第24話 串カツ

「やっぱり……そうか……」

僕の取ってつけたような言い訳は、全く通用していなかった。


 シゲルは肩を落とした僕に

「なんか、分かったような分からんような話やわ。なんかその道のプロみたいな話やな」

と言うと笑った。


「プロ?」


「そう、『僕は学年での順位を上げるプロです。思いのままに上げてみせます』なんてね」

シゲルは声を1オクターブ下げて変な声色で言った。


「なんや、それ。お前アホか?」


「そうや。今頃気が付いたか!」

そういうとシゲルは声をあげて笑った。こんな小さな喫茶店ではかなり響く声だったが、僕はその笑顔と笑い声にちょっと救われた様な気持ちがして僕も笑った。


 シゲルの笑顔は昔と変わらない。こんなくだらない内容の話で今でも笑いあえる。


――この笑顔が僕は好きだったんだな――

 

 そう、僕はシゲルの屈託のない笑いが好きだった。


 いつも本気で笑っている。裏表のないこの笑顔を見ていると僕も心の底から笑えるような気がしていた。

 こうやってシゲルと話をしていると、色々忘れていた感覚を思い出す。

懐かしい思いと新鮮な思いが交差する。なんか得体の知れない気持ちになる。でもそれが嬉しい。


 で、今、彼はそれなりに勉強が楽しいらしい。それは僕に伝わってきた。


彼は笑い声を納めると真顔で僕の顔を見て

「俺な、こんなこと言うと笑われるかもしれんけど、大学行きたいねん。なんかもっと勉強したくなってん」


「そうなんや……」

まさか彼がそんな話を始めるとは思わなかったが、『シゲルならあり得そうだな』とも感じていた。彼は勉強は嫌いだったが、頭が悪い訳ではなかった。どちらかと言えば頭の回転と勘は良い方だと思っていた。


「でな、それでな、いつかビル建てんねん。串カツが食えるビルやねんけど」

と言った。彼は僕を伺い見るような視線を投げかけた。それは彼の言葉から僕が何を感じ取るのかを試されているような視線でもあった。



「串カツが食えるビル……?……あ!」

僕は思わず声を上げた。


「思い出したか?」

シゲルは今度はいたずらっぽく笑った。ちょっと勝ち誇ったようなあるいは安堵したような感じで……。


「うん」


 僕は今さっきまで完璧に忘れていた事を思い出した。

完全に忘れて果てて記憶の底に沈められた大事な宝を、今掘り起こしたような気がしていた。



  それは僕らが小学三年生の頃だった。

僕は今もその当時も住んでいる家は北野町界隈だが、シゲルの家は下山手通りにあった。シゲルは厳密にいうと越境入学だった。越境と言っても道が一本だけ校区から外れているという程度のどうでもいいような越境だった。


 なのでシゲルと遊ぶ時は山本通や北野町ではなく元町か宇治川辺りが多かった。

ある日、宇治川商店街の入り口の角にあった立ち食いの串カツ屋で、おやつ代わりに串カツをシゲルと食っていた時の事だった。


ここの串カツは一本その当時50円以下の値段設定だったので、小学生の僕達でも食べる事が出来た。


 ある日いつものようにシゲルと一緒に串カツを食っている時の事だった。うっかり僕がソースの器に串カツを二度浸けした事があった。


 それをシゲルが見とがめて

「亮平! 串を二度浸けしたらアカンねんぞぉ」

と注意された。

「してへん」


「今、したやん」

僕が

「まだ食ってへんからセーフや」

と言い返すと

「そういう問題やない。中途半端に浸けるからあかんのや。ちゃんと一回でやらんとアカン。それが串カツに対する礼儀や」

とシゲルは僕の串カツ道に悖(もと)る行為を詰(なじ)った。


 僕たちのやり取りが聞こえたのか、 隣で同じようにカウンター立って串カツを食っていた建築作業員風のオッサンが

「お前ら子供のくせに、こんなところで串カツ食うとるんか?」

と大きな声で話しかけてきた。

日本酒の入ったコップ片手に串カツを食っているオッサンだ。明らかに酔っている。


 正直に言って急に大人に……それもごつい感じの大人に声を掛けられて僕はビビっていた。

しかしシゲルは物おじせずに

「そうや。ここの串カツは美味いもん」

と言い返していた。


「そうやなぁ……ここの串カツは美味いもんなぁ……子供でも判るか?」

オッサンはシゲルに聞き返した。


「判んで」

シゲルは笑って言った。


 オッサンはシゲルの顔をじっと見ていたが

「おかぁちゃん。このボクちゃん達も常連さんか?」

顔を上げるとカウンターの女将さんに聞いた。


 女将さんは僕たちの事をカウンターから覗き込むように見て

「ああ、この子らはよう来るで」

と言った。

女将さんは僕たちのことを覚えていてくれていた。


「なんや、この辺の子か?」

と納得したようにオッサンは言った。


 するとシゲルが

「そうや。宇治川の人間や」

と胸を張って言った。


 まあ、嘘ではないが『お前ん家からは、ここは少し遠いぞぉ……』と僕は二人のやり取りを見ながら心の中で思っていた。

 ついでに言うと『僕はこの辺の子ではない』と心の中で叫んでいたような気がする。


「そうかぁ。おっちゃんなぁ、今あのビル建ててんねん」

そう言うとそのオッサンは後ろを振り返り、とある建築中のビルを指さした。

その指先を辿ると、商店街の向こう側に建築用のシートに覆われたビルが見えた。


「ワシらはあれを建ててんねんけど、出来たら中に入る事はないんや。この現場ともおさらばや。ほんであそこのビルに入るのは、おじさんたちとは違う賢い人たちや」


オッサンはそこで日本酒を飲んでふぅと息を空に向かって吐いた。


 僕たちは黙って聞いていた。

このオッサンは何が言いたいのか良く分からなかったが、ここは聞くべきだと思った。


「この前の地震でこの辺のビルも三宮のビルもぎょうさんのビルが倒れて潰れたんや」

このオッサンのいう地震とは阪神淡路大震災の事だ。

当然、僕もシゲルもあの震度7を経験した被災者だった。

今でもあの光景は覚えている。


「うん。知っとう」

僕らはそう言って頷いた。

あの不安な日々の記憶がありありと蘇ってきた。


「お父さんとかお母さんとか、みな無事やったか?」

オッサンは優しく聞いてきた。


「うん。無事やった」

シゲルはそう答えたが、僕は母親はともかく父親の行方なんか知らなった。というか父親の存在さえ気になって無かった。でも取りあえずここは頷いておいた。それがこの場合一番いい対応に思えたから。


「そうか、良かったな。みんな無事で何よりや」

とそのオッサンは会った事もない僕の家族やシゲルの家族の安否を気遣ってくれた。


「だからこのおっちゃんはな、潰れたビルの代わりに新しいビルを建ててんねん。これからも沢山(ぎょうさん)ビルを建てる。今度は地震では倒れんビルをな」

オッサンはまた日本酒を飲んだ……というより煽ったという方が正確な表現かもしれない。


「でもな、そこに入るのはワシらやない。お兄ちゃん達や。分かるか?」

と聞かれたが良く分からなかった。

でも頷くだけは頷いた。


「お兄ちゃんが勉強して偉くなって社会人になって、ええ会社に入ってあの中に入って仕事をする。その為におっちゃんはビルを建ててんねん。分かるかぁ?」

とまた聞かれたが、今度は何となく言わんとする事が分かった。


シゲルは串カツの串を咥えたまま黙って頷いていた。


「だからな。おっちゃんらは沢山(ぎょうさん)ビルを建てるからな。そんでな、お兄ちゃんが大きくなる時分には、ワシらはもう年寄りや。もう働かれへんかもしれん。そんな年寄りがな、笑って暮らせるような国を作ってな」

と言った。


 僕はそのオッサンの風体とその口から発せられた言葉とのギャップに驚いていた。

いや、その違和感に感動さえしていたかもしれない。

 なんだか次世代のバトンを今無理やり宇治川の串カツ屋で、受け渡されたような気にさえなった。


「今日は未来の宝のお兄ちゃん達に奢ったるわ。なんでも好きなもん注文してええぞぉ」

と言われたが流石に子供ながらにも相当凄い期待を課せられたような気がして、おいそれと注文ができなかった。


 それを遠慮したと思ったのかこのオッサンは女将さんに

「なんでもええからこの子らが好きそうなもん盛り合わせにしてやってや」

と言ってくれた。


 女将さんは「はいはい」と笑って串カツを数本揚げてくれた。

ここは未来を担う宝として食わねばならんと思うしかなかった。


 僕とシゲルは差し出された串カツの盛り合わせを食ったが、何を食ったのかよく覚えていない。

その後もそのオッサンと話をしていたはずなんだが、どんな会話をしたのかも覚えていない。

ずっとオッサンの言葉を反芻していたような気がする。


 それほどそのオッサンの言葉と感じた違和感は、僕にとって強烈に記憶に残るでき事だった。

それはシゲルも同じだったようだ。







 シゲルが言った串カツ食えるビルとはこの話が元になっている。

そんな強烈な衝撃を受けていたはずなのに、僕は完全に忘れ果てていた。


――時の流れとは哀しいものだ……――


と僕は心の中で自己弁護してみた。


 それはさて置き、その時の想いを鮮明に思いだした僕は

「お前よう覚えとったなぁ」

と少し感動気味にシゲルに言った。


「ああ、お前も覚えとったやん」

とシゲルは満足そうに頷いた。


「うん、あのオッサンのインパクト凄かったからなぁ……」

僕の今までの人生であれ以上の衝撃を与えてくれたオッサンは他にはいない。


「あれで俺、世の中のオッサンの見方変わったもんなぁ」

とシゲルはしみじみと感慨深げに言った。


「確かに……」

僕は頷いた。シゲルも僕と同じように思っていたようだ。


「あのオッサン何処の誰か知ってんの?」

とシゲルに聞いてみた。


「知る訳ないやろ」

とシゲルは即答した。


「そうやろな。聞いた俺がバカだやった」


「なんや、今頃分かったんか?」

シゲルはそういうと笑った。


「で、お前は建築屋にでもなるのか?」

シゲルとのやり取りに懐かしさと、少しの快感を感じながら僕は聞いた。


「いや、ならん。俺までビル建ててどうする?」

そういうとシゲルは珍しく語り出した。


「何をしたらあのオッサンが言うてたようなええ国になるかは分からんけど、それが分かった時に俺がアホのままやったらそれこそどうしようもないやん。だから早よぉ、それが分かるように勉強したいし、自分が何をすべきかが分かった時に慌てんでも済むように勉強というか知識はつけておきたいんや。知識は力や。それが解ってん」

とシゲルは一気にまくしたてる様に語った。彼にしては珍しく高揚しているように感じた。


「しばらく見んうちに、なんかシゲル……凄いな。ちょっと見直したわ」

僕は本心からシゲルを見直した。

 

 心根の優しい正義感の強い男だとは思っていたが、あんな串カツ屋であったガキの頃の話を今でも覚えて実践しようと考えているとは思いもよらなかった。


 それに比べて何の考えもなく、家の近所と言うだけで進学した高校の事を褒められて図に乗っていた自分が、とてつもなく恥ずかしい奴に思えて来た。



 

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