魔法遣いの一族に生まれながら、出来損ないの私が恋したのは残虐な黒狼将軍でした
魚谷
第1話 そして二人は出会った
王都から数里離れた、日差しの届かない、山深い森の中、そこにうらぶれた屋敷がある。
幽霊屋敷――そう称される屋敷の一室に、ただ一人の住人がいる。
エイシス・ウィル・ヴァレンタインは、魔ゾディアック伯爵を冠する名門、ヴァレンタイン家の末娘である。
蜂蜜色の腰まで届きそうな甘い髪、サファイア・ブルーの澄んだ眼差しに細い柳眉、白蓮のように淡い白い肌に、クチナシのように鮮やかに赤い、薄い唇――。
若干15歳にして、大人を感嘆させるほどお気品をたたえる麗しい見目みめをもつ。
しかし、そんな彼女には欠点がある。
「無理、無理無理……もう、無理ぃー……っ」
声が響き渡る。
椅子に座ったまま、ドレスから伸びた長い四肢をばたばたさせ、エイシスは溜息を漏らした。
彼女が前にしたテーブルの上には、両手ですくえるほどの大きさの石炭のように真っ黒な石がある。
それは魔法石、と呼ばれるものだ。
伯爵家に生まれたものは誰しも16歳になれば、王の前でこの魔法石を捧げ、みずからの魔力を王へ披露するのである。
身体の中に眠る魔力を解放すれば、たちまち石が色を変え、赤銅ガーネット、晶緑オパール、翡翠エメラルド……。
さまざまな色に変わるのだ。
だが、エイシスがどれほどがんばってみ、石は黒いまま。変化一つみせない。
もしかしたら自分の魔力で石は黒くなるのかも…と考え、書物を漁ってみても、どんな微々たる魔力しかなくとも、そうなることはない。それどころか、魔法石は色が変わると共に、ごつごつとした表面が削れ、球形になるという。
16歳の誕生日まであと一ヶ月あまり。
どうにかこうにかしなければ、ヴァレンタインの家名に疵きずをつける――
(まあ、それはいいんだけど、お母様が……)
エイシスは本妻の子ではなく、妾腹めかけばらである。
母は幼い頃に亡くなってしまったけれど、自分が馬鹿にされるだけではなく、所詮、妾腹…と、未だ肖像画でしか知らない母に申し訳がたたない。
いや、母との記憶はある。
甘い……かおり。
そして、額に口づけされる感覚を、なぜか、今でも覚えている。
それだけに、うんともすんともいわない魔法石への怒りは深い。
「ざけんじゃないわよぉっ……!!」
椅子を蹴立てて立ち上がり、ビシッと指を差す。
「あのね、私はあんたが不良品って可能性を捨て切ってないからね!?」
「…………」
「……だめだ、疲れてるのね、私……っ」
すとんとまた椅子に座り直し、石をこづく。
魔法石は、生まれた時、その子の“守り石”として共に成長する……。
「私がこんなに美しく育ってるんだから、あんただってねえ……そうでしょ? ぴかーっと光ってみなさいよ……」
これまで石を壁にたたきつけたり、金槌で叩いたりしたが、びくともない。
つまり、これが魔法石にみせかけた、ただの石、という可能性はないわけで。
「ハー……もう嫌……っ」
エイシスは気分転換に外に出た。
建物の外壁にはひびがはしり、窓は玻璃ガラスをはめこむお金がないから板塀を貼り付けている。
(さすがに、これ、修繕しないといけないわね)
ここは母が、夫であるヴァレンタイン伯爵から与えられた屋敷だ。
このぼろさかげん故に、父からは本宅へ来ないかと誘いを受けていたが、エイシスは固持していた。
母の面影はほとんど忘れてしまってはいたが、それでも母と暮らしていたここを手放したくないのと、本宅には嫌みな姉たちがいる。
嫌みを言われるのは馴れた。
問題はあの顔面に、魔法石を殴りつける衝動にかられるのを、やむにやまれぬ事情で会う分にはまだしも、一つ屋根の下で暮らす状況では避けがたいからだ。
(またあとで、こっちも直さないと……)
とりあえず、今は散歩でもして鬱屈を紛らわさないことにはしょうがない。
山の中は静かだ。落ち着く。
こんな暮らしを捨てて、王都のやかましさの中に入るのは勘弁だ。
川のせせらぎが近づく。
木々の向こうで申し訳程度に差し込んでいる日差しをあびて、水面がきらきらと輝いている。
エイシスはさっきまで沈んでいた心が跳ねるのを感じ、駆け出す。
川の水は冷たいが、それが気持ちよくもある。
しゃがんで小魚が泳いでいるのをしばし眺め、身体を起こす。
と、川の流れに何かが混じる。
それはほんのりと薄められたピンクをしている。
(上流から……?)
駆け出し、岸辺を走る。
と、しばらくして視界に入ってきたのは、誰かが倒れている姿だった。
うつぶせで、頭に半ばひたしている。
身体のあちこちに傷があり、血が滲んでいた。
(し、死んでる……?)
「ね、ねえ……あなた?」
最初は対岸から声をかける。
反応はない。
「ねえ! 聞こえるっ!」
エイシスは意を決して、飛び石をつかって対岸まで渡り、首筋に指をおく。
脈が弱いが、ある。
「待ってなさい、死ぬんじゃないわよ!?」
エイシスはそう呼びつけ、走り出した。
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