280701 社会秩序から見ると、恋愛と結婚は互いに多くの矛盾を内包している(恋愛社会学風

社会秩序から見ると、恋愛と結婚は互いに多くの矛盾を内包している(恋愛社会学風


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(第32回「恋愛と結婚の社会学―ロマンティック・ラブの行方―」

 ttp://www.jma-net.com/1844 より引用)


 ロマンティック・ラブとはなにか、その説明の前に、社会における恋愛・結婚の位置を簡単に俯瞰してみよう。


 そもそも、社会秩序という面から見ると、「恋愛」と「結婚」は、互いに多くの矛盾を内包していることは多くの論者から指摘されることだ。


 たとえば、(そんな社会はありえないが)「結婚」と「恋愛」についてのなんら規範のない社会を想像してみると、「結婚にふさわしい相手」と「好きになる相手」が別の対象になることは十二分にありうる。


 また、結婚後に別の相手を好きになることも当たり前のようにありうる。社会成員が、それぞれ好き勝手なタイミングで好き勝手な相手に、好き勝手なやり方で恋愛感情を抱く/結婚するのでは、社会の秩序は守られず、混沌に陥ってしまうだろう。想像してみると確かに阿鼻叫喚の絵が思い浮かぶ。

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 ここまで社会的主流である「恋愛結婚」を前提として、話を進めてきました。

 しかし、そもそも恋愛と結婚は結びつくものなのでしょうか。さらに言えば、恋愛や結婚をする必要はあるのでしょうか。


 まず恋愛は原初からあるものに間違いないでしょう。異性を思う気持ちは胸の高鳴りを伴うもので、それは本能に基づくものです。好ましい男女がいれば、恋愛や性愛に発展するのは、動物的なレベルで当たり前のことです。

 このため、その本能に裏打ちされた興奮を伴う快楽を享受したければ、恋愛というのは有力な選択肢です。


 しかし、結婚はそれとは別のものです。そもそも結婚は共同体や社会秩序の維持を目的とした制度です。古くは結婚は、2つの目的を内包していました。

 一つは家系または村落等の共同体の維持です。少数から成り立つ共同体においての人口減は、即ち共同体の衰退を意味します。このため共同体の隆盛を保つために、周りが率先して若い男女をくっつけようと画策しました。

 もう一つは家業の維持です。古来の産業は家単位で営まれており、親が後継ぎの子供に農業などの食い扶持を稼ぐ手段を教えていました。

 事業体としての家を廃れさせないために、後継ぎの育成は欠かせないものであり、結婚をして子供を作ることは、その確保を意味するものでした。


 ですが、それらの目的は近代に入り、瓦解がかいし始めました。共同体は肥大化しすぎて、家一つの維持に注意を払いません。近所や親戚による世話や結婚圧力も、ムラ社会の衰退や個人主義の台頭により薄れました。

 産業や技術も企業や教育機関が所有するものとなり、家の事業体としての役割は薄れました。こうなると結婚する意味はなくなっちゃうはずですよね。


 その近代化と並行して隆盛したのが、『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』の概念です。「結婚において愛と性が一致することが唯一の正しい性行動である」と説きます。

 ここでは婚前交渉や愛のない結婚、不倫などは逸脱行為として糾弾され、男女の精神的・人格的結びつきが強調され、女性には処女性の尊重や貞操の観念など性の規範が課せられます。

 これは恋愛を維持するのマナーに近いもので、恋愛関係に至った二人にとってメリットのある規範なわけです。


 この概念が古来の結婚の意味が薄れるのと並行して広まって、現代主流のいわゆる『恋愛結婚』を下支えする意識となっています。

 「家業の維持&お家の維持⇒結婚」から「恋愛⇒結婚」の道筋を設けて、結婚をさせるようになったのです。

 過去の利害関係と違って、お互いの信頼関係をもとに関係を築くため、それを損なわないように規範が重視されます。典型例で言えば、結婚の破綻の原因となりがちな不倫は否定されます。子供の取り扱いについても、離婚しても何らかの面倒をいずれかが見るように、親権などの定めが発生しています。

 結婚関係が安定しなければ、社会秩序が乱れて混乱するため、安定的に結婚生活が営まれるように仕組みが整備されたわけです。法というのはトラブルを整理するためのものなのです。


 しかしまあ、これらの流れを踏まえても、恋愛と結婚の必要性は薄れていますね。

 恋愛については、娯楽の多様化と進化で、性愛に頼らずとも、簡単に様々な楽しみを享受できるようになりました。なので、そもそも現在の結婚の入り口である恋愛に至る必要性が薄れています。

 結婚の機能性についても相変わらず希薄化が進んでいて、別に結婚しなくても家事は家電で補えますし、安全に生活できますし、結婚しなくても様々な人との結びつきを得ることができるわけです。

 ですから、恋愛も結婚も必要性という観点からいけば、娯楽と生活技術の発展により、希薄化しているのです。


 でも結婚する人多いですよね。不可解ですね。

 しかし、これは『物語の持つ力によるもの』だと思います。今は最も物語が溢れ返っている時代です。メディアが発達し、映像に本に音楽に、あらゆる形で物語が量産され続けています。

 そもそも一般的な物語は、「主人公により何かが達成されるもの」です。ビジネスもの、青春もの、スポーツもの、冒険もの、刑事・探偵もの、そして恋愛や結婚が成立するものです。

 その中でも、恋愛や結婚の達成を描くものが非常に多いです。これは男女共通の憧れで、大衆受けが良いサクセスストーリーだからです。

 理想的な恋愛及び結婚は突出した能力のない個人にとって、唯一のドラマチック(物語的、劇的)な成功なわけで、こぞって描かれ誰もが夢見るからこそ、まだまだ恋愛結婚は主流なのです。 

 

 しかし、言ってみれば、憧れや理想でしか恋愛結婚は下支えされてないわけでして、夢見るための金銭的または時間的な余裕を奪えば、恋愛への道は閉ざされるわけです。最近はその傾向が強くなっている感があります。

 トリクルダウンの失敗やパナマ文書など面倒な話題になるので深くは言いませんが、富裕層による富の独占が全世界的に問題になっていて、これによりうちら一般市民は貧困化がじわじわ進んで、働き続けないと食えない時代になってきています。

 高齢化により働ける人口が減って、働ける人がもっと働かないと社会がまわらないのもありますね(機械化で相殺もしていますが、限界も多いです)。


 うむ、脱線しましたが、恋愛と結婚はいろいろを経て、今は庶民の憧れなわけです。それらを描いたもので心ときめいたことがあるのなら、自分も……と乗り出してみてもいいかもしれません。

 この程度なものなので、他で満足しているなら、それはそれで無理に恋愛や結婚しなくてもいいと思うのです。


 反面、社会は危惧すべきですね。近年自治体が婚活への歩み寄りを見せたのは、旧来と変わらず共同体の維持には結婚が未だ有効であるからです。

 昨日特集したように、個人が出会い⇒恋愛に至るには、結構な困難が伴うわけです。だから、恋愛や結婚のスムーズな誘導というのも、自治体としては道路や水道の整備と同様に求められると思います。

 成功例がよりシステマティックに広まると、いろんな活性化に繋がりそうだなと思います。

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