第17話 機を見ずに不憫
それを受けて再び所長が
「こいつがまた目標を外したらどうするんだ?」
とオヤジに聞いてきた。
この所長自身、大迫さん曰く『入社以来やり手の営業マンとして高い業績を上げ続けた男』だった。その上所長となってからは業績の振るわない営業所をいくつも立て直しきたやり手の社員だった。今回は役員からの肝いりで関西の一番大きな営業所へと赴任してきた気合の入りまくった所長だったと大迫さんは言った。
その時オヤジは間髪入れずに
「辞めさしたら良いじゃないですか? そんな口だけの役立たず」
と事もなげに言った。
「お前はどうする、担当チーフだぞ」
「一緒に無能なチーフとしてクビにでもなんでもすればいいじゃないですか?」
と言った。
その言い方が気に入らなかった所長は声を荒らげて
「分かった。お前ら二人数字を外したらクビだからな。特にお前はこいつが外した時点でクビな。わかったら先に日付無しの辞表を書いとけ!」
と言い放ったらしい。
その話は直ぐに全社で噂となったのは言うまでもない。
仲の良い役員から大迫さんに「どうなっているんだ?」とすぐに電話があったそうだ。
流石に営業力が有名なその会社でも、そういうやり取りは珍しい事で「言う方も言う方なら、受ける方も受ける方だ」と呆れながらも結構社内では話題になっていた。
もし目標を外したらどうなるのか?そんな感じで三ヶ月後をみんな注目したいたらしい。
「結果はどうなったんですか?」
僕は大迫さんに聞いた。
「勿論、二人とも達成したよ。余裕で。というかチームのメンバー全員が当たり前のように達成してたわ。だから辞めずに済んでた」
と言って大迫さんは笑った。
「へぇ~そうなんですかぁ」
僕は大迫さんの話をオヤジの話だとは思えずに、他の誰かの事の様な気がしていた。
「そう、自分のメンバーの為にクビをかけられる上司なんてね。あれは驚いたわ。あれは男気。そんな上司は後にも先にも藤崎さんしか知らん」
と大迫さんは半ば呆れたような顔で言った。
「もし達成できなかったらどうしたんでしょうか?」
と僕は聞いた。当然その可能性もあった訳だから。
「間違いなく辞めていたやろうねえ……」
大迫さんは即答した。
「あいつはそういう見境の無いところがあるからな」
と安藤さんはそう言いながらアイス珈琲を飲んだ。
「なんせ、藤崎さんは伝説の多い人ですわ」
大迫さんもアイス珈琲を美味しそうに飲んで言った。
「社内報の新人向けアンケートで『新入社員の欲しいモノ』という設問で『藤崎さんのカリスマ性と金田さんの緻密さ』っと書かれるぐらいカリスマ営業マンやった。普通、自分のメンバーの為にクビはかけへんなぁ。でもうちの大将は間髪入れずに受けたからね。驚いたわ」
「その金田さんっていうのも売れている営業マンやったんですか?」
僕はオヤジと共に名前が挙がっていたもう一人の営業マンが気になっていた。
「うん。同じ営業所の藤崎さんの一期下の後輩で同じくチーフだった人。この人も売れていたけど、担当していた地域と企業の顔ぶれが良かったから売れて当たり前ともいわれていたけどね。でもちゃんといつも売れていたし、理論派やったね」
「そう言えば、金田さんは『機を見るに敏』ていわれて、藤崎さんは『機を見ずに不憫』って言われていたわ」
と笑いながら大迫さんは言った。
それを聞いて安藤さんが大笑いした。
「なんだぁ? うまいこと言うねえ」
安藤さんはこのフレーズがとても気に入ったようだった。
「でしょう? あの人にオンオフとかプライベートとオフィシャルなんて区別ないですからね。いつも一緒。誰に対しても一緒。態度も変えませんからね。いつも上司に睨まれていましたよ。だからいつも不憫な目にあってました」
「せやろなあ」
そこは安藤さんも納得しているようだった。
「だからいくら不憫な目に遭ってもストレスなんてなかったと思いますよ」
大迫さんがそういった瞬間、ドアが勢いよく開いてカウベルが鳴った。
「暑い! 暑い! 溶けそうや。安ちゃんビールくれぇ!!」
と飛び込んできたのは機を見ずに不憫な人と言われたオヤジだった。
「ご無沙汰してます」
大迫さんはオヤジが入ってきた瞬間に立ち上がって挨拶をした。
オヤジは一瞬キョトンとした顔で大迫さんを見ていたが
「おお? たしかぁ鬼瓦権蔵君だったけぇ? う~ん。あのバカ餓鬼の安藤君に小学校時代に毎日カツアゲされていたあの鬼瓦くんか!?」
と、唐突に訳の分からん事を言い出した。
「はい。安藤さんに毎日カツアゲを食らっていた鬼瓦権蔵です」
と普通に大迫さんも応えていた。
「あほ、俺はそんな事せえへんし、鬼瓦なんて後輩もおらん。それに俺はバカ餓鬼だったことは一度もない」
と普通に冷静に安藤さんは応えていた。
このオヤジの訳の分からん突っ込みとギャグに、即座に対応できる大迫さんを僕は凄いと尊敬した。
と、同時に二人の付き合いの深さを感じた。
「元気やったかぁ!大迫ぉ~」
オヤジは嬉しそうに大迫さんの肩や背中を叩いていた。
「はい。なんとか生きてます。この前は嫁の相手をしてもらったみたいで、ありがとうございます」
「ああ、愛ちゃんな。元気そうやったわ。相変わらずの別嬪さんやったなぁ」
オヤジはとても嬉しそうな笑顔を見せていた。
「ありがとうございます。嫁に言っときますわ」
「どうしたんや?仕事か?……あ、安ちゃん俺とこいつにビールな」
そう言うとオヤジと大迫さんはカウンターに並んで座った。
「ええ。ちょっとこっちに来る事があったもんで、せっかくだから寄らせてもらいました。大将も珍しく仕事していたんですか?」
大迫さんがオヤジにそう聞いたが、そう言えば今日のオヤジはいつもと違う。
無精ひげに限りなく近いあごひげはそのままだが、いつもの短パンアロハではなくチノパンにJプレスの薄いピンクのボタンダウン姿だった。
オヤジの短パン以外の格好を見るのは久しぶりのような気がする。
昔のオヤジはこんな格好で仕事をしていたんだろうなと思うと、もう少し見ていたいような気がした。
「ああ、お客さんに呼ばれたから大阪まで行ってたんや。行って役員の愚痴を沢山聞いてきてやったわ」
とオヤジはうんざりした顔で言った。
「もしかして例の百貨店ですか?」
と大迫さんが聞いた。どうやら大迫さんもよく知っているお客さんのようだ。
「そう。いつもんとこや。会員をどう使うかで揉めてる……と言うか答えが出せへんねんなぁ。役員が上に言い訳するのにオムニチャネルがどうのこうのって、ここ二年ぐらい言い続けているだけや」
「大将が行っても話しにならんのですか?」
「そんなもんなるかいな! 何処の馬の骨とも分からん一介のコンサルタント如きのいう事なんかに耳を貸すかいな」
「本体(ホールディング)の社長は面識あるんでしょう?」
「そこと百貨店の会長はそんなに仲がいい訳ではない」
オヤジは首を振りながら諦め顔で応えた。
「惜しいですよねえ……」
「まあ、大企業の論理っていう社内力学が存在するからねぇ。それは無視できないんだよ。大迫くぅ~ん。まあ、俺も結構適当にやっとるからな。こんなもんやろうな」
とオヤジはあきらめ顔で言った。
安藤さんがオヤジと大迫さんの前にビールを置いた。
二人はビアグラスを持ち上げて
「乾杯」と言って一気にビールを飲んだ。
「ふ~。美味いわ。我慢してここまで帰ってきた甲斐があったわ」
とオヤジは本当に美味そうな顔をしていた。
「僕はアイス珈琲を飲んじゃいましたけどね。でも美味いです」
「アホやな。さっさとビールを飲まなかったお前の判断が敗因やな」
「はい。そうです」
大迫さんは何故か嬉しそうに応えていた。
久しぶりにオヤジと話ができて大迫さんはとても嬉しいようだ。勿論、オヤジも嬉しそうだ。
「ところで、お前のとこの仕事は順調か?」
とオヤジは少し真顔になって聞いた。
「まあ、なんとか食えてます」
大迫さんは笑顔で応えた。
「そりゃよかったな。食えることが一番や」
「それよりも大将はもう会社を起こさないんですか?」
「会社かぁ……やらんな。やる必要がないなぁ。今の規模で充分や」
とオヤジは大迫さんの顔も見ずに応えた。
「なんか勿体ないですねえ……。大将がこのまま埋もれるのは……」
大迫さんは何故か悔しそうな表情を見せて言った。
「勿体無い事なんかあるかいな。俺ぐらいの人間ならその辺に掃いて捨てるほどおるわ。それにな、天の時、地の利、人の輪……何を取ってもその時にあらずやな」
「そうですかねえ……。もし大将がやるならいつでもみんな馳せ参じると思いますけどね」
「今更なぁ……それはないな。第一、来て要らんし……」
とオヤジは大迫さんの言葉を遮るように言った。
「要らんて……」
と言って大迫さんは苦笑した。
「まあ、来る来んは置いといて、起業だけなら誰でも出来る。けどな、それからが問題や……」
オヤジはそういうと何かを考えるような表情で黙った。
「大迫君、今の一平に何を言ってもアカンで。こいつの本音は『社員を沢山雇ったら面倒くさいだけやん』ていうレベルや。こいつはもうその日暮らしの生活に満足しているからな。もうぬるま湯からは出んわ」
安藤さんが横から口を挟んだ。
「流石やな。よう分かってはるわ。このオッサン」
オヤジが笑いながらそう言いてビールをまた一気に飲んだ。
――さっきの真剣な表情はなんやったんや? そんな事を考えていたんかこのオヤジは――
とさすがに僕は呆れた。でもオヤジらしいとも少し思った。
「誰がオッサンや」
安藤さんがそう言ってオヤジが飲み干したビアグラスを下げた。
「お代わりは?」
安藤さんが開いたグラスを軽く振って聞いた。
「そうやな。もう一杯貰うわ」
「ほい」
安藤さんは新しいグラスにまたビールを注いでオヤジの前に置いた。
オヤジはそのグラスを持ち上げて
「なぁ、大迫よ。人生は何のためにあるか知っているかぁ?」
とオヤジは急にシリアスな雰囲気を漂わせて聞いた。
「う~ん……分かりません」
と少し考えてから大迫さんは首を振った。
「それはな、こうやって美味しいお酒を飲むためにあるんや!」
とオヤジはいたずらっぽく笑うとビールを一気に飲んだ。
「えぇ? ホンマですかぁ?」
大迫さんもちょっと呆れたように笑いながらオヤジに聞き返した。
「ホンマや。だから美味しい酒が飲めている今の状況以上に求めるものは何もない」
オヤジもにやけながらその話を続けている。
「そうなんですかぁ……大将は美味しい酒が毎日飲めていると……」
「そうなんですよぉ……大迫君」
「いいですねえ。だからこれ以上は望まないと……」
「まあ、そういうこっちゃ。俺は飢えた狼よりも太った飼い猫を選ぶ人間やからな」
結局オヤジは何故自分がぬるま湯から出ないのかという理由を、大仰に述べただけだった。
「飼い猫って感じはないですけどね」
と大迫さんは笑いながらビールを飲んだ。
その意見に関しては僕も同意できる。
「ほっとけ。ところで、お前は美味しい酒が飲めとんのかぁ?」
とオヤジは聞いた。
「まあ、大体は……昔みたいに飲みには行きませんけど」
「まあ、美味しいお酒が飲めているならそれでええ訳や。お前もちゃんと生きてるやんか」
とオヤジは嬉しそうに大迫さんの背中を軽く叩いて言った。
「ありがとうございます。でも、おいしい酒が飲めなくなったらどうするんですか?」
と大迫さんは聞いた。
「飲めなくなったらか? そりゃ飲めん様にした自分が悪いな」
「まあ、そうですけど……」
「それにな、そんなもん、俺が知る訳ないやろ! そうなったら飲めるようになるまで自分で考えるしかないな」
と最後は突き放すようにオヤジは言った。
「え~?」
と大迫さんはちょっと当てが外れたかのように顔をしかめた。
「そもそも、そんな難しい事を俺に聞くな」
と言うとオヤジはビールをまた飲んだ。
「やっぱりな。一平は思い付きで話をするからな。そんなことだろうと思ったわ。その上、突っ込まれたら面倒くさくなるんや」
安藤さんが大笑いしながら大迫さんに言った。
「美味しい酒を飲んでいる時にごちゃごちゃと訳の分からん事を聞くか? 普通?」
とオヤジは眉間に皺を寄せて大迫さんに詰めよるように言った。
「すんません。しょうもない事を言うて」
大迫さんはそう謝りながらも笑っていた。
「分かればよろしい」
どうやらオヤジは久しぶりに会った元後輩で部下の大迫さんにじゃれているだけのようだ。
オヤジは本当に人が好きなんだなと思う。
真剣に聞いていたが、ここに居たのは中身のない話をしているだけの大人が二人だった。
そんなオヤジの周りには人が寄って来る。
オヤジはそんな人生を楽しんでいるようだった。
「大迫よ、もしもそんな時が……美味しいお酒が飲めないような時が来たら……八方塞がりな時がやってきたら、何もせんと立ち止まって考えるというのも必要かもしれんな。一番大事な事は絶対に人生を諦めへん事やな……人生にそう言う時は一度や二度は絶対にやって来るもんやからな……だけど、絶対に諦めるな。それさえ忘れなんだら大丈夫や」
オヤジの言葉が重く聞こえた。
「はい」
大迫さんは真剣な顔でオヤジの話を聞いて頷いた。
「『貧すれば鈍する 鈍すれば窮す 窮すれば通ず』ちゅうこっちゃ。食えん様になって、どんなに足掻いてもどうやってもダメな時は人生にあるもんや。足掻いて焦ってどうしようもなくなった先に、案外活路が見いだせたりするもんや」
「はい」
大迫さんは表情を変えずに頷いた。
「だから人はまたおいしい酒が飲める日を信じて耐えるという事や。アイスコーヒーも飲まずにここまで飲まずに我慢したからこのビールは美味いんや!」
とオヤジは笑ってグラスを持ち上げた。
「そうですね」
大迫さんもグラスを持ち上げて二人で一気にビールを流し込んだ。
なんだか僕には見えないだけで、この二人の大人は言葉と言葉の行間で本音を語っていたような気がした。
……ただそんな気がしただけかもしれないが、いつかそういう会話ができる大人にはなりたいと思った。
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