シゲル
第22話 絶滅危惧種
その日僕は学校が終わってから一人で、三宮から元町界隈をうろついていた。
別に目的があってうろついていた訳ではなくて、次の日は休みだったので何となくまっすぐ家に帰りたくなかっただけだった。
三宮センター街のジュンク堂で文庫本を2冊買い、元町駅の裏の雑居ビルの2階にあるCDショップで中古のCDを漁っていた。
この頃、オヤジや安藤さんの影響から60年代・70年代のポップスやロックが気に入っていた。
音楽自体も好みだったが、この時代の音楽を語るってなんだか大人びて格好が良い。そんなよこしまな考えも多分にあった。
気に入ったCDを何枚か見つけたが、財布の中身と協議した結果グランドファンクレイルロードのベスト盤とデープパープルの「マシンヘッド]を買うことにした。
「よし、とっとと家に帰ろう」
CDをカバンに仕舞い、店を出て階段を降りて路地に出たら、そこに待ち構えていたように今時珍しいヤンキー風の高校生がいた。
そいつと目が合ったのがいけなかった。いや、合わなくても結果は一緒だったかもしれない。所詮は今時絶滅危惧種指定されてもおかしくないヤンキーの兄ちゃんだ。何もなくてもからんでくるのが習性だ。
「お前、何見てんねん」
絶滅危惧種のヤンキー風の高校生が、便所座りをしたまま眉間にしわを寄せ、下から僕を見上げて言った。
顎を上げて喋るスタイルも角度も完璧だった。間違いなくどこからどう見ても絶滅危惧種のヤンキーの兄ちゃんだ。
「こんなところにこんなものが……」
家の玄関の前で巨大なゴキブリを見つけた時のように、思いっきり踏みつけたい感情にとらわれた。
——このまま蹴り倒したろか?——
そう思いながらも
「なんも見てへん。お前が見てくるから見とっただけやろが」
と一応反論してみた。が、これはまずかった。ちょっと弱気な言い訳がましい一言だった。
――こういう場合はもっと上から目線で強気でいかんと――
と昔誰かに教えて貰ったような気がする。
いや、その前に最初に思った通りこんな生意気で理不尽なバカは、躊躇なく蹴り倒すべきだった。
絶滅危惧種だと思って情けをかけたのが大きな間違いだった。
「なめとんか」
男は立ち上がり僕の襟首を持って押してきた。
ここはそのまま立ち上がってメンチの斬り合いか、座ったまま根性見せるかがセオリーだろうが? と思ったが、そのまま押された勢いで腕を取って一本背負いのように投げてしまった。
これは吉見さんに嫌というほど習った(実験台or練習台になった)技だった。身に付いた習慣とは恐ろしい。
ほとんど地面に膝がつく位に腰を沈めて腕を巻き込んでから、一気に足を伸ばして腰を起こした。
案外軽かった。気持いいぐらい浮いてくれた。そして更に腕を巻き込み地面に叩きつけた。
そのまま寝ていて入れたら良かったのだが、起き上がって来たので慌てて顔面を思いっきり蹴り上げた。
まだまだ修行が足りん。吉見さんのようには決まらない。
男は吹き飛んで顔を押せえてのたうち回っていた。結局、蹴り上げるのであれば最初からやっていれば良かったと案外冷静に思っている自分がいた。
足の先に変な感触が残った。売られた喧嘩は買うのがうちの家訓だ……なんては言われたことはなかったが、今日からそうしよう思った。
――やる時は徹底的にやれ――
これも誰かに教わったような気がする。
――長居はするな――
このまま逃げるが勝ちだと思ってこの場をさっさと離れようとしたら、路地裏から更に人相の悪いヤンキーの兄ちゃんが5人出てきた。
そう言えば1匹見つけた10匹いると思えと……これはオフクロに教えてもらった……いや、本当にその通りだ。
どうやらこの鼻血を出してのたうち回っている不幸な奴は、この五人の先輩に『気の弱そうな奴をカツアゲしてこい』とでも命令された一年生なんだろう。
そして、いかにも気が弱そうに見えたであろう僕は、この唐突に集団発生した
左右の腕を二人がかりで掴まれて肩を抑えられ路地裏に連れて行かれた。
「このまま帰すわけないやろ」
「まあ、ゆっくり話そか」
とテレビドラマかアニメで聞きそうな台詞を耳元で語られ
「どないしてくれんねん。あいつ。鼻折れてんで」
と凄まれた。
「知るか。急に掴みかかってくる奴が悪いんやろが!」
こいつらに一々返事するのも鬱陶しい。
「ふ~ん。お前も同じ目にあわせたろか?」
「おぅ。やれるもんならやってみぃ」
口ではそう言ったが、これは結構やばい状況だった。
心の中では少し後悔していた。焦っていた。やはり絶滅危惧種は大事にすべきだったか? と何度も反省した。
しかしここでビビって土下座なんかしたら一生後悔すると思った。逃げて後悔するか袋叩きになって後悔するか? 考えるまでもない。僕は後者を選んだ。
そう、腹をくくった時に
「お前ら何してんねん」
と僕の背後から声がした。
『お巡りさんか?』 と思ったがそうではなかった。
ゆっくりと振り向くとそこには長身の体格のいい高校生風の男が立っていた。
少し赤毛の長髪で明るいモスグリーンのヨットパーカーを着た、見た目は強そうには見えない男だった。
しかし目の前に五匹の絶滅危惧種を見ても動じる気配もなく、目元には余裕で笑みさえ浮かべていた。
それを見て僕は少し落ち着きを取り戻した。
僕が最初に退治した絶滅危惧種は、その男の右足の下でまた鼻を押さえて藻掻いていた。どうやら今度はこの男に突っかかり、鼻を蹴られたようだ。
それを見て『今度こそ本当に鼻が曲がったかもしれないな』と、僕は心の底から同情した。
――喧嘩は相手を見てから売れ――
これも誰かに聞いたような気がする。そして今のたうち回っている絶滅危惧種の彼に贈って上げたい言葉でもある。
と同時にこの短時間に二度も同じ目にあった彼には、『ご愁傷様』と言う言葉が一番似つかわしいとも思ってはいたが……。
なんにせよ、今の僕にはこの赤毛の男が神様仏様のように思えていた。
「なんや?お前は関係ないやろが」
絶滅危惧種の一人が男に近寄った。
「こいつの連れか?」
お約束のように顎を少し上に向けるような感じで僕の方を指した。
「まあ、そんなもんやな。で、お前ら何やってくれてんねん。俺の連れに」
はっきり言ってこの男に見覚えはなった。でも友達かだれかの兄貴かもしれんとかは考えた。
いや、今の僕にとっては赤の他人でも、後で勘違いだったと言われてもなんでも良かった。今の状況が少しでも改善されたらそれで良かった。
「おんどれ、ええ根性しとんのぉ。舐めとんかぁ?」
絶滅危惧種五人の注意は僕ではなくこの新しく登場した「怖いもの知らずのチャレンジャー」へと移っていった。
勿論、僕の興味も同じように彼に移っていた。
兎に角、僕にとっては間違いなくヒーローの登場だった。
「お前もいてまうぞ」とその男に近寄っていた絶滅危惧種Aが言った瞬間、彼は絶滅ではなく撃滅危惧種となった。
ちなみに言っておくが「お前も」はこの場合不正確な言葉だ。『まだ俺は何もされてないぞぉ』と心の中で訂正した……いや訂正して差し上げた。
その危惧種Aは顔面を押さえてうずくまった。赤いロン毛の見事な右ストレートだった。その横にいた危惧種Bは腹を蹴られて体がくの字に折れ曲がった。
なんと美しいコンビネーションなんだ。
バッハのフーガの調べの様に美しい。ちなみに頭の中ではト短調が鳴り響いていた。
危惧種Cはそれを見て慌てて飛びかかったが、殴られてカエルのように仰向けにひっくり返っただけだった。
目の前に展開される後継を呆然と見ていた僕の両腕を抑えていた危惧種Dと危惧種Eは、僕から手を離して及び腰になっていた。
それでも、最後の意地を振り絞ってやるのかと思ったら
「まだ、何もしてないから……俺、関係ないし……」
と訳の分からん通りすがりの第三者に成り下がろうとしていたが、二人とも彼についでのように殴られていた。
しかし明らかに最初の3人よりはマシで、まだ顔を押さえて走って逃げていく余裕があった。
そう二匹の
どうやら僕は助かったようだ。
「どこのどなたか知りませんが、本当に助かりました。ありがとうございます」
と僕はその高校風の男に頭を下げてお礼を言った。
男は
「なぁ、あんたぁ……藤崎亮平やんなぁ?」
と僕の名前を口にした。
「へ?」
知り合いだったのか? 唐突に名前を呼ばれて僕は、焦りながらもその男の顔をじっくりと見直した。
見覚えがあるような無いような……と思った瞬間、ある一人の男の名前が浮かんだ。
「た、田中……滋かぁ?」
「おお、そうや。覚えとったかぁ」
とその男は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て僕は完全に思い出した。
こいつは僕の小学校時代の同級生で喧嘩早いので有名だったシゲルだ!
そう、誰とも直ぐに喧嘩をする気の短い奴だったが、僕とだけは一度も喧嘩をした事がなかった。
小学校の一年生から四年生までクラスが一緒だったが、五年生になってクラス替えでそれほど会わなくなったら、いつの間にか学校から消えていた。
シゲルの事は気にはなっていたが、その内に忘れた。
そして中学校三年生の春になってシゲルは唐突に学校に戻ってきた。それもまた同じクラスに。
その時のシゲルは少年院帰りで丸坊主だった。
巷では相当のワルだったようだが、僕らの前では昔からの気の良い正義感の強い頼りがいのある同級生のままだった。
で、夏休みが終わって二学期が始まったら、一か月そこいらでまた学校に来なくなった。
噂では『また少年院に入ったらしい』と言われたシゲルだったが、事実は誰も確認できなかった。
――そう言えばこいつは修学旅行でも喧嘩していたな。こいつなら五人ぐらいの相手なら全然楽勝だわ――
……と僕は久しぶりに会った彼の笑顔を見て納得した。
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