第3話 相談
学校からの帰りに僕はオヤジの携帯に連絡を入れて、夕方時間を作って貰う事にした。
待ち合わせ場所は昨日と同じ安藤さんの店だ。
店に着くとお客は僕だけだった。BARにはまだ早い時間なんだろう。昨日と同じ席に座って、同じようにブラック珈琲を飲んでいた。
「苦い……なんで大人は何も入れずに飲むんだ?」
砂糖とミルクの誘惑にいつまで勝てるだろうか……。
JBLのスピーカーからはBEATLESの曲が流れていた。
ターンテーブルにレコード盤が回っている。今時レコードなんて珍しいがお洒落だと思う。
大人のコダワリってなんだかカッコイイ。
「これはBEATLESの曲ですよね。なんていう曲なんですか?」とカウンターの安藤さんに聞いてみた。
「お、よく知ってんな。『ストロベリーフィールズ・フォーエバー』っていう曲やで。ええ曲やろ?」
「イチゴですか……」
「ははは、ストロベリーフィールズはリヴァプールの戦争孤児院の名前やな。君のお父さんはよくこの歌を口ずさんでたで」
と安藤さんは英語の歌詞をJohn Lennonのように滑らかな発音で歌った。
「へえ~そうなんですかぁ」
「まあ、俺も中学生ぐらいからBEATLESを聞き出したんやけど、一平は小学校時代から聞いていたな」
「へえ。そうなんですね」
「さすが息子やな。同じ曲が気に入るなんてな」
オヤジと同じと言われるとちょっとシャクだった。でもオヤジという存在がまた少し近くなったのが少し嬉しかったりもする。我ながら面倒な性格だ。
「今時レコードなんですね」
「そう。CDより断然こっちの方が音がええ」
「そうなんですか? CDの方が良いと思ってました」
「音の厚みが違うな。ま、CDの方が音が良いっていうのは雑音がないって事だけ。それをSN比が高いって言うんやけどね」
「なんか難しそうな話ですね」
「今のは一平の受け売り。あれはオーディオマニアだったからなあ」
なんかこうやってオヤジの昔話を聞くのも悪くない。
もっと聞きたくなってきた。
「僕の父さんってどんな人なんですか? 安藤さんから見て」
「一平かぁ……俺の目から見てかぁ……。一言で言って天才やな……腹立つけど」
と予想外の返事が帰ってきた。
僕としては『ヲタク』とか『変わり者』とかの答えを予想していたのだが全く違った。
「え? そうなんですか?」
「今まで色々、頭のいい人や賢い人は見てきたけど……ホンマの天才は一平が初めてやな……ムカツクけど……」
「何が違うんですか?」
「根本的に発想が違う。同じモノを見ても、聞いても感じているところが全く人とは違う。頭がいいと天才は全然違うという事をあいつを見て初めて知ったわ」
僕には安藤さんのいう事がもう一つ理解できなかったが質問を続けた。
「子供の頃からそうだったんですか?」
「多分ね。小学校の頃は知らんからな……でもなぁ……鈴原が『子供の頃のあいつは何を言っているのか意味不明やった』と言うとったわ」
「え?」
思わず僕の口から声が漏れた。
「先が見え過ぎているんやろうな。だから他の人間には何を言っているのか理解できなくて、話題について行かれへん」
「それって単に空気が読めないイタイ子じゃないんですか?」
と僕は敢えて聞いてみた。
「あ~それもあったかもな。ま、一緒にいたら思い知らされたよ。次元が違うって。本当の天才は見る高さが違う。
人より高いところから見ているのに自分では気がつかないのが天才。本当に二次元の世界に居る俺を三次元から一平に覗かれているような気がした事があるよ。本人はそれが当たり前だから覗いている事に気がつかないんやけどね」
安藤さんの言葉から冗談を言っているようには思えなかった。
本心からオヤジの事をそう思っているようだった。
「昨日一緒に居た鈴原が一番それを知っとるな。一平の事を『生まれる時代を間違えた男だ』ってよく言っている」
「そうなんですかぁ……」
もしかして僕のオヤジは凄いのかぁ? とてもそうには見えなかったが……。
安藤さんは天井を見上げながらタバコの煙を吐いた。
「そう言えば鈴原がこうも言ってたなあ……『一緒にいて鳥肌が立ったわ』って」
「鳥肌ですかぁ?」
「そう、ぞっとしたって……『絶対にコイツだけは敵に回したくないって思った』って言うとったなぁ。その気持ちはなんとなく分かるわ」
何があったんだろうか? 僕それが気になった。
「それに天才過ぎるっていうのが不幸なんだよなぁ…」
安藤さんはしみじみとした口調で言った。
「不幸?」
安藤さんの話が想像のはるか斜め上を行っているうえに、唐突過ぎる話の流れで全く僕の理解がついていっていなかった。
「そう、不幸……」
そんな僕に全く気付かないように安藤さんは頷いた。
「なんでですか?……天才だから不幸って……逆のような気がするんですけど……」
「敵に回したくない人間はね、味方にもしたくないんだよ」
そういうと安藤さんは僕の瞳をじっと見つめて言った。
一瞬、僕はその気迫に押されて息をのんだ。
「え?」
「能力があるっていう程度ならそこまでは誰も思わへん。でもね、あり過ぎるとね……」
「天才過ぎるって事ですか?」
「まあ、そういう事やな。今のはお父さんには内緒やで」
と言って最後は安藤さんは笑って話を終えた。
「あ、はい……」
と答えたものの結局僕には今ひとつ理解ができていなかった。
――天才過ぎるって……味方にもできないって……――
僕程度の経験と知識では安藤さんの話を理解するのは難しかった。
扉のカウベルが鳴った。
敵に回したくないが味方にもしたくないオヤジが入ってきた。
「どうした亮平」
昨日とは違う父親二日目でもう慣れた……みたいな余裕を感じる表情だった。
そう、その辺のどこにでもいる普通のオヤジの顔だ。そんなオヤジが普通に息子に会う時の顔だ。
「ちょっと聞きたい事があって……というかお願いかなぁ」
「うん?」
と首をかしげながらオヤジは昨日と同じように僕の前に座った。
「昨日のケーキ屋の話なんやけど……」
と僕は恐る恐る話を切り出した。
「フローラの事か?」
オヤジは軽く眉間にしわを寄せて聞き返してきた。
「そう」
と僕は頷くと
「今日、鈴原のお父さんとその話するっていっとったよね」
と聞いた。
「ああ」
オヤジは表情も変えずに応えた。
「フローラの社長をクビにするの?」
と僕は思い切って一番気になっていた事を聞いた。
ストレートに聞きすぎたか?
「それを聞いてどうすんねん?……というかなんでそんな事を聞きたいんや?」
オヤジは怪訝な表情を見せて聞いてきた。
『なんでお前がそんなことに首を突っ込む?』みたいな空気を感じた。
やっぱり相談するのは拙かったか……しかし今更後悔しても仕方ない。
「フローラの社長の娘は俺の同級生やねん。上田宏美って言うねんけど……高校も一緒や。で、あの……鈴原冴子も知っとう。もし社長が変わったら、入ったばかりの学校を転校せなあかんようになるんちゃうのか? あの会社やばいんやろ? なんとかならんの」
なんだかまともに話が出来ない。思っている事を言葉にするって本当に難しい。言うべきこと事と気持ちを同時に伝えようとすると頭が混乱する。舌を噛みそうになる。
ああ、僕は欲張りな上に馬鹿だ。一度に全部は伝わらない。分かっているが頭と口が回らない。
オヤジは腕を組んで目を軽く閉じた。何か考えている。
すーと目を開いて
「やっぱり知り合いやったんや……宏美ちゃんねぇ……」
と言った。
「うん。ごめん」
ちょっと後ろめたかった。
「謝らんでもええけど、この話を父さんにするって事はお母さんも知ってんのか?」
「母さんには言うてへん」
と僕は首を振った。
「そうかぁ……っで宏美ちゃんはお前の彼女なんか?」
とオヤジは聞いてきた。
「ちゃう」
と僕は即座に否定した。
「はぁ、なんや……まだ片想いか」
とため息交じりに呟いた。
「ちゃうわ。そんなんやない」
と僕が再度否定すると、オヤジはニタニタと楽しそうに笑ってこう言った。
「青春しとんな」
本気でこのオヤジに相談した事を後悔した。沸々と湧き上がるものを感じた。
さっき感じた後ろめたさは吹き飛んで、オヤジの下世話な想像に正義の鉄槌を下したくなった。
オヤジはそんな僕の内心なぞ知る由もなく
「分かった。要するに亮平の彼女を転校しなくて済むようにすればええんやな?」
と確認するように聞いてきた。
「彼女は違うが、転校しないで済むようには、そうや」
と僕は言葉は正確に使って欲しくて訂正した。
「細かいやっちゃな……」
と呆れたようにひとこと言うとオヤジは携帯電話を取り出した。
「しゃぁないなぁ……ハンデ戦やな、こりゃ」
と呟きながら……。
「あ、俺、トムクルーズですけどぉ……おい、こら、流すな。恥ずかしいやろ……とっておきのギャグを……放置プレイはやめてくれ……そもそもお前は優しさが足りんわ」
聞いている僕の方が恥ずかしくなってきた。この場面でオヤジギャグを言うか?そして外すか?……そもそもなんでトムクルーズやねん?……このおっさん。
それも相手は鈴原のお父さんだろう。
とっとと敵に回した方が良いんじゃないのか? こんなオヤジ。
味方にしたくない気持ちも分かるような気がする。
「でな今日の朝の話な。ちょっと変更するわ。銀行にまだ話してないやろ?……」
「そうか。丁度良かったわ。じゃあ、今から行くわ」
と言うとオヤジは携帯電話を切った。
「鈴原のお父さんに電話したん?」
と僕はオヤジの顔色を窺うように聞いた。
「そうや。という事で今から俺は行ってくるわ」
「父さん……ごめん。なんか面倒な事言うたみたいで」
「これも、そういう流れやな。天の声っていうのかもしれん。気にせんでええ」
携帯電話をチノパンのポケットに入れながらオヤジは言った。
「そういう事で。お前はサッサと帰らんとまたお母さんが乱入してくんぞ。それとこの話は誰にも内緒やぞ。お母さんにも言うなよ」
と強く念押しされた。
「うん、分かった。誰にも言わん」
と僕は頷いた。
「よっしゃ」
とオヤジは席を立った。
カウンターの前で安藤さんがオヤジに声をかけた。
「なんやもう帰るんか?」
「ああ、鈴のとこに行ってくるわ。後で一緒に寄るかもな」
「そうか」
慣れたように安藤さんは応えた。
「安藤……俺の息子は、本当に面倒見のええ息子になっとったわ」
と言うとオヤジはカウベルの音を残して出て行った。
「あほ。面倒見の良いのはお前だろうが……」
安藤さんの一言がなんだか耳に残った。
オヤジが出て行った店で暫くカウンター越しに安藤さんと話をしてから、僕はトボトボと歩いてマンションへ帰った。
「息子からの初めての頼みは断れんなぁ。流石の一平も」
トボトボと歩きながら安藤さんが話していた事を思い出していた。
「なんか、無茶な事言ってしまったような気がします」
「良いんやないの? 気にしなくて。息子からの頼みやから嬉しいんやないのかな」
と慰めるように安藤さんが言った。
「そうなんですか?」
「俺だったら嬉しいやろうな。十五年間会ってなかった息子に『今更なんや! 父親面すんな!』とか言われずに受け入れてもらえて、すぐに父親として頼られたら嬉しいと思うで」
という安藤さんの言葉に少し気持ちが楽になった。
「そうですか?」
「うん。そうやと思う。特に一平はそうやと思う。ありゃ、間違いなく喜んどうわ」
安藤さんはそう言ってから
「で、亮平、お前はええ子やな。一平を受け入れてくれて。ありがとうな」
とひとこと付け加えた。
「何言っているんですか! 父親を受け入れるも入れないもないですよ。僕も父に会えて嬉しかったし、母も昨日は楽しかったと思います」
と慌てて僕は応えた。
予想外に褒めらると焦る。
「ユノはねえ……どうなんだろうねえ……あの二人は元の鞘には戻らんのかねぇ」
としみじみとした表情で安藤さんが呟いた。
「本当にですねえ……」
と僕もしみじみと応えるしかなかった。
気が付いたらマンションの前だった。
エレベーターを降りて部屋の玄関を開けたら誰も居なかった。
真っ暗な部屋。
オフクロはまだ帰っていない。
何故かホッとした。
――今は……後しばらくは誰とも会いたくなかったから……なんだこの無力感は……――
リビングの電気をつけた。少し眩しい。
僕は目の前にあったピアノ椅子に座ってしばらく無の境地に入っていた。何も考えたくなかった……というか猛烈な虚脱感に襲われていた。
しばらくしてから僕は鍵盤蓋を上げて、鍵盤に軽く人差し指を置いた。
ポン♪
……なんで「ラ」なんだ……と……時報か……「A5のラ」。
別に誰と音合わせする訳もないのに……律儀だな。
「やっぱりなぁ……会ったばっかりなのになぁ……でもな……黙ってはなぁ……」
と思わず口からこぼれ出た。
言葉にならない後悔が渦巻く……オヤジに言ったことを後悔していいるのか、後悔している事を後悔しているのか……何がなんだか分からなくなってきた。
――アッタマ悪いな……俺――
なんだか無性に目の前のピアノを弾きたくなった。そう言えばこの頃まともに弾いてなかった。
再び鍵盤に指を任せるままゆっくりと落とした。
ベートーベンの月光は好きな曲の一つだ。任せた指が弾いたのはこのソナタだった。
この曲は今まで一番多く弾いた曲だった。難易度の高い第三楽章よりも実は第一楽章の方が苦労したような気がする。
いくらでも表現が変わる。情景が浮かぶ。いくら弾いても満足できない。
――でも、この第一楽章の二十小節目あたりで、もうやめようと思ったんやったよなあ……もう飽きたとか言ったら先生に怒られたなぁ――
ピアノを弾くと煩わしい事を忘れられて良い。
――宏美とも一緒にピアノを弾いたな……初めて連弾したのは宏美か? 冴子か? いや先生やったかな……。
宏美の親父が辞めずに済んだら良いな。あの店はどうなるんやろう?
宏美と離れるのは嫌だなぁ……冴子も悲しむだろうな。
ま、俺のオヤジは頭が良いらしいからちゃんと解決してくれるやろう。
でも、お腹空いたな……まだオフクロは帰ってこえへんのか?――
等ととりとめもなく考えていたら第三楽章を弾き終わった。
「珍しいわね。こんな時間にピアノを弾くなんて」
いつの間にかオフクロは帰っていた。
僕は驚いて振り向いた。オフクロはリビングの入り口でずっと聞いていたようだ。
「久しぶりに聞いたわ。あんたの月光。お母さんもこの曲好きだな。昔よく弾いてくれていたのにね」
と言ってソファーに荷物を置いた。
僕はなんだが罰が悪くてその気持ちをごまかすように
「何でもええけど、お腹空いているんですけどぉ。早よご飯にしてよ」
と言った。
「あ、ごめんごめん。すぐ作るわ。その間ピアノ弾いていて」
とオフクロは慌てたように返事をするとキッチンに向かった。
「もうピアノはええわ。飽きた。また今度」
と言って僕は立ち上がった。
「ん~。ケチ」
僕はオフクロの言葉を聞き流して、逃げるように自分の部屋に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます