第41話 インヴィンシブル・ウィング

――2024年12月6日、05時30分、徳之島沖――


 ドンドンと激しく扉を叩く音と、「大変です、艦長!」という声でバロンは目覚めた。

「どうした、何があった!」

「チャイナ・サークルが消えました」

 造りつけの狭いベッドから飛び起きたバロンは、走ってブリッジへの急な階段を上がった。扉を開けた作戦指揮室内は騒然としていた。

「艦長、これです」

 若い士官がディスプレイに偵察衛星からの画像を表示させた。昨日の夕方には確かにそこにあったチャイナ・サークルが、画面中から消えていた。ターゲットの潜水艦もその海域に影も形も無い。


「移動したということか?」

「いないということは、移動したということでしょう。今、分析官全員で東シナ海全域の画像を当っていますが、チャイナ・サークルは今のところどこにもありません」

「潜水艦がチャイナサークルを消し、潜航して移動したんだ」

「こっちの潜水艦隊は何をしていたんだ? 哨戒に当っていたのではないのか?」

「中国側は、『全く気が付かなかった』と言っています」

「ふざけるな!」

 バロンは大声を上げた。

 8隻もの潜水艦がいれば、それこそ針の穴も通さない布陣になるはずだ。

「あいつらの眼は節穴なのか!」

 バロンは怒りにまかせて海図の広げられた広いマップ台に手を叩きつけた。


「対潜哨戒機は飛んでいたんだろうな?」

「それが……」

「どうした、早く言え!」

「チャイナ・サークルを恐れて、パイロットが搭乗を拒否したそうです」

「何だと!」

 バロンの怒りは頂点だった。


「日本は! 海上自衛隊は何をしていたんだ?」

 何だかんだ言ってはみても、日本の対潜哨戒能力は世界一だとバロンは高く評価していた。米海軍を遥かに上回っている。なぜ海上自衛隊までもが潜水艦を取り逃がす?

「海上自衛隊は日本政府の指示で、中国側に配慮し、日中中間線の外側で、布陣を敷いていたそうです」

「嗚呼……」

 バロンは脇にあった椅子に、糸が切れた操り人形のように、力なく腰を下ろした。


 中国はわざと潜水艦を逃がしたのだろうかと疑ってみた。しかしその可能性は薄いと思われた。あの優秀な海上自衛隊が注目している海域だ。中国側におかしな動きがあれば、海上自衛隊が必ずそれを察知するはずだ。

 本当に出し抜かれたのだ……、中国は……



――2024年12月6日、6時00分、各務原かかみがはら市――


 まだ夜が明けきらぬ未明の時間。涼子は恐る恐る『テンペスト』にログインしてみた。前の晩は接続できなかったが、幸い今は接続することができた。


 それにしても、前の日のニュースで見た、フェニックス・アイ社への特殊部隊突入のニュースは衝撃だった。涼子はすぐに『テンペスト』に接続を試みたが、その時点では、ログイン画面から先に進むことが出来ず、ソニック・ストライカーに至っては、サーバー自体の存在さえ見つからないと言う表示だった。

 涼子が真っ先に掲示板を見ると、テスター達が心配のあまりに書き込みをしており、ボブがそれらに対して、丁寧な回答を返していた。


『フェニックス・アイが米空軍の機密情報を不正入手したという報道は、私自身も驚いている。しかしそれは、明らかに事実に反したものだ。

 我々がよりリアルなフライトシミュレーターを開発するために、日夜、戦闘機の挙動を研究している事は事実だ、しかしそれらは不正な、或いは不法な方法で行われていない。飽くまで正当な手段に基づいて行われているものだ。

 我々はこのことについて、米国政府、カナダ政府に強く抗議をするものであり、今後は司法の場で両政府と争う事になるだろう。


 しかしながら他方では、我々が最も大切に思う1,000万人のユーザーを、我々が勝訴を勝ち取るまで、待たせるわけにはいかないとも思っている。

 そこで我々は次期シミュレーターとして開発をしてきた『テンペスト』を、新たな資本による新組織の元で公開する事とした。新会社の社名は、親友であるセルゲイ・アントーノフと相談の上、インヴィンシブル・ウィング(無敵の翼)と名付けることにした。


 インヴィンシブル・ウィング社の『テンペスト』は、当初の予定通り12月24日の18時に発表を行う。敢えて予定を変更しないのは、我々が正に“無敵” の存在であるからに他ならない。

 テスターの諸君にも、引き続き協力をお願いしたい。24日には世界中の人々に向けて、最高のフライトを披露したいものだ』


 涼子以外のテスター達は、ボブへの賛同と励ましのメッセージを次々と投稿していた。涼子はしばらく考えた後、『応援する』とだけ掲示板に書き込んだ。

 正直に言えば涼子は、「いっそのこと『テンペスト』が無くなってくれさえすれば、自分が悩む事も無くなるのに」と思っていた。今朝ログインしたときにも、半ば “繋がってくれるな” と願いながら接続ボタンを押した。


「今日学校から帰ったら、もう一度、バウに相談してみようか……」


 涼子は朝のランニングのために、トレーニングウェアに着替えながらそんな事を思った。まだ窓の外は暗かった。



――2024年12月5日、17時00分、(日本時間12月6日、07時00分)、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウス――


 ホワイトハウス西棟内に設けられた、ダリル・ギャラガー首席補佐官のオフィスに、スティール国防長官が予告も無く現れた。足早に執務室に向かおうとするスティールを、ギャラガーの秘書が遮った。

「失礼ながら、アポイントを頂いておりません」

 スティールは秘書を押しのけると、「非常事態だ、中にいるんだろう?」と言って、強引に分厚い木の扉を開いた。


「どうしましたか、スティール国防長官?」

 分厚い皮張りの椅子に座ったまま、ギャラガーはスティールを見上げた。

「どうしたもこうしたもあるか。聞いているだろう?」

「何のことです?」

「しらばっくれるな、中国の事だ。やつらはチャイナ・サークルの潜水艦を、わざと逃がしたんだ。大統領には報告したのか? 至急議会を招集しろ、やつらと戦争だ!」

「落ち着きなさい、スティール国防長官。どこにその確証があるのですか?」

「確証があるかだと? そんなものが必要なのか? お前も中国との戦争には賛成だったじゃないか。覚えているぞ。お前は俺の意見に常に賛同してきた。今更裏切るとは言わせないぞ!」


「スティール国防長官、私が賛同していたのは中国との戦争についてではない。チャイナ・サークルのテクノロジーを、合衆国が手中にするという一点においてのみ賛同していたのです。それを行うには、中国に戦争のカードをちらつかせる必要があった。

 第7艦隊からの報告によれば、中国が潜水艦をわざと逃亡させた可能性は低いとの事。今更中国と戦争をして、チャイナ・サークルのテクノロジーが手に入るとは、とても思えませんね」

「ふざけるな、貴様!」

 ギャラガーに掴みかかったスティールは、秘書や駆けつけた警備員によってギャラガーから引きはがされ、室外に出された。


 ギャラガーはスティールの姿がオフィスから消えるのを確認すると、執務机の電話機を取り上げた。大統領と24時間繋がる専用回線だ。


「大統領、スティール国防長官を即刻解任されるよう、強く進言いたします……」

 ・・・

「はい――、はい――」

 ・・・

「はい、そのように致します。大統領」

 ギャラガーは受話器を置くと、秘書を執務室に呼び入れた。



――2024年12月6日、18時00分、各務原かかみがはら市――


 学校から戻った松田は、自室で携帯電話を取り出して住所録を開いた。いつもなら、すぐにトレーニングウェアに着替えてひと汗流すところだが、今日はそれよりも大事な用事があった。相手の頭文字はアルファベットの“B”なので、すぐに見つかる。


「バウ、わたしです……」

「どうしたパインツリー、トレーニングの時間じゃないのか?」

 スピーカーからは宮本の明るい声が聞こえた。

「実はバウ、相談が……」

 涼子はバウの指示通りに、相変わらずテンペストのテスターを続けている事や、次のミッションが『ホワイトハウス爆撃作戦』と言って、ホワイトハウス西棟の爆撃が目的である事、12月24日にマッチレス・ウィングなる会社から、『テンペスト』という製品として発表される事を話した。


「パインツリー、君もその『ホワイトハウス爆撃作戦』に参加するのか?」

「それを相談しようと思って電話をしたんです。現在の12名のテスターの中で、ミッションの成功率が一番高いのがわたしです。だからこのままだと、わたしが所属しているファントムチームが、デモンストレーションをやる可能性があります。でも、バウ! わたしはあの国会議事堂爆撃の事を思い出すと、これ以上テンペストに参加するのが怖くて……」

「そうだろうな、パインツリー気持ちはよくわかる。1日だけ考える時間をくれないか? こっちでも、どううすることが一番君のためになるか、考えてみるよ。君は何食わぬ顔でテスターを続けておいてくれ。気持的にはキツイかもしれないが、頑張れよ」


 バウとの電話を切って、少しだけ気持ちが歩くなった涼子は、日課のランニングに出るために、トレーニングウェアに袖を通した。

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