第24話 偵察衛星
――2024年8月30日、岐阜県、各務原市――
涼子が『テンペスト』のテスターになって、既に1か月が過ぎていた。所属しているファントムチームのメンバーは、個々の習熟度が上がると、次は2機編隊に、そして4機編隊と段階を追って飛行訓練を重ねて行った。
全員が名うてのソニック・ストライカー上位者だけあり、僅かな期間で、単独飛行と編隊飛行は様になるようになった。
やがて他チームとの模擬戦が始まった。
世界中に散らばっているテスターの事情に合わせ、模擬戦は土曜から日曜に掛けてのアクセスの時間帯に行なわれた。4チーム総当たりのリーグ戦を、1日に5セットから6セット行い、勝ち星でチームの順位を決めた。
「ちくしょう、上手く行かないよ!」
涼子は模擬戦の度に悔しい思いをした。飛行訓練の通常飛行の際には、完全にペガサスの操縦を我が物にしたと思っていたのに、目の前に対戦相手が登場すると、たちまち事情が違った。瞬間々々に戦況判断が求められると、切迫感からケアレスミスも多発してしまう。それは他のメンバーも同じだった。
「ああ、イライラする。F2だったら、こんなことないのに!」
それが涼子の本音だった。恐らく他のメンバーも似たような事を思っているに違いない。
ペガサスシリーズは垂直尾翼も水平尾翼も無い無尾翼機なので、通常の航空機とは挙動が違う。特に異なっているのが、通常は垂直尾翼についているはずのラダーが、主翼の先端についているので、ヨーイング(進行方向に対して、機体の左右方向)の際にタイムラグが発生するのだ。
全チーム、全メンバーが、ろくにドッグファイトも出来ないお粗末な状態の中、涼子たちファントムチームでは、全員が個々の空き時間はいつもサーバーにアクセスして、チーム内での1対1、2対2での練習戦を繰り返した。
フェニックス・アイ社と契約を交わしたのは、毎日4時間のアクセス保障。しかしファントムチームでは皆が自主的に、常に8時間以上ログインする日が続いていた。
「絶対に、他のチームには負けたくないよ!」
そんな言葉を、涼子が思わず口にする度に、インカムの中では必ず誰かが、「俺もだ」と応えた。
――2024年8月31日、アメリカ、カリフォルニア州、
エドワーズ空軍基地――
ボイドは基地に入るなり、基地司令のホレス・カーライル少将の執務室に呼び出された。ノックをして扉を開けると、部屋の中には副司令のクリス・ブライトン中佐も同席していた。
「ボイド少佐、君はチャイナ・サークルという言葉を知っているかね?」
「聞いたことはあります。日中中間線の近くで発見された、航空機が突然消息を断つという謎の海域ですね。それがどうかしたのですか?」
「チャイナ・サークルは今や日本の領海にまで食い込んでおり、日本側には調査を行う口実と必然性が生まれた。当然我々も、同盟国への協力という形で調査が可能だ。君に現地調査に行ってもらいたい」
「正気ですか? 世間では騒いでいるようですが、どうせオカルトマニアが捏造したものです。真に受けると恥をかく事になりますよ」
「そうとも言えん。つい先日も新たに30機が行方不明になっている。ただ事ではない」
「偵察衛星を使ったらどうです? そこに何も無いことなど、一発で分かるはずだ」
「もうやっているよ。その上で君に言っているんだ」
カーライルが目配せをすると、ブライトンが一枚の写真のプリントをボイドに差し出した。
「それが偵察衛星から撮影した現場の写真だ」
ボイドはプリントされた写真を受け取ると、今日なさげに一瞥し、パチンと指でその用紙を弾いた。
「ほら、私が言った通り、何も映っていないではないですか」
と、ボイドは言った。しかしカーライルはボイドの発言に首を振り、「もっと良く見てみろ」と強い口調で言った。
ボイドがルーペを使ってその写真を見ると、確かに不自然なことがあった。写真の中央部だけが僅かに歪み、しかも海面波が連続性を失っていて、それが円形の妙な境界線を形作っているのだ。例えて言うと、海面上空に凹面のハーフミラーを置いたようなものだ。
ボイドが状況を理解したものと察して、カーライルは話を続けた。
「この写真はチャイナ・サークルの真上から見下ろしたものだが、恐らくは側面も同じような状態だと予想される。周辺を飛ぶ航空機から見ると、そこは周囲の風景を歪んで映し出す鏡のようになっているはずだ」
「つまりそこには何も無いのではなく、何か存在していながら、外からは何も無いように見えているという事ですね?」
ボイドの口調は先程と違い、真剣みを帯びていた。
「そういう事だ。国防総省ではチャイナ・サークルは、中国が開発したレーダー
「そんなものが可能なんですか?」
「科学者の意見によれば、負の屈折率を実現できれば可能らしい。もしも電磁波の広い帯域でそれが実現できれば、レーダー波だけでなく、光の反射までコントロールできるのだそうだ」
「それが本当ならば、究極のステルスだ。我が国との軍事力のバランスを崩壊させかねない重大事態ではないですか」
「分かってくれたようだな」
カーライルは大きく頷いて見せた。
「調査に値する重大事と言う事は理解しました。しかし、なぜ私が指名されるのです?」
「中国機が姿を消した様子が、ストライク・ペガサスのケースと似ているからだ。もしかすると、ストライク・ペガサスは中国に奪いとられたのかもしれない。この事については、CIA(中央情報局)も大いに関心を持っているそうだ。
君はストライク・ペガサス喪失事件の、当事者であり調査委員だろう。疑われるものは全て調査するんだ」
「なるほど、そう言う事ですか」
ボイドはようやく事の次第を理解した。
「当然ながら、チャイナ・サークルの正体を解明するには、広い電磁波帯を同時計測するため、幾つものセンサーを搭載した機体を操縦して、すぐそばまで接近する必要がある。当然腕の良いパイロットが必要だ。その面からも、君が最適任者ということだ。やってくれるな?」
「断れるのですか?」
カーライル少将は、駄目だというように首を横に振った。
「どの機をもらえますか?」
「最高のパイロットには最高の機を――。F22ラプターを用意してある。センサー類はラプターのハードポイントに固定できるように、NSA(国家安全保障局)が開発する事になっている」
「いつ発ちますか?」
「用意が出来たら今日にでも。まずは輸送機で横田基地に飛べ。日本の防衛省に接触し、情報収集と調査フライト計画の
「分かりました」
ボイドは敬礼をして一旦部屋を出ようとしたが、ふと何かを思いだしたように立ち止った。
「少将、最後に一つ、良いですか?」
「何だ?」
「危険手当は出るんでしょうね?」
「もちろん出る」
カーライルはそう言った後で、「ただし軍の規定通りだがな」と付け加えた。
ボイドは意味ありげにニヤリと笑うと、もう一度敬礼をしてカーライル少将の執務室を出た。
――2024年9月1日、岐阜県、航空自衛隊岐阜基地――
宮本は2日前に、飛行開発実験団から突如のの呼び出しを受けた。航空自衛隊を退官して1年。まだ航空自衛隊には予備役として登録されているとはいえ、今や宮本は民間人である。断ることもできたのだが、古巣から声が掛かると、何となく放っておけない気分になってしまう。
思えば宮本はここで、テストパイロットとして歩み始め、最後の2年はF3心神の担当になったのだ。懐かしい基地内を隈なく見て回りたいし、自分の機の機付長だった丹沢にも挨拶をしたいと思う。しかし幾ら古巣だとは言え、民間人は民間人である。最早自分の好き勝手にはできないのだ。
それはそこかしこに貼ってある、『関係者以外立ち入り禁止』の表示を見る度に実感する。
若い事務官に案内されて、実験団司令の部屋に案内されると、見慣れない2人の若い顔があった。考えてみれば当たり前のことだ。上層部のキャリアは2年ほどの任期で入れ替わっていくのだ。
最初に名刺を差し出したのは、実験団司令の金本
「宮本さん、お呼び立てして申し訳ありません」
初めに口を開いたのは金本実験団司令。
「いえいえ、古巣から声が掛かると言うのは嬉しいものです。しかし今日はなぜ私を?」
宮本の質問に対し、「ここからは私がお話ししましょう」と会話を引き取ったのは、小山内人事計画課長だった。
「現場からの強い要請だとお考えください。ここから先は極秘事項ですが、我が空自では中国のHZ22閃光に対抗するため、正式に高高度迎撃部隊を設立することになりました。宮本さんにはその初代部隊長をお引き受けいただきたい」
宮本は目を丸くした。
「大変に光栄なお話ですが、私は任官以来すっと現場だけを見てきた人間です。そんな大役は務まりません。それにもう歳です。高高度に上がる体力が保てる自信がありません」
「宮本さん、あなたにはお分かりだと思いますが、高高度での航空適性は持って生まれた天賦の才能が全てです。当の私が言うのも何ですが、防衛大学を出たエリートにそれが出来るのかといえばノー。全航空自衛隊を見渡しても、あなた以上のタレントは存在しないというのが、航空幕僚監部と航空総隊の総意です」
「急にそんな事を言われましても」
宮本が頭に描いたのは、妻の陽子の顔だった。これまで散々苦労を掛けてきて、ようやく孝行しようと思い昨年に退官したのだ。このまま空自に舞い戻れば元の木阿弥だ。
「そこをなんとか折れていただきたい。任期付でも構いません。せめて2年。あなたの後進が育つまでなんとか……」
宮本は床に目を落とし、返す言葉なく黙り込んだ。
「小山内さん、あれを見てもらいましょうよ」
金本司令が口を挟んだ。
「そうですね。あれを見てもらいましょう」
小山内課長が賛同した。
「あれって何ですか?」
いぶかしげに宮本が訪ねた。
「まあ、見れば分かりますよ」
と言いながら、金本司令が意味ありげな顔で席を立った。
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