日刊 物書き心が動かされた言葉(H280615~H280715)

村瀬カヲル

プロローグ 多読病に掛った奴は話をしても脱線脱線で元に帰って来ない(執筆動機)

 最近になって、熱中していたネットゲームが不毛に感じてきたので、昔の趣味でやってた小説を再び書こうかと思い至りました。


 しかし、いろいろ考えてみても、何を書こうかという題材が、どれもいまいちピンと来ません。


 どれもどこかで見たような気がしますし、私こそこの物語を書くべき人間だ!と確信できませんし、自分の中にこれを書かなければ救済されない飢えがある!というわけでもなさそうです。


 軽い理由を持ち出すにしても、これを書けば面白そう!、これはすごく興味がある!、これが流行か!やってみよう!、という気分が湧いて、心が弾む題材が思い浮かばないのです。


 私の心は不感症になったのでしょうか。もはや心が砂漠化して、どんな泉も干上がり、いくら水を与えても不毛なのでしょうか。いやはや、そう結論付けるのは、とても心苦しいです。


 多分、心がとっちらかっているのでしょう。

 引用するのも恐縮ですが、5千円札の人がこんなことを言っています。

 

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新渡戸稲造 「読書と人生」より引用


『沢山の本を読んでいるから脱線するだろう、しかし心棒が動かぬ以上は皆元に帰ってくる。多読病に掛った奴は話をしても脱線脱線で元に帰って来ない。何を話しているのか訳が分らなくなって来る。そうなると話しばかりでなく、人間そのものまで無頼漢ぶらいかんになってしまう。何をしても特徴がなくなる。何をやっても駄目になる。この特徴は必要なことで、こういう時になって、初めて読書が人間をこしらえることになる。』


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 今や物語は、この世界中に散乱どころか氾濫しています。私はどれもそれなりに価値があると考えたがるものだから、どれもそれなりの思うところがあって綴られたもので、やれ何かを得てみようと読んでしまいます。


 これが行き過ぎたのかもしれません。どれも価値があって、しかしどれも特別に感じられないのです。カミュ著『異邦人』の主人公ムルソーに憧れすぎたのかもしれません。


 なるほど広く読書し様々な価値観に触れるのは、いかにも教養人染みていて確からしい。

 しかし、同時に偏った読書も大事なのでしょう。そうでないと自分にとって何が共感できて、どんな価値観と対決したいか、そういう軸たるものが分からなくなってしまうのです。


 というわけで、自分の感覚を取り戻すトレーニングとして、本あるいは読みものの媒体を問わず、自分がおっ!と思った言葉を引用しながら、それについて語ってみようかと思います。

 ただの愚痴を書き散らすのは読む方に申し訳ないので、そこそこ前向きな仕上がりで綴っていこうと思います。


 ひとまずお試しで1週間毎日1言を書きためてみました。その分を一挙掲載します。

 毎日のペースでいけそうなので、できるだけ毎日書きます。でもきつかったら隔日更新になるかも。これを続けて、心ときめく題材が見つかるといいなぁ。

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