第4話 ケーススタディ1

「どう?」


 きちんと下準備から入る植田さんの質問は、いつになく唐突に始まった。無理もないよね。私は、植田さんに私の行動を何も明かしていない。植田さんに分かっていることは、私が家を出て自力で馴化プログラムをこなしているというもやっとした事実だけだ。


 私は、生まれてこのかた培養器を出たことがない純粋培養の人間なんかじゃない。幼稚園や小学校の低学年の頃には何度か登園、登校にトライしてる。私がそういう場所や環境に強い拒否反応を示したということはなく、むしろ拒否反応を示したのは母の方だった。それは園や学校の教育方針とぶつかったからと言うよりも、私を特別扱いしてくれという母のリクエストをすげなく拒否されたからだろう。

 母の懸念は分からないでもない。私と他の子たちとの相違点は親や教師には調整出来ないほど大きいのだろうし、その反作用が全て私にだけ降ってくる以上、私を迫害から守ろうとする母の強い庇護意識を非難することは出来ない。


 ただ……いくら母の庇護欲が強くても、私はずっと子供のままではいられない。私の身体や知能、精神に大きな瑕疵があるのなら誰かの扶助が必要だと思うし、私がそれを拒むことはなかっただろう。

 でも、私は少なくとも『外見上』は一般のオトナと何も変わらないんだ。体は普通に動くし、特別珍奇な思考の持ち主でもない。『窓』を通して常に世情と自分をすり合わせしてきたつもりなので、ものすごく感覚や感情が一般人とズレてるということもないだろう。


 今日あのおじいさんに罵られたように、外から見て私はタチの悪いニートということになってしまう。五体満足で自力で行動出来るのに、何もしない役立たずの怠け者がってね。

 それは違う。私は、その蔑称を受け入れるつもりはない。だからこその馴化プログラムなんだ。私と一般のオトナを比べた時に唯一私に不足しているものがあるとすれば、それは自分に対してニュートラルもしくは敵対的な感情を持つ人々とのやり取りの経験、『撃退する』もしくは『やり過ごす』ための処世術なんだろうと思う。


 窓は確かにずっと開いていた。しかし、そこから私は出られず、私は一方的に受け入れるだけだった。しかも、飼育員以外に私を認識してくれた第三者はほとんど誰もいなかった。自分が鶏小屋の外に出た時に、どのようなやり取りが出来るか、すべきか。それは実際にやってみないと分からなかったんだ。


 私は、今日のおじいさんとのやり取りを思い返す。それから、これまでと同じように植田さんに経過説明を始めた。


「そうですね。今日は年配の人と話をしました」

「男? 女?」

「おじいさんです」

「そう。会話は?」

「不成立です」


 ぎゅっと眉根に皺を寄せて表情を硬くした植田さんが、何度か空咳を繰り返した。


「ん! んんっ!」

「あ、誤解しないでくださいね。それは私が原因じゃなくて、向こうの態度です」

「ほ? そうなんだ」

「はい。何ていうか……ものすごく偏屈で強圧的な人で」

「うわ、いきなり難易度大か」

「ですね。でも、その方が私にはかえって楽なんですよ」

「どして?」

「遮断出来るからです。相手に近づこうとする意思が私にあっても、相手がそれを望まず逆に私を支配しようとするなら、会話を続ける意味がないです」

「拒否出来た?」

「しました。まだ慣らしの段階なのに、難しいやり取りに無理に突っ込む気はありません」


 少しだけ安心したのか、植田さんは乗り出していた体を引いて笑顔を見せた。


「ははは。類くんなら、もう馴化が要らない感じだけどな」

「だといいんですけどね。距離感が分かりにくい、もやっとした人が相手の場合、どうなるのかなあと思って、そこが、まだ……」

「確かにね。誰もが、最初から本音トークをしてくれるわけじゃないからなあ」

「ええ」

「まあ、最初に極端から入るのは悪くないかもしれない。何でも遮断するっていうわけには行かないけど、自らの意思できちんと相手にノーを宣告するのは大事だし、それは意外に勇気がいるからね」

「そう思いました」

「次の機会は?」

「分かりません。それは私が決められることではないので」

「ふうん。どういうチャンスメイクをしてるの?」

「今はまだ明かせません」


 それは単なる事実なんだけど、植田さんは拒絶と取るだろうなあ……。案の定、植田さんは眉をひそめた。


「そうですね。植田さんには、もう少しだけ踏み込んだ情報提供をしておきます」

「うん。それは助かる」

「私の組んだ馴化プログラムの中身は、対人関係調整の経験値を上げることだけが目的じゃない。もう一つ、大事な目的があるんですよ」

「……具体的には?」

「まだ言えません」

「秘密?」

「いえ。私はまだそれをぴったり言い表わせる言葉を知らない。そう考えてもらえると」

「うーん……」


 困ったような顔でうなったきり、植田さんが黙り込んでしまった。


「一つだけ確認しとくね」

「はい」

「類くんのプログラム。危険は?」

「もちろんあります」


 私は即答した。それこそ隠しておいてもしょうがない。これから突発的なアクシデントが起こった時に、母や植田さんに何も予備知識がないことは関係者をいきなり修羅場に巻き込むことになりかねない。そうなることは回避したい。


「でもね。危険は私が一人で外出すれば必ず遭遇しうる性質のものです。コンタクトのためのお膳立てが違うだけで」

「ふむ……」

「ですから警戒は欠かしませんけど、最初から尻込みして逃げるつもりもありません」


 はあっ。大きな溜息をついた植田さんが、ぱたっとノートを閉じた。


「やりにくいなあ」

「済みません。でも、こうしたやり取りすらもそろそろフェイドアウトさせていかないと」

「まあね。それは確かにそうだ」


 植田さんは、ノートをカバンに放り込むと、さっと立ち上がった。


「また経過を聞かせて」

「はい。コメントは?」

「特にない。類くん自身がしんどいとかトラブルだとか思っていないなら、もう自力で処理が出来てるってことさ。僕が余計な口を挟んだら、そもそも馴化にならないよ」

「あはは。そうですよね」


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