧になる。

そういう時はほとんど言い訳かその場しのぎの嘘をついている時だ。


「目が泳いでいるのはなんでや?」


「それは目玉が泳ぎたいからよ。目だってたまには自己主張したい時があるわよ。玉だけに……」

よく噛まずにそんなくだらん言い訳ができるものだと僕は感心した。


「まあええわ……で、なんで父さんはピアノを辞めたんや?」

 オフクロに聞いた瞬間はオヤジも僕と同じようにいつの間にか弾かなくなったんだろうなと思っていたが、この慌てようだと何かあったのかもしれない。


 あえてオフクロが僕に何も言わなかったは、それなりの意味があるのではないかとか色々考えてしまった。


 オフクロは一度つばを飲み込んで呼吸を整えた。

そして今度は落ち着いた声で言った。

「それはお母さんも詳しくは知らない。お父さんに直接聞いてみなさい」


「ホンマに知らんの?」

僕はオフクロがまだ何かを隠していると思っていた。


「知らん、知らん。知っていたとしても言わん。そう言う事は直接本人に聞いた方が良い」

オフクロは首を激しく降って否定した。


「聞いたら怒るとか?」


「それは無いと思うわ。ただ、辞めた理由があんたになら理解できるかもね」


「僕には理解できる? 母さんには理解できなかったの?」


「理解できなかった訳ではないけどね。想像ができひんかっただけよ」


「良く分からんな。言うてる事が……」

オフクロの言う事は抽象過ぎて、僕には全く想像もできなかった。


「だから本人に聞いた方が良いと言とぉ。直接お父さんに聞きなさい」

オフクロは僕の目をじっと見て言った。


「うん。判った。そうする」

これ以上オフクロに聞いても何も教えてくれそうになかったので、僕は聞くのを諦めた。




「でも、俺のピアノを弾く姿ってそんなに父さんに似てんの?」


「うん。似とうなぁ……たまにドキっとするぐらい似とう時がある。流石は親子やなぁって思ってたわ」


「そんなに似とんや……」

それを聞いて僕は少し嬉しかった。

オヤジとの親子の繋がりを感じた様な気がした。


「ピアノを弾いている姿は本当によう似とうわ。でもお父さんの方が鬼気迫るものがあったわ。お父さんは本当はピアニストになりたかったから……」


「そうなん?」

意外だった。オヤジのピアノは趣味程度に弾いていたんだろうと思って聞いていたが、そうではなかったようだ。


「うん。音の粒が溢れ出るようなきれいなピアノを弾いていたわ」

オフクロは昔の良き思い出が蘇ったかのような恍惚とした表情で言った。


「そうなんやぁ」

僕は少し嬉しかった。オフクロがオヤジの事を憎んで別れた訳ではないと思えたからだ。

そしてオヤジも僕と同じようにピアノを弾いていたというのがまた嬉しかった。

 

そう、オヤジとピアノという楽器で繋がっている気がした。あのオヤジの息子だという実感が湧いた。


 しかしあのオヤジがピアノを弾いている姿は想像できない。まだウクレレを弾いている姿なら想像できそうだったが……。


「あんたも同じような音を出しているわよ……そうだ、あんたのピアノの先生の伊能先生がね、言っていたことがある」

オフクロは急に思い出したように伊能先生の名前を出した。


「なんて?」


「あの先生が言っていたのは、『亮平君みたいな生徒は初めて』だって」


「そうなん? 知らなんだ……」

この話は初めて聞いた。


「うん『教えるべき基礎は教えて、それ以外は自由にピアノを弾かせていた方が良い様な気がします』って言っていたわ。先生も教え方で色々考えていたんやないんかなぁ」


――今頃、そういう話をするかね? この母親は――

こういう話はもっと早い時期に言うべき話ではないのか? そうしたら僕の人生も変わったかもしれない……ってそれはないか。


「へぇ、そうなんや。全然知らんかった。俺は別に何も変わった事を言われたことはないけどなぁ……まあ、好き放題にピアノは弾かせてもらっていたけど……」

意外な母のひとことだった。あの先生が僕の事をそういう風に見ていたとは、全く気づかなかった。ただ、記憶をたどると思い当たる節はいくつか浮かんだ。


「まあ、あんたに強いていう話でもないからねえ」

そう言うとオフクロはピアノに近寄って来て鍵盤を指で軽く叩いた。

ポロンと音がした。


「あんたのお父さんがピアノを弾く姿は格好良かったのよ。私は好きだったなぁ」

 オフクロのオヤジに対する気持ちを初めて聞いた。これってもしかしてのろけなのか?

今までオヤジの事をオフクロと話した事はほとんどなかったので、どう判断してのか分からない。


「だったら父さんに言って弾いてもらったらええやん」


「もぅええわ。中年のオッサンに弾いてもらっても嬉しないわ。それよりも我が息子のピアノを弾く姿を見たいわ……それにお父さんはもう二度とまともにピアノを弾くことはないわ」

オフクロは首を振ってそう言うと、また鍵盤を軽く叩いてピアノを鳴らした。


「二度と? 父さんは辞めたんじゃなくて弾けなくなったんか?」


「だから、それは本人に聞きなさい。私の口からはどう説明していいのか分からんから」

オフクロはこれ以上は答える気は無いようだ。僕も中途半端な事は聞きたくなかったのでそれ以上追求するのはやめた。


 オヤジの事を聞くのを諦めた代わりに僕は、オフクロに今日の放課後の事を話した。

「今日、学校の音楽の先生に『もう一度ピアノを弾きなさい』って言われてん。なんか、うちの音楽の先生、伊能先生の教え子みたいで俺の事を伊能先生から聞いたみたいやわ」


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