第二話:白い花
彼女はそこで花を売っていた。
公園の入り口、雑踏を行き交う人々に向かって、しきりに声をかけ続ける。
「お花はいかがですか。綺麗なお花はいかがですか」
彼女が差し出す花はどれも白く、しかしそれに目を向ける者は一人もいなかった。
冬の夕刻。すでに陽は沈んでいる。前日に降り積もった雪を街灯が照らす中、誰もが家路を急ぎ、立ち止まる気配はない。
それでも彼女は、何かに縋るかのように、手にした花を懸命に売り込んでいた。
「お花はいかがですか。お花はいかがですか」
まだ十代の半ばだろうか。そばかすの残る頬は寒さのために赤く染まり、肌は雪よりも白かった。頭を覆うように巻いた大きめのスカーフの端から、灰色の髪が覗いている。
「お花はいかがですか。贈り物にお花はいかがですか」
疲れ切った色を笑顔の奥に押し込めて、目の前を通り過ぎてゆく人に声をかける。
けれど、やはり立ち止まる者はなく。
やがて人通りもまばらになり、ついには誰も通らなくなってしまった。
一人取り残されてしまった彼女は、ずっと呼びかけるために開いていた口を結び、俯いた。
細い肩を落とし、溜息を漏らす。その音は、離れた場所で観察している俺の所まで聞こえてくるようだった。
「ひとつ、貰おうか」
俺が声をかけると、彼女は弾かれたように顔をあげた。
目を見開き、自分の背丈よりも高い位置にある俺の顔を、その青灰色の瞳で食い入るように見つめる。
「その花を、貰おう」
ゆっくりと言い聞かせるように言って、俺はポケットから取り出したコインを掲げてみせた。
ややあってから、彼女はふわりとした笑みを浮かべた。道行く人に投掛けていた作り物の笑顔ではない、心からの微笑みを。
「ありがとうございます」
そう言って、片方の手で花を、もう片方をコインを受け取るために俺に向けて差し出す。
小さな掌にコインを乗せてやると、彼女はもう一度静かに柔らかく微笑み、そして、霧が晴れるように俺の目の前から消えていった。
花売りの少女が死んだのは、今日のような寒い日だった。もう何年も前の話だ。
その日、思うように花が売れずに遅くまで頑張っていた彼女は、ここで強盗に襲われ、金と命を奪われたのだという。
その後強盗は捕まったらしいが、日々の生活に押し流されている人々の記憶からは、彼女の存在はすっかり消え去ってしまった。今では事件どころか、彼女がここで花を売っていたということを覚えている者もいないだろう。
生きた街はいつも死者に無関心だ。時間から取り残された彼等の存在に気付く
『だから、僕たちが助けてあげないとね』
俺は、雇い主でもある相棒が口癖のように呟いている言葉を思い浮かべ、足元へと視線を落とした。
踏み固められた雪の上で、街灯の灯りを反射して鈍く光るものがある。つい今しがた少女に渡そうとしたコインだ。
俺はそれを拾い上げると、冷えた手と共にコートのポケットにねじ込んだ。そして、その場を後にする。
通り過ぎる家々の窓からは、暖かな色と声とが雑踏に漏れていた。
うつろい流れゆく街の喧噪に包まれながら、死者たちよ、安らかに眠れ。
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