第14話 ケーススタディ6
「おや?」
部屋に入ってくるなり、植田さんが怪訝そうな顔をした。
「どうした? 類くん。ものすごく機嫌が良さそうだけど」
「あはは! 気分は最高です」
「なんかいいことがあった?」
「ありました。まあ、一区切り付いたので、次に進めたということになりますね」
「ああ、そっちの方か」
少しがっかりした顔で、植田さんが相槌を打った。
「今日は?」
「若い女性です」
「お? 初めてのパターン?」
「てか、そういうのがもっとも多いはずだったんですけどね」
ぎゅうっと渋面を作った植田さんが、直に突っ込んできた。
「会話の機会を強制的に作って、そこでコミュニケーション能力を向上させる。類くんのプログラムはそのためのものだと考えていたんだが」
「その通りですよ。今の植田さんの説明で、ぴったり過不足なしです」
「でも、その相手をどうやって確保するのか。そこを今まで教えてくれなかったよな」
「ええ。それは、私の作ったプログラムが手直しされるか、次のステップに進むまでは絶対に明かせません」
「……まだかい?」
植田さんの警戒と焦燥が露骨に表に出るようになった。でも、今はまだ手の内を明かせない。
「もうすぐオープンに出来ます」
「期間は?」
「そうですね。一、二日ってとこかな」
「ふうん。そうか。本当にファーストステップが終わったってことか」
「終わってません。今のプログラムでは向上しない。だから組み直す。それだけです」
「なるほど。昨日話していた、卒なく会話がこなせてしまうことの原因。それが分かって、しかもその原因は放置出来ない。そういうことね?」
「そうです。ぴったりその通りです」
「ふうん。原因は?」
「植田さんがここ数日示している態度。それが、そのまま私の不具合の原因です」
私の予想外の突っ込みに、ぱっと顔を上げる植田さん。
「は? 僕はそんなに苛々してた?」
「母の説得が難航していて、どうしてもそれが心に刺さる棘になる。それが植田さんの態度を硬化させる。苛々が出る。そんなの、植田さんでなくても当たり前です」
「うん。確かに」
「で。私から、そういうのを読み取れたことがありますか?」
「あっ!!」
植田さんが、手にしていたシャーペンを取り落とした。それは植田さんの膝から滑り落ち、床で跳ねて、からからと部屋の隅に転がっていった。
「それは、あくまでも長い間の慣習がもたらしたもの。母は、私に強い感情をぶつけないよう自分の感情の起伏を丸めた。それを調整仕切れない時は、植田さんが間に入った。二段構えの消波ブロックがあったら、母と植田さん以外にほとんど外部との接点のない私には、強い感情の波風が立つはずないんです」
「そういうことか」
「それは第三者から見ると、穏やかで自己主張の乏しい人物に見えるでしょうね」
「……ああ」
「でも、私はそうじゃない。そしてそうじゃないことを、誰彼なく示す必要もない」
「うん」
「ですから、私のエゴをきちんと見せなければならないケース以外は、ほとんど会話が上滑りするんです」
「あたたたたた……」
植田さんが、頭を抱え込んでしまった。
「確かにそれじゃあ、馴化の意味がないなあ」
「でしょう? つまり会話のスタートが自分であること。そこにくっきり好悪の感情が置けること。そういうプログラムにしないと、意味がなかったんですよ」
「それは分かるけど、今まではそう出来なかったの?」
「出来なかったです。それは、私自身とプログラムの両方に大きな問題があったから」
「そうか。それで、組み直しの可能な方から手を付けようってことだ」
「そうです」
植田さんは、私の説明を聞いて納得したんだろう。せっせとノートにメモを書き連ねている。この見慣れた風景も、もう少しで終わりになる。いや、終わりにしないとならない。
「で。類くんの機嫌がいいのは、それに目処が立ったから?」
「いいえ。時間がかかりますよ。まだプログラムスタートから十日も経ってない。それで馴化がどんどん進むなら、苦労なんかしないです」
「確かにね。じゃあ、それとは別?」
「ええ。私はプログラムをこなすことで、どうしても達成したい三つの目標があります。それは同時達成でなくてもいい。順次達成で構わない」
「うん。具体的には?」
「鶏小屋を出ること。経済的な自立。自我の補強」
「……。どれも、すぐには……」
「無理でしょうね。でも、それをだらだら計画していたんじゃ、結局いつまで経っても鶏小屋から出られない。三つの達成目標のうち、一番重要なのはそれですから」
「まあ、そうなんだけどさ」
「二番、三番は、ある意味一番達成のための前提条件ですよ。実際の目標は一番しかない」
「うん。親がかりの解消と、生涯目標の設定ってことだろ?」
「ですです」
「そうか……でも……なあ」
そうなんだよね。結局、冷静な第三者の立場であるべき植田さんまでがいつの間にか母に取り込まれてしまってる。それはとても奇妙なことなんだ。
私は今まで、鶏小屋の関係者の相互関係をほとんど考えたことがなかった。私の生き方には何も影響しない、まさに鶏小屋の部材にしか過ぎなかったんだ。でも、今日前沢先生と話していて強い疑念を抱いたことがある。なぜ、あのタイミングで先生が突然辞めたのか。大学への進学や就職。そういう人生の大きな区切りと先生の退職が重なっていれば、私は納得出来たんだ。だけど、三年前の先生にそうした節目があったとは思えない。つまり鶏小屋の関係者の間で、何か心理的なバランスが崩れるハプニングがあったとしか思えない。
問題は。それに突っ込む意味があるかどうかなんだよね。私が母や植田さんと完全に縁を切るつもりなら、過去に遡ってそれをつつき回すことは可能だろう。でも、その行為は誰にとっても益がない。スピードの早い遅いはあっても、私の目標は自立へのスムーズな移行だ。そこに新しい障害物を並べることは、かえって自立プロセスを邪魔することになる。扱いが厄介なんだよね。
それでも。推理したことは、私を鶏小屋に幽閉しようとする強いアクションが起こった場合の牽制材料には使える。
「まあ。近いうちに新しいプログラムを走らせます。その時にはまた植田さんにお知らせしますので」
私のアクションが断固とした拒絶でないことに安心したんだろう。不満を残した感じだったけど、植田さんの突っ込みは止まった。
「そうだね。また次の時に考える……か」
「そうしてもらえれば」
「ああ、そうだ」
「はい?」
「それと、類くんが上機嫌だったことの関係は?」
「あはは。目標の一部達成ですよ」
「?? どの目標だろう?」
「それは、ないしょ」
「ええー?」
「私の情報提供は、これでおしまいです」
ばつっ。
私は、植田さんとの会話を強制的に打ち切った。今のプログラムを動かす時にはとても鷹揚だった植田さんの姿勢が、私の内面を掘り返す方向に変化している。
結局。植田さんの母に対する説得工作は、最初の時点から大きく後退してしまったということなんだろう。逆に、植田さんが母に取り込まれてしまった可能性が高い。それなら、私の方で最悪の事態に備えておかないとならないからね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます