帰還の勇者

新梁穂希

エピローグ:勇者、帰還す

帰還の勇者



空は青。あの日と同じだ。


「…ショウさん、本当に行ってしまうんですね…」

「…ああ」


王城の一角にある庭で、俺のそっけない返答を聞いた茶色の獣耳を頭から生やした小さな獣人の少女ーーーメイナが耐えきれずに泣き出す。その震える頭に手を置いて慰めながら、俺はもう一度空を見た。


本当に、これまでの血煙飛び散る戦いがあったのと同じ空の下なのに……何て、


何て、綺麗な空だろう。


「行かないでくださいよぉ…私っ…私、ショウさんがいなくなったらぁ…うああ…」

「…悪いな、メイナ。俺の唯一の目標なんだ。元の世界に帰らなきゃ…俺は、今までの俺を否定する事になる。それは、それだけは嫌なんだ。」


ずっと彼女自身も故郷に戻る事を夢見ていた。そんな彼女だからこそ一層、俺の覚悟はその純な心に伝わるのだろう。先程よりも大きな声で咽び泣くメイナを抑えてくれたのは、メイナと同郷の男。メイナと同じように、灰色の獣耳をピンと立てた2メートルほどの巨漢の男、シヴァだ。


「……メイナのお守りを任せるぞ、シヴァ」

「うわあああんっ!シヴァああああああっ!」

「……私とて、メイナと同じ気持ちなのだがな…ショウ、覚悟は、緩まんか」


その巨躯に縋り付いてくるメイナを抱きとめながらシヴァが確認をしてくるが、俺はそれにもしっかりと首を縦に振る。


俺の覚悟は、自分でも驚くほどに緩まない。まるで誰かに強制されているような…と考え、考えすぎかと頭を振る。こういう事で考え過ぎるのは俺の悪い癖だ。


「……そうか。であれば言うことは何もない。このレイエス・シヴァールスフ。貴様の頼みを、確かに受け取った。メイナの世話は任せておけ」


俺とシヴァが視線をかわして頷きあっているのを見たメイナが、慌てて鼻声で高らかに叫んだ。天まで届けと言わんばかりの大声は、その覚悟を俺の心に直接届けてくれる。


「めっ……レイエス・メイリアナは、ショウさんがいなくなっても泣きません!シヴァよりも強くなって、ショウさんがいなくてもこの世界を守ってみせます!」

「……はは、頼りにしてるよ。メイナ」


俺がそう言ってまた頭を撫でると、さっきまでのキリッと締まった顔のまま涙腺を決壊させたメイナがシヴァの胸に顔をうずめた。まるで俺が泣かせたかのようになって、何処となく漂う罪悪感に俺は頬をかいた。そんな俺をニヤニヤと見つめながら、シヴァはただメイナの頭を撫でる。


「おいおい、メイナ…もう泣かないんじゃなかったのか?」

「……まだショウさんいなくなってないもん!だから……だからぁ…!」


本格的にメイナが泣き始め、先程までニヤニヤしていたシヴァも焦りの表情を浮かべ始める。勿論俺もだ。2人で焦りの表情を見合わせ、三秒。そこからバッとメイナに向き直り2人がかりで彼女を慰めた。



二人してメイナを慰めるために色々していると、全身を黒い装束で覆った人間が木の上から呼びかけてきた。そいつは、俺の旅にずっと影から付いてきてくれた隠密のKだ。いつも俺達の事を影から見守ってくれていて、危機に陥れば助けてくれた事もある。黒い布と仮面で顔を完全に覆っていて、全く表情は見えない。


「ショウ様…送還の準備ができたとキリ殿からの伝言です」

「分かった…K、最後なんだからお前の名前と顔を見せてくれよ。もう俺はここには戻ってこないんだから」


ポカンとしている様子のKに、俺は笑いながらもほれ、と催促する。少々迷った素振りを見せたKを見たシヴァが苦笑いをしつつ、未だ泣き続けるメイナを抱えて体の向きを変えた。


シヴァがこちらを見ないように体の向きを変えたのが良かったのか、暫く逡巡していた影が頭の頭巾を取った。その下からは特に目立たない顔立ちの、緑の髪の男が出てくる。何も目立つところは無い……筈なのに、全身から溢れるその刃のように研がれた気配は、否応なしに木の上の人物が手練れである事を伝えてくる。


「…私の素顔を見たのは貴方で5人目です。そして私の名前はカラン…まぁ、私からのほんの手向けですよ」

「はは、それはありがたい。受け取るよ」

「…シュウ様、お元気で」

「カランも、今度は俺みたいのの監視にに配属されないようにしろよ」


俺がそう笑いながら言うと、カランはああ、と今気がついたような、しかし長年連れ添ってきた俺なら分かるような、確実に楽しんでいる声で爆弾発言をした。


「そういえば言っていませんでしたね。私今回の件で一生使い切れないほどの富をいただきまして、今回城使えのメイドと結婚することになりました。ですから貴方に顔をみせましたし、二人にまで名前を聞かれても問題なかったのです」

「何ぃ!?」

「嘘っ!?」

「マジで!?」


マジです。と言って教えてくれたメイドの名に、シヴァとメイナは覚えがあったようだ。メイナは驚きのあまり涙が引っ込んだようだ。シヴァと2人でその様子を見て、ほっと2人顔を見合わせ、胸をなで下ろす。そんな俺たちを見たカランは明らかに笑いをこらえているが、そのことにも気がつかないほどにメイナは興奮している。先程まで泣いていたのに、そのテンションの切り替え方はまるで猫のようだ。


「そういえばあの子…Kに助けられたって話してた…」

「最近男が近寄ると走って逃げて行ったが…貞操を守るためであったか…」


そのメイドから聞いたり見たりしたらしい自分たちの記憶に、それぞれにウンウンと納得しているが、その記憶どころかメイドに関する記憶すらも全く無い俺は何となく疎外感を感じたのでカランに馴れ初めを聞く。カランが何でも無いような顔でペラペラと話す内容は、まるで往年の少女漫画のような王道ストーリーだった。


「別に、街で暴漢に襲われていたのを助けて、その際に足を怪我したようでしたので抱え城まで戻っただけですよ」

「だけってなによK。あの子、『お姫様抱っこされちゃった〜』って一週間は使い物にならなかったんだから」

「…そうですか。結婚式の後はもっと酷いことになると思いますよ」


それをアンタが何とかしなさいよ!


無理です。彼女いわく恋するメイドは無敵らしいので私では到底かないませんよ。


誇・張・表・現!


いやぁアレはマジの目でしたよ。


流れるようなテンポで二人が言い合いをする姿は旅の最中に見た光景とまるで変わっておらず、俺はつい我慢が出来ずにクスクスと笑った。そんな俺に最初は呆気にとられていた三人だったが、すぐに、みんなもそれぞれで笑い出す。その笑い声はすぐに大笑いへと変わり、城の庭に明るい笑い声が大きく反響した。


ひとしきり笑った後で、俺は三人に別れを告げた。さっきの笑いで余計な力が抜けたのか、メイナも今度は泣きはしなかった。それに安心感と寂しさを感じつつ、俺は顔に微笑みを浮かべる。


「…じゃあな…カラン、シヴァ、メイナ」


俺のかけがえの無い友人とは、これでお別れ。


「ああ、風邪をひくなよ」

「ハッ、5年の間で俺が風邪引いたことあったか?…大丈夫だよ」


「私がいなくなっても寂しさで泣いてはいけませんよ」

「奥さんに寂しい思いさせんじゃねえぞ…まあ、お前なら大丈夫か。幸せに、な」


「…ショウさん、私、いつかショウさんよりもずっと、ずーっと強くなりますからね!」

「ふん、なれるもんならなってみろ…今よりも先で待っててやるからよ」


3人に別れを告げた俺は、クルリと体の向きを反転させ、駆け出した。これ以上あの場所にいると泣き出してしまう予感がしたからだ。アイツ等が記憶に焼き付けるのは、笑顔の俺だけでいい。とカッコよさげなことを言ってみても、結局は自分がカッコつけたいだけなんだが。


俺はKに教えられた通りの道を辿り、城の奥の一室、窓の無い部屋に描かれた光り輝く法陣……送還法陣へと向かった。


一切の間違いなく道を走った先にあったのは、頑丈な鉄扉。錠前はされていないが、魔術的な何かが施されているのが分かる。


どちらかといえば、拷問部屋の入り口みたいだな…


「ここであってる…のか?」

「ええ、合ってますよ」


聞き覚えのある声に振り向いて、わずかに目を見開く。そこには金の髪色をしたこの国の姫、その横には俺が倒す使命を帯びていた、俺と同じ黒髪の魔王の姿があった。その身体は鉄布でガチガチに全身を巻かれ、首以外自由に身動きができないように拘束されていた。


「……よう桐崎。相変わらず拘束されてんのな、お前」

「…このくらいは寛大の内だ。本来俺は殺されて当然なんだからな」


桐崎は、俺と同じように地球から召喚されて、神に精神を操られて魔王となり、魔物側として人類に戦争を挑まされていた。旅の途中でこいつとは幾度となく拳を合わせ、こいつの心にかかっていた洗脳を解いた俺は、こいつと二人で神に挑み、勝ったのだ。その功績と俺の懇願によって、こいつは今でも生きている。


「本当に戦争が終わって良かったよ。お前は俺に感謝しろよ!」

「ああ。言われなくても、手前には本気で感謝しているさ……俺を召喚した法陣は破壊されてしまったから、手前にはこれから簡単に会えなくなるが………この思いを忘れることは無いと、誓おう」


少し、寂しげに笑う桐崎を見た俺は、一つの事を思い付く。この提案を聞けば恐らくは笑ってくれると思うが、不安はある。そんな不安を打ち消すように、俺はまくし立てるように桐崎に提案する。


「……桐崎、お前の本名と、生まれた年と住んでた場所、教えてくれよ。お前の親に挨拶しといてやる…息子さんは元気で魔王やってますよ…ってな」


俺のセリフに少しだけ涙した桐崎は、俺に本名と生まれを伝えた。それを俺は頭の中に叩き込み、笑顔を浮かべてガッシリと握手をした。そして、俺たちの会話を黙って聞いていた姫様に軽く頭をさげる。そして、俺は二人に別れを告げた。


「……じゃあな」


そして俺は、異世界での勇者業を終え、平和な日本に帰ったのだった。

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