オイシイ関係

蒼生真

オイシイ関係1

 食事をする姿は官能的なものだ、と誰かが言っていた。

食べるという行為は、食べ物を体に取り込み、支配する。

サディストやマゾヒストからしたら魅力的かつ理想的な形かもしれない。

その身を裂き、刻み、咀嚼し、飲み込む。

特に咀嚼する姿はいい。

他と自が混じり合う。

生温かい口の中で、本能のままに、食べ物を嚙合わせる。

それぞれの境目がなくなるまで混ぜ合わせ、すりつぶし、味わう。

音もいい。

ひと噛みする度に色々な音がする。

食事という行為が、まるで壮大な音楽にさえ感じる。

そしてそれらを飲み込む。

全てをひとつにする。

飲み下せば、何とも言えない満足感がこみ上げる。

本当に魅力的な行為だ。


 目の前で食事する友人の姿を見ながら、咀嚼されていく食べ物にうっとりと思いをはせる。それは僕にとって自分の食事をするより何倍も満たされる行為であり、重要な時間だ。

僕が悩ましいため息を漏らすと、友人は食事をする手を止めた。

彼の喉が上下し、こくんっと肉だったものが飲み下される。

「いつまでそうやって見てるつもりだよ。」

早く次の食べ物を口へ運んでおくれ。僕にその素敵な食事風景を見せておくれ。

そんなことは口が裂けてもいえない。

僕はとりあえず微笑んでみせた。

「猫舌なので食事が冷めるのを待ってるんです。僕のことは気にせず、どんどん食べてください。」

「猫舌って…。アンタ、サラダしか頼んでないだろ。」

「そうですね。」

「しかも全然手ぇ付けてねぇし。」

「君と一緒にいるだけで僕は楽しいですから。」

「嘘つけ。ってかそういうことは彼女さんにでも言ってやれよ。男の俺に言ったって何の得にもならないだろ?アンタ、一挙一動が紛らわしいんだよ。」

「本当のことですって。それに、君からの好感度が上がっているかもしれないでしょう?」

「気持ちわりぃ…。」

「え…僕のこと嫌いですか?」

「ほざいてろ。」

彼はそう言ってから食事を再開させた。今度は肉に添えられていたニンジンがプレートの上で2つに割られ、口に運ばれていく。かけられていたソースが彼の唇を汚し、それが肉厚な舌にぺろりと舐められる様を見ているだけで、僕は気持ちが昂るのを感じた。

勘違いしないでほしいのは、これが性欲と繋がるわけではないということだ。自分の空腹なんかより、こちらの欲を満たした方がよっぽど有意義なだけである。人間は食・睡眠・性の3つの欲求を持つらしいが、僕にとっての欲求は3つではなく4つなのだと思う。生きていくためになくてはならない物であるし、満たせば心地よい気持ちになる。

まるで麻薬のように、また欲しくなる。

欲しくて欲しくてたまらない。

さすがに自分がおかしいことぐらいは分かっている。彼に、というより人にこのことについて詳しく話したことはない。なぜなら、物心ついた時から人が何かを食べている姿に魅力を感じてならなかった、というだけだからだ。

彼への応答をわざとずらすのは、僕が彼の食事を見る時間を稼ぐためである。

彼は素直だから、そんなことは気にせずに会話を続けてくれる。

「傷つくなぁ…。君は僕の唯一の食事友達なのに…。」

「俺、アンタの食べてる姿ほっとんど見たことないんだけど。」

「僕、人に食事してる姿を見られるのはあまり好きではないんです。」

「じゃあ俺なんか呼ばないでひとりで食えばいいだろ?」

「ひとりはさびしいじゃないですか。」

彼は不満そうにしている。

「気持ちは分からなくねぇけど…。」

「それに、友達は作っておいて損はないでしょう。」

「んなこと言って、アンタさっき俺のこと唯一の友達って言ってなかったか?」

「あれ、そうでしたっけ?」

「そうだった。」

「じゃあそういうことにしておいてください。」

「なんだそりゃ。他に友達いねぇのかよ。さびしいやつ。」

「だから君には助かってますよ。いつも付き合ってもらって悪いですね。」

「夕飯一緒に食べるくらい別にいいよ。いっつもおごってもらってるし、こっちの方が悪い。」

「そんなことはないですよ。僕は、食事代以上に素敵な時間を過ごさせてもらってますから。次回も楽しみにしていてください。」

「だから、そういうことは女を口説くときに使えっての。」

そう言ってから、彼はサラダを豪快に口に運ぶ。ザクリと繊維の切れる音がして、また僕の体が甘くしびれた。


  ○  ○  ○


 彼とは都内の居酒屋で出会った。同僚の付き合いで無理やり連れて行かれたのだが、あいにく席が足らず、僕だけがカウンター席へ通された。焼き鳥が店の売りらしく、目の前では串刺しになった肉が炎の上に並び、絶え間なく血と油を落としている。火は炭火を使っていて、時折パチリと派手に炭がはじけた。これはカウンター席ならではの光景なのだろうが、僕には全く興味がない。ただでさえ他人の食べている姿が見えづらいこの席で、さらに人が見えない一番壁側の席。しかも酒場は食べるというよりも飲む場所だ。客の咀嚼音が聞こえないわけではないが、僕の欲はそんなことじゃあ満たされない。見ることこそに意味がある。だから機嫌が悪かった。せめて隣の奴が食べている姿を心行くまで見てやろう。そう思って隣にちらりと視線をやった。

そこにいたのは男だった。連れがいる様子はない。年齢は僕よりも少し若く見える。身なりは良くも悪くもない。スーツ姿にネクタイを外し、仕事帰りの一杯というところだろうか。酒の入ったグラスを片手にうつむいていた。つまみも料理も注文していないようで、彼の前には酒以外何も置かれていない。それを見てげんなりした。本当に残念だ。酒がほとんど底をついているところを見ると、この男の食事には同席できそうになかった。

それが彼だった。

「お隣、失礼します。」

「どうも…。」

彼の発した声は暗く、疲れが滲んでいる。雰囲気からしてまだ居座りそうだ。

軽く会釈してから席に着くと、威勢のいい店員が注文を取りに来る。

僕は焼き鳥を1皿と酒を注文した。

味が濃いものは苦手だから、味付けは塩だ。1皿に3本というのもいい。気軽に他人に分け与えることができる。ちなみに僕は酒を飲まない主義だ。酒はつまみのカモフラージュに過ぎない。酒なんぞ飲んだらせっかくの感覚が台無しじゃないか。素面でなければ相手の食事風景を余すところなく観察することはできない。それが僕のポリシーだった。僕はあくまで人の食べる姿を見るためにこの店に来ている。実際に酒に手を付けなくても周りには酒を嗜んでいるようにしか見えないし、ただでさえ酒臭い空間だ。バレやしない。

さて、隣席の食事風景にもありつけないとなると、僕が今日ここに来ている意味がない。無理やりとはいえ誘ってくれた同僚には悪いが、さっさと理由をつけて帰るのが妥当だろう。

そうして帰る算段をしているところへ、先ほど頼んだ焼き鳥とお銚子が運ばれてきた。

この焼き鳥はさっさと腹を空かせた気前のよい酔っ払いに渡してしまえばいい。酒に溺れているやつは細かいことは気にしない。酔っぱらった人間は思考が単純になるし、簡単に丸め込める。上手くいけば、向こうが焼き鳥を食べている間だけ同席できる。下手すりゃ覚えてさえいないのだから問題ないだろう。

そう思って皿に手を伸ばした時だった。

ぐうぅぅう…。

腹の虫が鳴った。

僕ではない。

隣の男だ。

思わず隣席の顔を見ると、彼は僕の頼んだ串を見ていた。

向こうもこちらに気付いて目が合う。

一瞬にして彼の顔が赤く染まり、お互い苦笑いした。

「…食べますか?」

「いいんスか?」

その声はさっきより明るい。ひと言目が遠慮の言葉でなかったということは、相手もそれを期待しているということだ。

あと、もうひと押し。

「実はもう夕食を済ませた後でして。ご一緒していただけるとありがたいのですが…。」

もちろんこれは嘘だ。僕はまだ食事をしていない。もちろん仕事の後で時間がなかったということもあるが、『空腹は最高のスパイス』という言葉があるように、欠欲は満たされるためにあるものだ。僕の4つ目の欲を満たすときもそれは例外でない。むしろ空腹の時こそ『他人の食事を見る』という欲はさらに満たされる。

だからこれは僕が彼の食事を見るための嘘。

僕からすれば、この好機を逃す手はない。

「…スイマセン。じゃあお言葉に甘えて…。」

彼はゆっくりと手をのばした。

焼き鳥は少し焦げたところもあるが、そこも含めて見事な焼き具合だ。

鳥特有の少し甘い香り。

まだアツアツのそれは白い湯気をまとっている。

酒のつまみとして過剰に降られた塩は、油の海でキラキラと光る。

3本あるうちの1本の串が持ち上げられると、焼きたての肉からとろりと油が滴った。

男はこみ上げてきた唾を飲み込んでいた。

そして遠慮がちに、それでいて大きく開かれた口へ運ばれていく。

またもたれそうになる肉汁をすくうようにして、かぶりつく。

1つ目の肉が、串から引き抜かれた。

口に収まれば、コリコリと一定のリズムで咀嚼される。

だんだんと音が小さくなっていき、にちゃにちゃと音が変化する。

じきに唾液と混ざって、ゴクリと飲み込まれる。

それが繰り返されること4回。

串に刺さっていた肉は全て彼と同化した。

その間、彼はとても真剣な表情をしていた。

「…美味いっスね。」

彼はそう言ってから少し笑う。

笑うとつり目がちの目が、少したれた。

まだ温かい2本の焼き鳥の隣に1本の棒が戻される。

「それは良かったです。この店でも人気なんだそうですよ。」

僕はひたすら彼の食べる様子を見ていた。

食べ方は性格をよく表す。その手や道具の使い方、口への運び方、咀嚼の仕方、味わい方、視線。それらが色々なことを教えてくれる。僕の申し出をすんなり受け入れたところを見ると、基本的に素直な性格なんだろう。ひと口目の思い切りの良さは素朴さを感じさせる。咀嚼の様子が丁寧だったし、心優しいのだろう。たれそうになった肉汁を気にするあたりは貧乏性かもしれない。それとも食いしん坊なだけだろうか。いや、前者に違いない。僕の長年の勘と経験がそう言っている。僕はこうして人を観察し、ときに取り入ることで世渡りしてきた。趣味の産物のようなものだ。

彼の食べる姿勢は今まで見てきたどの食べ方よりも『人間らしくて』きれいだと感じた。

そこが一番気に入った。

僕のお気に入りの食べ方。

「アンタは、食べないんスか?」

「えぇ、僕はいいですよ。どんどん食べちゃってください。お腹が減っているのでしょう?」

「はい…。」

彼が恥ずかしそうにこちらを見る。そしてこみ上げてきた唾をまた飲み下した。あまりに素直な反応と返答にこちらも笑ってしまいそうになる。

「今日、こうして会えたのも何かの縁です。一緒に楽しい時間を過ごした方がいいじゃないですか。」

「アンタ、そういう言うセリフは女に向けて言うモンですよ?」

「そうですか?そんなつもりはないのですが…。」

「…まぁ。ありがとうございます。」

彼がはにかんだ。僕が皿を彼の前に寄せると、また串を掴む。その様子はさっきより迷いがない。

そうしているうちに、彼は徐々に仕事の愚痴をこぼし始めた。今日は先輩に怒られたせいで落ち込んでいたこと。むしゃくしゃしてこの店に来たまでは良かったが、今月はピンチで十分にお金がないこと。食事と酒で迷って、酒にしたはいいが、空腹に耐えられず後悔していたこと。せっかく田舎から東京に出てきたのに、値段が高くて美味しいものがろくに食べられないこと。会社も生活も刺激がなくてつまらないこと。色んな話をしてくれた。彼はそれで満足したらしい。

僕も彼の食べている姿を見られるだけで楽しかった。それを見続けるために、酒もつまみも多く頼み、お互い楽しい時間を過ごした。しかし、楽しい時間はそう長くは続かない。気づけば店の中に人はまばらで、終電どころか始発の時間になっていた。一緒に来ていた同僚たちもいつの間にかいなくなっていた。

「今日が土曜とはいえ、さすがにそろそろ帰らないといけませんね。」

「そうっスね…。うえ…。さすがに食べ過ぎた。」

「あはは。僕もです。」

「いや、マジで。久々に美味いモン、腹いっぱい食った気がする。」

そう言った彼は満腹を感じる人特有の幸せそうな笑顔を向けた。酒を飲んだことも相まって、本当に幸せそうな表情をしていた。

いいことをした、と思った。

勘定を済ませ、店を出ると朝日が目に染みる。明け方の痛いぐらいに冷たい空気。それを深く吸い込むと、夢から覚めた心持ちがした。

「話、聞いてもらって、勘定も出してもらって…本当にお世話になっちゃいました。」

「気にしないでください。ほとんど、僕が勝手に頼んだものですし。」

「そうっスね。そういうことにしておきます。どっちにしろ、今そんな金払えないし。」

「はっきり言いますね。」

「言っておかないと、マジで払わされるかもしれないじゃないスか。」

「そんなことはしないよ。」

「どうだか。」

2人で笑った。

彼が先に歩き出し、僕はそれを少し後ろから追いかける。

「アンタ、変な人ですね。」

ドキリとした。

彼は振り向くことなく、駅へと歩を進めている。

「唐突ですね。なんでそう思うんです?」

「だって、普通、初対面の相手に飯おごったりしないですって。」

「そうですか?じゃあ普通じゃないのかもしれません。」

「ほら。やっぱり変だ。」

「でも僕は楽しかったですよ。」

「まぁ、それは俺もですけど…。」

「それは良かった。」

彼は上機嫌で歩いていく。

「それにしても美味かったッスねー。次こうやって、たらふく食べられるのはいつになることやら…って図々しいッスね。忘れてください。」

それを聞いて、僕は立ち止まった。

彼は都合のいい人物だった。特定の女と何度も食事を共にすると世間体というものを気にしなければならないが、男同士ならそういうこともない。それに2人だけなら自然と向かい合う形になり、彼の食事の様子を自然に鑑賞することができる。あとは、カウンター席のない店に誘導すれば良いだけ。

だから、チャンスだと思った。

「君さえよければ、また一緒に食事をしませんか?」

彼が振り返った。

それは僕にとって賭けのようなものだった。

そう。彼は都合がいい。

僕は彼を逃す気はない。

逃してなるものか。

有無を言わさない目と笑顔を意識して彼を見つめた。

「い…いいんスか?」

彼が不思議そうに、それでいて嬉しそうに目を見開いた。

見事、僕は彼を捕まえることに成功した。


  ○  ○  ○


あれからもう3か月が経った。

『勤めている会社の関係でレストランに通わなければならないのだけれど1人ではつまらない。お金は全部会社から出るし、一緒にどうだろうか』という名目で週に3回くらいのペースで一緒に夕飯を食べている。もちろんこれも嘘だ。自然に、かつ気を使わせないためにそういうことにした。少しばかり強引かと思ったが、彼はなんの疑いもなくそれを受け入れた。簡単に信じた彼も彼だが、僕も大概である。

ちなみにこれらは僕のおごりだ。僕にとってはご褒美だから当然のことである。

「…にしてもなんでいつも高そうな店なんだよ。最近は洋食屋が多いな。」

「洋食は嫌いですか?」

「いや、家では和食か中華しか食べないからいいんだけどよ。」

「それは良かった。和食といってもおにぎりやみそ汁。中華といっても肉まんやラーメンぐらいしか食べてないだろうから、洋食がいいと思って。」

「てめぇ…。」

「図星でしょう。」

「喧嘩売ってんのか」

「見栄を張るからです。」

「んなことねぇよ。独り身のしがない平社員なんてこんなもん。」

「どうかな。僕は優秀だったから、入社から結構お金もらってましたよ?」

「…やっぱり喧嘩売ってんだろ。」

彼がじろりとこちらをにらんだ。でも、それが本気でないことを僕は知っている。始めにした質問をかわされたことにも気づかず、彼は実に素直に接してくれている。

初めて会った時に比べて随分と口調も崩れてきた。そうなるように仕向けたのは僕だが、これはいい傾向だ。食事もだんだんと自然な食べ方をするようになる。彼の食事を見るのが一番の楽しみだが、その次に彼との会話が楽しい。彼をやり込めるのも、新しい情報を手に入れるのも、とても有意義だ。いつも他人の食べる姿にばかり目が行ってしまい、あまり会話には興味がなかったのだが、彼に会って考え方が変わった。表情によって食べ方が変わる。それは何よりの発見だ。それに、プライベートで会えるような友人ができたのも初めてかもしれない。

だからこそ、僕はあることに気が付いていた。

「そういえば今日はいつもより食べるペースが遅いですね。何かありましたか?」

その分君の食事を見られるから大歓迎だけれど、と心の中で続ける。

すると彼は少し驚いたような顔をしたが、乾いた笑いと共にナイフとフォークをテーブルにおいた。

せっかくの食事が中断されてしまった。こんなことなら指摘しなければよかったかもしれない。

「アンタには何でもお見通しだな。」

そう言いながら彼は笑っている。

いつもあなたの食事を見ていますから。

とは言わなかった。

「そんなことないです。いつもと少し違うな…と思っただけです。」

あなたの食べ方がいつもと違うから気になったんです。

心の声と発せられる声は一致しない。

「だからそういうことは…。」

彼はいつものセリフを言おうとして口ごもった。やはり様子がおかしい。

「本当にどうしたんですか。何かお困りなことでもあるんですか?」

いつも肉を食べる時は始めに豪快に肉を切って、特に1口目は一番大きく切った肉を頬張りますよね。口にソースが付いてしまうのも厭わない。そして咀嚼もそこそこに、そのままサラダを食べて、口いっぱいの肉と野菜を味わいます。その姿は男らしくていいと思いますよ。それを飲み込んだら、次にスープに手を付けて、ひとこと「今日のは特に美味しいな。アンタも早く食べなよ」と私に笑いかけてくれますよね。それからやっと口の周りについたソースに気が付いて、それを拭う。そして次の肉を口へ運ぶんです。

その繰り返し。

「僕でよければ力になりますよ?」

決まっているわけではないけれど、君は三角食べが癖のようですね。同じものを食べ続けるよりも、いろんな物を何回も食べる方が好きですよね。だから食事を頼む時は必ず2品以上頼む。絶対にメイン料理はひと口残しておいて、最後に食べますね。それを味わう時の恍惚とした表情と、少しゆっくりとした咀嚼を見るのが僕は大好きなんですよ。本当に見ていて飽きない。

それなのに今日は随分と大人しく食べていますね。サラダは最初に全部食べてしまうし、肉は全部切らずに食べる分だけ切っている。飲み物はジュースなのにもうおかわりしているし、いつもより食事中の会話が多い。

きっと何か悩んでいるに違いない。何だか僕までモヤモヤしてくる。

君の素敵な食事を妨げるものは何ですか?

僕は、僕が満足する君の姿やその仕草を見たいんだ。

そのためだったら僕は協力を惜しまない。

早く教えておくれ。

さあ、早く吐いてしまえ。

さもないと僕の心の声があふれてしまいそうだ。

「あぁ…そういうわけじゃねぇんだけどな…。」

彼はそれまで視線を彷徨わせていたが、意を決したように僕と目を合わせた。

怖いくらいの真剣な眼差し。

それにさらされて、彼の食事を見ているときと同じようなしびれが走る。

妙な感覚だ。

とっさに、捕食者から狙われる被食者の心持ちがした。

彼が大きく息を吸い込んだ。

「今日はアンタに、あることを打ち明けようと思ってたんだ。」

唾を飲み込むのが目に入る。相当緊張しているようだ。

そんな姿にも魅力を感じる。

彼が何か食べたわけでもないのに。

やはり僕は―――。

「俺、おかしいんだ。」

心の声と彼の声が重なり、ぎょっとしてしまった。

僕の心の声が聞こえてしまったのかと思った。

慌てて平静を装う。

「…何が?」

彼がびくりと体を震わせる。

まるで、僕の声を恐れているようだった。

僕がそれ以上何も言わないのが分かると、彼はまた話を切り出した。

「俺は、人の目が好きなんだ。」

そう言いながら、目をそらした。

始めは何を言っているのかよく分からなかった。

目?

それについて考えたことはあまりなかった。

「特に何かに没頭しているヤツの目が好きで…。」

ちらりともう一度こちらを見る彼は、いつもと違って弱々しい。

「初めてアンタを見た時も、その目が気になった。何かに飢えているような、貪欲な目だった。そんな目にあったのは初めてだったんだ。だから気になった。」

僕が黙っているのが耐えられないのか、彼はせきを切ったように話し続ける。

「アンタがそばに来た時、やめた方がいいって分かってるのに、その目を見たくなった。そうして何回もトラブルになったことがあったから、そういうことはしないって決めてたのに。でもあんな出会いだったとはいえ、アンタに話しかけてもらった時は嬉しかった。だってアンタの目を自然に見られるようになったから。しかも、話してたら、アンタの目が、どんどん…もっと俺の好きな目になってくんだ。もうたまんなくて…。」

僕が彼の食事に見入っている時か。

その時のことを思い出しているのか、彼の瞳が少し潤む。

「それと同時に、俺がアンタのことをそんな風に見てるって知られるんじゃないかって。気持ち悪がられるんじゃないかって。怖かった。」

彼がうなだれた。

「でもな…。その後何度も食事に誘ってもらえたし、そんなのは杞憂だったって分かった。それよりも、アンタのその目がまた見れると思ったら、毎日が楽しくて仕方なくなった。どうしようもなく、アンタの目がもっともっと好きになってった。アンタに会う前は、生きているのがつまらなかった。こんな性癖を抱えて、これからも生きていくのかって思ったら、耐えられる気がしなかった。でも、アンタに会って。その目を見て。あぁ…やっぱり好きだな…って思ったら、諦めたくないと思った。こんな風になれたのも、みんなアンタのおかげだ。感謝してる。」

彼が今度は笑顔になった。

その笑顔は今まで見たことのない類の笑顔だった。

「でも…俺は、アンタがなんでこんなによくしてくれるのか分からない。俺、人の目ばっか見てるだろ?だからガンとばしてるって勘違いされて、今まであんまりいい人間関係が作れなかったんだ。なのにアンタはそんなことなくて。こんなに関係が続くと思ってなかった。いや…変な意味じゃなくて…。」

少し頬が紅潮している。

まるでごちそうを前にしてるみたいに。

目が、オーラが、キラキラしている。

これは、期待をしている顔だ。

「アンタならきっと俺のこと、この性癖ごと受け止めてくれるって思えた。もちろん、アンタと食事するのも楽しい。でも、俺がアンタとこうやって飯食ってる一番の理由は、俺がアンタのその目を見たいからなんだ。黙ってればいいんだろうけど、俺はアンタに嘘をついてるみたいで耐えられなくなっちまった。アンタの目を見ていたい。あわよくば一番近くで、真っ正面から。それ以上でもそれ以下でもない。これまでしてきたように、食事をする以上に何かしてほしいわけでもない。それだけは分かってほしい。」

僕は正直、彼の話を聞いて戸惑っていた。

デジャヴ。

彼も僕と同じような境遇にいたということか?

でも僕は彼が同じところにいるのか、遠いところにいるのか、よく分からなかった。

「それで…これからもアンタと一緒に食事をするためにも…俺はなんでアンタが俺と一緒にいてくれるのかが知りたい…。」

最初の威勢はどこへやら、彼の話し方は徐々にたどたどしくなっていく。

それでも彼の目線はもう僕から動かなかった。

「アンタは何のために、俺と一緒にいてくれるんだ?」

似て非なるもの。

そんな言葉が思い浮かんだ。

彼と僕は圧倒的に違う。

それが確信に変わった。

どうしたものか。

まさか、彼を食事を妨げていたものが自分だったとは。

僕も言ってしまおうか。

僕も信じてみようか。

彼が僕に期待したように。

僕のことを分かってくれる。

受け止めてくれる、と。

僕は大げさなくらい笑顔を作って見せた。

「その気持ち。よく分かります。」

僕はようやく口を開いた。

「わざわざ話してくれてありがとう。」

彼の表情が輝く。

捨てられた子犬が手を差し伸べられたようだった。

背筋がゾクゾクした。

「僕も、おかしいんですよ。」

彼と同じように切り出した。

彼の目が驚きで丸くなり、口は半開きになる。

こんな返事がくると思っていなかったのだろう。本当に素直な人だ。

「君とは、少し、違うけれど…。」

焦らすように、ゆっくりと話す。

左手で頬杖を突き、右手でグラスのふちをなぞった。

グラスがキィッ―と小さく鳴った。

いつものように、食事風景を楽しむのと同じように、彼を見る。

僕の目が、彼の目を、真っ直ぐに見据える。

彼がそのことに興奮したのか、ゴクリと唾を飲んだ。

「…それは、どういうことだ?」

彼はどんな反応をするだろうか。

実は、

「僕は」

人間の食事風景を見るのが好きな―――

「吸血鬼なんですよ。」

と言ったとしたら。


○  ○  ○


僕は吸血鬼だ。

吸血人といった方が正しいかもしれない。

僕の体は栄養素として血液を必要とする。

人の体をしてるからその体の仕組みや構成上、人間と同じものも食べなければならないが、一番に動物の血液を欲する。その動物のくくりの中にはもちろん人間も含まれている。そうは言っても、この世界で毎日一定の血液を手に入れることは容易ではない。だから新鮮な血が欲しいものは人間のパートナーを手に入れたり、家畜を飼ったり、献血協会から古い血を分けてもらったりする。そんな風にして生活している。かくゆう私も酪農家のコンサルティングをし、仕事として金を稼ぎながら、精肉する際に出た家畜の血や規格外の余った肉を分けてもらっている。これらを含め、吸血鬼の存在は世間にほとんど知られていない。

そんな吸血鬼たちは人間の食事を嫌う。感覚が違うのだ。特に味覚や嗅覚の感覚が全然違う。人間にとっての美味と感じる味、美味しそうと感じる匂いは私達にとって不味い味、不味そうな不快な匂いでしかない。こう言えば分かるだろうか。生肉に囲まれ、血生ぐさい匂いを嗅ぎながら、不味い飯を食わされる。僕たちには、君たちの食事の場がそのくらい不快なものに感じられる。吸血鬼が食べるとすれば、野菜にしろ肉にしろナマモノばかりだ。味なんて気にしない。むしろ必要ない。なぜなら、吸血鬼にとって、血を飲むことは必然であり、食べることは義務だからだ。皆、好んで血を飲むが、好んで『食事』はしない。気にするのは何の生き物の血か、どのくらい新鮮なものか、生きているものからとったのか、死んだものからとったのか、その程度だ。

僕らのことが気持ち悪い?

それは愚問だ。

生きていくのに必要なのだから仕方ない。

僕たちからすれば君たち人間の方が気持ち悪い。

煮る?

焼く?

混ぜる?

既に死んでしまったものをさらに痛めつけて何が楽しい?

そんな風に考えたことなんてないくせに軽々しく決めつけないで欲しいものだ。

必要だからそうする?

それなら君らも僕らも同じじゃないか。

そんな環境の中、僕は人間が食事をする姿を見て『美しい』と思ってしまった。

ナイフとフォークでミディアムに焼かれた肉を切り、口に頬張る姿。

箸で魚の身をほぐし、その身を口に運ぶ姿。

果物をかじりつき、口から滴る果汁。

グラスに口をつける時かすかに見える白い歯と、その口へ注がれる赤ワイン。

器をなぞるパンと、こびりついたソース。

アイスにスッと入るスプーンと、その器の結露。

飲み込む時に上下する喉と、飲み込んだ後にこぼれる吐息。

それらに目が離せなくなった。

全てが愛おしい。

吸血鬼たちが生きるために死んだようにしていた行為。

それは人間たちにとっては至福の行為であった。

僕はそのことを知らなかった。

だから僕はどうしようもなく魅了されてしまった。

イケナイと分かっていても止められなかった。

人間の食事を見続ける僕への吸血鬼仲間たちの態度は冷めたものだった。僕が血を飲まなくなっているわけではないし、僕から血液を買っている者もいるから完全に縁が切れることはなかったものの、常に腫物のように扱われ、孤立していた。親には成人と共に勘当された。それくらい異常な吸血鬼として扱われていた。

そんな時に彼に出会った。

その時の僕の気持ちが分かるだろうか。

僕の正体を知らないとはいえ、僕のことをちゃんと人として扱ってくれる。

散々文句をたれる癖に何度も食事に付き合ってくれる。

そんなものが存在するなんて。

救世主。

そう、彼は僕にとっての救世主だ。

そんな彼が、一世一代の告白をしてくれたのだ。

それは純粋に嬉しい。

だから、僕もそれに見合った告白をしなければならない。

そう思ったのだ。


○  ○  ○


だから打ち明けた。

僕は『人間』の『食べる』という行為を『見る』のが好きな『吸血鬼』であるということ。

人間にも、吸血鬼にも虐げられてきた存在であること。

そして、理想の食事をする相手に出会えたこと。

それが君だということ。

そして最後にこうまとめた。

「あなたの質問に答えるとすれば、僕は君の食事する姿が見たいから一緒にいます。」

僕にとって、彼の告白に見合う最大の性癖。

「おかしいでしょう?」

彼をじっと見つめた。

「気味が悪いでしょう?」

言葉を重ね続ける。

「君がこのことを知って、僕の元を去ろうというなら、それは人間の本能として正しいことだ。僕はそれを止めませんし、恨みもしません。」

今まで吸血鬼ということを打ち明け、去っていった人間は皆そうだった。

「僕を異常だと罵倒してもかまいません。」

僕を見た吸血鬼はみんなそうだった。

「君がしたいようにしてくださって結構です。」

それが僕のスタンスだった。

相手のしたいようにさせる。彼の意見を尊重する。

彼と出会ったあの日。僕は彼を絶対に手に入れたいと思った。逃がすつもりはなかった。あれは僕の勝手なわがままだ。だから、今回ばかりは彼の意見を尊重しなければならない。僕にとって『彼の告白』は、自分の抱えているものに比べればどうということでもない。彼は僕の目が好きだと言っていたが、その目は彼ではなく、彼の食べる姿に向けられていたものだ。

彼はどんな反応を示すだろうか。

こんなことを考えたところで結果は変わらないのは分かっている。

それなのに、僕はどうしようもなく期待してしまう。

こんな僕と、今まで通りに過ごしてくれるだろうか。

それとも、今までの人間と同じように彼も去ってしまうだろうか。

家畜が食われることを分かっていて、主人になつくことはない。

違いない。

彼は去ってしまう。

それなのに僕は何を期待しているのだろう。彼に当てられてしまったのだろうか。

では『今』、『僕』は『彼』をどうしたいのか。

そんなの決まっている。

あの時と同じだ。

逃がしたくない。あわよくば、このまま、彼と繋がっていたい。許されるなら、ずっと彼の食べる姿を見ていたい。

こんな感情は初めてだ。

僕は彼を見る。

案の定、彼の表情はこわばっていた。

僕が思考の渦に落ちているうちに、顔はうつむき、目は合わなくなっていた。

(あぁ、やっぱりダメか。)

思った瞬間、心臓のあたりが苦しくなった。

過去の嫌な記憶がよみがえる。

次にはどんな汚い言葉が浴びせられるのだろうか。そう考えると彼のことを見ていられなくなった。冷めた気持ちで彼の前にある料理に目を落とす。

半分だけ食べられたステーキと添えられたニンジンが2きれ、ブロッコリーが2つ、ポテトはまだ手付かずだ。スープは冷えたせいで膜ができてしまっている。それらはまだほんのりと湯気が立っていた。そのせいもあってか、ジュースの氷も解け始めている。この会話の展開によっては、それらは食べられずに捨てられてしまうかもしれない。

僕と同じように、捨てられる。

やめよう。

考え方を変えればいい。

こんなことは何回も体験してきたじゃないか。

傷つく準備はできているはずじゃないか。

だから大丈夫。

やっぱり、こんな話をするべきではなかった。

考えているうちにだんだんいたたまれなくなり、冗談とでも言おうとしたときだった。

「……んなこと、しねぇよ…。」

彼の声がした。

絞り出すような、か細い声だった。

「へ…?」

間抜けな声を出しつつ、彼の顔を見た。

「逃げたりなんかしない。…そんなことするもんか。」

ポタポタと水のたれる音がする。

彼は泣いていた。

いつもの強気な態度とは打って変わって、ボロボロと涙をこぼしていた。

顔がこわばっていたのは涙をこらえるためだったようだ。

「なんで…泣くんですか?」

こんなことは初めてだった。

僕が吸血鬼だと知った人間はことごとく去っていった。

「僕のこと、怖いでしょう?」

吸血鬼を知った者は皆、おびえていた。いくら彼らを襲わない、ということを説明したところで無駄だった。

今までこんなことはなかった。

「僕から逃げなくていいんですか?」

僕からすれば、自然な問いかけだった。

「今がチャンスですよ?」

ちょっと声が震えそうになった。変な汗まで出てきた。

今までこんな風に言った人はいなかった。泣いた人もいなかった。

彼の涙の理由が理解できない。

もしかしたら、混乱しているだけかもしれない。

「泣くくらいなら、早く僕なんかとは縁を切って…。」

「ちょっと黙れ‼」

僕の声を遮って、彼が泣きながら怒鳴った。

「でも…。」

「黙れって…言ってんだよ…‼」

ここが個室でよかった。大の男が泣いている様を咎められずに済む。彼はハンカチを持っていないのか、服の袖で涙を拭った。それでも止まらぬ涙は、彼の服をぐしゃぐしゃにしてしまう。見かねてハンカチを渡すと、ひったくられる。そのまま盛大に鼻水をかまれ、返却されそうになったハンカチは丁重にお断りした。


 そうして料理が冷え切った頃、彼はようやく落ち着いたようだった。

涙のせいで赤くなってしまった彼の瞳の中に軽蔑の感情は見られない。

黙れと言われた手前、僕はひたすら彼の言葉を待った。

彼が、大きく深呼吸した

「さっきは怒鳴って悪かった。あと、泣いたのも…悪かった。」

「いえ…。」

彼の大きな体が、今は小さく見える。

「まさか、アンタからそんな話が出るとは思ってなくて…。」

「それはそうでしょうね。驚かせてしまってすいません。」

「あぁ。びっくりした。」

彼は力なく笑った。

僕もつられて笑った。

ぎこちない会話。

少し、間があった。

「絶対嫌われると思ったから。その…嬉しくて……。」

「…はい?」

また間抜けな声が出てしまった。

嬉しい?

彼は少し顔を赤くしながら続けた。

「俺のこと、何にも言わないでいてくれたろ?そんなヤツ初めてだ。それどころか、俺なんかよりよっぽど言いにくいこと言ってくれた。」

「は…はい。」

「俺…アンタにからかわれてるとばかり思ってて。ちゃんとした理由があったんだな。良かった。」

「そういうことに…なりますね。」

「ちゃんと話してくれたのって、俺と対等でいたいって思ってくれたからだろ?」

「………。」

そうなんだろうか。

ニカッと笑った彼の顔がまぶしいと感じた。

胸にさっきとは違った痛みが走る。切なさで心臓のあたりが痛い。

「それに、俺の食べ方が気に入ったってことは、アンタはこれからも俺の食事してるところを見たいってことだよな。」

「はい。それはもちろん。」

「じゃあ。俺はアンタと一緒にいていいんだよな。」

「はい。君さえよければ。」

「もう、あきらめなくていいんだよな。」

「はい。」

僕はロボットのように同じ答えを繰り返した。あまりに僕が望んだ答えが出てくるから、頭がついていかないのだ。これは現実なのだろうか?

「何してんだよ。」

「いえ…。あまりにも僕に都合がよすぎるので、夢ではないかと思いまして…。」

自分の頬をつねっていたら、頭を小突かれた。どちらも痛かった。どうやらこれは現実らしい。

「バカじゃねーの。」

彼はやっぱり笑っている。

うぬぼれてもいいんだろうか。

「僕のこと、怖くないんですか?」

「こんなひょろいやつのどこが怖いんだよ。俺の方が怖いだろ。」

「気持ち悪くは…。」

「全くない。食事してるとこ見られたって減るもんじゃねぇし、タダ飯食えるんだからこちとら万々歳だ。」

「でも、それは不純な動機で…。」

「不純ってなんだよ。あんたが不純だってんなら、俺だって不純な動機でアンタと一緒にいたんだから同罪だ。」

「それに、僕は吸血鬼だってことを君に隠して…。」

「さっき打ち明けたんだからもういいだろ。」

僕の言葉はみんな彼に遮られ、覆されていく。

「アンタだって俺のこと気持ち悪くないのか?」

「全く。」

「目ぇばっか見られて、嫌にならないのか?」

「気になりませんね。」

「同じじゃねぇか。」

ここまで、他人の心に触れたのは初めてだった。

彼の言葉が温かいと思った。

魅力的だと思った。

満たされる思いだった。

それは彼の食事を見ている時と同じくらいに。

そのうち反論することが思いつかなくなって、彼とにらみ合う形になる。完全に形勢が逆転した空間で、彼の勝ち誇ったニヤニヤとした笑いがとてつもなく恨めしい。

「だからさ。」

彼は僕の目を真っ直ぐに見ている。

「このままでいいじゃん。」

やっぱり彼の目には何の迷いも見受けられない。

「利害の一致ってやつ?むしろ、お互い分かり合ったって感じ。」

彼が僕を指さした。

「俺の食べてる姿が好きなあんたと…。」

今度は自分を指さした。

「あんたの目が好きな俺。ぴったりじゃんか。」

「そうですか。」

「そうだろ?」

さっきまで泣いていたというのに、今は笑っている。

ころころ変わる表情は、子どもみたいだと思った。

「それに、お互い嫌い合っているわけじゃない。これ以上に一緒にいるための理由ってねぇんじゃね?」

こんな僕と一緒にいていいんですか?

とは言わなかった。

ここまで言ってくれた彼にそれは失礼だと思った。

「そういうものですかね。」

「そういうもんだ。」

思わず二人で吹きだした。

やっと同じ土俵に立てた気がした。たしかに、僕らにはそれがぴったりだと思えた。でもちょっと恥ずかしくなって悪態をつく。

「テキトーな人ですね。」

「おう。ちょうどいいだろ?」

ほら。また意見があった。さっきまで痛んでいた胸は弾んでいる。

「では、お互いに隠し事もなくなったことですし、食事を再開しましょうか。」

「さっそくかよ。」

「善は急げと言いますし。」

「じゃあアンタが食べれるものも頼もうぜー。俺だけ食っててもつまんねぇし、一緒に食った方が美味いだろ。」

「そうかもしれませんね。じゃあ…久しぶりに酒でも飲みますか。」

「おぉ!いいねぇ。俺らの秘密ぶっちゃけ記念だ!」

彼が勢いよくメニューを広げる。

「君はちゃんとつまみも頼むんですよ?」

「分かってるって。」

「誰かさんが泣いてたせいで料理が冷めてしまいましたし。」

「てめぇ…そんなこと言っていいのか?んなこと言ってると堪能してる間もないくらい早食いしちまうぞ。」

「それは困りますね。でも、困るのはお互いさまなんじゃないですか?」

「確かにな。じゃあその代わり、俺から目ぇそらすんじゃねぇぞ?」

「もちろんです。」

これこそギブアンドテイクだ、と慣れない英語を使う彼は、見た目にそぐわずはしゃいでいた。

同じくメニューを開く僕を見て、彼が反対側からつまみの欄を覗き込む。

「てかいつまでも敬語使ってんなよ。」

「この方が楽なんですよ。」

「やっぱり変なやヤツ。」

「君には言われたくありませんね。」

「お。良い目になった。」

「僕、今どんな目してますか?」

「楽しそうだ。」

僕は気を良くして、いつもより高いワインを頼むことに決めた。

呼び鈴を鳴らしてから、いま一度姿勢を正す。

こんな会話ができるとは思っていなかった。

だから今のこの気持ちを、彼に伝えたいと思った。

「ちょっといいですか?」

「うん?」

彼は店員の様子をうかがいながら、ちらりとこちらを見た。

「僕は、誰かに認めてもらいたかったのかもしれません。否定ばかりされてきた僕の人生が報われるって思いたかった。」

初めて吐き出す、自分の気持ち。

「君は僕の理想だったんです。その目に狂いはなかった。」

あの時、君に会っていなかったら、僕は今も苦しんでいたかもしれない。

幸せなことだと思えた。

彼とこうして同じ空間にいることが、

同じ空気を吸えていることが、

同じ酒を飲めるということが、

この瞬間を生きていることが。

彼に見合う吸血鬼として、生きていきたいと思った

「きっと僕は、君に会うために生きてきたんでしょうね。」

そう思ったから、どうしようもなく彼に伝えかった。

「君に出会えて、本当に良かった。」

彼は笑った。

いつも以上に嬉しそうだった。

そしていつものように言うのだ。


「そういうことは、特別なヤツの前以外で言うんじゃねぇぞ。」


「もちろんです。」


たわいのない会話をして、

お互いを見ながら、

食事をする。

これは他人から見れば普通の光景かもしれない。

知っている者から見れば異様な光景かもしれない。

それでも僕らにとっては、

『オイシイ関係』だと思う。

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