第23話 友来る
「ああ、思い出したわ。相変わらず喧嘩だけは強いな」
「『だけは』っていうなよな……ふん、それにしても相手見て喧嘩を売れよな」
と寝転がっている絶滅危惧種たちに向かってシゲルは吐き捨てるように言った。
しかし喧嘩を売られたのは僕であって彼ではない。どちらかと言えばシゲルの方から彼らに押し売りの如く売りつけたような気がしていたが、僕は敢えて反論せずに黙って愛想笑いを浮かべながら頷いた。
――ああ、そうだった。さっきから思い出していた数々の名言は全てこいつの口癖だった――
と頷きながら思い返していた。
「そう言えばお前、どないしていたんや? 卒業式もおらんかったやろうが……」
と僕はシゲルに聞いた。中三の二学期に彼は誰にも理由を告げづに、忽然と学校に姿を見せなくなった。それ以来の再開である。聞きたい事は山ほどあった。
「卒業して一年も経たへんのに忘れられたかと心配したわ」
とシゲルは笑いながら僕の肩に腕を回して言った。
ついでに耳元で
「ホンマは忘れとったやろ、冷たいやっちゃな」
と小突かれた。
「いや、ちゃんと覚えとったで……」
と僕は小声でとぼけた。
僕らは足元に転がっている絶滅危惧種の存在の事など既に忘れ果てていた。もっとも彼らの事を気にかけてやる必要も義理も無かったが……。そのままその取り残された四人をその場に残して、僕らはその場を離れた。シゲルには行く当てがあるようで、僕は黙ってシゲルの後をついて行った。
僕たちは元町商店街を抜けて南京町まで出ると、中華料理屋に挟まれた常連でないと見落としそうな入り口の喫茶店に入っていった。この辺りはいつも観光客でごった返していた。
どうやらこの店はシゲルが常連にしている喫茶店のようで、店に入るとシゲルは席に着く前にカウンターに向かって「ホット二つね」と当たり前のように注文した。
僕たちは一番奥の席に座った。
椅子に座るなり僕はシゲルに聞いた。
「それにしてもほとんどお前、学校に来てなかったやんか。覚えてもらえるほどおらんかったやろうが」
「そうやねん。俺も同じクラスで覚えているのは三~四人しかおらんわ」
と笑いながらそう言うとヨットパーカーの腹のポケットからタバコを取り出して、慣れた手つきで一本だけ出すとそのままそれを咥えた。
「お前も吸う?」
シゲルはタバコを僕に差し出して言った。
「いや、俺は吸わん」
「お、そうか。真面目やな。でもその方がええわな」
そう言ってシゲルは手に持ったタバコを引っ込めると、咥えたタバコに100円ライターで火をつけた。
「さっきは助かったわ。ありがとうな」
僕はシゲルが咥えたタバコの先の赤い火を見ながら言った。
「ああ、カツアゲでもされとったんか?」
そう言うとシゲルはタバコの煙を天井に向けて吐き出した。
100円ライターはそこにあるのが当然のように、煙草の上に置かれた。
「残念ながらまだカツアゲ前やったな。メンチ切ったって言いがかりから始まったら思ったより沢山湧いて出て、捕まったところでお前が登場したからなぁ……でもあのままお前が出てこなかったらカツアゲされとったんやろうなぁ……」
と僕は言いながら相当やばい状態であった事を再認識した。
「まあ、お前らしくないな。あんな奴らに捕まるなんて」
シゲルは意外そうな顔で言った。
「いや、六人もおったら逃げられへんでぇ」
と僕は言ったが、そんな絶滅危惧種の話よりもシゲルが『何故学校に来なくなったのか』……予想はつくけど……そして『何故今ここにいるのか』を聞きたかった。
そう、中学三年生の夏休み明け。ほんの二~三週間程学校に来て彼は消えた。
彼の席は僕の隣だった。彼が来なくなってしばらくは、その誰も座る人がいなくなった席を僕はいつも見ていたような気がする。
「ああ、アレな……ピロシキが俺を少年院に放り込んだんや」
ピロシキとはその当時の僕たちクラスの担任だった先生のあだ名だ。本名は倉敷だったと思う。
体つきはがっしりしていたが優しそうな顔をした音楽の先生で、ちょうど僕たちが三年生になった時に余所の中学校から赴任してきたばかりの先生だった。
自分では気が長いと言っていたが、一か月もしない内に気の短い先生である事がバレていた。はっきり言って瞬間湯沸かし器だった。
何故そんなすぐにバレるような嘘をこの先生はついたのか不思議だったが、その時は本気で優しい先生にでもなろうとでも思っていたのだろうか? もしそうだとしたらその企みはあっという間に崩壊していた。
そう言えば、そのピロシキが音楽会で選んだ我がクラスの合唱曲は混声三部合唱のワーグナーのタンホイザー行進曲だった。
『さすがは音楽の先生のクラスだけあって……』とか言われたかったのか、選んだ曲は渋かったが歌い手はもっと渋かった。渋すぎてそもそも声が出ていなかった。
案の定、ピロシキは練習の度に怒鳴り散らしていたが、僕たちはコーラス部でも何でもない。音楽会での出来は最低であったと記憶している。
人生であれほど嫌々練習した音楽会もなかった。
今思い返すとピロシキの我がクラスの担任時代の企みは何一つ実を結ばなかったのではないだろうか? そんな気がしてならない。
ピアノで伴奏を弾いていた芦田智子は本番の途中に楽譜を全部床に落としてしまって弾けなくなっていた……だから僕たちは途中からアカペラ状態だった。
その後クラスメイトから『あれはさり気にわざと落とした匠の技』とか言われて尊敬の眼差しを受けていた。
そんな気の短い全く人望もなかったピロシキだったが、影で面倒な生徒はマメに排除しようとしていたらしい。
シゲル曰く、余りにもイヤミが陰湿で酷かったので、彼はとうとうピロシキを殴ってしまったそうだ。
そのままピロシキの思惑通りかどうかは知らないが、またもや少年院送り。
「まあ、担任を殴ったら戻れんわな」
と僕が笑ったら、
「まあな」
とシゲルも笑った。
彼のとってその事は、もうそれぐらいのどうでもいい事になってしまっているんだろう。
僕から見たらシゲルは正義感が強いのだが、腕力もあるから我慢できない理不尽には直ぐに手が出る。
そう、彼の言う正義の表現方法に少し問題があったと思うが、シゲルに言わすとそれは単なる見解の相違らしい。
そう言う男だから彼が弱い者をいじめたり、殴ったりしている姿を見たことが無い。どちらかといえば庇っていた方だったと思う。
……という事は小学校の時僕と喧嘩をした事がなかったのは、僕の事を『庇うべき弱い者』と見ていたのかと気になったので、思い切って聞いてみた。
シゲルは
「違う」
と言って首を振った。
そして
「お前とはな気が合ったというのもあるけど、なんかいつも凄いなぁって思って見てとったんや」
とシゲルは言った。
「え? そうなん?」
予想外の言葉に僕は思わず聞き返した。
「うん。亮平は俺の持ってないモンを持っているような気がしてたんや」
「持ってないもん? なんじゃそりゃ?」
「う~ん。口ではうまく言えんけどな」
と言ってシゲルは考え込んだ。
「ふ~ん。今でもそう思うと?」
「いや、それは錯覚やったという事は、今さっきよ~く分かったわ」
と言うとシゲルはガキ大将のように笑った。それは久しぶりに見る我が小学校のガキ大将の笑顔だった。
なんだが懐かしい気がした。
シゲルはタバコの煙をまた天井に向けて吐くと珈琲カップに口を付けた。
「俺なぁ、今俺みたいな落ちこぼれでも行ける単位制の高校に行ってんねん」
と今の自分の現状を語りだした。
「単位制?」
思わぬシゲルの話と聞きなれない言葉が出たので、僕は思わず聞き返した。
「ああ、俺もよう分からんねんけどな。三年間でこれだけの単位を取ったらええっていう仕組みらしい。ほんで俺みたいなアホには付きっきりで理解できるまで勉強を教えてくれる学校や」
シゲルは珈琲をまた一口飲んで話を続けた。
「そうや、思い出したわ。昔、お前によく学校で勉強を教えてもうたやん。アレやアレ。そうや! お前が俺がかけ算出来るようなるまで付き合ってくれたやん。まさにあの感じや」
唐突にシゲルは叫んでから懐かしそうに言った。
「掛け算って二年生やったけ?」
「たぶん」
「ようそんな事覚えとるなぁ……俺は忘れとったわ」
そう言えばそんな事もあったかもしれないが、シゲルに言われるまで完全に忘れていた。
「いや、俺も今思い出したんや」
シゲルはとてつもない事を発見した科学者のように喜んでいたが、僕にとっては昔のどうでもいいような思い出だった。
でも、それをシゲルが大事な記憶として思い出してくれたのが、僕はとても嬉しかった。
「あれって『出来た奴から図書室で好きな本を読みに行って良い」って先生が言うとったやん。覚えとう?」
シゲルはその時のことを語りだした。
「ああ。それは覚えとう」
言われて思い出したが、確かにその時の担任が『覚えたご褒美に』とそういうニンジンをぶら下げていた。
「あれ、最後まで俺は行けなんだ」
と言ってシゲルは頭を掻いた。
「そうやったっけ?」
「ああ、そうやった。で、放課後残らされて覚えていたら、お前が付き合ってくれたんや」
「よう、そんな事覚えとるなぁ。忘れとったわ」
僕はまだ同じセリフを吐いた。
そういう事はあったかもしれないが、あまりにもシゲルが克明に覚えているので僕は驚いていた。
「そこに冴子や宏美もおったような気がする」
『こんなところにも冴子と宏美は登場しとったんかいな』と僕は彼女らとの縁の深さを痛感した。と同時にシゲルの数少ない記憶に残る同級生に、この二人の名前が出たのは少し嬉しかった。
「あいつらなら今も一緒の学校におるわ。クラスも一緒やわ」
と僕が言うとシゲルは驚いたように
「ホンマかいな!? お前、学校どこやったっけ?」
と聞いてきた。
「北高」
とひとこと僕が言うと
「え? お前ら全員、北野坂に行ったんか?」
今度はシゲルは本当に驚いたように声を上げた。
「そうやで。家から近いしな」
「頭ええなぁ……」
とシゲルは感心したように僕を見て言った。
「あの二人はな」
「お前も一緒やん」
「ちゃうちゃう。うちの中学校で学年で十番以内におったら行けるようになってんねん。あとは内申次第や。毎年同じ数だけうちの高校に行きよるもん」
「十番以内かぁ……お前そんなに賢かったんや」
「いや、十番以内ってそんなに難しないで。一番を取るよりは簡単やし。三十番とはほんのちょっとの差や」
「ほんまかいな」
とシゲルは全く信じていなかった。
「ほんまや。それが分かるから十番以内になれんねん。勉強したから十番以内になるんちゃうねん。十番以内なるように勉強するねん。一番になろうと思うと必死なるやん。でも十番以内やったら何とかなりそうな気せえへん?」
と僕は訳の分からない言い訳をしたが、シゲルに賢いと言われるのがとてつもなく恥ずかしかった。
そんな僕の心の動揺を見透かしたようにシゲルは
「全くせえへん」
と首を振った。
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