第30話 それが始まり
卒業式から数日経った頃、彼女からバージニアで会いたい旨のメールが届いた。
とても嬉しいはずなのに、私は嬉しいと思わなかったし、寧ろ、煩わしささえも感じた。
その日は、珍しくよく雪が降る日だった。
花の色の乏しいバージニアの庭にも霜柱が立って、その上に雪が積もって、それはそれで冬らしい情緒があった。
彼女の隣に腰を下ろして、手に持っていたマグカップをテーブルに置いく、コーヒーからは湯気が立ち上っていた。
「卒業式会えなかったから……」
と彼女は、就職先への提出書類や研修のために実家に帰っていたことや、明日、マンションを引き払うことを話してくれた。
「もし1年早く出会ってたら」
事後報告なんてどうでもいい。私は、彼女の話をそんな面持で聞き捨て、そんなことを言った。
「え?」
「ifな話」
もう1年早く出会っていたなら、今この瞬間に「今までありがとう」と冗談のように言えただろうか。
笑ながら思い出話をできただろうか。
「多分、私は最低な奴だったと思うよ。単位とか他の事で頭がいっぱいで」
マグカップの縁を指でなぞりながら「そういうとこ、不器用だから」と彼女は続けて話した。
私は深いため息を空に向かった吐いた。あの夜のように蒸気のように白く吹きあがって消えてゆく。
これがきっと彼女と会って話す最後だとわかっているのに、話したいことはこんなことなのだろうか。そんなことを彼女の口から言わせたかったのだろうか。
否。
駄目元で伝えたいことがあった。このタイミングで言うにはそぐわない告白が。伝えれば、いずれかの答えが出る。それが私にとって残酷な結果であったとしても、本当の意味で終わらせることができる。
伝えるべきは伝えるべきなのだ。
「茨城は遠いな」
「うん。遠いよ。本当は、研修で帰る時にマンション引き払って、卒業式にだけ出て帰ったら一番よかったんだけど……」
それをしなかった理由を私はあえて聞かなかった。それくらいは、私の都合の良いように理解したかった。
「そのおかげで、こうして会えたから、俺としてはよかったと思う」
「うん……」
気が付くと、マグカップから立ち上がっていた湯気は消えていた。
耐えられなくなった私から「明日の準備あるだろ」とバージニアを出ることを促し、彼女もそれに頷いた。
通い慣れた道。2人で歩いた道。
振り返ると、2人分の足跡がしっかりと刻まれていた。
今日は雪がよく降る。
やがて、は消えてしまう。まるで最初からなかったように。
「折角仲良くなったし、メールするから」
彼女をマンションまで送り届け、遠のいて行く彼女の背中にそう言った。言えた。
「私もメールする。返信もちゃんとする」
振り返った彼女は私の顔を見ずにそう言った。
1人分の足跡が刻まれる道路。その頃には雪はやんでいた。寧ろさらに降ってほしかったのに。すべてを白くかき消してほしいかったのに、そんな時にかぎって、晴れ間さえ差している。
蕾が柔らかく膨らんでいる桜の木を見上げ、秒速5センチメートルを教えてあげられなかったことを思い出した。
彼女ならすでに知っていたかもしれないと自嘲した。
そして、頑張りもせず、最後の最後まで意気地のないままだった自分を諦めた。
彼女がいない生活が本当に始まった。
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