第15話 ダリス大峡谷の始まり

 暗闇————それは現在、セイヤとユアの視界に映るもの。


 光一つない空間の中、セイヤとユアは自由落下に身を任せていた。


 顔に当たる空気抵抗は並々ならぬものではない。それはセイヤたちがものすごいスピードで地面に向かって垂直に落下していることをあらわしている。


 「なあ、ユアさん?」

 「なに……?」


 自分の手をしっかりと握る少女のことを呼びかけたセイヤ。その表情はとても蒼く、かなり焦っていることがうかがえた。


 しかしセイヤが蒼ざめるのも無理はないだろう。なぜなら、セイヤたちが崖から飛び降りてから、すでに三分以上が経とうとしているのに、一向に地面が視界に入ることがなかったから。


 セイヤの視界に映るのは、自分の手をしっかりと握るユアの手だけ。それ以外は暗闇に飲まれており、上手く視認することが出来ない。


 それに加えて、顔に当たる空気抵抗がどんどんと強くなっていく。


 このまま行けば、間違いなくセイヤたちは地面にぶつかり、命を落とすことであろうと、容易に想像できた。


 「どうするんだ?」


 その質問は、この状況からどうやって抜け出すのかという意味。


 残念なことに、今のセイヤにはこの状況を打開する手段がない。というより、この状況を打開できる魔法師など、そうそういないであろう。


 まだ落下したてなら良かった。落下速度が小さければ、セイヤの『纏光けいこう』で身体能力を上昇させて、壁を蹴りながら、落下の勢いを殺し、地面に降り立つことも可能だ。


 だが残念なことに、今の状況ではセイヤの『纏光けいこう』を持ってしても、どうすることもできない。


 となると、必然的にセイヤの頼みの綱はユアになる。


 「問題ない……」


 セイヤの質問に対して淡々と答えるユア。表情はうかがえないものの、その声からはいたって冷静だという事がわかる。


 しかし今の状況で大丈夫と言われたところで、セイヤが素直にユアのことを信じられるかと聞かれれば、答えはノーだ。


 ユアと会ったばかりのセイヤにとって、ユアは自分の命を授けることが出来るほど信頼することは難しい。例えユアの父親が聖教会の幹部であり、ユアがあの女神様の娘であろうとも、信頼することはそう簡単にはできない。


 だからセイヤはつぶやく。


 「本当かよ」


 その言葉からはユアのことを信頼していないという事がわかる。


 しかしユアはそんなことを言われたところで、傷つきはしない。なぜならユアの中でも、セイヤは一時的なパートナーで、ダリス大峡谷を抜けるために利用するだけだから。


 そこに信頼などはいらない。ただ、セイヤが力を使ってくれれば、それでいい。ユアはそう思っていた。


 だからこそ、ユアはセイヤに言葉に何も返さず、ただ落下する先に神経を集中させる。


 「着いた……」

 「なんだ?」


 ユアが何かを呟いたが、空気抵抗による風の音が凄くセイヤには聞こえない。 


 しかしユアはセイヤに関係なく、暗闇の先に向かって魔法を行使した。


 「『聖生せいせい』」


 ユアが魔法を行使して、何かを生成したことを理解したセイヤ。しかしセイヤの視線の先には何もない。一瞬、ユアの魔法が失敗したかと思ったセイヤだったが、次の瞬間、急に視界に何かが映った。


 「!?」


 セイヤは驚き、とっさに魔法を行使しようとしたが、魔法を行使しようと思った刹那には、すでにセイヤとユアの身体は地面に触れていた。


 (やばい!)


 魔法が行使できないと思ったセイヤは、体に襲い掛かるのであろう衝撃に備える。しかしセイヤの身体を襲った衝撃は、体が地面に打ち付けられるような感覚ではなかった。


 ボヨーン、そんな音が似合うかのような衝撃がセイヤの身体を襲う。いや、包み込んだ。


 「なんだ!?」


 まるで、とてつもなく柔らかい何かに包まれた感覚に襲われたセイヤは驚きの声を上げる。


 絶対に地面に打ち付けられた衝撃ではないと理解したセイヤだったが、その衝撃が一体何かを理解するのには少し時間がかかった。


 「成功……」


 セイヤの手を握っていたユアが少し嬉しそうに笑みを浮かべて、セイヤに言う。ユアの笑みを見たセイヤは、周りを見渡し、やっと何が起きたのかを理解した。


 「もしかしてクッションを生成したのか?」

 「そう……」


 セイヤの問いに無表情で答えるユア。


 ユアの答えの通り、セイヤとユアはとても大きなクッションによって落下の衝撃から身を守ることができたのだ。


 ユアの生成したクッションは直系二十メートル、高さ八メートルほど大型クッションであり、三分以上落下を続けていたセイヤたちの身体をいとも簡単に守って見せる高性能クッションだった。


 流石にこれにはセイヤも驚きを隠せない。


 聖属性にこんな使い方があったのかという驚きもそうだが、それ以上にこれほどまで乱暴な方法をユアがとったことに驚きである。


 しかし、結果的にセイヤが無事ダリス大峡谷に降り立てたのも事実。だからセイヤはユアに対して素直にお礼を言う。


 「ありがとな、ユア」

 「うん……」


 ユアはセイヤの事を見据えながら答える。その目にはやはり信頼というものが含まれておらず、どこかまだセイヤとの間に距離があるように感じられる。


 それはセイヤも同じであり、やはりユアとの間には壁のようなものがあった。


 けれども、ダリス大峡谷を攻略するために二人の協力は不可欠であり、二人ともそのことはわかっているため、二人はともに歩みを進めるしかない。


 「それにしても暗いな」

 「うん……」


 現在セイヤたちが立っている場所は、左右を断崖絶壁に囲まれた、幅十メートルほどの一本道。


 地上からの光が申し訳程度に入ってくるものの、視界が確保できるのは半径五メートルほどといったところだろうか。


 これではいくらなんでも危なすぎる。


 セイヤがそう思った時、ユアの声と共に急にセイヤの視界に明かりが灯る。


 「『灯火ともしび』」


 火属性初級魔法『灯火ともしび』、その名の通り火を灯す魔法だ。ユアの『灯火ともしび』のおかげで、二人の視界は一気に二十メートルほどまで広がる。


 「それじゃ、進むか」

 「うん……アクエリスタンはこっち……」


 セイヤは明かりを灯しながら、先を行くユアに着いて行くのであった。






 二人が歩き出してからしばらく経つと、急に二人が立ち止まる。そしてセイヤが正面を向いたまま、ユアに言った。


 「つけられているな」

 「うん……かなり多い……」


 ユアもセイヤが言いたいことが分かっているようで、セイヤ同様、正面を向いたまま答える。


 「どうする?」

 「やるしかない……」

 「そうだな」


 お互いに確認し合うと、二人は一斉に後ろ振りむいた。


 「これはまた……」

 「ホラー……」


 二人が振り向くと、そこにあったのは暗闇の中で無数に赤く輝く小さな丸いもの。二人はすぐにそれらが小型魔獣の瞳だと確信した。


 暗闇の中で無数輝く赤い瞳の数から想定される魔獣の数はゆうに百匹を越えているであろう。また、小刻みに上下に動いていることから、百体以上いる魔獣が昆虫型、もしくは鳥型という事が分かる。


 どちらにせよ、魔獣である限りセイヤたちの敵だ。


 「ここは俺がやるからユアは灯りを頼む」

 「わかった……」


 セイヤはユアに灯りの確保を頼み、一歩前に出る。いつもならすぐに愛剣である双剣ホリンズを呼び出すところだが、今回は武器を召喚しない。


 そんなセイヤのことを不思議そうに見るユアであるが、援護をする気はない。闇属性を使えるセイヤに対し、これしきの相手では援護も必要ないから。


 セイヤのことを信頼していないユアであったが、セイヤの実力はしっかりと信頼している。


 だからこそ、ユアはセイヤの援護をする気はなかった。ユアがせめてセイヤが戦いやすいようにと、『灯火ともしび』の効果範囲を広めて、視界を広くする。


 ユアが灯りを強めたことにより、ついに赤く輝く瞳の正体が分かった。


 「コウモリか」


 セイヤの言う通り、赤く輝く瞳の正体は百匹以上のコウモリだった。百匹を超えるコウモリが、パタパタと翼をはばたかせながら、セイヤの方を見ている。


 セイヤの前で羽ばたいているコウモリたちはもちろん魔獣だ。


 その特徴は、口から発せられる超音波で、相手の三半規管などを乱し、魔法を使えなくするというものだ。しかもコウモリから発せられる超音波を、人間が避けることは疎か、感じることもできない。


 気づいた時には、すでに超音波によって三半規管を乱され、魔法を封じられてしまう厄介な魔獣だ。


 「あれ……」


 突然、ユアの行使していた『灯火ともしび』が消える。


 しかしユアは、なぜ自分の魔法が消えたのか理解できていない。それに加え、気のせいか視界も霞んでくる。


 実は気づかぬうちに、コウモリから超音波が発せられ、ユアの三半規管などを乱していたのだ。


 これこそこの魔獣の恐るべき点である。


 「どうしたんだ?」

 「うわ、うあ……」


 セイヤに心配されたユアは、わからないと答えようとしたが、上手くろれつが回らず、言葉を発することが出来ない。


 そんなユアの様子を見てセイヤは一目で理解する。


 「あの魔獣のせいか」


 なぜ自分に異変が生じないかわからなかったセイヤだが、ユアに異変が生じている以上、目の前のコウモリたちから何かしらの攻撃がされていることがわかる。


 攻撃をされているのであれば、当然のことながら反撃せねばならない。


 セイヤは暗闇になりながらも、その赤く輝くコウモリの瞳を手掛かりに、コウモリたちに向かって右手を突き出す。


 そしていつもより魔力量を多くして魔法を行使した。


 「『闇波』」


 次の瞬間、一瞬にして暗闇の中で赤く輝いていた瞳が消える。そしてすぐに、超音波が消え、再びユアの『灯火ともしび』が辺りを照らすと、すでにそこには何もいなかった。


 「大丈夫か?」

 「うん……」


 ユアはセイヤの力を見て、改めて利用できると思うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る