ソニック・ストライカー

高栖匡躬

プロローグ

Contrail - 飛行機雲

――2023年2月27日、早朝、岐阜県、各務原かかみがはら市――


 長い石段を一気に駆け上がった松田涼子りょうこは、丘の上に開けた公園で芝生に倒れ込むと、ハアハアと大きく呼吸をした。立春を過ぎて暦はもう春だが、凍てつく冷気で息が真っ白になる。

 毎日、朝と夕方の、10キロのランニングと腕立て伏せ、腹筋、スクワットは、涼子がこの1年、一日も欠かしたことが無いトレーニングだ。

 ウィンドブレイカーの下ではTシャツが汗で濡れ、ショートカットの前髪が、不快感と共にピッタリと額に張り付いている。涼子は首元まで上げていたファスナーを、一気に胸下まで下げて火照る体を冷ました。


 突如、ごろごろという雷にも似た音が空に響いた。

 見上げた空には、一筋の飛行機雲がすうっと延びていく。涼子は憧れにも似た目でその白い線をじっと見つめる。


心神しんしんだ!」

 涼子はつぶやいた。


 心神は航空自衛隊が2016年に初飛行を行った国産戦闘機。まだテスト飛行中の段階だが、実戦配備されればF3のコードネームが与えられる機だ。飛行機雲を発生させているのは正にその心神で、白地に赤と青のストライプの入った、美しい機体だった。

 高空を飛行する機の判別は、普通の人間にはとてもできないだろう。しかし涼子の視力は裸眼で3.0を越えている。マサイ族の視力8や、エスキモーの視力5には遠く及ばないが、元々が視力には自信があったことに加え、1年間体と共に、視力も鍛えてきた成果だ。


「いつか絶対に、あれを操縦する」

 飛行機雲を目で追いながら、涼子は決意を込めて思う。


 ここ岐阜県、各務原かかみがはら市は、住宅地に隣接するかのように、航空自衛隊の岐阜基地がある。そこは現存する中で、最も歴史のある飛行場であり、なんと大正時代から運用されているという。しかも自衛隊の中で、最新鋭機のテスト飛行を担当する、飛行開発実験団の本拠地である。正に航空マニアにとっては、聖地のような場所だ。

 こんな環境もあってだろう。各務原市の子供たちは、誰もが一度くらいは、大人になったらパイロットになりたいと考えるのだ。


 涼子の夢は今もパイロットになることだ。多くの子供たちは成長するに従って、夢を現実的な目標に切り替えていくのであるが、涼子の場合は成長すればするほど、夢に賭ける思いが強くなっていく。

 今の涼子は、パイロットの中でもとりわけ難しい、戦闘機のパイロットになりたいと強く願っている。何故戦闘機なのと言われたら、それが飛行機の中で一番格好いいからとしか言いようがない。

 どうせ乗るんだったら、格好いい方が良い。

 多分、自動車好きの大人たちと同じ考えだろう。格好良い方が良いし、早い方が良いし、コーナリングが良い方が良い。


 涼子は現在、中学三年生。来月には卒業式を控えており、4月からは県下でも有数の難関校に進学が決まっている。自分では頭が良いとも勉強好きとも思っていないが、パイロットになるためには、なるべくいい学校を出た方が有利だろうと思って猛勉強をした成果だ。体を鍛えているのだって、視力を鍛えているのだって、同じ理由である。

 高校の次に狙う進路も、もう決まっている。多くの友人達とは違って、目指す進路は大学では無く、航空自衛隊の航空学生だ。

 航空学生はパイロットへの最短コースで、高校3年で受験資格が得られる。昔々、ゼロ戦が空を飛んでいた時代に、日本には予科練という制度があったらしいが、それを現代版にしたようなものと言えばよいだろう。


 涼子が見上げている青空のど真ん中には、心神が空に描いた一本の線が、どこまでも真っ直ぐに伸びていた。それはまるで自分を応援してくれているように涼子には思えた。

 涼子は荒い息を整えながら、ゆっくりと上半身を起こして、汗で張り付いた芝の葉を払い落とした。そして「よし!」と一声発して自らに気合を込めると、一気に立ち上がって、駆け足で元来た公園の石段を下って行った。

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