第18話 オープン3

 一枚目のカード。私が無性であることの公表。

 二枚目のカード。母と植田さんとの婚姻関係の暴露。


 私が鶏小屋を破壊し、そこから脱出するために必要な札を二枚切った。でも、それだけじゃまだ不十分なんだ。事態を打開するにはどうしても欠かせない最後の切り札。それは……。


「すみません。話を元に戻します。ここで私をレンタルしてくださったみなさんにとっては、私にどういう事情があって、それに誰が関わっているかなんて関係無いんですよね」


 これまで終始私の話を聞き流していた詐欺師おばちゃんが、苛立ったような声を上げた。


「あんたのごたくなんかどうでもいい。あの紙を返してくれ!」

「知りませんよ。ドーナツショップのトレイの敷き紙と区別の付かないくだらないものをぶん投げていって、それを今更返せっていうのはおかしくないですか?」

「なにい!?」

「文句があるなら、これから警察に行って遺失物捜索の手続きをしましょうか?」

「く……」

「それがどういう性質のものか、あなたはお巡りさんに事細かに説明しないとならないですよ? それでもいいですか?」


 私の指摘にへこまされたおばちゃんは、渋々引き下がった。おばちゃんに突き刺していた視線を動かし、事務室にいる人たちをぐるっと見回す。


「私がここに登録した目的。それはお金が欲しいとか、パトロンを探したいとか、そういうもんじゃありません。あくまでも訓練のためです」

「なんのだ!」


 おじいさんが、苛立ったように大声を張り上げた。


「会話の、ですよ」

「出来とるじゃないか!」

「出来てませんよ。だから訓練が要るんです」

「はあ? 今してるのは会話じゃないのか!?」

「違います。私をやり込めようとする突っ込みをかわしてるだけです。そんなのは会話なんて言いませんよ」


 突っ込もうとしていたおじいさんを、先手を打って黙らせる。


「鶏小屋さえ出られれば、会話のチャンスなんか山のようにある。私は最初そう考えてたんです。でも、それは無理」

「なぜだ!」

「あなたと同じですよ」

「なにい?」


 激昂したおじいさんが、しわがれた声を張り上げた。


「おまえのようなくたばり損ないと一緒にするなっ!」

「ほらね」

「なにがだ!」

「あなたの態度は、誰から見ても極めて不愉快です。もちろん、私もすごく不愉快です。そういう人に誰が話しかけてくれますか? 私だって、仕事じゃなければ話したいなんて絶対に思いませんよ」

「く……」

「それはね、私も同じなんです。ずっと鶏小屋に閉じ込められていた私には、誰かと話を重ねられる材料が何もないんです。私にあるのは窓から入ってきた知識だけ。集団の中で会話をした経験も、会話を始めるためのネタもない。会話をしたくても、私は受け身にならざるを得ません。ただ黙っている私に、誰が好意的に話しかけてくれますか?」


 それは糾弾じゃない。あくまでも投げかけ。そして、おじいさん以外の人は、そう思ってくれるだろう。ささくれた自分をぶつけることでしか接点を作れないおじいさんが、どこまでも異常だってこと。それをおじいさんが理解してくれればいいけどね。無理だろうなあ。まあ、いいや。本筋はそこじゃない。


「ね? 柳谷さんの欠点。私の欠点。性質は違っても、強制的に接点を作らない限り会話の発端がないっていうのは共通なんですよ」


 植田さんに視線を移す。ねえ、植田さん。私の目的が分かったでしょ? そういうことなんです。


「ここに登録したのは、会話のきっかけが機械的に発生するからです。仕事である以上、そして私がプロフに話をしようと書いている以上、私は話さないとならない。そうしないと、そもそも会話を交わす相手との接点が出来ないんですよ。そしてここでは、会話経験の乏しい私にはとてもありがたい好条件が揃ってる」


 右手をぽんと胸の前に突き出した私は、開いた指を一つずつ折っていった。


「まず。二時間という制限があり、時間切れを理由に会話を強制的に打ち切れること。必ず一対一になること。会話の相手にレンタルという割り切りがあること。同じように、私も仕事だからと割り切れます。そして私をレンタルする以上、働きかけは必ず相手から先に来る。それがものすごく重要だったんです。私からのアプローチは実質不可能ですから」

「それはおかしいだろ! おまえから話しかければいいじゃないか!」


 おじいさんが激しく噛み付いた。それをばっさりひっくり返す。


「出来ませんよ。会話をするには、どうしても私に主体性が要るんです。その主体性がまだどこにもない。事実としてない」


 お客さんが一斉に顔を見合わせた。私の言ってることの意味が分かんないんだろう。


「そうだなー。ユウちゃんが一番分かるかもしれないね」

「あの……どういうこと……ですか?」

「君は、オトナの経験談に口を挟める?」

「え? う……」

「親や先生に何も知らないガキは黙ってろって言われたら、それには言い返せないでしょ?」


 あっ!! 漏れた声とともに、お客さんたちの顔色が変わった。みんな、それで私の言いたいことが分かったんだろう。


「自分がしていない経験を話題に出されても、どうにもならないんです。ネタを振られてもうまく返せない。結局聞き役しか出来ない。ずっと鶏小屋にいた私は、ユウちゃん以上に条件が厳しいんですよ。年齢はオトナなのに、その年齢の人が普通は持っているはずのいろんな経験がない。会話を始めるために使える材料をほとんど持っていないんです。だから会話をスタートさせるには、どうしても先に相手からの働きかけが要る。私には、会話をリードするための主体が最初から欠けているんですよ」


 私を睨み付けていたおじいさんに向かって、畳み掛ける。


「私に主体性がないのは、経験不足だけが原因じゃない。まだ飼われている私には、事実として主体なんか備わりようがないんです。あなたは私に言ったじゃないですか。この穀潰しがって。その通りですよ。学歴も、職も、お金も、コネも……何一つない穀潰し。そのどこに主体性があります?」


 おじいさんが先に言うはずだった罵倒の言葉。それを私が自分の状態を表すのに使ったことで、おじいさんは完全に黙り込んでしまった。


「私は、ごく普通の人たちとごく普通の会話を交わす自信がまるっきりなかったんですよ。でも、どこかで馴らしをしないと永遠に鶏小屋から出られない。ですから、このレンタルショップを利用させてもらったんです」


 自分を指差す。


「だから、私はレンタル品としては出来損ないもいいところです。そんな私を借り出そうなんて物好きな人はそうそういないだろうと。だから馴らしはのんびりペースで出来るだろうと。そう思ってたんですよ」


 ざわざわざわ……室内がざわめいた。


「たぶん、私だけじゃなく、店長もびっくりされたんじゃないかな。何の売りも取り柄もない私にこんなに立て続けに指名が入るなんて……って」

「ああ、せや。あんたみたいなんは、滅多におらへんで」

「ですよね。でも、私はそれが世間の厳しさなんだなと。今になって分かりました。私に指名が入るのは、他の登録者とは別の理由なんですよ」

「どういうことや?」

「私は。登録者の中では一番ひ弱に、気弱に見えるんです」

「あっ!」


 店長が、くわっと目を見開いた。


「でしょ?」

「そ……うか。そいで、か」

「私には、それしか指名がかかる理由が思いつかなかったんです。私の書いたあんないい加減なプロフなんか誰も読みませんよ。プロフすらまともに書けないひょろひょろで覇気のなさそうなオトコ。お客さんは、私の登録情報を見て弱者のイメージしか持ちません。じゃあ、お客さんは何を期待して私を指名したか?」

「うん」

「私を征服すること。奴隷にすることです」


 し……ん。事務室内が、ひやっとした静けさで固まった。


「つまり、登録者の中で一番弱っちい私なら、簡単に意のままに出来るだろう。みなさんはそう考えたんですよ。六人の方、全員が、ね。もちろん、私のことをよく知っている先生も含めて、です」


 ふう……。


「厳しいです。厳しいですね。私の予想なんか全然役に立たない。これまで母と植田さんが、私を鶏小屋に閉じ込めることで遮断してくれていた人間の汚さ、怖さ。こうやって容赦無く押し寄せてくるんだな、と。でも圧力を自力で跳ね返せないと、冗談抜きに私は終わりだ。世間の厳しさに怖じて鶏小屋に逃げ帰るくらいなら、死んだ方がマシ!」


 私は両拳を握り締め、全身全霊を込めて絶叫した。


「死んだ方がマシですっ!!」


 鶏小屋を壊す。それは外からは出来ない。私が中から壊さないとならない。母の庇護も植田さんのケアも悪意ではないけれど、私の自我を根こそぎ奪い去ってしまう。私は、畑に植えときゃ勝手に育って花が咲くヒマワリや朝顔じゃなんだよ! 手足とどたまが付いてて、自力で動けて考えられる人間なんだ! 飼育動物扱いは、もうたくさんだ!

 実際に自立出来るかどうかはともかく。ここで母と植田さんに、鶏小屋にはもう絶対に戻らないとはっきり宣言すること。自分の堅い決意を、これでもかと主張すること。それが、どうしても切りたかった、そして切らなければならなかった、私の最大最強の切り札だった。

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