第20話 フリークス

「済みませんね、長々と。でも、私はもう登録から外れてるんです。みなさんのリクエストに応えなければならない義務はありません。情けをかけてくれた店長に迷惑をかけたくないので嫌々来ましたけど、出来るのは事情説明だけです。私からみなさんにサービスしてあげられることは何もありません」


 ぐるっとギャラリーを見回してから、一度頭を下げる。


「その上でみなさんから何か申し立てがあれば、伺います。店長に余計な迷惑をかけないでくださいね。契約は全て満了しているんですから。もちろん、私は聞くだけです。見返りは期待しないでください」


 意外にも、最初に口火を切ったのはトムだった。


「あの……」

「はい?」

「もう……登録は……外れたんだよね?」

「そう」

「じゃあ……個人的に話をして欲しいってのは?」


 そう来たか。


「それは後で個別に。完全拒否にはしません」


 ほっとしたように、トムが表情を緩めて顔を上げた。私がチャンスをもらえたように、トムにチャンスがあってもいいだろうと思う。


「えと、えと、えと!」


 今度はユウちゃんか。はい、どうぞ。


「わ、わたしとは?」

「むー。親やお兄さんの許可が出るか、保護者同伴でなら」

「ええー?」


 露骨に不満そうな表情になったのを見て、思わず苦笑した。


「ユウちゃんが成人していればね。未成年のうちは保護者の許可がないとダメだよ」

「ううー」


 ユウちゃんは納得出来ないんだろうけど、お兄さんは逆にほっとしたようだった。


「済まねえ。なんか、とんでもねえ迷惑かけちまって」

「いや、妹思いのお兄さんで羨ましいです。ただね……」

「おう」

「ほどほどにしないと、ユウちゃんが私みたいになっちゃいますよ? ユウちゃんは、今お兄さんの作った鶏小屋に囲われちゃってる。そこからしか世界が見られない。それはまずいですよ」

「ああ。分かった」

「それと、ジェニーさんの気持ちも考えてあげましょう。私は不愉快でしたけど、ジェニーさんが思い詰める気持ちもよく分かります。わたしはあんたの何なの? わたしと妹とどっちが大事? そういう気持ち」

「わあああっ!」


 両手で顔を覆ったジェニーが激しく泣き出した。お兄さんは、気まずそうだ。


「二人でちゃんと話し合ってくださいね。私への謝罪は要りません」


 ずかずかと私の前に出てきた詐欺おばさんが、顔の前に指を突き付けてがなった。


「あの紙を返してくれっ!」

「知りませんよ。ゴミ処理場でもあさってください」


 最後まで残っていたのは、私からあの紙を取り返すことを諦めていなかったからだろう。あほか。


「このくそガキゃあ! とっととくたばっちまえっ!」


 憤然と私の胸をど突いたおばさんが、口汚く私を罵りながら事務室を走り出ていった。それを呆れ顔で見送っていたメリーが、のしっと巨体を持ち上げた。


「まあ、あんたが寸足らずだってことはよーく分かった。がんばってちょ」


 そう言い残して、メリーがゆさゆさ贅肉を揺らしながら事務室を出て……階段が壊れるんじゃないかと思うくらいの音と振動が、ゆっくり遠ざかっていった。とてつもなく脂ぎってるけど、メリーは欲丸出しのストレートで分かりやすい。性格がものすごく悪いってわけじゃないんだろう。やれやれって感じだけど。


 私が最初から徹底的に拒絶してるおじいさんは、まだ私を諦めていないんだろう。ずっと何か言いたそうにしてる。強烈なこだわりがどこから来ているのか分からないけど、私には迷惑でしかない。


 そして。結局何も言わず、言えないままで先生がずっと俯いてる。先生を見ているうちに、ふと言葉が転がり出た。


「フリークス……か」

「ん? なんや?」

「いや、私は奇形、フリークスですよ。見世物小屋のろくろ首とか一つ目小僧とか、そういうのと同じ」

「それは……」


 植田さんが抗議しようとしたから、目で制した。


「植田さん。事実は事実なんです。私と同じような人はいない。事実としていないんです。いない以上、私は奇形で、そういうものだと思ってる。でも、だからと言って、それを自慢することも苦にすることもありません。だって、こういう体だから出来ないとか、生活上困るっていうことはほとんどありませんから」

「せやな」

「だから、私がいくらフリークスとして見られても、蔑視が私を変えることはないんです。これが私だから。でもね」


 部屋に残っていた人をゆっくり見回しながら、もう一度繰り返す。


「身体のことはともかく、私は別の意味でとことんフリークスだったんだなあって」

「は? どういうことや?」

「まともな会話に発展しない理由。それが何かなあって、ずっと考えてたんです」


 そう。私はもっと馴化がさくさく進むと思ってたんだ。自分は、身体からだのこと以外は一般の人とそんなに変わらないと思い込んでた。でも……。


「話を合わせることは出来る。経験がないから私が何も知らないってわけじゃなくて、会話を組み立てるのに必要な知識は持ってる。それなのに、スムーズな会話にならない」

「うーん……」


 店長が、顔をしかめて腕組みした。


「ねえ、店長。私が大笑いしたり、ものすごく怒っていたり、泣いたり……そういうのを見たことがあります?」

「あ、そういやないなあ」

「それは、植田さんや母さんもそうでしょ?」


 植田さんが、ゆっくり頷いた。


「柳谷さんに馬鹿にされた時も、ものすごく嫌だったし、怒ってましたよ。でも、そういうのが私の表情に出てましたか?」

「つらっとしやがって! だからアタマに来たんだ!」


 やっぱりか……。


「私は、感情が出ないんですよ。出さないんじゃない、出せる感情がすごく薄い」

「あ!」


 ユウちゃんが、じっと私を見据える。


「それで……」

「話してて、穏やかでなんでも聞いてくれるって、そんな風に感じたでしょ?」

「うん!」

「必ずしもそうじゃないんだよね」


 ふう……。私は薄味の自分自身に違和感を感じて、ものすごく苛々してたんだ。でも隠していたわけでもないのに、不快感情が母や植田さんにすらうまく伝わっていない。


「鶏小屋に閉じ込められてて、自分の意思の出し方を工夫しないとならなかったのは確かなの。だけど私の感情が薄いのは、調整だけが原因じゃなかった。それが分かったんです」

「どういうことや?」

「私には性がありません。当然、普通は誰もが意識する異性への関心がない。興味や関心が出発点になるはずの好き嫌いが一切ありません。欠けてるんです。そこが……とんでもなく奇形なんですよ」

「!!」


 一番驚いていたのが植田さんなのを見て、ものすごくがっかりする。私との付き合いは長いんだから、私より先に欠陥を見抜いて欲しかったな。そうしたら、植田さんはきっと別の処方箋を書いたはずだ。

 患者が私と母の二人になってしまった時点で、植田さんは感情の揺れが小さい私を見て安心し、後回しにしてしまったんだろう。母の精神を安定させるために私の独立を出来るだけ遅らせるという基本方針を立ててしまい、最後まで動かさなかったってこと。


「はあ……」


 ずっと立ちっぱなしだったから、少し疲れてきた。私は事務室を横切って、店長の横の空いていたパイプ椅子に腰を下ろした。


「私の好き嫌いというのは、甘いのが好き、苦いのが嫌いという生理的なレベル止まり。他者への強い執着や関心から来る好き嫌いがないんです。誰それが好きという感情がなければ、対極にある誰それが嫌いっていう感情も生まれません。だから感情の両端がぺろんと丸まってしまって、私の印象がぼやあっとした感じになっちゃう。とんでもなく奇形なんですよ。心が、ね」


 ふうっ。でっかい溜息を足元に吐き捨てる。

 

「感情だけじゃない。愛情とか憎悪っていうのも、異性への意識から自然に出てくるものでしょう。親子や友人のは違う? そんなことないですよ。それだって、ちゃんと性と結びついてる」

「なんでや?」

「心の通い合いを確かめるための仕草や言葉が、どこかで性に関わっているからです。歌も、文学も、マンガや映画も……なんでもね」


 ぱちっ! トムが指を鳴らした。


「分かる!」

「でしょ? だからあの時に言ったの。美少女もののマンガやアニメに対する興味は何もおかしくないって」

「……ああ」

「ユウちゃんも、歌がみいんな数学の教科書みたいな歌詞だったら、そんなの歌いたくないでしょ?」


 ばたばたと手を振ったユウちゃんが、思い切り否定した。


「絶対にむりぃ!」

「だよね? 歌やマンガの中の人物とか感情にシンクロ出来るから、それが好きになる。それが当たり前だと思う」

「うん」

「で、私にはそういう興味や意識がない。だから、会話のネタがすぐに品切れになるの。だって心を寄せられる好きなものがないのに、相手の好きなことには突っ込めないでしょ? 私はことしか出来ない。相手の話になかなか心が動かない」


 植田さんに目を向ける。


「会話が上滑りするって相談した時に、植田さんがアドバイスしてくれたじゃないですか。私は距離を調整するところだけで会話をこなしてしまってる。心を強く揺らす出来事がないとうまく行かないって」

「……ああ」

「指摘通りだったんですよ。だから、私の馴化に必要なのは社会性の強化なんかじゃない。性がない私なりに『好きなもの』を見つけることなんです。ここに来て、それが分かったんです」

「だからプログラムの手直し……か」

「はい。そして好きなものは、鶏小屋の中では絶対に見つからない。鶏小屋内で得られるのはしょせんバーチャルなもの、架空のものでしかないから。私は、過剰な束縛が嫌で出たいってことだけじゃないんですよ。あそこにいたら、私は身も心も完全にフリークスになってしまう。しかも、フリークスである自分を嫌悪するようになるでしょう。そんなのはまっぴらです!」


 植田さんに向かって指を突き出す。


「他の人に、おまえはフリークスだと言われるのは構いません。事実そうなんだから。でも、自分で自分のことをフリークスだから仕方ないなんて、絶対に思いたくないんです!」


 もし私がアメーバか宇宙人の格好をしていても、きっとそう言い切ったと思う。少なくとも、私の心はフリークスじゃないし、絶対にそうしたくないんだ!


「私は。小賀野類は私一人しかいません。どういう性であるかは、私には関係がない。だから私は『僕』や『俺』という言い方をしない。したくないんです。それは私を『男』という鶏小屋に押し込める行為ですから」


 メリーは帰っちゃったけど。そういうことなの。


「性がないなりの私のあり方を考えるなら。私は何か好きなこと、突っ込めることを探さないとならない。それが私に必要な次のプログラムです。訓練をどうこなすかは、私に生涯付いて回る宿題でしょう。だったら私は宿題を楽しむしかない。違いますか?」


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