ブラッディ・ローズ Level 1.3『クラスメイト』

蒲生 竜哉

二〇三九年八月七日 十一時〇五分

東京都調布市 野川側道

 その日、本田鈴香は世田谷区のモールに買い出しに来ていた。

 買い出しとは言っても半分以上は自分の趣味だ。新しいモールが出来たというので、わざわざ三鷹の家から愛用の改造ヴェスパを駆って遊びに出かけただけだ。

 買い出し代として母からは少々のお小遣いを貰っている。このお金の一部でおしゃれな食材を買って、残りに自分の小遣いを足し前して何か素敵なものを買う、それが彼女の作戦だった。

 成城と三鷹は意外と近い。

 自動車を使うと迂回しなければならないが、ヴェスパなら野川脇の細い道を下って一気に成城に乗り込むことが出来た。


 鈴香の実家、タイガーモータースは昭和の頃から続く由緒正しいガレージだ。

 初代は新宿に店を構えていたそうだが、初代が亡くなった時、先見の明のある二代目が新宿の地所を全部売り払って三鷹に大きなガレージを開設した。

 先代はヴェスパに目がなかったが、二代目、つまりは鈴香の祖父、征一はアメ車マニアだった。映画に使ったプロップカーを三百万で購入し、公道を走行できるように改造したうえで六百万で売却したこともある。ホットロッドの製造はお手の物、日本で製造した千馬力オーバーのキチガイチューンが施されたホットロッドを一度アメリカに廃車として船便で送り、到着直後に日本に送り返してロンダリングするという、違法すれすれの手法を得意としていた。

 廃車をアメリカに送っても、税金はほとんどかからない。もっぱら船便の代金だけだ。帰りも同様。ナンバーを取得していない、訳の分からない車は日本では単なる金属の塊として扱われる。

 これを陸運局に運び、予備車検を通す。

 一旦予備車検を通してしまえばこっちのものだ。以降はそういう『狂った』輸入車として、発狂状態で車検を通すことが出来るようになってしまうのだ。


 だが、そうしたキチガイチューンもハイブリッド全盛の世の中になって、徐々に影を潜めていった。

 そこで鈴香の父が目を付けたのがハイブリッド化したレトロスクーターだ。

 排気量百五十CC程度の小さなスクーターに回生機構と超電導モーター、それに大容量バッテリーを無理やり押し込む。

 とうぜん荷物は乗らなくなるが、そもそもヴェスパに輸送能力を期待するもの好きはほとんどいない。むしろ、荷物が全く乗らなくなるほどハイチューンされたという事実が伝説となった。

 おかげさまでタイガーモータースのスペシャルヴェスパは三年待たないと入手できないほどの人気ぶりだ。お願いすればさらにカスタムして、どんなチューンでも無理やり日本の法規に合わせてくれる。

 人とは少し違うスクーターに乗りたい層に、タイガーモータースのヴェスパは大いにウケた。


 ビーンッ……


 排気量の小さいヴェスパのエンジンが高回転数エンジン特有の蜂の羽音のようなノイズを野川の河原にまき散らす。

 ヴェスパとはイタリア語でスズメバチの事だ。エンジン音からそう名付けられたと子供のころに父の膝の上で教わった。

 野川の河原を疾走する、真っ赤なヴェスパは父が鈴香の十六歳の誕生日のために組んでくれた特注品だ。何を思ってか知らないが、ステアリングにはエアバッグまで装備されている。

 その気になれば首都高を時速百五十キロ以上で疾走することも可能だったが、鈴香は野川ののどかな河原をゆっくりと走るのが好きだった。

 確かに攻めたチューンのスクーターだが、ヴェスパのクラシックなスタイルはカントリーサイドによく似合う、と思う。


「気持ちいー」


 思わず気分が口を伝う。白いキュロットを履いた両足が大きく広がる。

 今日は快晴、青い空には小さな白い雲が浮いている。

 午後になればあの雲も集まって入道雲を形成するのかも知れないが、今は湿度も低く、まさにポタリング日和だった。

「さて、何を買おうかなー」

 鈴香は昨日のうちに調べておいたキャベッジモールのお店のリストを脳内で反芻し始めた。


+ + +


 大混雑し、渋滞している駐車場入り口を尻目に、鈴香は真っ赤なヴェスパをキャベッジモールの西エントランス前の駐輪場に停めた。

 どうやらチャリでモールに来る人は少ないようだ。

 駐車場はえらいこっちゃになっているにも関わらず、駐輪場はガラガラだった。

 背負っていたDパックからチタン合金の太いチェーンを取り出し、前輪と後輪を厳重に駐輪場の支柱に括り付ける。

 タイガーモータースのヴェスパのキモは前後両輪、車軸部分に内蔵された超電導モーターにある。普通のガレージでは押し込むことのできなかったモーターを父は試行錯誤した上でようやくホイールの中に無理やり押し込むことに成功した。

 おかげでブレーキが外にはみ出てしまったが、それでもタイガーモータースのヴェスパは一つの芸術品だった。

 このタイヤだけは持っていかれるわけにはいかない。

(雨さんって、なんかパパに似てるんだよね)

 これ見よがしにコマの大きなチェーンに大きな南京錠を通しながら、今の上司に思いを馳せる。


 鈴香のいう雨さんとは、内閣安全保障局・車両開発部のフロア長、雨宮主任研究員の事だ。年の頃は七十を超えているだろう。少し腰の曲がったこの老人は、しかし車両開発に関しては超人だった。排気音だけでエンジンのどこに不具合があるかを聞き分けるし、図面を一瞬見ただけで何が間違っているのかが判ってしまう。

 狂ったチューンを施した車を作り続けることを含め、鈴香にとってマッド雨宮は父に次ぐ第二の師匠だった。

 いや、キチガイチューンにご執心という点に関して言えば、ひょっとしたら父よりも上かも知れない。

 何しろ法規の域外に棲んでいるのだ。どうしても交通法規に縛られる父に比べれば雨さんの方がはるかに自由だ。


(今度、紹介してみようかな?)


 ふと、妙な考えが脳裏を過る。

 法規からは完全に自由な世界で狂った武装車両を作る雨さんと、法規の中で狂ったチューンを追及する父。

 この二人、たぶん気が合うと思う。

 ないしは全然気が合わないか。

 一種のギャンブルだったが、面白い気がする。

(でも、それじゃあなんか結婚式みたい。やっぱりやめとこ)

 鈴香は被っていたヘルメットを背負っていたDパックに括り付けると意気揚々とキャベッジモールへと向かった。

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