第22話 鶏小屋解体

 レンタルショップを出た私たちは、客と身内とで分かれた。


 最後まで私に突っ込みきれなかったおじいさんは、額に青筋をおっ立てたままよろよろと帰っていった。下で働くようになっても、また怒鳴り込んで来そうだなあ。とほほ……。

 ユウちゃんとトムはこの先お楽しみが出来たということで、表情がものすごく明るかった。ははははは。

 ユウちゃんの兄貴は、さすがにやり過ぎたと思ったんだろう。まだ泣き続けていたジェニーを抱えるようにして、がっくり肩を落として帰って行った。まあ……なんと言っていいのやら。

 そして、先生は逃げるように帰ろうとしていた。おっと、このまま逃すわけにはいかない。すかさず呼び止める。


「先生。これから母たちと話し合いすることになるんですけど、立ち会ってもらえませんか?」

「う……」


 どろどろに首を突っ込むことになるのは絶対に嫌。そういう嫌悪感を丸出しにして、先生が首を振って拒む。


「それ……は」

「じゃあ、ずーっと一人でどつぼっててください。私はもう知りません」


 ぽいっ!


 私が鶏小屋を出るための苦闘を続けていたように、先生も『自分』という鶏小屋を出る苦闘を続けていたんだろう。それがなぜかもよーく分かる。図式は私と逆。私は母と植田さんのコンビに無理やり拘束されていたけど、先生は実家から追い出されたんだと思う。いい年こいて、いつまでもみっともなく家にこもるな、と。私はさっさと自立したかったけど、先生は無理やり自立させられたんだ。馴化期間なしでね。

 当然のごとく孤立してしまった先生は、貧相な自分一人用の鶏小屋に立てこもるしかない。でも、そこには餌もなければ飼育員もいない。このままなら餓死するだけ。先生がそれでいいなら本当に放置するよ。しつこくアプローチするつもりはさらさらない。


 私の突き放しに慌てた先生は、あっさり陥落した。


「ま、待って」

「なんですか?」

「その……一緒に……行くわ」

「いいですけど。その時に、ちょっと話があります」

「??」


 目を白黒させてる。なんの話かまるっきり予想が付かないんだろう。


◇ ◇ ◇


 これまで何度か話をする時に使っていたドーナツショップ。隅の角席に四人で陣取った。


「参ったなあ……」


 植田さんが苦り切ってる。まさか私がいきなり劇薬をぶちまけるとは思わなかったからだろう。


「限界ですよ。何をどうやっても必ずこうなったはずです。植田さんが長く引っ張り過ぎたんです」

「そうだな。認めざるをえない」


 ふうっと大きな溜息をついた植田さんが、タイを緩めた。


「で、どうするんだい?」

「あの場で言った通りですよ。私は二度と鶏小屋には戻りません」

「でも、職はともかく住居がないだろ?」


 植田さんの作戦なんか見え見えさ。行くところがなければ、必ず実家に帰らざるを得ない。その時にじっくり説得すればいいってね。そうは行かない。私は植田さんには答えずに、隣に座っていた先生に声をかけた。


「ねえ、前沢先生。今一人暮らしなんでしょ?」


 唐突に声をかけられた先生は、わたわた慌てながら答えた。


「う……ん。そ、そう……だけど?」

「同居しませんか? ルームシェア」


 ざっ! 先生の顔から一瞬で血の気が引いた。


「そ……そんな」

「ねえ、先生。私は鶏小屋を出ます。当然、新しい鶏小屋を作る気もないし、他の鶏小屋に入るつもりもない」

「あ……」

「だから、ルームシェアなんですよ」


 そゆこと。私が欲しいのは、あくまでも居場所だけ。


「先生は、一人がどうしてもいやで私に声を掛けた。人とのやり取りがしんどいのに、孤独には耐えられない。それは、二律背反です」

「……うん」

「でも、同居人との接点をうんと小さくしておけば、先生の負担にはならないでしょ?」


 先生が、じっくり考え込む態勢に入った。その間に植田さんの質問に答える。


「……ということです。もちろん、先生がノーと言ったなら、他のルームシェアの相手を探します。トムとユウちゃん。他を当たる拠点が二つ確保出来ましたから」

「うう……む」


 植田さんが苦悶する。


「私が真っ先に先生に声を掛けたのは、付き合いが長くてお互いの素性をよく知ってるから。その方が安心でしょ? あくまでも、私のサービスです」

「じゃあ。もう家には戻らないのかい?」

「私が鶏小屋に閉じ込められる恐れがあるうちは、ね」


 私は、泣き疲れてぐったり俯いていた母さんに声を掛けた。


「ねえ、母さん。いつまでも私に依存してちゃだめだよ。それは父さんに失礼だ」

「!!」


 植田さんが、ぎょっとしたように飛び上がった。


「それは、父さんにも同じことを言います。私のことはもういいから、ちゃんと母と向き合ってください。私を間に挟むとどんどんややこしくなる。これを機にリセットしましょうよ」


 母さんの頬から、再びぱたぱたと涙が落ち始める。


「あのね、私は今までの暮らしを恨むことも悔やむこともない。母さんの心配から来てるってことは、よーく分かってる。でも、ぼろぼろの鶏小屋はもう取り壊さないと、誰も幸せになれないの」

「う……」

「私に、あの部屋から持ち出したいものはない。だから、あの部屋はそのまま他の鳥を飼う部屋にしたらいいよ」

「どういうことだ?」

「インコでも文鳥でも、ね」

「む……」

「空いた空間を何かで埋めないと、母さんは保たないでしょ。父さんが仕事に出てる間は一人なんだから」

「そうだな」


 もう一つ、種を蒔いておこう。あくまでも種。育てるのは私じゃない。母だ。


「新しい暮らしで、母さんが落ち着いたら」

「うん」

「私は、今度は『客』として顔を出します。もうこれきり縁を切るってことじゃないよ。ちゃんと距離を置きたいっていうだけ」

「客、は寂しいなあ」

「そうしないとまた小屋を作られちゃうでしょ」

「……ああ」

「先生」


 突然話を振られて、先生がのけぞった。


「な、なに?」

「さっきのルームシェアの話も同じです。私は先生のところに巣を作るつもりはない。先生もそれは嫌でしょ?」

「う……確かに」

「実際、私が先生と同居しても、顔を合わせる時間なんかほんの少ししかありませんよ」

「……どして?」

「私は昼はレンタルショップの店員。夜は大学の夜間部に通うつもりです」

「あ!」

「今は真っ白の履歴書を少しでも字で埋められるようにしないと、楽しいことを探す余裕が出来ない。やれることにはなんでもトライするしかないんです」


 植田さんが、苦笑混じりに質問してくる。


「高卒認定は?」

「去年通りました」

「そうか……大学はもう決めてるの?」

「一応。D大二部の商学部を目標にしてます」

「夜学だな。僕は、がんばれとしか言いようがない」

「もちろん、がんばります。だからこそ、かてきょが出来る先生との同居はありがたいんですよ」


 今度は、先生が苦笑。


「わたしは旬が過ぎちゃったから、出来るかなあ……」

「先生の教え方は、すごく丁寧で分かりやすいんです」

「そう?」

「そうです。今は能力を活かせてないなあって感じ」


 先生が、こそっと俯く。


「ねえ、先生」

「うん?」

「私は、先生に対してはネタを振りません。私が欲しいものは全部外にある。店員としても学生としても、ね。これからは、先生から無理にネタをもらわなくても満足出来るんです。それなら、先生が外で仕込んできたものを持って来て私に振らないと」

「う」

「同居しててもお互いにずっとだんまり。かえって寂しくなりますよ?」


 じっと俯いていた先生が、小さく頷いた。


「うん……そうだね」

「私には性がありませんから、先生がそこを意識しなくて済むでしょう? 遠慮なく練習台にしてください。同居のお礼に付き合いますから。私で物足りなくなったら、もっとリアルなパートナーを探してください」

「ううう、どっちがオトナなんだか分かんない」


 先生が、しおしおと肩を落とした。


「せんせー、それは違います」

「え?」

「私には、父の、植田さんの口調が染み付いちゃったんです。中身は、まだすっかすか」

「あ……」

「空っぽの自分を必死に埋めて行かないと、結局どこにも居場所がなくなるんです」

「うん」

「埋める努力をするかどうかだけですよ」

「そうだね」


 先生が、ゆっくり席を立った。


「同居先どうするか、後で決めよう」

「はい。連絡ください」

「今日は?」

「カプセルホテルかどこかに泊まります」

「家には?」

「帰りません」

「うん。分かった」


 家との決別を先生にくっきり見せておかないと、ずるずる引き延ばされるかもしれないからね。十二人の諭吉は、有効に使おう。先生が店を出るのを見遣っていた植田さんが、母を促して席を立った。


「じゃあ、類くんの部屋は片付けておく。必要なものがあったら言って。後で僕が送るよ」

「お願いします。それと」

「うん?」

「もう『くん』は付けないでください。自分の子供を『くん』付けで呼ぶ親は気持ち悪いです」

「ははは。そりゃそうだ」

「カウンセリングもこれで打ち切りです。これからは一切受け入れません」

「……そうか」

「その代わり、親父の説教は歓迎します」


 にっ! 顔をくしゃくしゃにして笑った植田さん……いや父は、私の肩をがっと抱くと耳元でがなった。


「根性据えて、がんばれえっ!」

「ういーっす!」


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