第7話;最後の殺人事件

「貴方は…生まれて間もない頃に、施設の玄関に捨てられていたのよ。まだ、乳飲み子ほどの赤子だったわ。」

「………!?」


 深川の説明に寄ると、吉田は乳児の頃に捨てられ、1年ほどの間、ここで育ったと言う。そこへ子宝に恵まれない夫婦が現われ、彼を引き取った。

 幼い頃に、それも孤児から養子に組まれたので戸籍上には元親の記載がなく、その為彼も、自分が養子である事を確認出来なかった。

 亡くなった吉田の養親は、この事を最後まで秘密にしておくつもりでいた。本当の両親が分かりでもしたならば、彼が成人を迎える頃にでも伝えようかとも考えたが、彼を引き取って以来産みの親からの連絡はなく、それならばと養親は、吉田に生い立ちを伝えなかった。

 また、本当の子供と考えていた。養子だと伝える事に、抵抗を感じたのだ。距離が出来てしまう事を拒んだ養親は、出来るならば最後まで黙っておこうと考えていた。


「貴方に会った時から…何処かで見た気がしていたの。最初に挨拶に来てくれた日、その晩に貴方の事を思い出したわ。」

「そんな……。」


 吉田は信じる事が出来なかった。正確に言えば、状況を把握出来なかった。

 衰弱し切っていた吉田には、到底受け入れる事が出来ない話だった。


「少し…待っててね。」


 深川は席を離れ、1枚の写真を持って現れた。


「これが、貴方の幼い頃の写真よ。」

「……。」


 写真には赤子が写っていた。彼女はそれを、吉田だと言う。確かに彼の面影が残っている気がする。

 そして何よりも、吉田が、写真の赤子を自分だと思える物が写っていた。それは、吉田がずっと身に付けて放さない、古いお守りである。年季が入っており、すっかり汚れて、書かれた文字も確認出来ないものだ。

 吉田はずっとこのお守りを、養親が与えてくれたものだと思っていた。


 そして、1つ思い出した。

 吉田は、自分が生まれた時の写真、それから1年後までの写真を、養親から見せてもらった事がない。養親からは紛失したとだけ聞かされていた。


「そんな馬鹿な……。」


 まだ事態を収拾出来ない吉田を、否定出来ない1枚の写真と、昔の記憶が襲った。




(……。)


 吉田は席を離れ、1人で考え事をしていた。頭の中を整理しようとしていた。

 まさか、自分が孤児だったとは考えもしなかった。養親の素振りも、疑わしいものは何1つなかった。


『ご両親を、恨まないで。貴方に事実を伝えなかったのは、それだけ貴方を愛していたからなの。』


 席を離れる際、背中から深川がそう語ってくれた。

 吉田はその言葉を信じ、養親の愛情は本物であったと思う事にした。孤児であった自分を救ってくれた事、その事実を聞かされなかった事も、全ては愛情が故の配慮だったのだと自分に言い聞かせた。


 しかし、吉田の胸には大きな穴が空いたようだった。

 養親は他界してしまったが、彼はその悲しみから抜け出せた。だがもう1度養親の他界を悲しみ、今、側にいてくれない事を寂しく思った。

 養親を恨んでいる訳ではない。彼は、自分が孤児であったと言う事に動揺していた。




 やがて事実を受け入れ始めると、同時に吉田には疑問が浮かんだ。

 本当の親は誰なのか?何処にいるのか?それが気になり始めたのだ。


 吉田は2時間ほど1人で時間を過ごしたが、どうにか2人の下へ戻って来た。

 深川は申し訳ない顔を浮かべたが、吉田は優しく微笑み、彼女の後悔をなくしてあげようとした。

 佐藤は強張った顔をして、吉田の顔色を伺った。



「今日は、色々とありがとうございました。」


 落ち着いた吉田は深川に挨拶をし、佐藤を連れて施設を出て行く事にした。

 佐藤は、ずっと無口だった。今日の出来事は、吉田にとって余りにも衝撃的な事実である。

 吉田は今、過去を受け止められずにいる。家に帰って落ち着いた後、その事実が改めて重く圧し掛かり、苦しみ、悩むのではないか?と不安を覚えた。


(……。)


 佐藤は、車に乗り込む前にもう1度吉田の顔色を伺った。

 衰弱し切った彼は以前よりも痩せていて、整理出来ない過去にその顔は、暗い表情を浮かべていた。


(……?)


 その表情に佐藤は、とある人物を思い出した。




 帰りの車の中では、2人に会話はなかった。


『プルルルッ!プルルルッ!』


 吉田の家に戻った時、佐藤の携帯電話が鳴った。電話の主は、安田であった。


「佐藤!お前今、何処にいる!?」


 安田は、凄い剣幕で佐藤を急き立てた。

 吉田と施設に行った事を秘密にしたい佐藤は、嘘を言い訳にした。


「ずっと、吉田の家の前ですよ。朝からいます。」


 佐藤は吉田の方を向き、口に人差し指を当てて合図を送った。

 吉田は何の事か分からなかったが、指示に従う事にした。


 人差し指の意味が分からない吉田は黙っていたが、次の佐藤の言葉に、緊張感は一気に頂点まで張り詰めた。


「犯人から連絡があった。」

「犯人ですか!?」


 安田の連絡は、事件の進展に急を告げる内容だった。何と警察に、犯人だと名乗る人間が連絡を寄越したのだ。


「犯人は…何と!?」


 佐藤は自分を急き立てた安田を、更に急き立てた。隣には、まだ吉田がいた。


「…最後の殺害を終えたそうだ。自首をするから、現場に来いと言っている…。」

「自首……?」


 その言葉に佐藤は戸惑った。

 安田は、もっと戸惑っていた。1年以上、何の進展も見せられずに警察を混乱させて来た事件の結末が、犯人からの自首とは…。余りにも、あっけない最後である。


「それで…現場は?何処ですか?」

「……。A区B町1-2-3、CDハイツ、301号室だ。」

「えっ……!?」


 佐藤に緊張が走った。車の窓から覗ける場所に、安田が伝えるマンションが見えるのだ。

 彼は急いで現場に向かった。

 吉田は佐藤の行動に驚きながら、とりあえず彼を追う事にした。


 向った場所は、吉田が住むワンルームマンションの隣にある、これまた同じようなワンルームマンションだ。近所には大学が3つほどあり、その為この界隈には、ワンルームマンションが多く建っていた。


 安田と通話したまま、佐藤は殺害現場と思われる家の前に到着した。

 そこで一旦立ち止まった。安田の指示が欲しかった。


「どうしたんですか?佐藤さん?」


 佐藤はその時、初めて吉田が後を追って来た事を知った。


「君は、ここで待機していなさい。」


 安田からの指示を受けた後、佐藤は玄関から数歩遠退いた場所に吉田を残し、拳銃を構え、ゆっくりと家の扉を開けた。上司からは、最悪の場合の発砲許可が下りた。


「……!」


 扉には鍵が掛かっておらず、開けた瞬間から異様な光景が目に映った。

 ワンルームマンションと呼び名の通り、家には部屋が1つしかないので、佐藤が扉を開けきった時には、現場の状況が全て伺えた。


 見えた状況は、凄まじいものであった。床一面が血で真っ赤に染まり、そこには、40代ほどの男が倒れていた。

 その側で、鋭利な刃物を持った20代ほどの男が、あぐらをかいて座っていた。

 この光景は、一般人が見るには忍びない。佐藤は、吉田をもう少し遠ざけた。


 男は佐藤の存在に気付き、こちらを見た。

 佐藤は急いで銃を向けたが、しかし男は動じる事もなく、被害者の側で静かにしていた。


 佐藤は男の顔を見て、当惑した。

 男は、見覚えがある顔をしていた。その体つきや背丈、顔つきなどの全てが、佐藤がよく知る人物と同じなのだ。


「……吉田……?」


 血で赤く染まった床に、詫びる事ない態度で座る男の顔は、扉の向こうで待機しているはずの吉田一哉と同じ顔をしていた。


「……一体……どう言う事だ……?」


 佐藤は向けた銃口を下ろしながら、聞こえるか聞こえないか分からない声で呟いた。

 それを確認すると男はゆっくりと腰を上げ、刃物を手放しながら佐藤に話し掛けた。


「刑事さんか…?これで、全てが終わった。俺が犯人だ。これまで8人の男を、全部俺1人が殺した…。」


 男は、自分が全ての事件の真犯人だと告白し、少し笑って見せたように思えた。

 不気味とも言える微笑を見た佐藤は改めて銃を構え、目の前の男を警戒した。

 しかし男は、またしても動じる事はせず、淡々と話し続けた。


「銃は…必要ない。俺は逃げない。ただ、真相をあんたらに伝えようと呼んだだけだ。だが……自首するつもりもない。」


 男は、静かにそこまでを言うともう1度あぐらをかいて座り、大きく溜息をついた。


「……。」


 佐藤は、それでも銃口を向けたまま少しずつ男に近づき、その距離を縮めた。


「!!」


 その瞬間、男が、1度手放した刃物を掴んだ。

 佐藤は急いで一歩下がり、人差し指を引き金にぴったりとくっつけた。


 しかし……次の瞬間、想像もしていない事が目の前で起こった。


「これで……俺は自由だ……。」


 男はそう言い、持っていた凶器で自分の喉元を掻っ切った。


「!?吉田!!」


 佐藤は思わず叫んだ。

 その叫び声を外で聞いた吉田は、自分が呼ばれていると勘違いし、家に入って殺害現場を見てしまった。


「……!!」


 その光景は吉田にとって、初めて見る残酷なものだった。中年の男が血を流して倒れており、その隣で、犯人と思われる男が喉元から大量の血を流している。

 しかし…何よりも印象深く写ったものは犯人の姿だ。目の前には、自分と瓜二つの男がいた。全身が血だらけになった、片手には鋭利な刃物を持つその男の姿は、紛れもなく自分と同じ体格、背丈、そして顔立ちをしている。


「優二…か……。」


 自分の喉元を切った男が吉田を見つけて、彼をそう呼んだ。


「まさか……お前が来ていたなんて……。」


 力が抜けたのか、男は猫背になり、持っていた刃物を床に落とした。


 男は、自身に致命的な傷を負わせたと考えていたが、思った以上に死が訪れない。殺害後の刃物にはべったりと血糊が付いていたので、殺傷力がある傷を与える事が出来なかったのだ。

 男の力が抜けたのは、死期が迫っているからではない。吉田の姿を、見てしまったからだ。

 男は彼の顔を恨めしそうに睨み…抜け行く力を振り絞って語り始めた。


「お前は…ぬくぬくと育ったようだな?何度かお前の姿を、遠くから見たよ。」

「………??」

「俺は……与えられた宿命から逃れる事も出来ずに、ここまでやって来たよ。それも…今日で最期だ。」


 そう言って男は、もう1度自分の首に刃物を当てた。今度は、引っ掻く事はせず、刃物の先で喉元を突き刺した。

 既に多くの血を流したせいか、突き刺した傷からは、それ程の血は噴出しなかった。


「優二……。俺の分まで……生きろ………。」


 2度目の傷が自分の命を奪う事を確信した男は、吉田を見てそう呟いた。その顔は穏やかで、安らかであった。

 そして佐藤の方を見て、誰も知らない真実を伝えた。


「これで、全てが終わった。事件はもう起こらない。俺1人の犯行だった。優二は…俺の弟は、何の関係もなかったんだ。俺は、これで自由になる。弟も…自由にしてやってくれ。」


 それが男の、最期の言葉であった。



 吉田と、そして一緒にいた佐藤も最期の言葉が理解出来なかった。

 やがて男は痙攣を起こし、暫くもしない内に断末魔を上げて死亡した。死が訪れるまでの間、男は吉田から目を離さず、潤んだ眼のまま命を落とした。


 吉田には男の、悲しいまでの死に様が目に入らなかった。

 男が話した言葉ばかりが、頭の中でずっと響き続けた。


「……弟……?」

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