第十七話 傍証(Supporting evidences)

 今ここにいる八名は、まず『シルバーベリー』こと銀鏡の部屋に移動した。それは単純に先ほどまでいた相馬の部屋から近かったからだ。彼女の部屋は施錠されておらず、窓ではなく扉から部屋の中に入った。銀鏡は寝返りをうったのだろうか。毛布が乱れ体勢が先ほどと変わっているような気がした。つまり彼女の身体は自分で動かせるのだと、瞬時にほっと息をつく。

「『メグ』さん!」知鶴は彼女の身体をさすって声をかけた。

 勝手に『メグ』の本名を探ったことは一応彼女の意識のないうちに行われたという想定であるので、『しろさん』とは呼べなかった。

「……は、はい」銀鏡は眠たそうな目をゆっくり開けながら言った。

「良かった」と『ヒデタカ』は安堵の声を上げる。

「では、私は彩峰さんに声をかけてきますね」菓子オーナーは銀鏡の無事を確認すると素早く部屋を出て彩峰の部屋へと向かった。知鶴はオーナーの方を向いて首を縦に振った。そして、再び銀鏡に声をかける。

「大丈夫ですか?」

「わ、私は……。だ、大丈夫」銀鏡の返答はとぎれとぎれだ。

「あの、分かる範囲で良いので確認したいんですが、襲われた状況は分かりますか?」

 知鶴の正直な気持ちとしては、単刀直入に犯人は誰かと問いたかったが、内部犯の可能性が高いと思っているので、メンバー同士の角を立てるような質問の仕方は避けた。どうせ、眠らされてよく覚えておらず、確からしい情報など得られないだろうとあまり期待していなかったのもある。しかし、銀鏡の回答は驚きのものだった。

「あのとき、すごく眠たくてはっきりしないんだけど気付いたら浴槽で縛られていて、そして、その……、私を襲った人の顔までは分からないけど、じょ、女性っぽかった気がする……」

「女性っぽかった気がする!?」知鶴は思わず復唱した。

 かなり重要なキーワードだけに、これには皆が驚いた様子だ。

「あ、あの、確信は持てませんよ。何と言うか、触られた手の感じとか、時々聴こえてくる吐息とか……」

 もし、この証言が正しければ、アリバイからして犯人は彩峰になる。でもどうしても腑に落ちない。彩峰が体格の良い後藤を絞殺できたのだろうか。そもそも、女性が後藤を絞殺できるのだろうか。

「やっぱり、彩峰じゃねえの?」『クラタ』が言った。彼の中では彩峰犯人説は揺るがないらしい。

 そのとき、菓子オーナーが戻ってきた。銀鏡の部屋に入るなり言った。

「黒岩さまは、部屋をノックしても応答はありませんでした」

「部屋の鍵は?」確認のため知鶴は問うた。

「かかっておりました。失礼ながら扉を開けようとしましたが施錠されておりました。さすがに窓から覗き込むのは、若い女性だけあって良心にもとりますので確認しておりませんが」

 確かに、必要性があったとしてもいきなり男性に窓から覗かれることは、同じ女性として抵抗がある。彩峰は特に嫌がりそうだ、と思った。

「たぶん、自分が犯人だから、部屋に立てこもってんだよ」相変わらず『クラタ』は邪推している。

「やっぱり、彼女が犯人なのかな……」『ヒデタカ』までが、そのように呟いた。

「そう考えると、彼女を同じロビーにいさせるのは嫌だな。俺は」と、再び『クラタ』。

 確かに彼女が犯人なら一緒にいたくないという気持ちも分かるが、逆に一緒にいれば不審な行動を起こしにくいものだと思うが。

「人がまた一人亡くなっているんです。犯人が紛れていたとしても、取りあえず全員が一つの場所に集結していれば、被害者が出る可能性は低くなりますし、窓からでも良いので、もし開いていれば声をかけるべきでしょう」と知鶴はあくまで自分の意見を押し通した。

「なら、ここは女性陣にも立ち会ってもらう方が良いかもしれんな」訓覇は言った。

「では私が確認して参ります。それで、あの……、ここは男の私だけで若い女性のお客様の部屋を窓から覗きに行くのは、非常にはばかられますので、一緒に女性のお客様にもついてきて欲しいのですが……」菓子オーナーはどこか畏まって懇願する。非常事態であっても律儀な男性である。

「じゃあ私が……」と挙手したのは、意外なことに銀鏡だった。使命感に駆られられているだろうか。

「『メグ』さんは、まだ起きたばっかりですから、ゆっくり休んでいて下さい」知鶴はついつい彼女に優しい言葉をかけてしまう。

「じゃあ、こうしませんか?」と口を開いたのは『ワカバヤシ』だ。「『ミホ』さんと私が菓子オーナーについていって、彩峰さんを窓から声をかけにいく。残る男性三人は非常口を出たところで待ってもらって、もし誰かに襲われたら助けて下さい。『タチカワ』さんと『カワバタ』さんは、『メグ』さんを看ているのはどうでしょうか」

 彼女は発言こそ少ないが、しっかり状況を捉えているようだ。確かに良い考えだと思う。ちなみに残る男性三人とは、訓覇、『クラタ』、『ヒデタカ』だ。

 つまり、『メグ』は女性どうし、『カワバタ』と知鶴と一緒にいさせて女性三人グループを作る。『ワカバヤシ』と『ミホ』も、菓子オーナーという最もこの中で信頼のおけそうな人物と一緒に三人グループを形成して、彩峰の部屋の様子を確認する。あと残る男性三人でグループを作って、万が一の外部犯に備えて非常口付近で待機させる。短時間の作業とはいえ、この状況では最も安全性の高い作戦だと考えられる。

「あ、それでいいんじゃない?」『ヒデタカ』も賛同した。特に異論が上がる様子はない。『クラタ』だけは気に食わなさそうな表情はしているが。

「じゃあ、もう簡単なことなので、さっそく行きましょう。さっき言ったようにお願いします」と『ワカバヤシ』は言って、行動を促した。

「ありがとうございます」菓子オーナーは感謝の言葉を欠かさない。

 てきぱきとした動きで『ワカバヤシ』と『ミホ』は菓子オーナーとともに歩き出す。それにつられるようにして残る男性陣三人はついていった。ここ、銀鏡の部屋には、銀鏡と『カワバタ』と知鶴だけになった。

 この三人のみが同じ空間にいるのははじめてかもしれない。ここまでほとんど発言をしてこなかった『カワバタ』が非常に謎めいている。『カワバタ』は童顔で垂れ目だがその大きな瞳は美しく吸い込まれそうなほどだ。『カワバタ』は銀鏡とは、ベクトルでいうなら別方向だが、間違いなくともに美人である。女性の知鶴から見ても目の保養になるが、そんなことはいちいち口にはしなかった。

 知鶴は意を決して彼女に問うてみた。

「あの、『カワバタ』さんって、そのショックか何かを感じて声が出なくなってしまったのかな……?」

 知鶴はなるべくえんきょくてきに、なるべく優しい口調で、発言しない理由について問いかけたが、『カワバタ』はビクリと大きく身を震わせた。

「……」彼女は俯いてしまって何も答えない。

「ご、ごめんなさい。答えたくなかったら良いよ」知鶴は罪悪感を感じ『カワバタ』に詫びた。すると小さいながらも、高くて可愛らしい声でゆっくり話した。

「あ、あの。他の誰にも言わないで頂けますか?」意外なことに彼女は語り始めた。

「い、いいよっ。そんな誰にも言いたくないことを私たちに言わなくたって」知鶴は口ではそう言いながらも、彼女の話す言葉に興味を抱いた。

「私は、あなたたちが犯人ではないと信じてお話します。むしろ聞いて頂きたくて」

「そんな大事な話を?」彼女は何か秘めたることがあるのだろうか。

「まず、私は声が出なかったんではなくて、敢えて出さなかったのです。ショックはもちろん感じているしストレスもありますが、それによって声が出なかったわけではありません」『カワバタ』は静かに話した。その話し方はどこか流暢りゅうちょうであり、それまで黙りこくっていた目の前の彼女に知鶴が抱いていたイメージとはかいしていた。

 どうやら彼女が心因性失声症ということではないらしい。

「では何でこれまで声を出さなかったの?」銀鏡も気になったらしく『カワバタ』に問いかけた。銀鏡は快復かいふくしたかのように、その口調はハキハキしたものになっていた。

「それは自分を守るためです」

「守るため?」

「そうです。実は、私は声を使った仕事をしていまして。ほら、私の声って高くて変わってるでしょ? ですからそれで本名が割れてしまって、ハンドルネームが分かってしまう可能性があるんです。この事件は誰かが、ハンドルネームが分かった人間が狙われるって言ってましたから」

 なるほど。納得がいった。声を使った仕事とは何だろうか。声優、歌手、朗読家、ナレーターといったところか。ニュースキャスターまでいくと、映像となって顔が視聴者に晒されるのでこの場合は違うように思う。そういえば、この高くて澄んだ美しいこわに似た声を、オフ会の前に聞いたような気がする。が、すぐには思い出せない。

「でも、もう既にこのメンバーの一人には、私の素性がバレてるんですよね」と、『カワバタ』は苦笑いしながら言った。

「『カワバタ』さん、そんなに有名人だったの?」

「下の名前は『アオイ』って言って、そちらで呼ばれることが多いんですけど、聞いたことあります?」

 残念ながら知鶴には初耳であった。

「ごめん、分からない……」

「あくまでもローカルタレントですから」『カワバタ』は自嘲気味に付け加えた。

 反射的に知鶴の脳内で照合作業が行われる。シンプルに考えれば『アオイ』の『アオ』から彼女のハンドルネームは『ブルーベリー』だろうか。チャット上での発言から推測される性別とも一致する。

「でも、何でそんなことを私たちに打ち明けるの?」

 知鶴は『カワバタ』にそう問うたが、実は訊きたいことは他にもある。何故にそんな有名人がこのオフ会に参加しているかもそうだし、誰がどうやって彼女の正体を暴いたのか。また『カワバタ』が推理する、犯人について思い当たる節はあるのか(これについては『カワバタ』自身が犯人である可能性もゼロではないので、真実を教えてくれるとは限らないが)。

 『カワバタ』は静かに口を開いた。

「あなた達が犯人ではないと思うからです。『メグ』さんは被害者だし、『タチカワ』さんは後藤さんのときに、一生懸命人工呼吸をやっていました。それを言うと他の方も同じなんですが、『タチカワ』さんはどう見ても犯罪者だとは思えない。あなた達を信じて、そして犯人が誰かを推理してもらいたいのです。そのためにはまず私が素性を明かすことによって、信用してもらおうと思ったのです。警察が来られない以上、いつこの事件が終わるのか分かったもんじゃないです。一応、次の標的の果実はありませんでしたが、私たちを油断させる罠かもしれないんです。ですから、解決して欲しいんです。他力本願なのは重々承知です。でも私は生きて帰りたいんです」

「えっ、でも私は警察でもないし、探偵でもないです。事件の解決なんて……」謙遜しているわけではない。知鶴は自分なりに推理を組み立ててはいるが、まだまったく解決には至らない。そして誰かにそれを依頼されるとは夢にも思っていなかった。

「もちろんそのように思われるかもしれませんが、『タチカワ』さんと『メグ』さんはきっと聡明な方だと思うからです。チャットで会話しているときからそう思っていました。残念ながら私は、フィクションであっても殺人事件は苦手で、ミステリー小説や漫画なんてほとんど読んだことがないくらい免疫がないのです。それ以前に私は、事件を解決できるような頭脳もないんですが……」再び、『カワバタ』は自虐的な発言をした。

「私だって、何も手がかりがなくて分からないでいるんです」知鶴は正直に答える。

「私も、誰に襲われたかすらしっかり覚えてないですし」銀鏡は被害者でありながらも誰が犯人でいるかを分からないでいるようだ。

「あ、その件なんですけど、『メグ』さんを襲った犯人については、私、実は心当たりがあるんです」

「えっ?」想定外な『カワバタ』の発言内容に、戸惑わざるを得なかった。

「正直、意外な方です。誰にも言わないで頂けますか?」『カワバタ』は声を潜めて言った。

「……はい。もちろん」知鶴と銀鏡は耳をそばだてた。

 『カワバタ』が口を開こうとしたその時、他のメンバー達が戻ってきた。なんとタイミングの悪い。結局聞けずじまいであり、『カワバタ』は再び黙りこくってしまった。

「ど、どうでした?」今となっては、『カワバタ』の犯人に関する情報の方に関心は移ってしまっていたが、一応訊いた。

「彩峰さんの部屋の窓は開いていませんでした。呼びかけても応答はありませんでした」菓子オーナーが答えながら後ろを振り返る。なるほど、そこに彩峰はいない。

「オーナーが窓を開けようとしたけど、びくともしなかったです」と『ワカバヤシ』は言って、『ミホ』の方を見る。『ミホ』も黙って首肯しゅこうしている。

「ウソ!?」銀鏡が過剰に反応した。

「あ、不審人物もおらんかったで」訓覇は付け加えた。

「と言うわけで、仕方ないので今いる九人でだけでロビーで固まっていましょうか」菓子オーナーは言った。

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