夏休み
第9話 16歳の夏
期末試験も終わって夏真っ盛り。
学校はやっと夏休み。高校生になって初めての夏休み。
休みに入ってからは、ほぼ毎日安藤さんの店に来ているような気がする。
昼間から開いている不埒なBARなんてここしかないだろう……。
勿論今日もカウンターでウダウダしていた。
この日もいつものように昼間からダラダラとアイス珈琲を飲んでいたら、オヤジがフラフラとやってきた。
「なんや?こんな時間から……若人が貴重な青春時代を無駄遣いしてんなあ」
オヤジはカウンターでヒマそうにアイスコーヒーを飲んでいる僕を見降ろして言った。
「だってする事無いもん」
「バイトとかせえへんのか?」
「考えとったけど……短期バイトはすぐに埋まんねん」
「そうかぁ……まあ、社会経験にはええねんけどな」
と言いながらオヤジは僕の隣の席に座った。
「安(あん)ちゃん、アイスちょうだい」
「珍しい……滅多にアイスなんか飲まへんのにな」
安藤さんは以外そうな顔で応えた。
「たまにはな……」
「で、亮平、ここはどうや?」
オヤジは唐突に僕に聞いてきた。
「ここって?」
僕はオヤジが何を言いたいのか全く分かっていなかった。
「そこに安藤大社長がおるやろう?」
とオヤジはカウンターの中で暇そうにしている安藤さんを口にくわえたストローで指さした。
そのまま、息を吹くとストローを包んでいた紙の筒がピューと安藤さんの方に飛んでいった。
「お前は子供か……」
と安藤さんは呆れたように、そのゴミとなった紙の筒を拾ってゴミ箱に捨てた。
――確かに僕も子供だと思う――
そしてカウンター越しに見上げた僕に安藤さんは
「ここはBARや、未成年者は雇われへん」
と間髪入れずに採用不可の通知をくらわした。
「昼間は憩い喫茶やんか」
とオヤジが突っ込むと
「ちゃうわ」
と、これも即座に否定した。
「そうか……バイト代ピンハネしたろうと思ってたのに……残念やな」
そういうとオヤジは笑いながらアイスコーヒーを一口飲んだ。ストローは使わないのが流儀らしい。
しかし、このオヤジどこまで本気で言っているのか良く分からん。
「やっぱりアイス珈琲をブラックで飲むと不味いな。シロップくれ!」
「え? オヤジは珈琲はブラックとちやうの?」
僕は驚いてオヤジに聞いた。オヤジが珈琲に何かを入れるのを初めて見た。
「ちゃう。アイスは絶対に入れるわ」
「アイスカフェラテも?」
「入れる。当たり前や」
「そうなんや……」
「じゃあアイスティは?」
「それはブランデーをぶち込むな」
とオヤジは自信たっぷりに応えた。
「あほ、お前のはブランデーの紅茶割りや。ウーロン茶でも一緒や」
と安藤さんが突っ込んだ。
「まあ、そうともいうな」
とオヤジは笑った。
オヤジはシロップとフレッシュをたっぷり入れたアイス珈琲をストローでかき混ぜて、そのままそのストローで飲んだ。おい! オヤジの流儀はどこへ行った。
うららかな午後が過ぎてゆく……。
安藤さんが呆れたように一言。
「それにしても、こんなところで親子揃って、アイス珈琲飲んで何してんねん」
「「別にぃ……」」
「おい。親子でハモるな」
「……」
安藤さんも相当暇な様だ。僕たち親子をいじくって時間つぶしをしている。
「そう言えば、亮平はお前の若い時に似てきたなぁ」
と安藤さんがオヤジに言った。
「そうかぁ?」
オヤジは首をかしげながら聞き返した。
「うん。この前、鈴原とも話していたんやけど高校時代のお前に似てきたなって」
「へぇ~そうかぁ……」
そう答えるとオヤジは横目で僕を見たが、急に目を見開き思い出したように
「おい亮平、お前、幾つなったんやっけ?」
と聞いてきた。
「え? なんや急に……16やけど」
「え? もう16やったっけ?」
オヤジは驚いたように聞き返してきた。
「そうや、五月で16になったで」
「そうかぁ……16になったかぁ……」
と言うとオヤジはしばらく無言で考え込みだした。
天井を見たかと思うと僕の顔をチラッと見たり……兎に角、視線が忙しい。
そして大きな欠伸をしながら
「う~ん。お前、俺の田舎に行ってみるか?」
とオヤジは聞いてきた。
「え~? 田舎? それどこよ」
――何故、急に田舎なんぞに――
「岡山の山奥の田舎や。お前の曾お爺ちゃんの田舎や。
まあ、俺もお前のお爺ちゃんもここで生まれてここで育ったんやけど、曾お爺ちゃんの生まれは岡山の田舎や。で若い時に神戸に出てきたんや。お前もご先祖様の墓前でお線香でも上げてもええ歳やしな」
とオヤジは教えてくれた。それにしてもオヤジの田舎が岡山なんて初めて聞いた。
「そうなんやぁ……別にする事も行くところも無いからええけどぉ」
ちょっと興味も湧いたので僕はその話に乗ることにした。
「よっしゃ。ほな本家のオッサンに連絡するわ」
というと携帯電話を取り出してさっそく電話をかけ始めた。オヤジは思い立ったら行動が早い。
「あ、真澄さん?……俺……そう一平。お久しぶりです」
「うん。実はね。俺の息子今年16になってんけど、一度連れて帰ろうかと思って」
「そう……そう……そうやねん。でいつやったらええ?」
「うん。今週末からならええ?……よっしゃ、明日から行くわ」
「ちゃうって? 今日は月曜日やて? 分かった。ほな金曜日な。それやったらええ?」
相変わらず人の話を聞いていないオヤジだわ。
「……OK、じゃあそれで」
というと電話を切って
「おっしゃ、行くぞ。オカンに言うとけな」
と僕に言った。
「父さん言ってよ」
「なんや? まだママによう言わんのか?」
「そんなんちゃう……」
僕はこの一連の経緯(いきさつ)をオフクロに説明するのが面倒だっただけだ。
田舎に行くに件に関してはオフクロが反対するとは全く考えていなかったし、そんなタイプの母親ではなかった。
「まあ、ええわ。俺からママに言うとったるわ」
とオヤジは諦めたように言った。
僕は
「いちいちママとか言うな!」
と言いたかったが声に出して反論すると、更にいじられそうだったので心の中でそう叫んだ。
結局、家に帰ってから今日のオヤジとの話を自分の口からオフクロに話した。やはり自分で言った方が手っ取り早いような気がした。
「……で、父さんに『お前もご先祖様の墓前でお線香でも上げてこい』と言われてん」
というとオフクロは
「ああ、聞いてるわ。そうやな。あんたもええ歳やもんな。それにあそこの本家には一度は行かなあかんところやからな」
と前もってオヤジから連絡があったようで、すんなりと田舎に行く事を認めてくれた。
「そうなん?」
どちらかと言えばオフクロも僕が田舎に行く事を勧めているような感じがした。
オフクロは
「ま、お前は一応、藤崎家の跡取りやからね。行って見ておいで……でも、もうそんな歳なんやねえ……早いわねえ」
としみじみと呟いた。
金曜日の朝、オヤジはマンションの前で車を停めて待っていた。
運転席のドアの前に立っているオヤジに
「これ、オヤジの車?」
と聞いた。
「そうや」
「へぇ……カッコええやん」
「そうかぁ」
オヤジは照れながら笑った。ちょっと可愛かった。
オヤジの車はコスモブラック色のBMW325Mスポーツだった。
単車の話を聞いた時もそうだったが、車とオヤジが結びつかないので新鮮だった。
車は再度山(ふたたびさん)ドライブウェイから六甲山を抜け中国縦貫を一路、岡山を目指すコースで走るらしい。
車のオーディオからは1960年代70年代の洋楽が流れている。
安藤さんの店でこの年代の音楽はさんざん聞いていたが、知らない曲の方が多かった。でも、僕はこのオールディーズが嫌いではない。
オヤジは山道を走っている時にギアをオートマチックからセミオートに変えて、ギアチェンジをマニュアルでやっていた。
「山道ぐらいはこれで走らんとな。面白うない」
オヤジはそういうが、僕にはただ運転が荒れただけにしか思えない。
コーナーを攻めて楽しいのはオヤジだけだったが、折角なので一緒にキャーキャー言って遊んであげた。
中国縦貫道路に入ってからはギアもオートマに戻り普通に走っていた。
どうやら基本的にはオヤジは飛ばし屋ではないようだ。
車の中で一通りオールディーズの洋楽にまつわるおやじの思い出話に付き合った後は、二人共黙って音楽聞きながらのドライブとなった。
確かに最初の頃よりはオヤジと話をするようになったが、やはりそれ程続かない。
まあ、親子とはそんなもんだろうな。
しばらくして
「父さんもなぁ……田舎に行くのは久しぶりなんや」
オヤジはハンドルを握りながらそう言った。
「そうなん?」
「ああ。お母さんと結婚してる時に行ったきりやったかな?……」
「そうかぁ」
オヤジも記憶があいまいな位、田舎には近寄っていないようだった。
「その前が就職する前で、更にその前が高校1年の時やったかな。今のお前と同じ歳や。もっとガキの頃は親や親戚の叔父さん達や従妹連中達と帰省したもんや」
「田舎って何があんの?」
「川……水がとってもきれいな川。鮎。自然。藤崎家の墓。あと鍾乳洞」
「鍾乳洞?」
「ああ、お前、鍾乳洞なんか見た事ないやろう?」
「うん」
「綺麗やぞぉ」
「へぇ~」
僕は親戚に初めて会うという事で軽い緊張感を覚えていた。
だから鍾乳洞の事もきれいな川の事も聞き流していた。少し上の空で聞いていた。
高速を降りると鄙(ひな)びた街を通り抜け山道を走り、何本かの路地を曲がっると長い白壁に沿った道に出た。車がすれ違うのがやっとの広さの道だ。
その白壁沿いを少し走ったら、オヤジが
「ここや」
と大きな門の中に車を乗り入れた。
中は広い庭で、車寄せに車を停めると
「う~ん。疲れたぁ~」
と大きな伸びをしながらオヤジは車から降りた。
僕は荷物を降ろそうと後ろのドアを開けたが、その時玄関から小柄な八十歳ぐらいの男性が出てくるのが見えた。
オヤジは家の前に立ち目を細めて屋根を見上げていた。そのまま視線を家の裏山に移した。
「一平か、よう来たの」
その小柄な男性はオヤジに声を掛けた。
「あ、義雄のおっちゃん、お世話になりますわ」
オヤジはその男性に挨拶した。
「まだ大丈夫だろう?……」
と義雄のおっちゃんと呼ばれたその人はオヤジの耳元で呟くように聞いた。
「そうやねえ。まだ大丈夫だと思うけど……明日ゆっくり見ますわ」
とオヤジは答えると僕の方に向き直って
「この人な、今の当代や」
と教えてくれた。
「で、これうちの息子の亮平ですわ」
と僕を当代に紹介した。
「亮平です」
僕は慌てて頭を下げて挨拶をした。
「おお、よお来たのぉ。まあ、はよ上がりぃな」
当代の義雄のおっちゃんは人の良さそうな田舎の爺さんという感じで、僕の緊張も少し解けた。
「義雄のおっちゃんは、昨日俺が電話した真澄さんのオトンや」
とオヤジは僕の耳元で囁いて教えてくれた。
その家は江戸時代に建てられたような茅葺きの典型的な日本の農家だった。
座敷わらしが居ても不思議ではないなと思った。
玄関に入ると義雄のおっちゃんの奥さんと息子の真澄さん夫婦とその息子が四人で
「よう遠いところを……いらっしゃったねえ」
と出迎えてくれた。
「佳代のおばちゃん、真澄さん、これうちの息子ね」
とオヤジが僕を本家の家族に紹介した。
「はじめまして。亮平です」
と僕は頭を下げた。
「おお、よう似とるのぉ一平に」
「ほんにのぉ。若い時によう似とるわ」
と口々に言われた。
「淑恵さん。お世話になります。お、真一かぁ……おっさんになったなぁ」
淑恵さんは真澄さんの奥さんで真一さんはその息子。
「一平さんこそおっさんになったのぉ」
おっさん呼ばわりされた真一さんは、笑いながらオヤジの荷物を手に取った。
「お、ありがとう……お互い年取ったな……何年ぶりになるんかな?」
「十五年は経ってるよねえ」
「そうやなぁ……時の流れは残酷やなぁ……」
としみじみ言うと
「お互いにねえ」
と真一さんもしみじみと返した。
「ははは……」
二人の笑いが虚しい……。
「真一、うちの息子をよろしく頼むな」
気を取り直したようにオヤジは真一さんに言った。
「はい。はじめまして、亮平君。よろしくな」
真一さんは笑ってそう言った。
「あ、よろしくお願いします」
僕は慌てて返事をした。
その日の夜は近所に住んでいる他の親戚もやってきて、なかなか賑やかな宴会になった。
ふすまを開け放ち3つの部屋を繋げて宴会場が出来上がっていた。
その真ん中に大きな木目がきれいな座卓を3つ繋げ、その上に料理が並べられていた。
昔の家はこういう時には便利だよなぁ……と僕は感心していた。
オヤジと僕は当代の義雄さんの向かいに座らされた。
胡座をかいて座っていたら、オヤジが当代の盃に徳利のお酒を注いだ。
最初の一杯を当代と呼ばれる義雄のおっちゃんが飲むのが、ここの決まりらしい。
それを不思議そうに見ていたんだろうか……義雄のおっちゃんが僕に話しかけて来た。
「亮平のぉ。わしゃぁのぉ。本当は酒が飲めんようになったんじゃ。ここが悪ろぉってな……でものぉ、客人が来ると最初の一杯は絶対に飲まにゃあならん。なんでか分かるかぁ?」
と義雄のおっちゃんは自分の胸の心臓の辺りを指さしながら聞いてきた。
「う~ん。分かりません。そういうしきたりなんですか?」
何も思い浮かばずに僕はそう答えた。
すると義男のおっちゃんは
「一平、オメーは分かるのぉ」
と今度はオヤジに話を振った。
「毒見や」
とオヤジはひとことで答えた。
「そうそう、そうじゃ。客人の前で最初に家長が毒見をするのがしきたりと言うか礼儀じゃからの」
と当代の義雄のおっちゃんは嬉しそうにまた飲んだ。
「本当はおっちゃんが飲みたいだけなんやけどな」
とオヤジが教えてくれた。
暫く見ていると「毒見じゃ」とか言いながら更に飲んでいた。
どうやら酒飲みは藤崎家の血筋らしい。
しかし、それを尻目にオヤジはビールを飲んでいた。
毒見の意味ないなあ……と思わず笑ったが、誰もそれを突っ込む人はいないので、これは大人のお約束なんだなと理解した。
「でのぉ、一平。洋介と聡美さんは元気でやっとうかいの?」
と義雄のおっちゃんはオヤジの両親……つまり僕の祖父母の事を聞いた。
「元気やなあ。この前。家に寄った時は庭で茄子を育ててたわ」
「ほほ~。オメーのおかぁさんも、戦時中はここに疎開してたからなあ……」
茄子の話からなんで戦時中の話になるのか分からなかったが、これが田舎の時間の流れなんだろうと一人で納得していた。
本当に田舎の宴会は時間の流れが違う。
オヤジはまだ少し緊張して飲んでいるみたいだったが、いつもの緊張のしようがないメンバーと飲む時しか僕は知らないから、そう見えただけなのかもしれない。
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