ランドシン伝記Ⅴ

キール・アーカーシャ

第1話

 第2話  


 

 ククリ島は今、最大の危機にさらされようとしていた。

だが-その頃、ヴィル達・ヒヨコ豆-団は迷っていた。

トゥセ「・・・・・・団長。俺達、いつになったら森の外に出れるんですかね?」

 と、ダーク・エルフのカード使いトゥセは-ぼやくのだった。

ヴィル「さぁな」

 そう困った風(ふう)にヴィルは答えるのだった。

カシム「やはり何らかの力が働いてるのでしょうか?」

 と言うのは仙人術の使い手カシムだった。

 すると、ゴブリンの呪(まじな)い士(し)の老婆ガ・シヤが神妙な顔をしながら立ち止まった。

アーゼ「ガ・シヤさん。どうなされたんですか?」

 そう格闘家アーゼは声を掛(か)けた。

ガ・シヤ「もしかしたら、私達はミロク寺院へと向かうべきでは無いのかも知れな     いね」

ヴィル「どういう事です?」

ガ・シヤ「森の精霊が私達を迷わしているのかもねぇ。

     さて、何処(どこ)を進めば良いモノか・・・・・・」

ヴィル「進むべき道」

 そうヴィルは呟(つぶや)いた。

 刹那(せつな)、ヴィルの脳裏に悲鳴が響いた。

 木々が燃えゆき、動物たちも炎と煙に巻かれていった。

 それは大規模な火災であり、山の全てを焼き尽くさんとしていた。

 いや、一つの山だけでは無い。山々を全て灰に帰そうとしているのだった。

 松明(たいまつ)と炎の魔石を手にした異様な軍隊。

 空を浮遊する貴公子(きこうし)の如(ごと)き炎の高位-能力者。

 そして、それらを従えるのは無感情に指示を下(くだ)す女性の軍師にして将軍であった。

 

《ヴィル・・・・・・ヴィル・ザ・ハーケンス》

  森の精霊の-か細い声がヴィルには届いた。

 《貴方(あなた)だけが頼りなんだ。どうか、この島を・・・・・・》

 しかし、次の瞬間には森の精霊は火に飲(の)み込(こ)まれていった。


ヴィル「今のは・・・・・・」

 今の光景にヴィルは戦慄(せんりつ)せざるを得なかった。

トゥセ「団長?」

 事情を知らぬトゥセは心配そうに声を掛(か)けた。

ヴィル「戦争が起きている」

トゥセ「みたいですね。エストネア皇国(おうこく)が攻めて来たんでしょ?」

ヴィル「違う。あれは別の軍隊だ。もっと異質の。人間味を感じさせない恐るべき    敵だ」

 とのヴィルの言葉に、トゥセは首を傾(かし)げるのだった。

ガ・シヤ「何かを見たんだね。透視・・・・・・もしくは予知か?」

 ゴブリンの呪(まじな)い士(し)ガ・シヤはヴィルの瞳をジッと見つめた。

ヴィル「分かりません。でも、ある光景が見えたんです。

    森が燃えていました。ここから少し離れた所で

    しょうか?でも、遠すぎない場所。

    そこで木々と動物たちが火に・・・・・・。

    いや、それだけじゃ無い。

    精霊。森を守護する精霊が俺に語りかけました。

    途中で言葉が区切れ、最後に何を言ったか分かり

    ませんでしたが、彼女は多分、こう言いたかった

    んだと思います。

《この島を・・・・・・救って欲しい》と」

 この言葉に、皆は静まりかえるのだった。

 静寂(せいじゃく)を破(やぶ)ったのはドワーフのギートだった。

ギート「しかし、ヴィル殿。それはつまり、森を燃やす軍隊が

    新しく現れたって事なんですかい?」

ヴィル「かも知れない」

カシム「だとしたら、ククリ島は本当に窮地(きゅうち)と言えますね。

    エストネアだけで無く、別の国がククリ島を攻め

    て来たという事で。しかも、彼らは目的の為(ため)なら

    手段を選ばないという事なんですか?」

ヴィル「恐らくは・・・・・・」

 すると、ゴブリンの少女レククが不安そうな表情を見せた。

ヴィル「あ、すまない、レクク。怖(こわ)がらせるつもりは無かったんだ」

レクク「大丈夫です。でも・・・・・・悲しみが広がって行ってしまうんですか?」

モロン「レクク、心配しないで。僕たちが付いてるから」

 そう小人族のモロンは慰(なぐさ)めた。

レクク「うん、ありがとうモロン」

 と、レククは少し元気を取り戻すのだった。

 しかし、場の空気が沈んだままだった。

 そんな中、ヴィルは皆に告げた。

ヴィル「どうか皆(みんな)、聞いて欲しい。俺は今までレククを島まで

    連れてくるのが、俺達に課せられた目的(クエスト)かと思った。

    だが、もしかしたら、俺達はそれ以上を成さねばなら

    ないのかも知れない」

カシム「つまり・・・・・・」

ヴィル「ククリ島を救う。その為(ため)に俺達はきっと、ここに来たんだ」

 その刹那(せつな)、雨雲に隙間(すきま)が生じたように、木漏(こも)れ日(び)が差しこんだ。今、陽(ひ)がヴィルを照らし、さながら後光(ごこう)のように輝いているのだった。

 さらに一陣の風が吹き、木々が揺れ出し、無いはずの道が浮かび上がってきた。

 道の遙(はる)か先には平野が広がっており、そのさらに向こうでは山々が燃えていた。

 これを見て、皆は固唾(かたず)を飲んだ。

ヴィル「決めてくれ。このまま寺院を目指すか、それとも戦いを選ぶか。もし戦い    を選ぶなら、それは厳しく辛い道となるだろう。相手は人間なのだか      ら・・・・・・」

 すると、トゥセが前に出た。

トゥセ「俺は団長に付いて来ますよ。当然でしょ。第一、寺院はあのクエルトの野    郎が言った事でしょ?元々、気が進まなかったんすよ」

 さらにアーゼも歩(あゆ)み出た。

アーゼ「俺もトゥセと同じですよ。まぁ、寺院には行きたいですけどね。でも、戦    わないと守れないモノもあると思うんです。だから、俺は戦いますよ、団    長」

ヴィル「そうか・・・・・・。ありがとう二人とも」

 と、ヴィルは感慨深(かんがいぶか)く答えるのだった。

 その時、カシムが口を開いた。

カシム「私も戦います。本来、仙人術(せんにんじゅつ)は殺傷の為(ため)にあるわけ    ではありません。それを破れば深い業(ごう)を被(かぶ)ると言われていま     す。でも、虐殺(ぎゃくさつ)を止めれるのならば、私は喜んで術を使いま     しょう。覚悟は出来ています」

 とのカシムの言葉が終わるや、茶猫のケシャがスタスタと前に歩き出した。

ケシャ『正直、私はヒト殺(ごろ)しは嫌です。私は猫ですけど。でも、

    仕方ないですよね。悲しいですけど・・・・・・。私の力、

    役立(やくだ)つか分かりませんけど、協力させて下(くだ)さい」

ヴィル「ああ。二人とも、とても心強いよ」

 すると、ドワーフのギートが声をあげた。

ギート「ヴィル殿、ワシも当然、行きますぞ。むしろ、ワシが居なくては始まらな    いのでは?」

トゥセ「へへっ、大口、叩きやがる」

ギート「なんじゃとーーーッ!」

 との二人のやり取りに、思わずヴィルは苦笑を漏(も)らした。

ヴィル「ギート。頼りにしてるぞ」

 そうヴィルに言われ、ギートは照れくさそうに髭(ひげ)をいじるの

だった。

ヴィル「レクク、モロン。お前達はどうする?正直な所、俺はお前達を殺し合いに    巻きこみたくない。お前達は特に心優しい者達だ。いや、みんなが優しく    無いわけじゃないけど。でもな・・・・・・」

 すると、モロンはかつてなく真剣な表情でヴィルを見つめた。

モロン「団長。僕も戦うよ。僕は戦いの力は無いかも知れない

    けど、雑用でも何でも手伝わせて。お願い、団長」

ヴィル「・・・・・・分かった。もう何も言うまい。モロン。お前との付き合いも短くな    い。共に行こう」

モロン「うん、団長」

 と、嬉しげに答えた。

ヴィル「さて。レクク、君はどうする?」

レクク「団長。私、みんなと行きます。私、戦えないと思いますけど、それでも付    いて行かせて下さい。目を逸(そ)らしちゃいけないと思うんです。このまま    じゃ、ククリ島の皆が死んじゃうんです。全てが無くなっちゃうんです。    私、それだけは有ってはならないと思うんです」

 そう涙ながらに告げた。

ヴィル「ああ、分かった。ごめんな、レクク。辛い事を選ばせてしまって」

レクク「いえ・・・・・・」

 涙を拭いながら、レククは答えた。

 その時、レククの腕の中のニョモが声を出した。

ニョモ『ニョモ、ニョモモッ!』

 と、ニョモはキリッとしながら言うのだった。

レクク「うん。ニョモちゃんも一緒に行こうね。家族だものね」

ニョモ『ニョモ!』

 そうニョモは嬉しそうに答えた。

 すると、黒猫に憑依(ひょうい)したトフクも言った。

トフク『レクク様の有るところにワシも有りますのじゃ。

    ですが、ヴィル殿。どうか、レクク様の事も頼み

    ますのじゃ。レクク様はククリ島の希望。決して

    失(うしな)われる事は有ってはなりませぬのじゃ』

ヴィル「はい。命に代(か)えても彼女を守ります。ですが、戦いは

    混戦になるやも知れません。確実に守りきれるとは、保障しかねます。申しわけ無いのですが」

トフク『分かっております。分かっておりますとも。ですが、

    ヴィル殿。そうやって、きちんと言って下(くだ)さる貴方(あなた)

    だからこそ、ワシもレクク様を・・・・・・いえ、ククリ

    島を貴方(あなた)に託(たく)す事が出来るのです』

ヴィル「はい」

 そうヴィルは力強く答えた。

 ここで残るはゴブリンの呪(まじな)い士(し)であるガ・シヤであった。

ヴィル「ガ・シヤさん」

ガ・シヤ「はぁ、老(お)い先(さき)短いこの命を惜(お)しんでも仕方ないね。

     私も付いていくよ。少しは役立てる事も有るだろう

     よ」

 こうして、全ての仲間が戦いの道を選んだ。

ヴィル「行こう、みんな。どれ程に辛い道が有ろうと、俺達は

    仲間だ」

 対し、皆は『オオッ』と声をあげた。

 そして、ヴィル達とヒヨコ豆-団は光(ひかり)差(さ)す道(みち)を進むのだった。

 この時、どういうわけかヴィルは過去の情景を思い出していた。

 それは幼いヴィルに病弱の母が、ミロクの説法集(せっぽうしゅう)を読み聞かせている場面であった。


母『あぁ、何度-開いても、このページになるのね。

  輪(りん)王(おう)の説話(せつわ)。かつて、輪(りん)が古代ミズガルドにおいて、

  敵陣を摧破(さいは)するに最もふさわしい武具であった如(ごと)くに、

  仏の教えは一切(いっさい)衆生(しゅじょう)の迷妄(めいもう)を摧破(さいは)する  モノであり、これを法輪(ほうりん)となす・・・・・・。

  ヴィル。あなたは-きっといつの日か、輪(りん)の如(ごと)くに御仏(みほとけ)様  (さま)に使って頂けるのね。

  その姿を私は見る事が出来るのかしらね』

 刹那(せつな)、母は激しく咳(せ)き込(こ)むのだった。

ヴィル『お母さんッ』

母『大丈夫、大丈夫よ、ヴィル。少し喉(のど)に詰(つ)まっちゃっただけだからね』

ヴィル『うん・・・・・・』

母『あなたは私の誇りよ、ヴィル。あなたはね、お父さんと私の誇りであり、生きてきた証(あかし)なのよ。ねぇ、ヴィル』

 そして、母は弱々しくも優しく、幼いヴィルの頭を撫(な)でるの

だった。


 回想から戻るも、ヴィルの心はチクリと痛んだ。

ヴィル(母さん。俺は褒(ほ)められるような立派な人間じゃ無いんだ。ただのヒト殺(ごろ)しに俺はなるんだ。

    いや、既にゴブリンや魔族を大勢、殺してきた。

    結局、俺は仏の道に背(そむ)く反逆者に他ならないんだッ)

 と、ヴィルは心の中で思うのだった。

 その時、ヴィルの脳裏に声が響いた。

母『ヴィル。あなたは誰よりも御仏(みほとけ)の道に沿(そ)っているのよ。

  私は、私達はそんなあなたを誰よりも誇らしく思うわ。

  ねぇ、ヴィル。それで良いのよ。今のあなたのままで

  良いの。守ってあげて。その島の人々を。

  見ているわ、お父さんと一緒に』

 ふと前を見れば、その先には亡(な)き父と母の霊がヴィルに

手を振っていた。

 しかし、気づけば彼らの姿は光に消えていた。

ヴィル(ありがとう、父さん、母さん。俺は進むよ、この道を。

    そして、守ってみせる。必ず)

 そう固く誓うのだった。

 

 

こうしてヴィル無名の英雄達はついに激しい戦争に

その身を投じる事となる。

 そして、これこそが彼らの英雄譚(えいゆうたん)の-真の始まりなのだった。




 だが、ヴィル達の到着は少し先の出来事である。

 その前に、壮絶(そうぜつ)な死闘がククリ島の東部にて繰り広げられるのだった。

 

 サーゲニア帝国の軍師にして女将軍であるシェハネアは、炎を無感情に見つめていた。

 彼女の配下であるルドフェ少将は恐る恐る声を掛(か)けた。

ルドフェ「シェハネア元帥(げんすい)。お戻り下さい。風向きによっては、

こちらにも煙が」

シェハネア「・・・・・・風が変わった」

ルドフェ「はっ?」

シェハネア「何かが来る。光が見える。まばゆい光が。

      それは私達に襲い来るのだ。急がないとな。

      カイゼルも、それを望むだろう」

ルドフェ「・・・・・・カイゼル皇帝陛下が、でしょうか?」

シェハネア「ああ、そうだよ。あの男は雷神(らいじん)の如(ごと)きに戦う」

ルドフェ「は、はぁ・・・・・・」

シェハネア「あいつも昔は可愛(かわい)かったものだ。それが、今や

      サーゲニア皇帝か。運命とは実に面白い。

      私は彼に世界を与えたい。その為(ため)ならば、

      何でもしよう。

      あぁ、そうだよ。彼は不死なる皇帝として

      永遠に世界に君臨(くんりん)し続けるんだ。

      愚かな民を、真の黄金律に導く為(ため)に。

      さぁ、進撃を命じなさい。

      休む間(ま)などありはしないのだから。

      炎すら我らの行軍(ぎょうぐん)の前では避(よ)けて行(ゆ)くだろう。

      ふふ、新たな戦いを始めよう」

 そう静かにシェハネアは告げるのだった。

 

 ・・・・・・・・・・

 一方、ガル・ク大要塞にてゴブリンの勇者カル・ヘトは

正体不明の軍隊が揚陸(ようりく)したとの報告を聞き、顔をしかめて

いた。

 これには長老達も騒然とするのだった。

長老A「どういう事だ?敵はエストネアだけでは無いのか?」

長老B「エストネアの分遣隊(ぶんけんたい)なのか?」

長老C「いずれにせよマズイぞ。南海岸から上陸したエストネア軍だけでも厳しい    のに、別方向からの部隊が居るとなると・・・・・・」

長老D「もはや、急ぎ北の魔境大陸へと避難を急いだ方が良いのでは?」

 すると、勇者カル・ヘトが活(かつ)を入(い)れた。

カル・ヘト「うろたえるなッ!今、我らが気弱になれば、勝てる戦(いくさ)も勝てな      くなるのだ。東海岸へは俺が行(ゆ)く。

      偵察がてらにな。今のままでは情報が少なすぎて作戦の立てようも無       い」

長老A「だ、だが、勇者カル・ヘトよ・・・・・・。

    そうなれば、この大要塞の守備を誰が担(にな)うのだ?

ここが落ちれば、ククリ島は終わりなのだぞ」

カル・ヘト「長老達、お前達は勘違いをしている。この後に

      始まるのは恐らく奇襲に次ぐ奇襲だ。

      その時、要塞など何の役に立つか?

      森と地下こそが我らの要塞なのだ」

長老B「じゃ、じゃが勇者カル・ヘト。奴らは森をことごとく燃やしていると言     う。もし、全ての森を焼かれる事と

    なれば、どうするのだ?」

カル・ヘト「たとえ木々の無い平野部ですら隠れようはある。

      それに森の全てを焼き尽くすなど、どうしてヒト

      に出来ようか?だが、お前達の言う事も、もっともだ。ともかく、奴      らの進軍を少しでも遅めよう。

      首都グ・フェには大勢の民が残って居るしな。

      彼らを西に逃がすだけの時間を最低でも稼ごう」

 

こうして、カル・ヘトは数百の部下を連れ、狼に乗って東へ

向かうのだった。

 そして、首都にて数千の兵を加え、そのまま南東に進んだ。

 サーゲニア帝国は二つの地点から上陸をしており、それらは東海岸の中部と北部だった。

 北部を担当しているのが軍師でもあるシェハネア元帥であり、

中部を担っているのが魔導士のシーレイ中将であった。

 この時、シェハネアの軍は急いではいるのだが、山間部のことごとくを焼き尽くして進んだので、どうしても進軍速度は鈍(にぶ)っていた。

 一方、魔導士シーレイの軍は平野部に位置しており、破竹(はちく)の勢いで進撃を続けていた。

 

 それをゴブリンの偵察隊はカル・ヘトに報告した。

 今、カル・ヘトの部隊は巨大な墓所であるテ・ネク・アの

中心部にて軍議を行(おこな)っていた。

 この墓所は非常に入り組んでおり、隠れて戦うには絶好の

場所であった。

カル・ヘト「敵は重装歩兵と騎兵を巧(たく)みに使い、戦ってきたとの事だ。戦士長      デ・シオの三千人隊は敵の陣形を全く崩す事が出来ず、その間に背後      より敵の騎兵の攻撃を受け、敗退したようだ。

      結果、戦士長デ・シオを含め、多くの同胞の行方(ゆくえ)は知れない。

      だが、この死(し)の都(みやこ)とも呼ばれるテ・ネク・ア墓所において      なら、敵はその戦術を取るのが不可能だ。

      騎兵はここではロクに直進する事も出来ない。

      さらに重装歩兵も横列を組んで戦えないので、

      その真価を発揮する事は叶(かな)わないだろう。

      さぁ、奴らに目に物を見せてやろう」

 との勇者カル・ヘトの言葉に、皆は希望に沸き立つのだった。


 だが、それは儚(はかな)くも消え去る事となる。

 シーレイ軍の参謀でもあるタヒニト中佐は嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みを浮かべていた。

偵察兵「報告いたします。敵のゴブリンの部隊は、墓所とおぼしき場にて兵を伏せております。これを突破するのは難(かた)いかと」

タヒニト「それはそうだろうね、正面からぶつかれば、ね。

     でもさぁ。結局の所、囲んじゃえば勝ちでしょ?」

 そして、シーレイ軍の部隊の半数である5000の兵が墓所を

取り囲んでいった。

 この兵力では広大な墓地を完全に封鎖する事は出来なかったが、ゴブリンの補給部隊を阻(はば)むことは容易だった。

 結果、勇者カル・ヘトの軍は墓所に閉じ込められる格好となるのであった。

 とはいえ、彼らに悲壮感(ひそうかん)は無かった。


カル・ヘト「奴らめ、ゴブリンは土さえ有れば生きていけるという事を忘れたか。      ここらは湧(わ)き水(みず)も多く、水に

      困る事も無い。奴らが包囲戦を挑むならば、何年でも籠(こ)もってやろ      うか?」

 との軽口に、ゴブリンの戦士達はドッと笑うのだった。


 だが、その考えすらタヒニト中佐には見透(みす)かされていた。

タヒニト「なんて思ってるんだろうね。フフハッ、だけどさぁ。

     いくら魔族でも、水も断たれたらヤバイんじゃ無い

     の?」

 そして、サーゲニアの魔導兵は墓所の外にある水源に毒を

投げ込んでいった。

 この魔術を孕(はら)んだ毒は速(すみ)やかに地下を汚染し、湧(わ)き水(みず)を

濁(にご)らせていった。

タヒニト「浄化の魔法を使える者が居れば、少しは飲み水を

     確保できるだろうけど、それでも何千体の分の水

     を浄化するのは無理だろうからね。

     そもそも、ゴブリンはそういう術式は苦手みたい

     だし」

 すると、彼の上官であるイルヒ大佐が口を挟(はさ)んだ。

イルヒ「だとしても、全ての水場が汚染されたとは限らない。

    念には念を入れるべきだろう」

 と言い、イルヒは兜(かぶと)を被(かぶ)るのだった。

タヒニト「中に行くんですか、大佐?」

イルヒ「現在、シェハネア様の第1師団が、こちらに向かわれている。あの方に無様(ぶざま)な姿を見せるわけには行かない。

    一刻も早く、ここを攻略する必要がある」

タヒニト「まぁ、気を付けて下(くだ)さいよ」

イルヒ「誰に物を言っている。それに、まともにぶつかる気は

    無い」

 そして、その日の深夜にイルヒ大佐は数百の部下を連れて、

墓所へと足を踏み入れていった。

 一方、それを後方からタヒニトは肩をすくめて見ていた。

タヒニト「やれやれ、大佐が最前線に行くなんて、変だよ」

 と、タヒニトは呟(つぶや)いた。

 すると、背後より声が掛(か)けられた。

シーレイ『タヒニト少佐。だが、それこそが能力者の性(さが)なのだ。

     軟弱(なんじゃく)な非能力者に上級士官を任せるわけにも行くまい。しかし、高位-能力者が後方で指揮を取ると

     いうのも、能力に無駄が生じる事となる。

     故に、多少は仕方あるまい』

 そうタヒニトの背後に転移してきたシーレイ中将は語るのだ

った。

 サーゲニア皇帝の左腕とも称されるシーレイの前では、不敵な所のあるタヒニトも恐縮(きょうしゅく)せざるを得なかった。

タヒニト「は、はい・・・・・・」

シーレイ『それにイルヒ大佐は元々は暗殺部隊の出(で)だ。この

     闇夜(やみよ)において、彼女を捕らえるのは至難(しなん)の技(わざ)だろ

     うな』

 と、シーレイは何処(どこ)か懐(なつ)かしむように言うのであった。


 夜の墓地をイルヒ大佐と部下達は音も無く進んだ。

 彼女らは全身を黒衣で覆(おお)い、さらに気配(けはい)断(だ)ちの技も使用して

いたので、相当に認識するのは困難だった。

 そして、ゴブリンの歩哨(ほしょう)を次々に無音で殺していった。

イルヒ(軽いな・・・・・・。死が遠い。あの戦場では焼け付くよう

な死が、私の体に-ひり付いていた。だが、今はそれで

良い。我が命は皇帝陛下の物。許可も無く、失う事は

許されはしない)

 と思う-まさにその時、イルヒの耳は水音を捕らえた。

イルヒ(水・・・・・・。こちらか)

 そして、イルヒは手信号を部下に示し、音の方へと向かって

いった。

 慎重に先を進むと、そこには小さな井戸があった。

イルヒ(汚染されていない井戸があったか。まぁいい。

    潰(つぶ)せば・・・・・・)

 井戸の周りには数名のゴブリンの兵士が見張りをしてい

たが、彼らは半(なか)ばウツラウツラとしており、隙(すき)だらけであ

った。

 そんな彼らに死が忍(しの)び寄(よ)っていた。

 瞬(またた)く間(ま)にイルヒはゴブリンの兵士達をナイフで斬り裂いて

いた。断末魔(だんまつま)の悲鳴をあげる事もなく、ゴブリンの兵士達は

地面に崩れ落ちた。

 そして、イルヒは毒を井戸に投げ込むのだった。

 この時ばかりは微(かす)かな音が井戸の底より響いた。

 すると、これを聞いてか、一人のゴブリンがやって来た。

 彼こそは勇者カル・ヘトであった。

 カル・ヘトは階位の低い部下にも親しく接し、陣地のあちこ

ちをその目で見て確かめると共に兵士達に声を掛(か)けていた。

 それこそは優秀な指揮官の条件であるのだが、それを無意識

のうちにカル・ヘトは行(おこな)っていた。

 そして、それが今回の結果を引き起こした。

カル・ヘト「良くやっているか?」

 と気さくに声を掛(か)けるカル・ヘトであったが、様子が変だと

気付(きづ)き、瞬時に抜刀した。

 対し、イルヒ大佐も魔力を全開にした。

 だが、勇者カル・ヘトの方が速かった。

 カル・ヘトは4本の魔法剣を形成し、それぞれの腕に握り、

魔法剣技を発動した。

 刹那(せつな)、イルヒの体はいくつにも両断されていった。

 しかし、それは変(か)わり身(み)の黒衣であり、中にはゴブリンの

兵士が入れられていた。

 一方、当のイルヒ本人は脱出を果たしており、壁の上を駆

けて行った。

 さらに、上空に魔術の信号弾をあげ、撤退を指示するのだ

った。

 とはいえ、ここで逃がすカル・ヘトでは無かった。

 彼は全魔力を解放し、上級-魔法剣技を放った。

 魔力の渦(うず)がイルヒ大佐をめがけ、正確に迫った。

 とっさにイルヒは結界を張るも、周囲に衝撃が走った。


カル・ヘト「・・・・・・逃がしたか」

 手応(てごた)えを感じず、カル・ヘトは忌々(いまいま)しげに呟(つぶや)くのだった。


 墓所より何とか戻ったイルヒ大佐は自嘲気味(じちょうぎみ)に呟(つぶや)いた。

イルヒ「やられた・・・・・・」

 今、彼女の右腕は失われていた。

 そして、友軍の兵士が駆けつけるのを見て、安堵(あんど)の中に

気絶するのであった。



 ・・・・・・・・・・

 イルヒの部隊は途中で散開しており、合わせて五つの水場を

毒で使用不可能にした。

 これにより、カル・ヘトは撤退(てったい)を考えざるを得なくなった。

 まだ使える水場は残っては居るものの、その数は少なく、

墓所の広範囲に部隊を展開するのが難しくなった。

 そうなると、敵も包囲の幅を狭める事が可能となるので、

敗北は時間の問題であった。

カル・ヘト「・・・・・・こうなった以上、敵と直接にぶつかるしか

      あるまい。敵の大将首の一つも奪わねばな」

 とのカル・ヘトの言葉に、戦士達は皆、確かに頷(うなず)いた。

 そして、カル・ヘト軍は一気に墓所の東側から飛び出して行くのだった。

カル・ヘト「進めッッッ!勇敢なるゴブリンの戦士達よッ!!

      悪しき侵略者どもに鉄槌(てっつい)を下(くだ)すのだッッッ!」

 今、カル・ヘトを先頭に楔形(くさびがた)-陣形(じんけい)が成(な)されていた。

 

 これを見て、タヒニト中佐は冷静に告げた。

タヒニト「守護(しゅご)方陣(ほうじん)を形成せよ」

 その言葉に、サーゲニアの兵士達は俊敏(しゅんびん)に陣形を組み立てていった。

 急速に出来あがりつつある陣の中央にて、タヒニトは御輿(みこし)の上にて指揮を取っていた。

タヒニト(さて、てっきり包囲から脱出して逃走を図(はか)るのかと思ったけど、まさかこちらの本陣に向かってくると

     はなね、面白い、面白いよ。

     まぁでも、ゴブリン。お前達は少しやり過ぎた。

     イルヒ大佐の右腕は、おかげで義手に交換だ。

     一応は彼女は上官だし、少しは敵討(かたきう)ちとさせて

     貰(もら)うよ)

 と思う内(うち)に、ゴブリン達は距離を詰めてきていた。

タヒニト(速い。その突進力に加えて、楔形(くさびがた)隊形(たいけい)にて貫通力を高めるか。だけどさッ、中央突破の弱点を理解して無いみたいだね)

 そして、タヒニトは号令を発した。

タヒニト「構えッ!」

 これを受け、最前列の兵士達は槍を一気に前に突き出した。

 何mもある-あまりに長い槍が、ゴブリン達の行(ゆ)く手(て)を阻(はば)んだ。

 しかし、ゴブリン達は構わずに突き進むのだった。

 そして、先頭のカル・ヘトがついにサーゲニアの方陣に切(き)り込(こ)んだ。魔力を全開にして防御する兵士達をカル・ヘトは次々に

なぎ倒していった。

 しかし、方陣の防御は並では無く、ゴブリン達の勢いは早くも削がれつつあった。

タヒニト(中央突破は上手く行けば良いけど、失敗すれば包囲

されるという諸刃(もろは)の剣(つるぎ)なんだよ。そして、軽装備で

突入してきた時点で、お前達の負けだよ。

いかに、個々の魔力が高かろうと、この人数差(にんずうさ)を引(ひ)

っ繰(く)り返(かえ)す事は出来ない)

 と、御輿(みこし)の上で冷酷(れいこく)に思うのだった。

 その時、一人のゴブリンの投げた槍がタヒニトに迫った。

 しかし、その槍はタヒニトの張ってあった結界に弾かれ、

虚(むな)しく下に落ちていった。

 そして、投擲(とうてき)したゴブリンは、その隙(すき)にサーゲニア兵士に

切り倒されていた。

タヒニト「無駄な足掻(あが)きだ、下(くだ)らない。ゴブリン、お前達は

     何の為(ため)に-この世に居るんだい?」

 歪(ゆが)んだ笑みを浮かべながら、タヒニトは一人-問いかけるのだった。

 刹那(せつな)、咆哮(ほうこう)が鳴り響いた。

 それと共に、サーゲニア兵士達は吹き飛んで行った。

 衝撃波の中央には勇者カル・ヘトが居た。

 燃える眼でカル・ヘトは確かにタヒニトを睨(にら)み据(す)えた。

 この時、タヒニトは背筋が凍り付くような感覚に陥(おちい)った。

 そして、カル・ヘトは跳(と)んだ。

 跳躍(ちょうやく)して迫るカル・ヘトに対し、タヒニトは結界を何重にも強化する事しか出来なかった。

 カル・ヘトの4本の腕に握られた4対の魔法剣が結界に振(ふ)り下(おろ)ろされていく。嫌な音が響き、結界には次々とヒビが入っていく。

タヒニト「や、止めろ・・・・・・そんなッ」

 思わずタヒニトは悲鳴をあげそうになった。

 今、死は彼の目前に迫っていた。

 そして、ガラスの割れるような綺麗(きれい)な音が響き、結界は砕け散っていった。

 刹那(せつな)、カル・ヘトの背後に一人の魔導士が現れた。

 その者こそ、転移魔法の使い手シーレイ将軍だった。

 シーレイは異様な魔力を込めた手でカル・ヘトに触れようとした。

 しかし、カル・ヘトは超反応で-その手を躱(かわ)した。

 こうして高位-能力者による死闘が幕を開けた。

 シーレイの魔弾がカル・ヘトを追尾していく。

 それをカル・ヘトはサーゲニアの兵士達を盾にして防(ふせ)いでいった。弾け飛ぶサーゲニア兵士の血肉の中、カル・ヘトは反撃に魔法剣より剣撃を放った。

 次の瞬間、シーレイの姿はそこには無く、カル・ヘトの斜め後ろに転移していた。

 しかし、シーレイはあえてカル・ヘトを攻撃しようとはしなかった。代わりに、ゴブリンの戦士達に魔弾を放っていったのだ。

 これを見て怒るカル・ヘトは、空中のシーレイに跳びかかった。だが、シーレイは再び転移し、カル・ヘトの横に移動しており、そこから炎の魔術を発動した。

 龍の如(ごと)き炎がカル・ヘトを襲(おそ)うが、カル・ヘトは何とか-それを魔法剣で防御した。しかし、衝撃までは殺しきれず、カル・ヘトの体は方陣の外へと飛ばされていった。

 そして、着地したカル・ヘトの後ろにシーレイが現れた。

 とっさに剣を背後に振るうも、シーレイはカル・ヘトの一本の腕に触れた。

次の瞬間、カル・ヘトの腕の一つは強制的に転移させられ、

少し離れた地面にボトリと落ちるのだった。

カル・ヘト[グッ・・・・・・]

 痛みでは無く不覚を取ったことに顔をしかめるカル・ヘトで

あったが、彼は状況の悪さを誰よりも自覚していた。

 カル・ヘトを失った部隊は統率(とうそつ)と士気(しき)を失っており、次々にサーゲニアの兵士に斬り殺されていった。

 

タヒニト「囲めッ!背後から突き殺すんだッ!」

 とのタヒニト中佐の命令が響き、包囲はどんどんと完了していく。そして、一人また一人とゴブリンは背後から貫(つらぬ)かれて、

死(し)に行(ゆ)くのだった。


カル・ヘト[ガァァァァッッッ!]

 怒りの咆哮(ほうこう)をあげ、カル・ヘトはシーレイに襲いかかった。

 しかし、シーレイはまともに戦う気が無いらしく、少しずつカル・ヘトの体力と魔力を削っていった。

 元々、無理な中央突破で魔力を費(つい)やしていた分(ぶん)、カル・ヘトには余力が無かった。

 そして、シーレイの放った光線がカル・ヘトの脇腹(わきばら)を貫(つらぬ)いた。


 この時、カル・ヘトは敗北を悟った。

 遠く遅くなる時の中、カル・ヘトは決意をするのだった。

カル・ヘト(勝てない・・・・・・今のままでは我らは、こやつらに。

      だが、奇跡を信じよう。その奇跡へ繋げる為にも、魔導士ッ、貴様だけは-ここで俺と共に死んで貰(もら)うぞッッッ!)

 今、カル・ヘトは死を覚悟したのだった。

カル・ヘト[全軍、撤退(てったい)ッ!生きて、首都に戻りッ、再起(さいき)を

      図(はか)れッッッ!]

 との声が響き、ゴブリンの戦士達は悔しさを顔に滲(にじ)ませながらも、勇者の命令に従うのだった。

 包囲を破り、点々と逃げ出すゴブリン達。

 重装歩兵のサーゲニア兵に、それを追うのは難しかった。

 しかし、代(か)わりに後方に待機していた騎兵が、高速で迫った。

 時速何十キロとの速さで、騎馬兵(きばへい)が体当たりと同時に槍を

繰り出すのである。

 これを背後からまともに喰(く)らい、ゴブリン達は吹き飛ばされながら、絶命していった。

 

一方、血を吐きながらカル・ヘトは転移術者のシーレイに

攻撃を放った。

 しかし、シーレイは回避に専念しており、空高くからカル・ヘトを見下(みお)ろしていた。

カル・ヘト[貴様らはッ!何処(どこ)まで卑劣(ひれつ)なのだッッッ!]

 血の涙を流しながら、カル・ヘトは怒号(どごう)を発した。

シーレイ『お前は-さぞ名のあるゴブリンなのだろう。だが、

     皇帝陛下の勅(ちょく)命(めい)なのだ。その礎(いしずえ)に散れ』

 と無慈悲(むじひ)に告げ、シーレイは膨大(ぼうだい)な魔力を構築し出した。

カル・ヘト[オオオオオッッッ]

 最大限の魔力をカル・ヘトも凝縮させ、一気にシーレイに

向けて放つのだった。

 それはシーレイも同じであり、両者の魔力はぶつかり合った。

 だが、誤算がシーレイにあるとすれば、瀕死(ひんし)のカル・ヘトは

命を削ってまでも渾身の一撃を繰り出した事である。

 この剣撃はシーレイの魔力を貫き、シーレイの左半身を砕いていった。とはいえ、シーレイの魔力もカル・ヘトの直撃し、

ついにはカル・ヘトは戦闘不能に追いこまれた。

 薄れ行く意識の中、カル・ヘトは死を悟った。

 シーレイは満身(まんしん)創痍(そうい)とは言え、未(いま)だに戦う余力を残していた。

シーレイ『想像以上だ、ゴブリン。その心臓を直接に抜いてやろう』

 と言い、シーレイはカル・ヘトの胸に手を当てた。

 そしてカル・ヘトの心臓を強制的に転移させようとした刹那(せつな)、

遠くから狼の咆哮(ほうこう)が響いた。

 一瞬-動きを止めたシーレイの腕に、その時、何かが突き刺さった。

 それは一枚のカードだった。

シーレイ『なにッ』

 しかし、深く考える余裕は彼には無かった。

 次の瞬間には、そのカードは爆発したのだった。


 そこには狼に乗る者達が居た。

 彼らこそは・・・・・・。

トゥセ「よっしゃ、命中だぜッ!」

ヴィル「良くやった、トゥセッ。あのヒトを回収するぞッ!」

 そして、ヴィルとトゥセの乗る狼は、カル・ヘトへと迫っていった。

 さらに、その横の狼にはアーゼとギート。

 その後ろの狼にはカシムとケシャが乗っていた。


 一方、シーレイは突如の事態に、大きく後方に転移していた。

シーレイ『あれは・・・・・・ッ、クッ!』

 だが、カル・ヘトより喰らった傷が、トゥセによる爆発で

大きく開き、体が思う風に動かなかった。

 

 また、この突然の乱入者にタヒニト中佐は叫んだ。

タヒニト「あいつらだけは絶対に逃がすなッ!絶対にだッ!」

 今、タヒニトは直感していた。

タヒニト(まずい、僕には分かる。あれはイレギュラーだ。

     戦争の流れを変えかねない存在だ。ここでッ、

     ここで殺しておかないとッ)

 だが、一般兵ではヴィル達は止まらなかった。

 アーゼとギートの重量級の戦士は、サーゲニアの重装歩兵に一歩も引けを取らないどころか、彼らを次々に吹き飛ばしていった。

 そんな中、ヴィルはカル・ヘトを狼の上に乗せた。

ヴィル「引くぞ、お前らッ!」

 とのヴィルの号令に、カシムとケシャは煙幕の術を張るのだった。

トゥセ「逃げ足だけは超一流なんだよッ!」

 そうトゥセはゴブリン語で捨(す)て台詞(ぜりふ)を吐(は)いた。

アーゼ「こら、トゥセッ!気を抜くなッ!」

トゥセ「分かってんよッ!」

 と、トゥセは怒鳴(どな)り返(かえ)すのだった。

 すると、煙が晴れだした。しかし、同時にサーゲニアの

能力者が高速でトゥセ達に迫った。

トゥセ「うわッ!」

 破れかぶれにカードを放ったトゥセだったが、なんと

全弾が命中していた。

トゥセ「やっぱ、俺って天才?」

 そう首を傾(かし)げ、呟(つぶや)くのだった。

ヴィル「これより、逃げ遅れた戦士達を極力、救出する。

    とりあえずは、墓地に誘導するぞッ!」

 とのヴィルの言葉に、皆は『了解ッ!』と答えるのだった。


 御輿(みこし)の上から、その様子を眺(なが)めている事しかタヒニト中佐には出来なかった。

タヒニト「親衛隊ッ!僕の警護は良いから、急ぎ奴らを止めろ!

     早くッ!」

 と焦燥(しょうそう)を滲(にじ)ませながら、直属の配下に命じた。

 そして、高位の能力者がヴィル達を追撃していく。

 だが、ヴィルは既(すで)に上級剣技を構築していた。

 上級剣技『五月雨(さみだれ)』が発動し、その無数の刺突へと、敵の

能力者は突っ込んでいった。

 結果、数名の能力者が体勢を崩し、地を転げた。

 さらに、トゥセのカードが転がる能力者に突き刺さって爆発していった。

タヒニト「嘘だ・・・・・・僕の親衛隊が。それに、あ、あの剣技は

     エストネア皇国(おうこく)の。何でッ、何でゴブリンが」

 頭の中が真(ま)っ白(しろ)になるのをタヒニトは感じていた。

 とはいえ、親衛隊はまだ残っており、彼らの一部はアーゼ達に迫っていた。

ギート「どりゃぁぁぁぁッ!」

 と叫び、ギートは狼から飛び降りざまに斧を振るった。

 それを喰(く)らい、敵の能力者は血反吐(ちへど)するのだった。

 ただし、ギートは狼から降りてしまったので、急いで

アーゼのもとへと駆けて行った。

ギート「待っとくれいッッッ!」

 と必死に追いつこうとするギートを見て、茶猫のケシャは

ため息を吐(つ)いた。

ケシャ「何やってるんですか、あのヒトは・・・・・・」

 刹那(せつな)、ケシャ達に向かって、敵の魔弾が降り注いだ。

 しかし、ケシャは結界を上手く展開し、その魔弾を敵に

向かって跳(は)ね返(かえ)していった。

 これを喰(く)らい、敵の能力者は倒れていくのだった。

 そして、ヴィル達は逃(に)げ惑(まど)うゴブリンに襲いかかるサーゲニア兵を次々に打ち破っていった。

 いつしか屈強なサーゲニア兵も、自(おの)ずと足が止まっていた。

 勢いはゴブリン側(がわ)に傾いたのである。

 だが、ヴィルは全てをわきまえていた。

ヴィル「撤退ッ!」

 その号令を受け、不思議な事にゴブリンの兵士達は素直に

従うのであった。

 再び墓地に戻っていくゴブリン達を見て、タヒニト中佐を

含め、サーゲニアの兵士達は呟(つぶや)かずには居られなかった。

タヒニト「あいつらは・・・・・・何者なんだ」


 そう、彼らこそは《無名の英雄達》であり、このククリ島の救世(きゅうせい)主(しゅ)たらん者達であった。

 そして、ようやく彼らは歴史の表舞台に干渉(かんしょう)する事となったのである。



 ・・・・・・・・・・

 タヒニトは茫然(ぼうぜん)としながら、負傷兵の手当てや-死者の確認と埋葬などを命じた。

 この戦いは彼にとり、あまりにショックが大きかった。

 無敵であるはずのサーゲニア帝国兵が、わずかな敵の攪乱(かくらん)で

いいようにして-やられたのである。

 しかし、ヴィルはさらに-その上を行った。

 突然、兵士が駆けて来た。

兵士「報告いたしますッ!ゴブリン達は墓地の西方より脱出し

   ていきましたッ!」

タヒニト「馬鹿な・・・・・・早すぎる。あれから、小一時間も経(た)って無いじゃないか。敗残兵を立(た)て直(なお)して、それから

     陣形を組むのに、そんな時間じゃ・・・・・・」

兵士「そ、それがッ。奴らは単に縦列を組んで、こちらを避け

るように逃げていきました」

タヒニト「縦列ッ?なら、側面から攻撃すれば分断できるだろうが、現場の指揮官は何をしていた?

     あそこはヒュムネ少佐の管轄(かんかつ)だろうが」

兵士「そ、それがッ。何者かにより、ヒュムネ少佐は気絶させ

られまして・・・・・・」

タヒニト「ゴブリンに?どうして、そんな事が出来るッ!」

兵士「ヒュムネ中佐は、その時、用をたされていたようでして。

   ゴブリン共(ども)は卑劣(ひれつ)にも、その時を狙ったようです」

タヒニト「ふざけるなッ!奴は打ち首だッ!」

兵士「そ、そんなッ。あの敵は異様(いよう)です。我々も指揮系統が

混乱していたとはいえ、確かに側面より攻撃を仕掛け

ようとしました。し、しかし、こちらの油断もあり、

突撃が遅れ・・・・・・。後方を追いかける形となってしま

いました。あと、テントに火が放たれていたのです。

   しかも、奴らの最後尾には恐るべき能力者が居たのです。

   猫です」

タヒニト「猫ッ?」

兵士「は、はい。確かに猫が地面に結界を張っていたんです。

   それに騎兵が突っ込んでしまい」

タヒニト「こけたのかッ?!」

兵士「い、いえ。どういうわけか、ぶつかった後、馬が動かなくなりました。すると他の騎馬も足を止めだして」

タヒニト「どういうわけなんだッ!」

兵士「わ、分かりません」

 と兵士も悲痛な声をあげた。

タヒニト「クソッ、つまり逃げられたんだなッ!」

兵士「は、はい・・・・・・奴らは途中で方向転換し、森の方へと」

タヒニト「もういいッ!お前の話は聞きたく無いッ。下がれ。

     だが、後で急ぎ、報告書をまとめろ」

兵士「は、はい」

 意気消沈(いきしょうちん)しながら兵士は答え、退出していくのだった。


 

・・・・・・・・・・

 さて、ここで何が起きたか、時を少し遡(さかのぼ)る事にする。

 墓地に撤退したヴィルはすぐさま、ゴブリン達を西側に集め出した。

 ゴブリン達は-カル・ヘトを救出したヴィル達を信じ、素直に彼の指示に従おうとした。

この時、カル・ヘトは重態(じゅうたい)であり、とても指揮を取れる状態では無かった。

ヴィル「すぐに脱出を行(おこな)う。だが、その前に俺とカシムで敵陣を混乱させる。上手く行ったら、敵陣に火を点(つ)けるから、それを合図に始めてくれ」

 と命令するのだった。

 すると、ゴブリンの戦士長が口を開いた。

戦士長「待ってくれ・・・・・・。お前はカル・ヘトを救った。

    仲間達も。だが、お前達ほどの腕の者を俺達は

    知らない。どこの部族の者だ?それさえ教えて

    くれたのなら、俺達は何の疑いも持たずにすむ」

ヴィル「悪いが、それは言えない。少し複雑な事情なんだ。

    だけど、俺達は味方だ。どうか信じて欲しい」

戦士長「・・・・・・分かった。今は何も聞くまい。どのみち、

    このままでは皆、死ぬんだ。ならば、お前達を

    信じて死のう」

ヴィル「ありがとう」

戦士長「ギル・クだ」

 と自身の名を告げ、戦士長ギル・クはヴィルに手を差し出し

た。

ヴィル「ヴィルだ」

 そう答え、ヴィルはギル・クの手をしっかりと握り返した。

 この時、どういうわけか窮地(きゅうち)にも関わらず、ギル・クは妙な喜びが心の奥から湧(わ)くのを感じた。

ギル・ク「ヴィ・ルか。お前に俺達の命運を託(たく)そう」

 との言葉に、ヴィルは力強く頷(うなず)くのだった。


 

それから、ヴィルはヒヨコ豆-団の者達に詳細な作戦をまず

説明した。

ヴィル「まず、この場所で戦うのは得策(とくさく)では無い。

確かに障害物は多いが、城壁と呼べる程の高さも

なく、まばらにしか無い。かと言って、軽装歩兵

や狼兵の機動を活(い)かせる事も出来ない。

つまり、戦場として中途半端なんだ」

カシム「それに、ここらは墓地であり死者の念を強く感じ

    ます。死者は死者を呼(よ)び込(こ)む・・・・・・。新たな仲間

    を増やす方向に運命が働くでしょう」

トゥセ「ゾッとしない話だぜ」

ヴィル「そうだな。ともかく死者の眠りを覚(さ)まさない為(ため)にも、

    一刻も早く-ここから脱出しよう。それに今なら、敵も

    油断しているだろう。まさか、こんなすぐに逃げ出そうとするなんてさ」

トゥセ「うちらの逃げ足を舐(な)めんなって感じですよね」

 すると、茶猫のケシャが尋(たず)ねかけた。

ケシャ『でも、負傷兵はどうするんですか?負傷兵を連れての

    脱出じゃ、逃げる速さも遅くなっちゃうんじゃ』

ヴィル「そうだな。でも、今回は見捨てない方向で行く。

    何故なら、指揮官が一度でも部下を見捨てれば、

    残った部下達は自分達も見捨てられるんでは無い

    かという疑念を持ち続けてしまう。

    特に、今回-俺らは新参者だ。これからも俺達が

    彼らに信じて貰(もら)うためにも、負傷兵は見捨てない。

    厳しい戦いになると思うが、各員-覚悟しておいて

    くれ」

 とのヴィルの言葉に、皆は『了解』と答えるのだった。

ヴィル「さて、より具体的な話に入ろう。まず、俺とカシムで

    敵陣を混乱させる。人間の姿でな」

アーゼ「なる程。まさか、敵も人間が裏切るとは思って無いでしょうからね」

ヴィル「そうだ。通常、外見を変える術を使えば、体に魔力が

    覆(おお)われて不審に見える。だから、ゴブリンが人間に変化すれば、敵の探知能力者にばれる事になるだろう。

    だが、俺やカシムは元々が人間だからな。敵の不意を

    突く事が出来る」

トゥセ「でも、それならそもそもの話、うちらって変化の術で

    ゴブリンに化(ば)けてますよね。これって、ゴブリンの探知能力者にばれないんすかね?」

ヴィル「それは問題ない。そもそもゴブリンに探知能力者は少ないし、居てもトフクさんの知り合いばかりだそうだ」

トゥセ「なら、安心っすね」

ヴィル「まぁ、それで俺とカシムが敵陣を混乱させる。その間に、戦士長ギル・クを先頭に5列縦隊を組んで脱出を開始だ。ただし、敵も側面を突いてくるだろうから、皆で何とか食い止めてくれ」

アーゼ「了解」

トゥセ「大変な事になってきたぜ・・・・・・」

ヴィル「それで向かうは南西の森なんだが、とりあえず西に

    突撃する。ただし、敵の陣形の端だ。そこを攻撃す

    ると見せかける」

ケシャ『すると、敵は側面を攻撃されると勘違いするわけで

    すね』

ヴィル「そうだ。敵の重装歩兵による密集陣形を得意とする。

    だが、重装歩兵は横からの攻撃に弱い。なので、横

    からの攻撃が来ると思ったら、敵は方陣(ほうじん)を組むだろう。

    そうなれば、敵の守備は増すが、動きが鈍(にぶ)る事になる。

    こうなると逃げるのは楽だ」

カシム「なる程」

ヴィル「ただし、敵の頭がもっと良ければ、さらなる勘違いを

    するかも知れない」

アーゼ「というと?」

ヴィル「つまり、側面では無く、後方の本陣である野営地を

    攻撃するために迂回(うかい)して来たと思うかも知れない。

    そうなれば、敵は本陣を守る為(ため)に陣形を曲げる事に

    なるだろう。つまり、鈎形陣(かぎがたじん)を取るわけだ。

    となると、敵が攻めに転じるのは難しくなる」

 との説明に皆は納得したようだった。

ケシャ『分かりました。ですが、敵の部隊は西以外にも居るん

    ですよね。南南西にも小部隊が配置されてるとの話で

    すが、これが攻めて来たら-どうするんですか?」

ヴィル「ああ。だから、百名の決死隊で、その部隊の側面を突く。ただし、敵を混乱させるだけだから、きちんと戦う必要は無い。これをトゥセに任せたい」

トゥセ「よっしゃ!俺の時代だぜ!」

アーゼ「お前なぁ、一番危険な任務だぞ」

トゥセ「まぁ、少し戦って逃げれば良いんですよね?何とかなるんじゃないすか?」

ヴィル「・・・・・・だといいがな、気を付けてくれ、トゥセ」

トゥセ「りょ、了解」

ヴィル「そして、敵の西側の部隊の足止めをアーゼとギートに

    任せたい。ここも百名を付ける。二人とも良いか?」

アーゼ「はい」

ギート「おお、ついにワシの出番か。腕が鳴るぞい」

ヴィル「そして、ケシャは後方で撤退の支援をしてくれ」

ケシャ『はい。任せて下(くだ)さい』

 ここでヴィルはわずかに沈黙した。

 しかし、決意と共に告げた。

ヴィル「皆、この撤退戦は準備も不足していて何が起きるか分からない。だが、それは敵も同じで、恐らく敵も用意は出来ていないだろう。だからこそ臨機応変に対応していってくれ。必ず生きて再び会おう」

 とのヴィルの激励(げきれい)に、皆は答えるのだった。


 そして、作戦が始まる。

 ヴィルとカシムは二人だけで墓所の端(はし)の方へと行き、サーゲ

ニア兵士の服に着替えた。その後、変化の術を解(と)き、人間の姿

に戻っていた。

 時刻は夕方。ヴィル達は姿隠しの術を使いながら、ゆっくり

と墓所を出た。

 前方にはサーゲニアの部隊が整列しながら待機していた。

 そんな中、ヴィル達は草むらを這(は)うように進むのだった。

 すると、サーゲニアの兵士に異変があった。

 数名の兵士がヴィル達の方へと近づいて来たのだ。

カシム「団長」

 とカシムは小声で囁(ささや)いた。

ヴィル「静かに。このままで居ろ」

 そして、ヴィルとカシムは息を殺しながら、石のようにジッ

と身を潜(ひそ)めた。

 足音が近づき、兵士達は辺(あた)りを探し回っているようだった。

兵士A「変だな?ここらで何かが動いた気がしたんだが」

兵士B「気のせいじゃ無いのか?」

兵士C「何も気配は感じないぜ」

兵士A「・・・・・・」

 だが、その兵士はその場を去ろうとしなかった。

 実は彼らのすぐ傍(そば)にある岩陰にヴィル達は隠れており、いつ

気づかれても-おかしくない状況だった。

 その時、銅鑼(どら)の音が響いた。

兵士B「交代の時間だ。戻ろう」

兵士A「・・・・・・ああ」

 こうしてヴィル達は間一髪(かんいっぱつ)の所で見つからずに済(す)んだのだっ

た。

 さらに幸運な事に、最前列で整列している兵士達などが、後

ろの兵士と交代していき、兵士達はあちらこちらで入り乱れて

いくのだった。

 この隙(すき)にヴィル達は本陣の方へと向かった。


 本陣の野営地に上手く潜入したヴィル達だが、目的は敵将である。だが、参謀本部のテント周辺は警備も厳しく、近づく事が出来なかった。

カシム「どうします?」

ヴィル「もう少し様子を見る」

 その時、一人の男がテントから出てきた。この男の風貌(ふうぼう)は

明らかに一般兵とは異なるものだった。

 ヴィルとカシムは目配(めくば)せをして、男の後をこっそりと追った。

 すると、男は士官用のトイレに入っていった。

 一般兵のトイレは遮蔽物(しゃへいぶつ)は無かったが、ここには木の板が建て付けられており、中の様子が見えないようになっていた。

 さらに不浄な場所ゆえに見張りの兵士も立っていなかった。

 ヴィルとカシムは音も無くトイレに入っていき、驚きで声をあげようとする男を一瞬にして気絶させた。

ヴィル「よし」

カシム「思ったより何とかなりましたね。てっきり、叫び声でもあげられて、敵兵が駆けつけるはめになるかと思いましたよ」

ヴィル「今の俺達はついている。こういう時は総じて上手(うま)くいくものだ。戦場には流れがある。流れが変わらない内(うち)に、次へ移ろう」

カシム「はい」

 そして、ヴィル達はトイレから出て行くのだった。


 ヴィル達はさりげなく食料保管庫に入り、火を点(つ)けていった。

 それを数カ所で行(おこな)って、急ぎ-そこから離れた。

 野営地には混乱が生じた。

 突如として、食料保管庫が燃えだしたのである。

 さらにヴィル達は火の魔石を置いていったので、その火は

普通の炎では無く、水を掛(か)けただけでは消えることは無かっ

た。

 なので、氷の魔法を使える魔導士が駆り出されるのだったが、

既に火は勢いを増し、簡単には消せなくなっていた。

 一方、ヴィル達が倒した男は指揮官のヒュムネ中佐であり、

彼は未(いま)だに意識を取り戻しておらず、指揮系統に乱れが生じていた。


 そんな中、敵陣から煙が上がったのを見て、ゴブリンの戦士長ギル・クは突撃の号令を発した。

 今、敵陣から見て右翼の端に、ギル・ク達は駆け出していった。

 これを見て、サーゲニアの兵士達は急ぎ隊列を組みだした。

ギル・ク「ラァァッァッッッ!」

 との怒号(どごう)にサーゲニアの兵士達は気圧(けお)されていく。

 だが、ギル・クは突如として左に旋回(せんかい)していった。

 これに後のゴブリン達が続いていく。

 そして、サーゲニアの兵士達も、ゴブリン達が逃走を図(はか)っているのだと気づき出した。

 まず、騎兵が先頭のギル・ク達を潰そうと襲いかかってくる。

 しかし、ここに来てギル・クは才能を発揮した。

 彼は石投げの名手であり、足を止め、投石具(スリング)を使い敵に石を放つのだった。さらに、ギル・クの部下達もその場で石を投擲(とうてき)していき、敵の騎兵は混乱を生じていた。

 この間に、後続のゴブリン達は森に向かって駆けていくのだった。とはいえ、負傷兵なども居るため、全体的に進軍速度は遅く、未(いま)だに全ての兵士が墓所から出ていなかった。

 だが、ゴブリン達は互いに手を貸し合い、着実に脱出していった。

 この光景を見て、サーゲニアの南南西の大隊を率(ひき)いるセスタ少佐は驚きを禁じ得なかった。

セスタ(奴らは統率(とうそつ)が取れている。普通の撤退は我先にと逃げ出すものだが、奴らは違う。明確な意志を持って、動いている。だからこそ、攻撃して来ると錯覚(さっかく)してしまったのだ。奴らの指揮官は倒れたとの話だが、これはどうして、侮(あなど)れない敵が残っているようだ。

    噂(うわさ)ではシーレイ将軍に手傷を負わせた者が居るとか。

    だが、なればこそ手は抜くまい。その縦列を分断する)

 そして、セスタは『突撃開始ッ!』と命じた。

 ゴブリン達から見て、左方からセスタの大隊がジリジリと迫

った。重装歩兵の密集陣形が徐々に近づくのを受け、ゴブリン

達に焦(あせ)りが生じた。しかし、彼らは縦列を守った。

 それは仲間を見捨てないという矜恃(きょうじ)があったからだ。

 負傷者を置いていかないと決めたヴィルの意志が、彼らを

結束させた。

 もしここで縦列を崩し、てんでばらばらに壊走(かいそう)すれば、サー

ゲニアも密集陣形を解いて猛烈な勢いで攻撃を仕掛けて来るだ

ろう。

 何故なら、戦とは相手より有利な陣形を築けば十分であり、

バラバラな兵士相手では、一方向から突撃するだけで十分だからである。

 なので、ギリギリの所で、ゴブリン達は戦線を維持していると言えただろう。

 とはいえ、要塞の如(ごと)きセスタ少佐の陣が、ゴブリン達を押し潰(つぶ)さんと迫った。

 だが、ここに来て、墓所より小部隊が飛び出した。

 それこそはトゥセが率(ひき)いる百人隊である。

 この部隊はセスタ少佐の大隊の右側面へと強襲を仕掛(しか)けた。

 突然の事態に、サーゲニアの兵士達は進軍を止めた。

セスタ(しまったッ。初歩のミスをした。敵を屠(ほふ)る事だけに

    意識がいき、右翼を固めておかなかった。とはいえ、

    右翼に配置したのは精鋭(せいえい)が多い。十分に持ちこたえる

    事だろう)

 しかし、トゥセの実力はセスタの予想を遙(はる)かに上回っていた。

 トゥセはトリッキーに戦場を駆け回りながら、敵にカードを撃(う)ち込(こ)んでいった。

 さらに、部隊のゴブリン達も負けてはいない。

 雪辱(せつじょく)を晴らす為(ため)に、魔力を全開にしながら片手剣を振るうのだった。

 これによりサーゲニアの右翼は相当の損害を受けるのだった。

 セスタ少佐は焦(あせ)りの中にあった。

 しかも見方によっては、セスタ少佐の大隊は前方と右方を敵に囲まれている形であった。

 ここに来て、セスタ少佐は突撃を断行できなかった。

セスタ(西本陣は何をしている。向こうさえ動いてくれれば、

    こちらと向こうで敵を挟撃(きょうげき)できると言うのにッ)

 などと苛立(いらだ)たしげに思うのだった。

 その時、サーゲニア兵士の恐怖の混じる声が響いた。

兵士「来たぞッ!」

 声のした方向を振り向けば、カードを持った一人のゴブリンが迫っており、次の瞬間、セスタの脳天(のうてん)にカードが突き刺さり、

爆発を引き起こした。

兵士「少佐ッ!」

 との悲痛な声が響く中、セスタ少佐は意識を失い、馬上から崩れた。

トゥセ「ガァァッァッァッ!」

 そうトゥセは威嚇(いかく)の咆哮(ほうこう)をあげた。

 これを受けて、サーゲニアの兵士達は恐れをなし、何と逃げ始めたのであった。

トゥセ[追撃ッ!追撃だッッッ!]

 と調子に乗ったトゥセは命じた。

 だが、この選択は正しく、勢いは完全にゴブリン側にもたらされたのであった。


 一方、トゥセの活躍する左側とは良いのだが、右側は敵の

大部隊が依然(いぜん)として-そびえて居た。

 その大部隊はテントの炎上や指揮官がトイレで倒れていたりなどの影響で、動かずに居たが、ようやく新たな指揮官の下で

動きを見せだした。

 そして、連隊規模の軍勢がゴブリン達に迫った。

 この時、既に全てのゴブリンが墓所より出ていたが、大半のゴブリンは森までは辿(たど)り着(つ)けていなかった。

 このままでは半数以上のゴブリンが敵に壊滅させられる事が予見された。

 だが、ここで格闘家アーゼとドワーフのギート率(ひき)いる百人隊が姿を現わしたのだ。

 彼ら二人を含めて重量級のゴブリン達は、本隊を守る盾の役目を果たした。

 サーゲニアの兵士達は重装歩兵であったが、アーゼとギートの前に紙切れのように吹き飛ばされていった。

 さらにゴブリンの戦士達も大剣を振るい、今までの恨みを晴らしていくのだった。

 そして、サーゲニアの軍勢は動きを止めた。

 しかし、指揮官は軍勢を横に伸ばし、アーゼ達の百人隊の

カバーしきれない範囲から、ゴブリンの本隊を攻めようとし

た。

アーゼ「マズイッ!」

 このままアーゼ達から見て左側を攻められれば、アーゼ達を含めて-まだ逃げる途中である右側のゴブリン達が分断されてしまうのだった。

 それはサーゲニアの指揮官も分かっており、アーゼ達から見て左側に重点的に兵を進めさせた。

 だが-その時、馬のいななき声が響いた。

 見れば、2名の騎兵がサーゲニアの軍の左斜め後ろから迫ったのだった。

アーゼ「あれはッ!」

ギート「ヴィル殿ッ、それにカシムッ!」

 ゴブリンの姿に戻った二人が、敵の馬を奪い取って、ついに姿を見せたのだ。

 今、ヴィルは遠距離用の剣技『飛燕(ひえん)』を発動し、敵を背後より討つのだった。

 これを見て、ゴブリン達も自然と反応を示した。

 数十名のゴブリンが誰に命令されるでも無く、縦列より飛び出し、迫る重装歩兵を食い止めていった。

 何人ものゴブリンがサーゲニアの重装歩兵の槍に貫かれた。

 しかし、致命傷を負ってなお、ゴブリンの戦士達は止まらずに、剣を敵の装甲の隙間に突き立てていった。

 この気迫を受け、サーゲニアの兵士達も畏(おそ)れを抱かずには居られなかった。

 その時、ヴィルは魔力を全開にし、鬼神の如(ごと)くにサーゲニアの兵士達を背後から斬り裂いていった。

 サーゲニアの兵士達の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の声が響く。

 すると、数名のサーゲニアの高位-能力者がヴィルに迫った。

 だが、カシムが結界で彼らを阻(はば)んだ。

 能力者の剣がカシムを狙(ねら)うも、カシムは霞(かすみ)のように敵の攻撃を躱(かわ)していくのだった。そして、時にカシムは敵に掌底(しょうてい)を喰(く)らわして、動きを一瞬-止めさせたりするのだった。

 こうして、決死の時間(じかん)稼(かせ)ぎが行(おこな)われていく。

 しかし、徐々に綻(ほころ)びが生じる。

 サーゲニアの指揮官は左が駄目なら右に狙いを変えた。

 未だアーゼ達の右側には逃げ遅れたゴブリン達が数百名おり、

せめて彼らだけでも潰(つぶ)そうという考えだった。

 この後方の数百名は負傷兵や老兵ばかりであり、とても敵を食い止める力は残っていなかった。

 しかし、老兵達は軋(きし)む全身を奮(ふる)い立(た)たせ、決死の突撃をかけていった。

老兵[行(ゆ)け、若者達よッ!]

叫び、傷ついた若者達に未来を託(たく)すのだった。

だが、次々にサーゲニアの刃(やいば)の前に散っていく老兵達。

 茶猫のケシャも結界を張り、少しでも敵の侵攻を止めようとするも、すぐに結界は砕かれてしまう。

 そして、敵兵がケシャ達の眼前に襲いかかってきた。

 刹那(せつな)、カードが敵兵を貫いた。

トゥセ「オラッ!てめぇらッ、許さねぇぞッッッ!」

 と叫び、トゥセは配下のゴブリン達と共に、敵に強襲(きょうしゅう)をかけるのだった。彼らは反転して駆けつけて来たのだ。

 戦場の機微(きび)を感じ取る勘(かん)のようなモノがトゥセには備(そな)わっており、それが彼をここに導いていた。

 そして、何とか撤退が進んで行く。

 サーゲニアの重装歩兵の軍勢を、軽装のゴブリン達はすりぬけて行くのだった。

 だが、敵の全ての騎兵が背後から迫った。

 今、トゥセやヴィル達も魔力を使い果たしつつあり、これを

迎(むか)え撃(う)つのは至難(しなん)だった。

トゥセ「団長ッ!俺がやります。俺が残りの魔力を全部、使えばッ」

ヴィル「駄目だ。ここは俺がやる。お前達は先に行け」

トゥセ「ですけどッ!」

 その時、茶猫のケシャが口を開いた。

ケシャ『私に任せて下さい。私に考えがあります。それに、私なら皆さんと違って体も小さいですし、足止めをした

後も逃げやすいと思います』

ヴィル「・・・・・・頼む。必ず帰って来い」

ケシャ『はい』

 そして、ケシャは狼(おおかみ)から飛び降り、敵の騎兵に向かって行った。

 ケシャは次々に結界を張った。

その結界に突っ込んでいく軍馬達。

 だが、それは柔軟性(じゅうなんせい)のある結界であり、軍馬を傷つける事が無かった。

 さらに、ケシャは念話を軍馬に送った。

ケシャ『お願いですッ!あなた達も利用されてるだけで、本当   

    は戦いたくないんですよねッ!?痛い思いをしたくないですよね?!これ以上、来ないでください』

 その声は確かに軍馬達に届いた。

 今、軍馬達は互いに顔を見合(みあ)わせ、困ったように-いなないた。そして、なんと全ての軍馬が動きを止めたのである。

騎兵A「なんだ、これはッ!」

 突如として言う事を聞かなくなった軍馬を、騎兵は鞭(むち)で打つもそれは逆効果であり、騎兵は振り落とされたりした。

騎兵B「あの猫を殺せッ!あいつが原因だッ!」

 そして、馬から降りた騎兵がケシャに迫った。

 ケシャは器用に敵の攻撃を躱(かわ)していくも、限界があった。

 ついにケシャの右足に、敵の刃(やいば)が当たったのだ。

 足から血が噴(ふ)き、痛みでケシャは顔をしかめた。

 さらに動きが鈍(にぶ)ってしまい、ケシャは死を覚悟した。

 サーゲニアの騎兵による剣撃がケシャに襲いかかったのだった。

しかし-その刹那(せつな)、ケシャの全身を結界が覆(おお)い、守護した。

ケシャ『え・・・・・・?』

 半(なか)ば放心しながら振り返れば、そこにはカシム達が居た。

ケシャ『皆さん?なんで?』

 と、ケシャは言葉を漏(も)らした。

 だが、その理由は決まっていた。

 ヒヨコ豆-団は仲間を決して見捨てないのだ。

トゥセ「オラッッッ!」

 敵に怒(いか)りながらトゥセは次々にカードを放っていった。

 それらのカードは正確に敵に吸い込まれて、爆発していった。

 さらに、ヴィルが『飛燕(ひえん)』の剣技で-その援護をする。

カシム「ケシャさん」

 と言いながら、狼に乗るカシムが手を差し伸べてくる。

 ケシャがそれに掴(つか)まるや、カシムは安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 しかし、その両側から敵の騎兵が迫った。

 次の瞬間、それらの騎兵は-現れたアーゼとギートにより蹴散(けち)らされていった。

ヴィル「撤退(てったい)だッ!」

 との号令で、ヴィル達は狼を駆り、その場を脱出していくのだった。

 それをサーゲニアの騎兵達は茫然(ぼうぜん)と眺(なが)める事しか出来なかった。

 こうして、ヴィル達は-ほとんどの損害を出すこと無く、森へと撤退(てったい)を完了させたのである。



 ・・・・・・・・・・

 森の奥に作られた坑道(こうどう)へ、ヴィル達は案内された。

 そして、戦士長ギル・クは恭(うやうや)しく跪(ひざまず)いた。

ギル・ク「ヴィ・ル、それにその仲間達よ。ありがとう・・・・・・・。

     あなた達が居なかったら、俺達は皆、死んでいただろう。本当に・・・・・・     ありがとう。

     この感謝をどうやって言葉に表したらいいか、分からないッ」

 と声を微(かす)かに震わせながら言うのだった。

 そんなギル・クの肩をヴィルはソッと叩いた。

ヴィル「気にしないでくれ。むしろ、素性(すじょう)も知れぬ俺達を良く

    信じてくれた。それに感謝してるよ」

ギル・ク「あ、ああ。しかし、あなた達は一体・・・・・・」

ヴィル「詳しくは語れないが、とある孤島から来たんだ」

ギル・ク「孤島・・・・・・?まさか、カイ・ネラの一帯か?

     あそこは海流も激しく、本島であるククリ島とも

     交流が少ない。そうか・・・・・・」

 と独(ひと)りでに納得しているようだった。

ギル・ク「ともかく分かった。あなた達は俺達の命の恩人だ。

     しかも、その戦いぶりや指揮を含め、むしろ救世主と呼べるかも知れな     い」

ヴィル「救世主か・・・・・・。そんな大したものじゃないけど、

    力を貸させてくれ」

ギル・ク「それはむしろ、こちらが願いたいくらいだ。

     あなた達なら、あの異様な軍隊を倒してしまえる

     やも知れない。いや、きっとそうなのだ。

     あなた達こそが奴らから島を救う為(ため)に、

     女神クル・セレより遣(つか)わされた者達なの

     だ。ヴィ・ル、それに仲間達よ」

ヴィル「なのかも知れない。ともかく時間が無い。奴らは

    今も侵略をしようと試みている。急いで策を練ら

    ないといけない。全体の状況を教えて欲しい」

ギル・ク「分かった。俺の知る限りを話そう」

 そして、ギル・クは戦況を説明し出すのだった。

 これを聞き、ヴィルは難しい顔をした。

 それ程までに状況は悪かったからだ。

 多方面よりの進軍に加え、エルフの将軍による虐殺(ぎゃくさつ)など、

危険な要素がいくつも存在していた。

 しかし、ともかくは目の前の正体不明であるサーゲニア軍

との戦いに傾注(けいちゅう)しなければならなかった。

 

ヴィル「敵は練度も高く、数も多い。こちらも-それなりに数を

揃(そろ)えねば、話(はなし)にならない。いくらの兵を動員できる?」

ギル・ク「・・・・・・都には一万の兵が居る。だが、3000は守備兵 

     で都から出すわけにはいかない」

ヴィル「となると7000か。厳しいな・・・・・・」

ギル・ク「能力を持たない兵士なら、さらに数は居るが」

ヴィル「それだと犠牲が多すぎるな。それは最終手段になるだろう」

ギル・ク「ああ。俺もそう思う。それとガ・ルク大要塞には

     5000の兵が詰(つ)めている。だが、これを動かすのも

     難しい。それ以外は、現在-交戦中だ」

ヴィル「ならば、その7000の兵を借り受けたい。出来るか?」

ギル・ク「分からない。首都の防衛は2名の戦士長が管轄(かんかつ)していて、その     内(うち)の一人デ・シオは-あの謎の軍にやられて行方(ゆくえ)がしれな      い。・・・・・・デ・シオは若いが優秀な戦士であった。生きていて欲しいも     のだが」

ヴィル「もう一人の戦士長は?」

ギル・ク「トル・センという男だ。とはいえ、あの男は歳(とし)ばかりとっていて、     戦争の経験が無い。長老になりそこねた奴で、武功(ぶこう)で戦士長に      なったわけでは無いのだ」

ヴィル「そのヒトが今の首都を防衛していると?」

ギル・ク「ああ、そうなる。やはり、マズイ状況だ。ともかく、

     使者を送って、増援を頼もう」

ヴィル「急いでくれ。少なくとも3000は欲しい」

ギル・ク「分かった。俺の腹心の部下に行かせよう」

 とギル・クは答えるのだった。


 そして、ヴィル達は時を待った。

カシム「そういえば団長。あの時、トイレで敵の指揮官を殺しませんでしたよね」

ヴィル「ああ。思ったより間抜けな奴だったから、あえて殺さなかった」

カシム「というと?」

ヴィル「あまりヒトの悪口は言いたくないが、無能な指揮官は

    生かしておいた方が今後の為(ため)になると思ってな」

 すると手当(てあ)てを受けた茶猫のケシャが歩いてきた。

ケシャ『でも、罰を受けて降格させられるんじゃ無いですか?』

ヴィル「かもな。それならそれで、敵の内部に不和が生じる。

    悪くは無い」

カシム「なる程」

 とカシムは感心するのだった。

 その時、レククとモロンがやって来た。

モロン「団長」

ヴィル「おお、モロン。それにレククも。ニョモちゃんはどうした?」

レクク「お昼寝してます」

ヴィル「そうか。二人は疲れてないか?ずっと負傷兵の手当てをしてたんだろう?」

モロン「うん。でも、僕たちは戦いに出なかったから。それくらいはしないと」

ヴィル「そうか。ところで勇者カル・ヘトの具合はどうだ?

    まだ、目を覚まさないのか?」

レクク「はい。傷は塞(ふさ)がったんですけど、魔導士の呪詛(じゅそ)が体内を蝕(む    しば)んでるみたいで」

ヴィル「それは良くないな。彼のような英雄は今のような状況 

    で必要な存在でもある。早く治ってくれると良いが」

モロン「うん。でも、団長が居るよ。英雄は僕の目の前に居るんだよ」

 とのモロンの台詞(せりふ)に、ヴィルは顔をほころばせた。

ヴィル「ありがとな、モロン。お互いに頑張ろう」

モロン「うん」

 そう答え、モロンは微笑(ほほえ)みを見せるのだった。


 ・・・・・・・・・・

 一日が経ち、使者が疲労(ひろう)困憊(こんぱい)になりながらも帰ってきた。

 しかし、結果は最悪のものだった。

ギル・ク「援軍は出せないだとッ!」

使者「は、はい。戦士長トル・センは首都で防備を固めており、

   全ての戦力を守備に回そうとしています」

ヴィル「・・・・・・あまりに多すぎる人数で籠城(ろうじょう)をしても、意味が

    無いというのに」

ギル・ク「なんて事だ。ここに来て、味方が足を引っ張るとは」

ヴィル「ともかく、今いる人数で戦うしか無い。今いる人数は

    2000だな?」

ギル・ク「ああ。10の坑道に分けてある」

ヴィル「ともかく、それを急ぎ集めてくれ。敵に強襲を仕掛ける」

ギル・ク「だが、ヴィ・ルよ。お前も分かっているだろうが、近辺の敵の戦力は1万     近くあるのだぞ」

ヴィル「分かっている。だが、偵察からの報告によれば、敵は

    補給線を確保するために相当の数の兵士を割(さ)いている。

    恐らくは半分の5000人が実働部隊といった所だろう」

ギル・ク「だとしても、忌々(いまいま)しいが奴らは手強い。2、3倍の敵を相手に集     団戦をこちらから仕掛けるのは危険だ」

 とのギル・クの言葉にヴィルは頷(うなず)いた。

ヴィル「ああ。しかし、敵はここだけでは無いだろう北からも

    奴らの別働隊というか本隊が迫っている。これが合流

    してしまっては本当に手が付けられなくなる」

ギル・ク「・・・・・・確かに。だが・・・・・・いや何も言うまい。俺はヴィ・ル、お前を信     じよう。ただ、ひたすらに」

ヴィル「ありがとう、ギル・ク」

ギル・ク「いや。・・・・・・ククリ島を頼む、ヴィ・ル」

ヴィル「ああ、任せてくれ」

 そう力強くヴィルは答えるのだった。


 ・・・・・・・・・・

 歴史書を紐解(ひもと)けば数倍の差の敵を打ち破る戦争は、いくらでもあるだろう。しかし、それは大抵は誇張がされている事も多く、実際に数倍の敵を倒すのは不可能に近い困難を要求された。

 とはいえ、味方の練度が非常に高く、敵の指揮官がミスを犯した場合などは、十分に可能性は有りうる。

 しかし、今回の戦(いくさ)においては敵の練度も並では無く、指揮官であるタヒニトも若く粗(あら)が有るが戦術に関して非凡な才を持っている。

 この状況下では数倍の戦力差がヴィル達に重くのしかかることになる。一般的に集団戦は-戦力が人数の2乗に比例すると言われている。

 つまり敵の数が3倍なら、実質的には9倍の力を敵は持つというわけだ。

 いかにヴィル達が特異な能力者と言えども、この戦力差を引っ繰り返すのは容易では無い。

 だが、ヴィルは諦めはしなかった。


ヴィル(こうなっては戦術(せんじゅつ)比(くら)べと行こうか、敵の指揮官さん?

    チラッと見た感じ、君は若く有望なのだろう。だが、恐らくは実戦経験は    少なく、大して命のやり取りを知らないのだろう・・・・・・。戦術を盤上の演    習としてしか理解していない。それが俺には分かる。

    だが、それでも俺は勝てるのだろうか?

    この戦力差、そして陣形の訓練をあまりしてないゴブリン達・・・・・・常識か    らすれば勝てるわけが無い。

    しかし、ゴブリン達は勇猛(ゆうもう)であり、何より家族と島を守る為(た    め)に命懸(いのちが)け以上の覚悟で戦う気だ。

    彼らが俺を信じてくれたように俺も彼らの力を信じよう。さぁ、始めよ     う)

 と覚悟を決め、ヴィルは立ち上がるのだった。


 ・・・・・・・・・・

 そして今、ついにヴィルの率(ひき)いるゴブリンの軍勢と、タヒニトの率いるサーゲニアの軍勢が対峙(たいじ)する事となった。

 ヴィルは2000の全ての兵を小高い丘の前に布陣した。

 これを見て、タヒニトはフッと笑った。

タヒニト(なる程、戦術の基本は理解しているようだね。高所を押さえた布陣、も     しくは丘を背に戦う布陣は非常に有利に戦闘を運べる。上からの攻撃は     強いからね。

     でもさ、それは互いに兵力が拮抗(きっこう)している場合だ。

     今回の場合、お前達は圧倒的に兵力に劣るわけで、背後が丘だと逃げる     時に混乱が生じやすいだろう。

     前みたいに手際(てぎわ)よく逃走するのは、まず無理だ。

     ・・・・・・シェハネア師匠の軍が来る前に片付(かたづ)けないといけない。あ     の人に失望されるわけにはいかないんだ)

 そうタヒニトは思うのであった。

タヒニト「さぁ始めようか、愚かなるゴブリン共(ども)」

 と呟(つぶや)き、タヒニトは全軍に号令を掛(か)けさせるのだった。


 そして、サーゲニアの密集陣形(ファランクス)が動く要塞の如(ごと)くに、ゆっくりと着実(ちゃくじつ)に迫って来た。

 これを見て、さしものトゥセも冷や汗をかき、固唾(かたず)を飲んだ。

 しかし、ふとヴィルの横顔を見るや、トゥセから不安は消え去った。

 ヴィルはこの事態に全く動じておらず、冷静に状況を見据(みす)えていた。

ヴィル「・・・・・・突撃」

 とヴィルは静かに確かに告げ、剣を遙(はる)かサーゲニア軍に向けた。

 次の瞬間、ゴブリン達から鬨(とき)の声が上がり、一気に彼らは駆けだして行った。

ヴィル「さぁ、俺達も行くぞ」

 そして、ヴィルやトゥセ達は狼に乗り、戦場へと向かうのだった。


 ゴブリンの前衛(ぜんえい)を率(ひき)いるのは戦士長ギル・クである。

 しかし、彼はサーゲニア軍から200mくらいの距離で自軍を止め、投石を開始させた。

 とはいえ、サーゲニアの兵士は重装備に身を固めていたため、

盾で大抵(たいてい)の石は弾(はじ)かれていった。

 サーゲニアの軍は躊躇(ちゅうちょ)無(な)く進み続け、両軍の距離は徐々に狭まっていく。

 そして、ついに距離が60mを切った時、ギル・クは号令を掛(か)け、今度は槍を投擲(とうてき)させた。

 それらの槍は正確にサーゲニア軍に向かうも、重装歩兵の盾に突き刺さるだけで大した損害を与える事は出来なかった。

 だが、ここで異変が生じた。

 盾に突き刺さった槍が取れなくなっていたのだ。

 さながら釣り針が魚に食いこむように、特殊な槍は盾を貫いていたのだ。

 ここに来て、サーゲニアの重装歩兵は焦(あせ)りを見せた。

 ただでさえ重い装備に槍の重量が加わっては動けなくなるのだった。しかし盾を放棄(ほうき)するわけにはいかない。

 なので、サーゲニアの最前衛(さいぜんえい)は動きを止めざるを得なかった。

 そんな中、ゴブリン達は今度は投石を始めた。

 徐々に石はサーゲニア兵に直撃していき、密集陣形(ファランクス)に乱れが生じだした。

ヴィル「突撃ッッッ!」

 との透き通るような声が戦場に響き、ゴブリン達は魔力を全開にして駆けだした。

 一方で、サーゲニアの兵士達は敵の勢いに飲まれつつあったが、敵を迎(むか)え撃(う)つのだった。

 こうして両軍がぶつかり合い、戦場は混乱していく。こうなっては指揮官ですらロクに自軍を操る事は出来ない。

 タヒニトも指をくわえて戦況を見守ることしか出来なかった。

 だが、両軍が衝突して数分も経たずに、ヴィルは撤退を命じたのだ。

 そして、あっけない程にゴブリン達は引き上げていく。

 突然の事にタヒニトも含め、サーゲニアの兵士達は追撃も忘れ、それを眺(なが)めていた。

タヒニト「追えッ!追うんだッッッ!」

 これは非常に順当(じゅんとう)な判断と言えた。

 背を向けた軍ほど脆(もろ)いモノは無い。仮に重装歩兵の密集陣形といえど背後から攻められれば、ひとたまりも無い。いわんや、軽装歩兵であるゴブリン達なら、なおさらである。

 しかし、装備の重量の差から、サーゲニアの重装歩兵は中々敵に追いつく事が出来なかった。

 それでも負傷して歩みが遅いゴブリンなどは、背後から槍を突き立てられ無惨(むざん)に殺されていった。

 一方、トゥセやアーゼはそんな逃げ遅れたゴブリン達を少しでも救おうと奮戦(ふんせん)していた。

アーゼ「さぁ、今の内(うち)に早く逃げてッ!」

ゴブリン兵「す、すまない・・・・・・」

 こうして、撤退は徐々に完了していく。

トゥセ「じゃあなッ!」

 と言い残し、トゥセは煙幕のカードを使って、アーゼ達と共にその場を後にするのだった。

 しかし、戦いはここで終わらない。

丘の麓(ふもと)まで戻ったヴィル達だが、サーゲニア軍は未(いま)だ目前に迫っていた。

ギル・ク「ヴィ・ル。本当にやるのかッ?」

 息を荒くしながらギル・クは尋(たず)ねた。

ヴィル「ああ。ここで出来る限り敵を削(そ)ぐ」

 その言葉に、ギル・クは頷(うなず)いた。

ギル・ク「分かった。準備は出来ている。やるからには奴らに目に物を見せてやろ     う」

 と言い、ギル・クはニヤリとするのだった。


 一方でサーゲニアの指揮官タヒニトは怒りを抑えるので精一杯(せいいっぱい)だった。

タヒニト(ゴブリンめ、こちらを小馬鹿にしてッ!だが、いいさ。この平原を押さ     えれば、敵の首都らしき場所まで障害は-ほぼ無い。そうなれば、こちら     の勝利は近い。まずは-その丘を制圧してやるッ)

 そして、タヒニトは軍を進撃させた。

 一方でゴブリン達はサーゲニアの軍勢から逃げるように、丘の中腹へと移動していった。

 それを見てサーゲニアの兵士達は勢いづき、丘の上へと向かうのだった。

 だが、サーゲニアは知る事となる。この丘、テル・ネの丘こそ、ククリ島・東部(とうぶ)戦役(せんえき)におけるターニング・ポイントとなる事を。

 

 テル・ネの丘は高さは低かったが、横に広がりを見せており、大規模な軍勢が戦闘を行うだけの広さを有していた。

 また所々(ところどころ)に林があったが、基本的に草が生(お)い茂(しげ)っているだけで隠れる場所は少なかった。

 しかし、サーゲニアの兵士達やタヒニト中佐は失念していたのだ。ゴブリンは穴掘りを特技としていることを。

 

 完璧に密集陣形(ファランクス)を組みながら、サーゲニアはテル・ネの丘を徐々に制圧していった。

 しかし、その時-異変が起きた。

 先頭の兵士達が落とし穴へと嵌(は)まっていったのだ。

 穴の底には槍が仕掛けられており、兵士達の体を貫いていた。

 瞬時にサーゲニア軍に動揺が走る。

 だが、さらなる混乱がサーゲニア軍に訪れる事となる。

 あちこちの地面から突如としてゴブリン達が現れたのだった。

 実はゴブリンの勇者カル・ヘトが予(あらかじ)め作らせてあった坑道がこの丘には存在していたのだ。

 これをヴィルは利用したのである。

 そして、ゴブリン達の反撃が始まる。

 綺麗(きれい)に整った密集陣形(ファランクス)が崩され、サーゲニアの重装歩兵の力は半減したと言えるだろう。

 さらにゴブリン達はあえて無理に地上で戦おうとはせずに、不利になったら地下の坑道に戻ったりしながら戦うのだった。

 こうなっては地上と地下を合わせた立体的な死闘が繰り広げられる事となる。

 それはタヒニトにとって、どの戦術書にも載(の)っていない事であった。

タヒニト(なんだよ、これ・・・・・・。こんなのって・・・・・・)

 頭が真っ白になり、全身が冷たく凍るような感覚。全てが夢であって欲しいという願いがタヒニトに沸(わ)き起(お)こった

 一方で、エストネアの騎士として《無名の英雄》として数多(あまた)の戦いを経(へ)てきたヴィルにとり、この状況は十分に対応可能なものであった。

ヴィル「よし、そちらの坑道は防(ふさ)いでしまえ。ギル・ク。地下の指揮は任せていいか?俺は上に出る」

ギル・ク「任された。ヴィ・ル、勝つぞッ!」

ヴィル「ああ」

 そうヴィルは頷(うなず)き答えた。

ヴィル「さぁ、そろそろ戦いを終わらせに行こう」

 と呟(つぶや)き、ヴィルは剣気を纏(まと)いながら最前線に赴(おもむ)くのだった。


 この頃、サーゲニアの兵士達は完全に空回りしていた。

 地下のゴブリン達を追って坑道に入るも、中は迷路のようになっており、しかも途中で道が塞(ふさ)がれる事もあり、ロクに戦えないまま-待ち受けるゴブリンに倒されていった。

 そんな中、ヴィル達は坑道を抜け、丘の麓(ふもと)へと出た。

 目指すは敵の指揮官であるタヒニトである。

 彼は指揮をしやすいように御輿(みこし)の上に居るのだが、逆にそれは敵に狙われやすいのであった。

 そして、ヴィルやアーゼ達が背後から突撃を開始する。

 次々にサーゲニア兵は吹き飛んで行き、タヒニトへと道が開いていった。さしもの重装歩兵も背後からの攻撃には弱い。

 本来ならば後方にも兵士を存分に置いているのだが、戦場があまりにも横に広がってしまい、背後が薄くなっていたのだ。

 もちろん、これはタヒニトが放心していた事にも起因する-つまらないミスとも言えた。

一方、親衛隊が即座に反応し、それを阻止しようとするが、トゥセやアーゼ達が逆に親衛隊を押さえるのだった。

 その隙にヴィルは神速でタヒニトに迫った。

トゥセ「いけッ!団長ッッッ!」

 とのトゥセの声が響き渡る。

タヒニト「あ・・・・・・」

 結界がヴィルの剣技により砕かれ、タヒニトは死を覚悟した。

 しかし、ヴィルは剣の柄(つか)でタヒニトの首を叩くだけで、彼を殺しはしなかった。

 そして、ヴィルはタヒニトの体を親衛隊に向かって放った。

 これを受けて、親衛隊は急ぎ逃げ出した。

 さらに、タヒニトが倒れた知らせは瞬(またた)く間(ま)にサーゲニア軍に広がり、サーゲニアの軍勢は一気に撤退しだしたのだった。

 だが、これをヴィルは無理に追撃させず、ここでようやく

今回の戦いは終了するのであった。


 ・・・・・・・・・・

 だが、完璧なる勝利に見えたテル・ネの丘での戦いも、ゴブリン達にとり少なくない犠牲を生んだ。

 2000の兵の内、200が死亡したのだ。重傷者も100名ほど出ており、まともに戦えるのは1600くらいである。

 一方でヴィル達の与(あずか)り知(し)る所では無いが、サーゲニアのタヒニト部隊は5000名の内(うち)、600が死亡し、800名の重傷者を出していた。そして実質的には3000ほどがタヒニトには残されている事となる。

 ただし、補給部隊から兵員を持ってくれば元の5000くらいには戻すことは可能である。

 なので戦況は未だにヴィル達にとって相当に不利と言えた。

 

 その頃、ヴィル達は丘の上で休息をとっていた。

 周囲ではゴブリン達が火を焚(た)き-ささやかな宴(うたげ)をしており、

にぎやかな限りであった。

トゥセ「でも団長、あの敵の指揮官、倒してもよかったんじゃ無いですか?」

ヴィル「ん?ああ・・・・・・」

カシム「今回もあえて生かしておいたという事ですか?」

ヴィル「まぁ、そうなるな。ただ、今回の場合は少し意味あいが違うけどな」

カシム「と言いますと?」

ヴィル「あの指揮官は優秀だよ。本来なら、あそこで倒しておいた方が安心できた    かも知れない。でも、あの場で彼を殺していれば、周囲の兵士達は死(し)に    もの狂(ぐる)いで俺達に襲いかかっただろう。そうなれば俺達もタダでは済    (す)まない。

    それに今日の戦いは長引かせたくなかった。もし長引けば敵もある種の冷    静さを取り戻し、出て来るゴブリンを各個に撃破してくるようになっただ    ろう。

    俺達の人数は多くない。奇策(きさく)を重ねて倒すしか無いんだ。一度の戦    いで敵を殲滅(せんめつ)するなど出来はしない」

アーゼ「なる程。流石(さすが)は団長」

ヴィル「はは、ローじゃないけど照れるな」

 すると、戦士長ギル・クが杯を持ってやって来た。

ギル・ク「ヴィ・ル、どうにも大人(おとな)しいな、お前は。今回の戦(いくさ)の主役だと言うのに」

ヴィル「うーん、まぁ存在が地味(じみ)だからなぁ俺は」

ギル・ク「何を言ってるんだか。主役が来ないと始まらないぞ。

     ほら、こっちにも来た、来た」

 そして、ギル・クはヴィルの腕を掴(つか)んで引っ張っていってしまうのだった。

 こうして束(つか)の間(ま)の平穏がヴィル達に訪れた。

 しかし、タヒニトとの真の決戦は間近(まぢか)に迫っているのであった。


 ・・・・・・・・・・

 一方、タヒニトは高位能力者の治療を受け、意識を取り戻していた。後遺症(こういしょう)こそ無けれど、彼の精神は深く傷ついていた。

タヒニト(皇帝陛下・・・・・・シェハネア様・・・・・・僕は駄目かも知れません。僕はずっと-あなた達の役に立ちたくて、

     それで必死に戦術を勉強してきましたけど・・・・・・。

     でも、僕より遙(はる)かに能力が上で、かつ戦術すら通用しない敵が居るんです。僕の存在意義は・・・・・・)

 いつしかタヒニトは涙を零(こぼ)していた。

 その時、テントの幕が開かれ、一人の義手の女性が入って来

た。

 彼女こそは上官であるイルヒ大佐であった。

タヒニト「あ・・・・・・」

 急ぎタヒニトは涙を拭(ぬぐ)って平静を取(と)り繕(つくろ)った。

イルヒ「泣いていたのか?」

 とのイルヒの言葉に、タヒニトは無言で答えた。

イルヒ「・・・・・・聞いたよ、負けたそうだな」

タヒニト「ッ、うるさいッッッ!」

 と叫び、タヒニトはコップをイルヒに投げつけた。

 それはイルヒの義手の接合部にあたり、地面に落ちた。

イルヒ「ッ・・・・・・」

 大した衝撃では無かったが、イルヒは苦悶(くもん)に顔をしかめた。

 それを見て、タヒニトはハッと我に返った。

タヒニト「あ・・・・・・ご、ごめん」

イルヒ「いや、義手がまだ馴染(なじ)んでいなくてな。まぁ後(あと)数日(すうじつ)も

    すれば慣れるだろうがな」

タヒニト「そう。そうすればイルヒ大佐が指揮をとるんだね」

イルヒ「・・・・・・お前、相当にショックだったのか?」

タヒニト「そりゃね・・・・・・」

イルヒ「タヒニト、お前は何かを勘違いしていないか?」

タヒニト「勘違い?」

 と、タヒニトは聞き返した。

イルヒ「そうだ。今回、お前は本当に負けたのか?しっかりしろ、タヒニト中佐。引き分けだろう、今回は。報告では敵も少なくない損害を受けているはずだ。自己(じこ)陶酔(とうすい)は放棄(ほうき)しろ。最後に勝てばいいんだ。我々は皇帝陛下の盾であり剣であり、それ以上でもそれ以下でも無い。

    故に、目的さえ果たせれば、それでいい」

タヒニト「目的・・・・・・」

イルヒ「そうだ。ククリ島の制圧。エストネアの好きにさせはしない。今後のランドシンの覇権(はけん)を考えた時、ククリ島という地は重要な場と言えるだろう」

タヒニト「だけど、僕では奴に勝てない。あのゴブリン。恐らく奴だ。エストネアの剣技を使うゴブリン。奴が現れてから全てがおかしくなった」

 そう俯(うつむ)きタヒニトは言った。

イルヒ「それが分かって居るなら良い。タヒニト中佐。戦争は

個人の英雄の時代から、集団の時代へと移り変わった。

    そいつに勝てないのなら、そいつ以外の全てに勝てばいい」

 とのイルヒの言葉に、タヒニトはハッとした。

タヒニト「・・・・・・そうか、なら」

イルヒ「何か思いついたようだな。ともかく、私は戦線に復帰する。それを含め、作戦を立案しろ。いいな」

タヒニト「・・・・・・分かったよ。ありがとう」

 そう照れくさそうにタヒニトは答えた。

イルヒ「期待しているよ」

 と言い残し、イルヒは外に出るのだった。


 ・・・・・・・・・・

 ヴィルはテ・ルネの丘の前に陣を敷(し)いた。

 丘に陣地を置くと、包囲された時に逃げ場が無くなるからで

ある。

 しかし、今回は敵のサーゲニア兵は深追(ふかお)いして来ない事が

予想できたので、丘の前で迎(むか)え撃(う)つ必要が生じていた。

 そして、タヒニト率(ひき)いる軍団がゆっくりと着実(ちゃくじつ)に迫っていた。


トゥセ「はぁ・・・・・・相変(あいか)わらず戦闘前は緊張するぜ」

アーゼ「トイレは行っとけよ」

トゥセ「分かってるよ。新兵か俺は?!」

 とのトゥセの言葉に、周囲の者は失笑を漏(も)らした。

 すると、サーゲニア兵は号令を受け一斉(いっせい)に止まった。

 不気味な沈黙がたちこめる。

ヴィル「じき始まるな・・・・・・」

 とヴィルは気を引(ひ)き締(し)めつつ呟(つぶや)くのであった。



 一方、タヒニトは-かつて無い程に緊張をしていた。

タヒニト(敵は一人のゴブリンに依存している形だ。ならば、

     戦線を拡大して、一人では指揮できなくすれば良い。

     そして、それに最も適した戦術、それは・・・・・・)

 すると、左翼に居るイルヒが号令を発し、突撃を開始した。

 それが開戦の合図と成(な)り、サーゲニア兵は斜線陣(しゃせんじん)を展開し出した。

 この陣形とは突撃を左から順にしていき、上から見れば斜めになるように攻撃をするものである。

 今回、タヒニトがこの陣形を採用したのは、戦いを流動的にしたかったからである。

 斜線陣においては、左から徐々に両軍が衝突していくので、両軍ともに全体の指揮を執(と)るのが非常に難しくなる。

 サーゲニア兵は左翼がイルヒ大佐、右翼がタヒニト中佐が率(ひき)いているので、比較的に統率(とうそつ)がとれる。

 だが、ゴブリンは戦術に関してはヴィルに依存(いぞん)している状態と言えたので、指揮をきちんと保(たも)つのは厳しくなる事が予想された。

 ちなみに、サーゲニアは主力をイルヒの居る左翼に集中させたので、それを迎(むか)え撃(う)つために、必然的にヴィルは自軍の右翼に向かわねばならなかった。

 

ヴィル「ギル・クッ!左翼を任せたッ!」

ギル・ク「分かった!」

 そして、ヴィルはトゥセ達と共に、急ぎ自軍の右翼へと進んだ。

 ゴブリンの兵士達は迫るサーゲニア兵に投石をしていくも、敵は-ほとんど怯(ひる)むこと無かった。

ヴィル「第1隊、突撃開始ッ!」

 とのヴィルの号令と共に、右翼のゴブリン達は槍を構え、

突撃を開始するのだった。

 そして、両軍がぶつかり合うも、やはり装備が上のサーゲニア兵の方が有利であった。

 すぐさま、右翼のゴブリン達は押されていき、丘まで戻されていった。

 だが、これもヴィルの計算の内(うち)であった。

 戦闘は高所の方が有利である。

 上から攻撃を仕掛けるゴブリン達は、わずかに優勢を取り戻しつつあった。

 そんな中、両軍の中央が衝突し、戦線は混乱を生じていく。

 また、ヴィルの居るゴブリンの右翼において、横の取り合いが起きていた。

 軍隊は背後や横からの攻撃に弱く、なので互いに背後や横を突こうとするものである。

 そして、数の少ないヴィル達は敵に回(まわ)り込(こ)まれないようにするので精一杯(せいいっぱい)であった。

 とはいえ、ゴブリンの右翼は後ろに斜めに押し込まれており、さらに丘の上にまたがるようになっていたので、非常に包囲されづらかった。

 そうなると、次に注意すべきは戦線を突破されてしまう事である。

 なので、ヴィルは的確(てきかく)に穴の空(あ)きそうな場所にトゥセ達を送り、戦線を何とか保(たも)っていた。


 だが、とうとうサーゲニアの右翼が、ゴブリンの左翼に攻撃を仕掛(しか)け、戦況がヴィル達にとりマズイ状況と化(か)した。

 サーゲニア兵は正面だけでなく、右側からゴブリン達を攻撃し出したのである。

 もちろん、ゴブリンの戦士長ギル・クもそれを防(ふせ)ごうとしたが、数の劣勢から叶(かな)わなかった。

 そして、ゴブリンの左翼がジリジリと崩壊していく。

 ギル・クは血にまみれながら、鬼神の如(ごと)くに戦うも、個の力で何とかなる範囲では無かった。

 いつしかゴブリン達は全体的に中央に集まり、防御に徹(てっ)するようになっていた。

 戦争とは多方向から攻撃を仕掛(しか)けた方が有利である。

 こうなってはゴブリンの軍が敗(やぶ)れるのも時間の問題と見えた。

 

タヒニト(いける・・・・・・いけるのか?いや、油断するな。戦い  は終わっていな     い)

 そうタヒニトは己(おのれ)に言い聞かせていた。

 とはいえ、サーゲニアの優勢は目に見えていた。

 

 だが、予想だにしない展開がサーゲニア軍を襲う。

 いつの間にか、ヴィル達は中央に移動しており、そのまま

サーゲニアの中央を突破してしまったのだった。

 一方で、ゴブリンの両翼は丘へと撤退していく形となった。

 中央をやられた事にイルヒ大佐やタヒニト中佐は危機感を覚(おぼ)えたが、ヴィル達の率(ひき)いるゴブリン500名はサーゲニアの両翼など無視し、そのまま前進を続けた。


イルヒ「何を考えている?」

 この時、左翼のイルヒはゴブリン達の意図(いと)に全く気づけなかった。

 しかし、右翼のタヒニトはヴィルの考えを察(さっ)するのだった。

タヒニト(まさか、奴ら。こちらの補給部隊を叩くつもりじゃ無いだろうな。い      や、きっとそうだ。そう、今回の戦争では海が隔(へだ)たっている分、補     給が非常に困難だ。

     そんな中、食料を焼き討ちでもされたら、マズイッ。

     敵兵は少ないが、補給部隊は能力の低い者で構成されているから、もし     かしたら敗(やぶ)れてしまうかも知れない。クッ、ここで奴らを叩いてお     かないとッ!)

 そして、タヒニトは右翼に反転し、中央突破したゴブリン達

を追うように命じた。

 もちろん、背を向けたサーゲニア兵をゴブリン達は追撃して

くる。

 とはいえ、そもそもこの戦闘区域では多くのゴブリンが討(う)ち

死(じ)にしており、大した反攻(はんこう)は出来なかった。

 

 一方で、イルヒ大佐はゴブリン達を攻めあぐねていた。

 丘の中腹(ちゅうふく)には落とし穴や坑道が仕掛(しか)けられており、あまり奥まで進むわけにはいかなかったからである。

 とはいえ、タヒニトのように大胆(だいたん)に反転する決断も出来なかった。

 なのでイルヒが担当する戦闘区域は膠着(こうちゃく)状態(じょうたい)に陥(おちい)っていた。

 ただし、タヒニトへの支援として、イルヒは騎兵を送った。

 また、騎兵をヴィル達に仕向けたのはタヒニトも同じである。

 装備が軽いゴブリン達にサーゲニアの重装歩兵は追いつけない事が予想されたが、騎兵との戦闘で敵を足止めし、その間に本隊が到達すればよいと考えたのである。


 そして、ヴィル達の背後からサーゲニアの騎兵が迫るのだった。

 一方、ヴィルはこの展開を読んでいた。

 いや、これまでの全てはヴィルの思惑(おもわく)通(どお)りと言えた。

ヴィル「全軍停止ッ!急ぎ、陣地を構築せよッ!」

 とのヴィルの声が鋭(するど)く響いた。

 そして、ゴブリン達は背負っていた木(き)の杭(くい)などを急ぎ、地面に打(う)ち付(つ)けていった。

 手が器用なゴブリン達は素早(すばや)く作業をしていくが、騎兵が見(み)る間(ま)に迫ってくる。

ヴィル「時間を稼(かせ)ぐぞッ!」

 そして、ヴィル達は狼で敵に突撃をしていった。

 狼と戦った事が無い騎馬は、狼の咆哮(ほうこう)に怯(ひる)み-たじろいだ。

 この隙(すき)に、ヴィルは敵兵を馬から叩き落としていった。

 そうしていく内(うち)に、陣地の構築は完了し、さらに敵の本隊がすぐ先に迫っていた。

ヴィル「狼兵(ろうへい)は後退ッ!」

 との命令を発(はっ)し、ヴィル達の乗った狼は後ろから簡易(かんい)の陣地へと戻るのだった。

 

 敵が陣を構築したのをタヒニトは分かって居たが、それでも正面から突撃せざるを得なかった。

 重装歩兵は規則正しい密集陣形を組むから強いのであり、

下手に回(まわ)り込(こ)んだりしようとすれば、陣形が崩れてしまう

からであった。

 

タヒニト(だけど、柵(さく)を組もうと、互いに歩兵ならば障害としての度合(どあ)     いは両軍にとり同じ。数で押せばいけるッ!)

 そして、タヒニトは自身の全部隊をそのまま進めた。

 柵(さく)の隙間(すきま)から互いの兵が槍を突き出していく。

 次々に装備の薄いゴブリン達は倒れていくも、後列のゴブリ

ンがすぐさまに前に出て、戦線の崩壊を防(ふせ)ぐ。

 このままでは柵は打ち破られる事が予想できた。

 しかし、ここでヴィルは命令を発した。

ヴィル『油、放てッッ!』

 これを聞き、油の入った瓶(びん)が次々に柵を越えて投(な)げ込(こ)まれて

いく。

 それらの瓶(びん)はサーゲニアの兵士達にぶつかり、油をまき散ら

していく。

 さらに火を点(とも)した松明(たいまつ)が投げられ、ついには発火していく。

 その火は兵士から草原に燃え移っていき、広がりを見せてい

った。

 ただでさえ密集陣形をとっていたサーゲニア兵だけに、この

事態に大きな混乱を示した。

 必死に火から逃げようとしていくサーゲニアの兵士達。

 彼らは魔力を少なからず有しているので、そう簡単に焼け死

ぬ事は無かったが、火の恐怖は狂乱を引き起こす。

 すぐさまサーゲニアの戦列は崩壊し、背を向けて逃げ出した。

ヴィル『追撃ッッッ!』

 そして、ゴブリン達の反撃が始まる。

 元々、ゴブリンは火に耐性があるので、多少の火炎は問題な

かった。なので、炎と煙が辺りで立ちこめていても、混乱する

事もなく戦いをする事が出来た。

 次々に槍を突き刺され倒れていくサーゲニア兵士達。

 こうなっては指揮官のタヒニトの声も届きはしない。


タヒニト(そんな・・・・・・踊(おど)らされていた?全て、敵は用意していたの         か・・・・・・。駄目だ、桁が違う。まずい。僕が

     死ぬだけなら、まだいい。

     でも、この敵はシェハネア様に匹敵(ひってき)する戦術眼を有(ゆう)す      る。その上に、武の腕前も並じゃ無い。

     エストネアの剣技・・・・・・何かおかしい。

     本当にゴブリンなのか、奴は。

     あぁ僕は・・・・・・)

 すると、部下の親衛隊員が必死に声を掛(か)けた。

親衛隊「お逃げ下さい、タヒニト中佐ッ!貴方はこんな所で死んでよい方ではありません」

 しかし、タヒニトの頭は炎の熱もありグラグラとしていた。

タヒニト(死ぬ・・・・・・?僕が?あぁ、それも仕方ないのかな?)


 一方、炎が草原にあがったのを見て、丘の麓(ふもと)で戦うイルヒは

目を見張った。

イルヒ「これは。クッ、タヒニトッ!」

 そして、イルヒは全軍を向かわせようとした。

 しかし、声が響いた。

トゥセ『行かせっかよッッッ!』

 次の瞬間、カードが次々にサーゲニア兵に突き刺さる。

 さらにゴブリン達もここぞとばかりに追撃を開始する。

イルヒ「この化け物どもがッッッ!」

 声を張り上げ、イルヒは疾風(しっぷう)の如(ごと)くにゴブリンをナイフで斬

り裂いていった。

カシム『トゥセさんッッッ!』

 そして、カシムは仙人術(せんにんじゅつ)でトゥセの体を浮遊させて、敵の下(もと)

へ向かわせた。

 上空から高速でカードをイルヒに放つトゥセ。

 対し、イルヒもナイフをトゥセに投擲(とうてき)するも、トゥセは器用

に躱(かわ)していくのだった。

トゥセ『悪いが。テメーら、恐らくサーゲニアなんだろうがよッッッ!俺は今、猛烈(もうれつ)に怒(いか)ってるッ!昔の借(か)りを含めてなッッッ!』

 叫ぶトゥセ。彼の放つカードは次第に速度と切(き)れを増してい

く。

イルヒ「このッッッ!」

 一方で、イルヒも全力でトゥセの攻撃を避けて行くも、上空のトゥセを撃ち落とすことは叶(かな)わなかった。

 

ヴィル『進めッッッ!進めッッッ!ここが正念場(しょうねんば)だッ!

    敵を打ち倒せッ!』

 そして、タヒニトの部隊は瓦解(がかい)しつつあった。

アーゼ『いける、いけるぞッッッ!』

 勢いに乗ったアーゼ達はサーゲニア兵を次々に倒していった。

 だが、世は無情であった。

 突如として銅鑼(どら)の音(ね)が北東より響き渡るのだった。

タヒニト「まさか・・・・・・」

 現れたのは合わせて数千もの人間の兵士だった。

 軽装歩兵と騎馬からなる-それらの部隊は、一様(いちよう)にサーゲニアの紋章を有(ゆう)していた。


シェハネア「全軍、突撃」

 冷酷に告げるサーゲニアの元帥(げんすい)シェハネア。

 怒濤(どとう)に押し寄せるサーゲニアの軍勢。


ヴィル「馬鹿な・・・・・・」

 普段、冷静(れいせい)沈着(ちんちゃく)のヴィルですら、この事態には体を恐(おそ)れで

震わせざるを得なかった。

 だが、ヴィルはすぐさま頭を切り換え、皆に命じるのだった。

ヴィル『全軍、森へ撤退ッッッ!逃げろッ!早くッッッ!』

 この命令を聞き、ゴブリン達は蜘蛛(くも)の子を散らすように撤退(てったい)していった。

 それは丘のゴブリン達も同じで、必死に森へと逃げていくのであった。


シェハネア「逃げられるとでも?」

 そして、シェハネアが采配(さいはい)を振るうと、サーゲニアの騎馬兵が一気に全速で進み出した。

 騎馬兵はすぐさまに敗走するゴブリン達に追いつき、槍(ランス)で

その背を貫(つらぬ)くのだった。

ヴィル『このッッッ!』



 必死に騎兵を倒していくヴィルであったが、個人の力では

限界があった。

アーゼ『団長ッッッ!』

ヴィル『俺はいいから、先に行けッ!後から必ず行くッ!』

アーゼ『ですがッ!』

ギート『アーゼ、ここは団長を信じようぞ』

アーゼ『ッ・・・・・・団長、ご無事で』

ヴィル『ああ、お前達も』

 そして、ヴィルは一人その場に残るのだった。

 一方で、アーゼ達はその隙(すき)に撤退をしていく。

 

ヴィル『ラァァァッァッッッ!』

 既に騎乗していた狼(おおかみ)は倒れ、地に足を付けながら群がる騎兵に立ち向かうヴィル。

 その魔力は残りわずかとなっていた。

 ふと振り向けば、ゴブリン達は森の方へと無事に逃げていくのが分かった。

ヴィル(良かった・・・・・・お前達)

 微(かす)かな安堵(あんど)の笑みを浮かべ、ヴィルは最後の力を振り絞り、敵に向かっていった。

 そして・・・・・・。




 森林にて、トゥセ達はアーゼ達と合流していた。だが・・・・・・。

トゥセ「どういう事だよッ!団長は何処(どこ)だ、アーゼッ!おいッ。

    アーゼ、何とか言えよッ。おいッッッ!」

 アーゼの胸ぐらを掴(つか)み、トゥセは叫んだ。

アーゼ「・・・・・・すまないッ、トゥセ」

 何も弁解しないアーゼを見て、トゥセはその手を離し、へたりこんだ。

トゥセ「謝るなよ・・・・・・謝るんじゃねぇよッッッ!チクショウ、

    団長ッ!団長ッッッ!」

 その声は辺(あた)りに木霊(こだま)するも、言葉を返すべき者は居なかった。


 いつしか雨が降り出していた。

 フラフラとよろけながらも、ヴィルは戦意を失っていなかった。

 そして、また一人、敵を討(う)つのだった。

 この様子を魔(ま)眼(がん)でシェハネアは眺(なが)めていた。

シェハネア「・・・・・・なる程。ただ者では無いようだ。

      それにエストネアの剣技。面白い。どういうわけか聞く必要がありそうだ。生かしたまま捕獲しなさい」

 そう部下に命じるのだった。


ヴィル「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」

 あまりにも体は疲れ切り、汗すら出ない。少し気を緩めれば、

意識は失われる事だろう。

 それでもヴィルは剣を構え続けた。

ヴィル(父さん・・・・・・最後まで力を貸してくれ)

 とヴィルは心の内(うち)で、父の剣に語りかけた。

サーゲニア将校「ええい、一気に掛かれッ!敵は虫の息だぞッ!」

 この命令を聞き、サーゲニア兵士達は一斉(いっせい)にヴィルに襲いか

かった。

 ヴィルはとっさに前に出て敵兵を数名-倒すも、背後より剣で

斬りかけられ、ついには地に伏(ふ)せるのであった。

サーゲニア将校「てこずらせおって・・・・・・。縄で縛れ。

元帥閣下よりの命(めい)だ。このゴブリンを

閣下のもとへと連行する」

 そして、サーゲニア兵がヴィルに縄をかけようとした。

 刹那(せつな)、狼の遠吠えが響いた。 

 さらに尋常(じんじょう)では無い魔力が解放された。

シェハネア「来る・・・・・・」

 それは風のように戦場をすり抜けて進んだ。

 長い槍を手にした一人のゴブリン。狼に乗ったその者は時に

狼を跳躍(ちょうやく)させ、敵の兵士達を越(こ)えていった。

 そして、時に槍を苛烈(かれつ)に振るい、敵を吹き飛ばしていった。

 彼が槍を振るう度(たび)に、雨がその軌道を現(あら)わしていく。

シェハネア「止(と)めなさい」

 そう配下の親衛隊に命じると、異能者である親衛隊達は、

狼に乗るゴブリンへと向かって行く。

 ゴブリンとシェハネアの親衛隊がぶつかったのは、丁度、

ヴィルの倒れこむ場であった。

 常人なら残像しか見えないような死闘が繰り広げられる。

 とはいえ、一対多だと言うのに、ゴブリンの槍使いには未だ

余裕(よゆう)が覗(うかが)えた。

槍使い『・・・・・・雷よ(トゥルハ)』

 次の瞬間、雨雲より雷が-ほとばしり、敵の親衛隊を焼いてい

った。

 とはいえ、その雷は魔力が伴(ともな)っていない為(ため)、異能者である彼らを一時的に痺(しび)れさせる事しか出来なかった。

 だが、今はそれで構わなかった。

 この隙(すき)に、槍使いはヴィルを拾い上げ、狼に乗せて逃走していくのであった。


 ・・・・・・・・・・

 ククリ島、その危機はヴィル達の居る東部だけでは無い。

 後に中部(ちゅうぶ)戦役(せんえき)と呼ばれる-その戦いが今、中盤へと移ろうとしていた。

 そして、その戦役の主役とも呼べる者、彼こそが狂戦士ローなのである。

 彼の苦難と後悔に満ちた戦いが始まる。


 

 七英雄であるシオンとダンファンは倒れ、戦闘不能の状態にあった。

 剣聖シオンに関してはニアやエレナなどが代わりに指揮をしており、むしろ居なくても問題が無いと言うことが証明されつつあったが、問題はダンファン将軍であった。

 引き継ぎは副将であるサイクとなったが、彼は平時には良い将であるが、いざ戦時となると-いかんせんパッとしない所があった。

 つまり、軍を率(ひき)いるカリスマ性に欠けていたのである。

 これが無いと、一般兵達は命を懸けてまで戦おうとはしないものである。

 なので歴代の名将達は何とか-このカリスマを得ようと最前線で戦ったりなどして努力したものである。

 さて、このカリスマであるが、一人の男が有していた。

 彼こそは狂戦士ローである。

 なので戦闘に関してはローに全権を任せると言うのが、最も適切な選択と言えただろう。

 とはいえ、ここで問題が生じる。

 ローは部下にこそ好かれているが、同僚や上司の立場の人間には敵が多かった。

 いや、本当は部下にもローを快く思っていない者も少なからず居たが、彼らも無様(ぶざま)に死にたくは無いので-しぶしぶながらもローに従っていた。

 結局、ローの戦闘や戦術に関する実力は誰もが認めざるを得ない所があるのだった。

 だが、先程も言った通り、だからこそ同僚や上司の嫉妬(しっと)を受ける。ダンファン将軍の部下達は比較的にローに好感を持つ者は多かったが、それでもそうでない者も居るのである。

 さて、サイク将軍としてはローに実働部隊を率(ひき)いて貰(もら)いたかったが、他の将軍などは-これに難色を示す形であった。

 特にローを毛嫌(けぎら)いしているのはガッゾ将軍であった。

 ガッゾは獣魔-戦争の折(おり)、部隊の大半を失い、ローの部隊に助けられた過去がある。

 騎士として誇り高い彼は、それがどうしても許しがたいのであった。

 


サイク「しかし、ガッゾ将軍。今回の戦役(せんえき)でも、既にロー将軍 

    は大きな戦果を二度もあげています。これを鑑(かんが)みるにやはりロー将軍を実働(じつどう)部隊(ぶたい)の総指揮官に据(す)えるべきでは無いでしょうか?」

ガッゾ「いえ、サイク将軍。お言葉ですが、序列の問題として

    はサイク将軍や私の方が上なわけでして。もしもの話ですがサイク将軍が橋頭堡(きょうとうほ)付近の防衛を指揮なさるのなら、私が前線を指揮するのが筋(すじ)でしょう。ロー将軍は最前線で戦ってれば良い」

サイク「ですが、それでは今回の戦いは厳しいでしょう。もう少し俯瞰的(ふかんてき)に戦場を見渡せる位置からロー将軍に指揮を執(と)って貰(もら)いたいのです」

ガッゾ「おっしゃる事は分かりますが・・・・・・」

 こうして話は延々(えんえん)と平行線に陥(おちい)っていた。

 そんな中、当(とう)の狂戦士ローと言えば、眠いのか欠伸(あくび)をしてい

るのだった。

ガッゾ「こら、貴様。軍議中に欠伸(あくび)とは戦争を舐(な)めているのか?」

ロー「これはすみません、ガッゾ将軍。疲れが抜けきらなくて」

ガッゾ「ならば、後方で休んでいればいい。剣聖シオンのようにな」

ロー「彼と一緒にして欲しくは無いですねぇ。それにいざ戦いとなれば狂戦士の名に恥じないように戦いますよ、私は」

 狂戦士の鋭い眼差(まなざ)しに気圧(けお)され、ガッゾは口ごもった。

 その時、天幕の入り口が開き、老将軍ダンファンが杖をつきながら苦しげに歩いて来た。

サイク「将軍!」

 場に居る全ての将校が立ち上がった。

ロー「将軍、椅子(いす)を」

 そして、ローが椅子(いす)を勧(すす)めると、ダンファンは頷(うなず)き座りこんだ。

ガッゾ「お体は宜(よろ)しいのですか?」

ダンファン「いや、良くない。だが、色々と揉(も)めておるようなのでな」

 と言い、ダンファンは咳払(せきばら)いをした。

 だが、それは本当に咳(せ)き込(こ)んでいるようにも聞こえ、老将軍の体調が全く戻っていない事を実感させられるのであった。

ダンファン「医療テントに戻る前に伝えねばならない事がある。

      人事に関してだ」

 これを聞き、一同は緊張の面持(おもも)ちを見せた。

ダンファン「軍に関して、私の実質的な後継者はロー将軍とする。ロー・コヨータ将軍、受けてくれるか?」

ロー「はい。喜んで」

 そして、ローはダンファンに対し、敬礼を示すのであった。

 ガッゾ将軍は口をパクパクさせながら何か反論しようと思う

のだが、場の厳(おごそ)かな雰囲気に呑(の)まれ何も言えなかった。

ダンファン「以上だ。後は任せたぞ、ローよ。エストネアに

      栄光あれ・・・・・・」

 そう言い、ダンファンは激しく咳(せ)き込(こ)むのであった。


 複数の兵士に支えられながらダンファンが医療テントに戻っ

た後、場は静けさに満ちていた。

 誰もが老将軍ダンファンの意志を確かに聞(き)き遂(と)げていた。

そして、沈黙を破ったのはサイク将軍であった。

サイク「ロー将軍。序列こそ私が上だが、実質的な指揮は貴方(あなた)に委(ゆだ)ねます。どうか、ご指示を」

 これにローは確かに頷(うなず)いた。

ロー「では、まず軍の編成を変更する。これより始まるのは

   ゲリラ戦である。ゲリラに対抗する最も有効な策とは、

こちらもゲリラ的な作戦行動を取る事である。

故に小部隊-単位による散開を基本とする。

敵に見つからぬように動き、敵の拠点を探る。もしく

は敵の小部隊に奇襲(きしゅう)をかける。

いずれにせよ、騎士の戦いからはかけ離れたものとな

るだろう。だが、諸君(しょくん)等(ら)は彼(か)の獣魔-大戦を生き抜いた

精鋭(せいえい)である。七英雄にして老将軍であるダンファン将軍

の配下である事に恥(は)じぬような働きに期待する。

もちろん、私も死力を尽(つ)くして戦おう。言葉の通りに」

 と宣言し、皆に敬礼を示した。

 これを受け、ガッゾなどを除いた一同は歓(よろこ)びを隠しきれぬ

まま、敬礼を返すのであった。



 ・・・・・・・・・・

 この頃、対エストネア方面のゴブリン達は森に散開して潜んでいた。

 小規模の部隊を森の各所に配置させ、敵を奇襲する作戦である。すなわち、ゲリラ的な戦いとなる。

 ただし、近代のゲリラ戦と違い、彼らはそれぞれの砦を第二の拠点としていた。

 ここでの第一の拠点は森の中にある《隠し穴》であり、それと砦の二つの拠点を中心に動くのである。


 もし、敵に第一の拠点隠し穴を見付けられた場合は、第二の拠点である砦へと逃げ込む事となる。

 そして、そのまま砦が包囲された場合には、近くの砦や近くに伏せておいた部隊が、敵の包囲軍に夜襲を掛けたりして戦力を削るのである。


 さらに、敵軍がククリ島の奥地に来れば来るほど、補給線は長くなるので、そこを通る補給部隊を襲いやすくなる。

 故に、戦力的には劣っていても、ゴブリン達には十分に勝機はあると思われた。

 

 だが、世とは無情なものであり、彼らにとって最悪の敵が今着々と準備を重ねているのだ。



ロー「よし、森林踏破の準備は整っているな?」

 と、ローは副官(この時代では大隊長級)である騎士ダランに尋ねた。

ダラン「はい。各員、これより始まる戦闘に心を震わせております」

ロー「それは結構。とはいえ、これより先は世話をしてくれる従者は付いてきてはくれない。各部隊、最小人数で森林を踏破していくのだから。故に、快適とはとても言えない状況が続くだろう。それでも、彼らは心を震わせるのかい?」

ダラン「それはもちろんの事でしょう。ロー将軍のもとで働けるのは我らにとり、最上の喜びとも言えるのですから」

ロー「いやぁ、照れるねぇ」

 そう言い、ローはあご髭(ひげ)をポリポリと搔(か)くのだった。

ロー「しかし、話を変えると、今回も馬具職人は良い仕事をしてくれたね」

 と言い、ローは足下の荷物を詰めた大袋に目を向けた。

 これには戦闘必需品が全て詰め込まれているのである。

 そして、この袋は決して破けてはいけないので、特注の品であり、その仕事に適していたのが馬具職人なのである。

 何故なら、馬具は耐久性が必要であり、それに比べたら袋を作ることなど職人からしたら容易(たやす)いのであった。

 ちなみに、いくら丈夫とはいえ、大袋が破けてしまう事もある。なので、その修繕の為に十数名の馬具職人が呼ばれていた。

 ただし、エストネアは今回の遠征で騎馬をほとんど運搬できなかったので、彼らは馬具の為では無く大袋の為に居る事になる。可哀相な限りである。

ダラン「ですね。とはいえ、彼らも本職である馬具を修理したいと、ぼやいて居ま    したが」

ロー「はは。そこは我慢だね。私達も華々しい騎士戦を我慢す

   るのだから」

ダラン「ええ」

 と、ダランも同意したのだった。


 こうして聖騎士団の進軍が始まる。

 その主力部隊を率いるのはサイク将軍だった。

 さて、肝心のロー将軍達はというと、この主力部隊を周囲を取り囲む形で小部隊を散開させて進んで居た。

 イメージとして言うなら、警戒部隊を大幅に強化した形である。

 もし、ゴブリン達が奇襲を仕掛けてきても、これならば本隊が襲われる前に気づく事が出来る。

 しかし、この配置にも弱点がある。

 一つ目の弱点、それは兵力が分散しているので敵に各個撃破される危険性がある事だ。

 とはいえ、今回に関しては、ロー達の小部隊は森を進軍しているので、敵が大部隊で攻めて来ても、隠れながら戦う事ができる。しばらく持ちこたえれば本隊の援軍が来るので問題は無い。

 二つ目の弱点は、この時代は無線が無いので、部隊間の連絡が取りづらい事だ。もっとも、この世界には念話という優れた技術があるので、魔力の無い世界に比べたら遙(はる)かに連携は取れるだろう。ただし、念話は使える術者が限られる上、敵の妨害を受けやすいので、過信や依存は禁物であった。

(さらに敵側に優秀な探知能力者が居れば、念話の来た方向などから、こちらの場所が割れてしまう事もある)

 三つ目の弱点は、これがもっとも嫌な話ではあるのだが、それは小部隊の損耗が必然的に激しくなる事である。

 この小部隊は敵のゲリラと真っ向から(互いに潜みながらではあるが)戦うので、当然の事ながら損傷を受けやすい。

 もっとも、それは敵側も同じ事である。

 なので、ローは少数精鋭で敵ゲリラを対処する事に決めたのである。

 すなわち、ダランの率いる大隊と自身の腹心の部下達を合わせた数百名を二つに分けて、主力の左右に配置したのだ。

(厳密には、少し先行させる形)


 そして、数日が過ぎた。

 この時、局所的に戦闘は起きており、一方的にゴブリンのゲリラ達は個々に殲滅(せんめつ)させられていた。

 本来、地の利を得ているはずのゴブリン達であったが、ローの率いる部隊は隠密性も有していたので、先に敵を見付け、先に攻撃できたのである。

 とはいえ、ゴブリンの仕掛けた罠や、通常の草花に化けた植物族により、ローの部隊も少しは損害を受けていた。

 ただし、罠や植物族による死者はおらず、ローの部隊の死者はゲリラ戦による7名であった。

 一方のゴブリンのゲリラ達は69名程が討たれていた。


 故に、ゴブリンの部隊は聖騎士団の本隊に近づく事さえできず、その進軍経路を正確に把握は出来ていなかった。

(ローは予め、あえて山道などを本隊の進軍経路にしていたので、敵も予測が不可能なのであった)


 そして今、森に散開しているゴブリンの部隊は、息をひそめて好機をうかがう事しか出来なかった。

ゴブリン小隊長(・・・・・・なんなのだ、あの敵は。まるで、我らより地形を把握して        いるかのようだ。しかも、

        敵が散らばっていて、全容を把握できん。

        もし、無理に攻撃を仕掛ければ、その場の敵を撃破できても、ど        こからともなく集まってきた敵の他の部隊に囲まれ、なぶり殺さ        れる事となる。しかも、あの仮面を纏(まと)った敵兵達。

        もう少し逃げるのが遅ければ、我らの部隊も

        全滅していただろう)

 すると、離れた場所で、動きを感じられた。

 微(かす)かに響いてくる戦闘音。そして、敵の伝令念話が木霊(こだま)のよ

うに駆け巡る。

ゴブリンA「た、隊長・・・・・・」

小隊長「静かにしていろ。今から出ても間に合わん」

ゴブリンA「で、ですが」

小隊長「今は耐えるのだ。いずれ好機は訪れる」

ゴブリンA「はい・・・・・・」

 しかし、隊内では不満が湧きつつあった。

 仲間を見捨てるというのはゴブリンにとって、非常に不名誉な事だからである。

 とはいえ、このゴブリンの小隊長は現実的な者であり、部下達を無駄に死なせてはならないと考えていた。

 その時、近くで枝が折れる音が響いた。

 何者かが落ちた木の枝を踏み折ったのである。自分達以外の誰かが・・・・・・。

 これを聞き、ゴブリンの小隊長は手信号で部下達に息をひそめるように指示した。

 音は段々と近づいて来る。

 微(かす)かな足音と何かを地面に突(つ)く音である。

 それは騎士達であった。

 ただし、鎧のカチャカチャとした音を出さない為に、軽装である。(さらに、鎧と肌の隙間に布を入れていた)

 さらに、最前列の兵士は地面に罠が無いか、槍の柄(え)で進む先を突きながら進んで居た。

 すると、足音などが急に止まった。

ゴブリン小隊長(ばれたかッ?!)

 心臓が止まる思いである。

 敵の騎士達は小声で何かを囁き合っているようだった。

 ゴブリン達には分からない言語である。

 そして、しばらく沈黙が流れた。

 ゴブリンの小隊長にとっては、あまりに長い時に感じられた。

 おそらく騎士達は周囲をジッと伺(うかが)って居るのだ。

 もしかしたら、こちらに感知できない程度の探知魔法を使っているのかも知れない。(探知魔法は相手にも感知されやすいので諸刃(もろは)の術となる。さらに誰にでも出来るわけでは無い)

 思わずゴブリンの小隊長は、蛙(かわず)の女神クル・セレに祈ってしまった。

 すると、その祈りが通じたのか否か、騎士達は再び歩(あゆ)み出していった。

 微(かす)かな足音が段々と遠ざかっていくのを聞き、ゴブリンの小隊長は胸をなで下ろした。

 それは部下達も同じであった。

 戦いを具申(ぐしん)したゴブリンAも敵の異様なオーラを感じ取っていたのか、体をガタガタと震わせていた。

 しかし、冷静になってみれば、ゴブリンの小隊長は無念な想いに駆られた。

ゴブリン小隊長(・・・・・・これで良かった、良かったのだ。出ていれば死んでいた。        だが、悔しい事だ。私は悔しい。私にもう少しの強さがあれば。        弱い、弱いな私は。強くなりたい。心からそう欲する。だが、弱        い我らだからこそ、その弱さを自覚する事で、しぶとく戦い続け        るのだ。あの敵が倒せないなら、別の敵を襲おう。全ての敵が彼        らでは無い。あれは狂戦士ローの部隊だと言う。このまま、ここ        にひそめば、それ以外の部隊と接敵する機会も必ず訪れる。

        その時こそ、大いに戦いを始めよう。そして、

        ロー以外の部隊が著しく損耗を負(お)えば、その時こそロー本隊と        叩く最大の好機となるのだ。

        だから、今は耐えろ、耐えるのだ・・・・・・)

 そう自分に言い聞かせ、ゴブリンの小隊長は未来への戦いに

備(そな)えた。


 ・・・・・・・・・・

 そして、数日が過ぎた。とはいえ、これはローの目論見(もくろみ)どおりではあるのだが、軍は総じて-さほど前進できていなかった。

 そもそもククリ島は道が整備されておらず、しかもローは敵に進路を悟られない為、あえて本隊に最短経路を進ませなかったので、全軍が悪路を行く事になっていた。

 結果的に見れば、これは正解と言えただろう。

 植物族のリステスは主要な道路には幾多もの罠を仕掛けており、伏兵も重点的に置いた。

 もし、これを正面から進んで居たら、ローの直属部隊ならば問題はないだろうが、他の部隊は多大な損失を受けていただろう。

 さらに、ローはゲリラ的に部隊を散開させており、こちらの

部隊は警戒しながら山道を進むので、進軍が遅くなる。なので、

ローの部隊に、サイク将軍が率いる本隊は進軍速度を合わせる必要があったのだ。

 

 ともあれ、ここまではローとサイクは順調に軍を進めた事になる。

 ただし、これに慢心しないのがローであった。

 サイクの本隊と合流したローが指示したのは簡易(かんい)砦(とりで)の建設であった。

 ローは小高い丘に、まず柵を張り巡らせた。

 また、予(あらかじ)め用意させていた木の盾を、そこに軽く立て掛けておくのだった。

 さらに、攻撃を受けやすい地点(侵攻されやすい経路)には

地面を削り堀切(ほりきり)を作らせた。

 この作業は拙速(せっそく)が重要であり、ロー達・高位能力者も率先して手伝った。

 そして数日後に、ゴブリンの偵察隊が命懸けで来てみれば、そこには存在しなかったはずの砦が出来上がっているかに見えたのである。

 

この報告を受けたリステスは驚愕(きょうがく)を禁じ得ない事となった。

 とはいえ、リステスは詳細を聞き、少し安堵(あんど)した。

 その砦はあくまで木で建造されており、火には弱い。

 なので、火で攻めれば簡単に落ちる事が予想された。

 故に、リステスは反攻作戦を企(くわだ)てるのだった。

 ただし、リステスは知らない。ローは予(あらかじ)め、木の盾の表面を軽く炙(あぶ)っており、燃えにくくしていた。

 さらに、木の盾を固定させずに取り外し可能とする事で、万が一に燃えてしまっても外に捨てればよいのである。

 その際には、盾が無くなった箇所(かしょ)の防備が薄くなるが、そもそもロー達の方が戦力が上なので、真面目に防戦に備(そな)える必要が無いので有る。

(また、そもそも火矢とは燃え移りづらいものであり、十分に水を用意しておけば対処できた。とはいえ、ここはククリ島。

炎の術を操るゴブリンが相手である。なので、ローも火に対してはかなり警戒をしていた)




 さて、こうしてローは拠点を得たわけだが、問題が一つあった。それは補給線が確保できてない事である。

 ロー達は敵の罠を避ける為に、あえて曲がりくねった経路で進軍をした。しかし、補給線はなるべく最短にすべきであり、

それには主要な道路をなるべく使う必要があり、適時に道を整える必要があった。

 通常の戦争ならば、道中の村や町を襲って補給するのが中世の常だが、ゴブリンと人間やエルフでは食生活が違い過ぎて、

略奪など不可能であり、近代以降レベルの補給線の確保が必要とされた。

 故に、ここでローは補給線の確立に乗り出したのである。


 ここでローとサイクが率(ひき)いる聖騎士団以外のエストネア戦力の動きを、時間を少し遡(さかのぼ)って見てみたい。


 まず剣聖シオンである。

 彼は仲間の聖騎士エレナと魔術ユークの治療を受け、少しは

回復しつつあった。

 とはいえ、未(いま)だ歩き回る事すら-ままらないので、第4独立-混成旅団の指揮は魔剣士ニアが執(と)っていた。

 彼女は港を取り囲むように防御陣地を作らせており、早くも

形が整いだしていた。

 ただし、これを邪魔するようにゴブリンの小部隊が奇襲を掛(か)けてきており、それをニアは壮絶に斬り裂いていくのだった。


 一方、王立騎士団はヴィグネス将軍の指揮で実質的に動いていた。彼は歴戦の勇士であり、さらに復讐に燃えており、誰よりも戦いを好んだ。

 そして、港の北西に位置するゴブリンの砦を一週間で三個も落としたのである。

 これらの砦は小規模な上、ゴブリンの高位能力者は奥地へと退(しりぞ)いていた。しかし、それらを考慮しても、雷火の如き凄(すご)まじい速さと言えただろう。

 とはいえ、これ程の速さには代償もあり、それなりの人数が失われる事となった。

 その意味では、ゴブリン達の死は無駄ではなく、ゲリラ的な戦いとしてはゴブリン側の勝利と言えなくも無かった。

 ただし、港近くの敵拠点の砦が消えた事により、これで港の安全はかなり高まったと言える。

 折しも、この時期にローが前線に拠点を敷いた知らせが入った。これを受け、ヴィグネス率いる王立騎士団とニアが率いる混成旅団は進軍を開始したのだった。


 ちなみに、関係ない話ではあるが、ヴィグネスが落とした砦は王立騎士が管理・防衛する事となった。

 この任務を受けたのは王立騎士の3名の伯爵である。

 そもそも王立騎士は貴族により構成され、本来の騎士の意味と言えた。すなわち領主は君主から領地を与えられる代わりに、

君主からの命令があれば戦う義務があるのである。そして領主は来るべき戦いに備えて、戦闘集団を形成するものだ。これが騎士と騎士団の前身の一つと言えるだろう。 

 ただし、あまり戦いたくない貴族も居るわけで、こうした者達は戦場には赴くが、いかに戦いを避けるかを考える。

(特にエストネアのエルフの貴族には、この傾向が強かった)

 そして、今回の戦では、この3名の伯爵がこれに当たった。

 つまり、主戦場には行かず砦を防衛するという口実を得たのである。

 ともあれ、砦の防衛にも人数は必要なので、これに反対する者も居なかった。

 この3伯爵はいざ砦に訪れてみると、そこは火と魔力で徹底的に破壊された跡であった。

 さらに、あちこちに串に刺されたゴブリンの死体が置かれており、3伯爵の一人リンスルはこれを見て気絶したという。

 さらに、このリンスルは以来、食べ物の串焼きを見ると動転するようになったという。(以前は彼の好物だった)


 もう一人の伯爵カンツェルは大の酒好きである。

 これはカンツェルの部下も同じであった。

 なので、彼らは-はるばる運搬してきた葡萄酒などを全て飲み尽くしてしまった。

 しまいにはパン用の小麦で次々に酒を醸造(じょうぞう)する始末である。

 とはいえ、この小麦粉から作る酒は、どうにも風味が気にくわないようでカンツェルは別の酒を欲するようになった。

 その時、カンツェルは以前にローから聞いた話を思い出した。

(ローも若い頃は酒好きであったが、狂戦士と呼ばれる頃には酔えなくなり寂しい思いをしている)

 どうにも、ククリ島にはヤシが群生しており、このヤシからヤシ酒が作れるという。

 この話を思い出したカンツェルは近くに生えたヤシを部下に取りに行かせた。そのヤシで作ったヤシ酒は非常に美味であり、

部下達と共にすぐに飲み干してしまった。

 そうして、カンツェルはすぐさま新たなヤシ酒を作らせるも、それも一日と保たずに呑(の)みきってしまう。

 なので、カンツェルはヤシ酒隊なる部隊を結成し、ゴブリンのゲリラが出没する危険性を顧(かえり)みないで、森の奥地までヤシを求めに歩き回ったという。

 彼らにとり幸いな事に、カンツェルと部下達は-ほとんどゴブリンと遭遇しなかったという。

 ただし、カンツェルに仕えた書記官の日誌によると、戦争の中期に一度だけゴブリンの小勢と遭遇し、戦闘になったという。

 この時、カンツェル達は近くのヤシ林に行くため、鬼の如くに戦ったという。その気迫に負けて、ゴブリン達はすぐさま撤退(てったい)したそうだ。

 だが、カンツェル達が勝利に酔いしれるというのより、ヤシ酒に酔いしれる為にヤシを集めている中、そのゴブリン達は再び襲撃してきた。

 既に相当ヤシを集めていたカンツェルと部下は戦闘のやる気が全く無く、自身の身(み)ではなく集めたヤシの実(み)を守る為、神速で撤退していったという。

 





 話を戻せば、混成旅団と王立騎士団はローの拠点へと、それぞれ向かった。

 ただし、王立騎士団は少し遅れての出発である。

 今回の進軍には皇子エギルフィアがおり、万一にでも危険にさらすワケにはいかないという思いが王立騎士団には有ったからである。

(これはエルフの王と王位継承者が半(なか)ば神格化されている事に因(よ)る。つまり、他のエルフにいくら実力があろうとも、王位を

簒奪(さんだつ)する事は不可能なのである。例外があるとすれば、王家の血を有する他のエルフであり、故に第三皇子クオツェルナスは

エギルフィア派には非常に危険視されていた。ともかく、王家の血は偉大であり、簡単に失われるワケにはいかないのである)

 ただし、王立騎士団にもプライドがある。

 進軍が遅くなるのに理由が必要だ。

 なので、ヴィグネス将軍が道中に、少し離れた砦を攻めて遅れが生じた事になった。

 実際には、この時ヴィグネスが攻撃したのは廃棄されていた砦であり、そこには年老いたゴブリンなどが細々と残っていたのである。

 これをヴィグネスは虐殺したのであるが、ヴィグネス付きの書記官は、砦にて大勢のゴブリンと部隊は立ち回り見事に勝利した事にしたのであった。

 

 一方、混成旅団は進んで行くのであるが、ゴブリンの奇襲に苛(さいな)まれていた。

 これには先程のゴブリン小隊長も参加していた。

 彼は今回の敵がロー達でない事を十分に知っていたので、思う存分に戦い、そして鮮やかに退(しりぞ)いていった。

 それを混成旅団の兵士が油断した時を見計らって、繰り返し行(おこな)うのである。

 なので、混成旅団も中々、前進できずに居た。

 ちなみに、この混成旅団の後方には例外的に聖騎士団が所属していた。それこそは白百合-騎士団のミリト達であり、彼女は戦いにほとんど参加できないので歯がゆい思いをしていた。


ミリト(何故だ・・・・・・ただでさえ、後方の部隊に回されたと言うのに、そのさらに後ろに回されるなど。私達が女だからなのか?悔しい・・・・・・こんな形で差別を受け続けなければならないのかッ?!)

 だが、ミリトはこの悔しさをバネにする人間だった。

ミリト「見ていろ・・・・・・ロー・コヨータ。絶対に見返してやる。

    必ずだッ!」

 そう思わず口に出るのであった。




 この頃、当のローは何をしていたかと言うと、混成旅団が遅々として進まない事に、眉をひそめていた。

サイク「これは予定外だねぇ」

ロー「魔剣士ニアも対ゲリラ戦は苦手という事ですかね」

サイク「まぁ、常に魔力を高めておくワケにもいかないからね。

    こういった戦いは個人の高位能力者の力では決まらな

いからねぇ」

ロー「確かに、今の混成旅団は寄せ集めの部隊とも言え、連携が下手ですからね。とはいえ、個々で見れば能力者の質は低くはないワケで・・・・・・まぁ、実戦を積めば連携も取れてくるとは思いますが」

サイク「ともあれ、その前に大きな損害を受けるのも良くない。

    救援に行った方がいいんじゃないかな?」

ロー「そうですね。合流する事で、敵を前後から挟む形になりますし。お願い出来ますか?」

サイク「当然だよ。ただ、そうなると、ここの守備が薄くなってしまうけど良いのかい?」

ロー「それは問題ありません。むしろ、その方が良いかと」

サイク「色々と考えて居るようだね」

ロー「まぁ、それなりに」

サイク「分かったよ。では、すぐにでも出発しよう」

ロー「サイク将軍、お気を付けて」

サイク「お互いにね」

 そう言い、サイクは立ち上がるのだった。


 こうしてサイク将軍は500名程を連れて、混成旅団と合流を果たそうとした。

 また、それに加えてガッゾ将軍が150名程の直属で、これを支援する形となった。

 ローの事が大嫌いなガッゾであったが、ローの実力を無意識の内に認めており、ローの猿真似をする事が多かった。

 つまり、ローがしたように、自分の部隊も散開して本隊を援護する作戦を取りたかったのである。

 とはいえ、ローの部隊と違い、ガッゾの部隊は森林での訓練を受けておらず、敵には見つかり放題なのであった。

 そして、戦闘が発生し、ガッゾの部隊はゴブリンの奇襲にさらされる事となった。

 これを助ける為に、サイクは本隊から救援を送り、結果としてサイクの進軍は大きく遅れる事になったのである。

 

 数日が経過するも、サイクの部隊も混成旅団もあまり進めずにいた。

 それというものの、途中から湿地帯となっており、進軍が難しくなっていたのだ。

 元々、ここらには木で出来た道があったのだが、ゴブリン達はこれを壊してしまっていた。

 なので、直線的には近くとも、中々、両者の部隊は合流できなかったのだ。

 ともあれ、サイクは沼地の浅い箇所(かしょ)を探し、慎重に軍を進ませていった。

 しかし、不運な事に昼頃に大雨が降り出し、急いでサイクは兵士達を戻らせた。

 雨は午後になっても降り止まず、沼はかさを増していく。

サイク「これは長丁場になりそうだ・・・・・・」

 と、サイクは呟(つぶや)くのであった。

 

 雨は翌日も続いたが、その次の日には止んだ。

(このせいで沼の水かさが増し、数日はサイク達は立ち往生するはめとなった)

 だが、ここに来て兵士達に奇病が流行(はや)った。

 特にガッゾ将軍の部下に多く発症し、原因は不明であった。

 実の所、この原因はアメーバであった。

 このアメーバは後に《ククリ島-食人アメーバ》と呼ばれるのだが、ぬるま湯付近の温度の淡水に生息し、それが丁度サイク達が通った沼と合致したのである。

(ククリ島は緯度的に見ればエストネアより北方に位置していたが、火のマナのせいで亜熱帯に近い風土を有していた)

 さて、このアメーバはヒトの鼻の中で繁殖し、脳まで浸食する。一度かかれば、余程の能力者でなければ絶命する怖ろしい病である。

 

 サイクは慎重な男であり、注意深さも並では無い。

 ここでサイクは原因が沼であると考えた。

 さらに、腰より上を沼に浸けていない者は、ほぼ無事である事にも着目した。

 なので、沼の水になるべく腰から上を触れないように指示し、

さらに沼から出たら清めの術式を使うか、余裕があれば煮沸して冷ました水を浴びるかを徹底させた。

 以降、この奇病に罹(かか)る兵士は激減した。

(汚い話だが、沼に浸けた指で鼻をほじる兵士は、この奇病に感染した。なので、ククリ島戦役において、後期になると綺麗な手以外では鼻に手を入れる者は居なくなったという)


 さて、沼を無事に渡ったサイク達であるが、やはり橋を作らねばならないと気づいた。

 これは報告を受けたローも賛成であり、サイク達は橋造りに取りかかった。

 そうこうしていると聖騎士ミリトと混成旅団がやって来た。

 どうも、敵のゴブリン達は道を木々で塞いでおり、これをどけるのに時間が掛かったとの事である。

(この時、ゴブリン達は斬った木を道に置いたのでは無く、道の両脇に生えた樹を半ば切り倒したのである。こうする事で、

そう簡単には木をどける事は不可能になった。この障害物の設置法(せっちほう)は近代でも対戦車・装甲車として使われる手法でもあった)


 こうして無事に混成旅団と合流したサイク達は補給を受けて沼の両岸に橋と簡易な拠点を置きだした。

 さて、王立騎士団は何をしていたかと言うと、山でゴブリンのゲリラを狩っていた。

 道中に一度、エギルフィア皇子の御車(ぎょしゃ)の傍までゴブリンが奇襲(きしゅう)を仕掛け、御者が傷を負い、その時の毒で死んでいる。

 この為、ヴィグネスを中心とした部隊が、山に潜むゴブリンを殲滅(せんめつ)させるべく戦っていたのだ。

 また、エギルフィアの安全を確保する為、進軍も非常に緩やかなモノであり、さながら砦が移動して行く風(ふう)であったという。

 そんなこんなで、王立騎士団はサイク達の合流地点には辿(たど)り着いていないのである。


 一方、人間とエルフ達の動向を偵察から聞いた植物族の女王リステスはローを叩くなら今しか無いと判断した。

 そして、ゼ・ヤ城塞に居る-ほぼ全ての軍を率いて、ローの居る拠点へと出立したのだ。


 ・・・・・・・・・・

 ローは砦の名をパルストイと名付けていた。

 これは英雄王カインズ亡き後に生じた後継者戦争において、

一大合戦が起きたとされる古の地名である。

 今、このパルストイ砦にリステスの軍勢は迫っていた。

 しかし、ロー達はこれを察知していた。

 故に、砦の軍勢の大半を出し、川岸の森に潜ませた。

 リステス達はよもや待ち伏せされているとは思わず、堂々と正午頃にデ・トネ川を渡りだした。

(本来なら渡河作戦は夜間にこっそりと行(おこな)うべきだが、そういった知識は時代もあってリステスは知らなかった。さらに、植物族の特性として昼間の方が動きが活発となるので、これも仕方なかったと言えよう)


 そして、次々と矢が渡河中のリステス部隊に向かって放たれた。これを喰らい、ゴブリンと植物族は足を止めてしまった。

 本来ならば急いで渡るべきだが、生命の真理として、中々(なかなか)、そうはいかないものである。

リステス「何をしているのですッ!進みなさい、進むのですッ!」

 その命令が響き、ゴブリンと植物族は我に返り、渡河を急ごうとした。

 だがこの時、上流から何やら濁った水が流れてきた。

 それは油であった。

 ローは近くのヤシの実から油を絞っておき、それを大量に流したのである。

 その上、ローは火矢を敵に向かって射出した。

 デ・トネ川は川幅が大きい割に流れが遅く、さらに葦(あし)が生(お)い茂(しげ)っていたので、一帯は火で燃え上がった。

 火に弱い植物族は命からがら逃げ惑(まど)う。

 火に強いゴブリンも、さすがに逃げ出した。

 これがリステスの命令で進軍を強制された後続達とぶつかり、

デ・トネ川は大きな混乱で満ちた。

 そこへ、さらなる矢が降(ふ)り注(そそ)ぐ。

 今、川は阿鼻叫喚(あびきょうかん)となっていた。

 だが、リステスの反応は素早かった。

 自らを先陣として、少し下流の方から渡河を開始したのである。その地点は多少の火が燃え上がっていたが、あえてリステスはそこを進んだ。

(敵の意図せぬ箇所(かしょ)を渡河するのは時として適切である)

 そして、リステス達の上陸を止められぬと悟ったロー達は急いで撤退していくのだった。

 これをリステスは追撃していく。

 ローのしんがりの部隊は追いつかれ、先に行った部隊を逃がす為(ため)、決死の遅滞行動を試みた。

 しかし、怒れるリステス達の力は凄(すさ)まじく、このしんがり部隊(ぶたい)の大半は死滅したのであった。


 この勢いのまま、リステスはローの戻った砦へと迫った。

 ロー達は簡易な砦ながら、徹底的に防戦する構えを見せた。

 それをリステスは、ほぼ休憩(きゅうけい)無(な)しで包囲して攻め始めた。


 ローの居るパルストイ砦にて攻防戦が始まった事を、少し遅れてサイク将軍達は知った。

 そして、急ぎロー達のもとへと戻ろうとした。

 だが、リステスは予(あらかじ)め、サイク将軍達とローを分断するため、それなりのゴブリン兵をサイク側に送っていた。

 この時、ちょうど王立騎士団がやって来たので、沼の拠点を彼らに任せ、サイク達は混成旅団の軽歩兵と共に急ぎ出立した。


 一方、リステスは敵の増援が来る前に、砦を陥落させようと

総攻撃を仕掛けていた。

 火矢を雨あられに放ち、さらに大筒と呼ばれる大砲に似た兵器(へいき)を使用させた。

この時代、銃や大砲は遙(はる)か東方ミズガルドで開発されては居たが、実戦では使い物にならなかった。すなわち、能力者に銃を撃っても、魔力で弾かれてしまうのである。また大砲も精度が悪い上に重いので、あまり積極的に開発されなかった。

ただし、今回のケースに限っては大砲は非常に効果的と言えた。

 もし、この砦が石造りなどの堅固な防壁で囲まれていれば、

結界で補強する事で、大砲はほぼ無効化される。

 しかし、木の盾ではいかに魔力で強化しようと、大砲の直撃を喰らえば吹き飛んでしまう。

 現に、ローの兵士達は次々に倒れていった。

(ただし炸裂(さくれつ)はしないので、被害の数は少ない)

 とはいえ、思った以上にローの砦は堅固で落ちる気配を見せなかった。

 これに業を煮やしたリステスは大砲の弾を変えさせた。

 すなわち、炎の魔石を核とした弾である。

 それは非常に高価なのだが、リステスはあえて投入した。

 今度の弾は激しく炸裂(さくれつ)し、ローの兵士達を圧倒した。

 とはいえ、これを見たローは兵士達を砦の中に作った塹壕(ざんごう)の中に隠し、ねばり強く戦った。

 対してリステスは歩兵を投入して、砦を陥落させようとした。

 しかし、ゴブリンや植物族が砦の内部へと足を踏み入れるや、

塹壕(ざんごう)に隠れていた騎士達が猛然(もうぜん)と反撃をしてきた。

 これにはローも加わり、たまらずゴブリンと植物族達は砦の上から逃げ落ちていくのだった。


 とはいえ、総攻撃を何度も繰り返していくと、ついにはロー達も砦への侵入を止められなくなった。

 そして、ロー達は砦の二の丸(砦内の外側部分)を破棄し、

一の丸(砦の中心部分)へと立てこもった。

 この際、先程まで隠れていた塹壕(ざんごう)が掘(ほり)のようになり、敵の侵入(しんにゅう)をわずかだが遅らせた。

 だが、砦の大半を抑えた事により、リステスは勝利を確信した。

 いつしか日は陰(かげ)り、辺りは燃える様な夕日で照らされた。

 そんな中、リステスは攻撃を連続させた。

リステス(いける、いけますわ。ああ、私自身が突入したくらいですわ。でも、そ     れはいけません。恐らく狂戦士ローは魔力を温存しているはず。奴を止     めれるのは、

     そして、奴を殺すのは私なのですから。こんな所で魔力を使ってはられ     ませんわ。私が出るのは最後。

     この燃える夕日のように美味な光を得る時のように、

     敵軍の灯火が消えいずる瞬間、全てを狩り取るのですわ)

 と、食人花の如(ごと)くに壮絶にして妖艶な笑みを浮かべるのだっ

た。

リステス「攻撃です、さらなる攻撃を。度重なる恨みを晴らす時が来たのです。狂     戦士とその部下に死を、おぞましい死を与えるのですわッ!」

 その狂喜に満ちた叫びに、ゴブリンと植物族は魅惑(チャーム)の術に掛

かったかに熱狂した。

 だが、日が沈み、辺りが闇に満たされたその時、彼らに冷や

水を浴びせるような出来事が起きた。


 突如として、ホラ貝の音が南西から響いた。

 さらに、太鼓の音が同じ方角から打ち鳴らされて聞こえた。

 これにリステスはギョッとせざるを得なかった。

リステス(まさか・・・・・・まさか、このタイミングで・・・・・・)

 同じ事を傍に控えていたゴブリンの長老も思ったのだろう。

長老「敵の増援じゃと・・・・・・?」

 しかし、その言葉をリステスは内心で否定した。

リステス(バカなッ!ありえませんわ!あの悪路をこの速さで引き返してこれるワケがありませんわ!それにあちらにも部隊を差し向けていますのに・・・・・・。でも、

     でも、まさか本当に?)

 今、リステスは頭がぐらつくのを感じた。

 だが、それに輪を掛けるような出来事が起きた。

 無数のかがり火が音のした方角から生じたのである。

 すなわち、一斉(いっせい)に千に近い数の松明(たいまつ)の明かりが暗闇に沸(わ)き上(あ)

がったのである。(長老の手記にはそう残されている)

 その最前列には重装備に身を固めた人間の兵士達が見えた。

 彼らを無言で、足音も立てずにリステス達の軍へと徐々に迫って来たのである。

長老「リステス殿ッ!これはいけませぬッ!このままでは挟み撃ちになりまするッ!」

リステス「分かって・・・・・・分かって居ますわ。分かってッ!」

 この時、リステスは魔眼を発動し、遠距離を探知しようとした。 

 だが、その刹那(せつな)、ローが部下に命じた探知阻害の術式が発動し、リステスは強い頭痛にうめいた。

リステス「クッ・・・・・・あれはまやかし、見せかけに決まっていますわッ!私には分かりますわッ!あれはローの策略(さくりゃく)、私達を退却させようとしているに違いませんわッ!」

 だが、その時、砦の方から歓声があがった。


ロー「援軍だッ!援軍が来たぞッ!反攻を開始せよッ!」

 そして、木戸を開放し、ローは部下達と共に雪崩でたのである。

 敵の増援に怯えたゴブリンと植物族の兵士達は、すっかり気力を失っており、転げ落ちるように砦から逃げ出した。


リステス「こらッ!お前達、誰が撤退を命じたのですッ!お前達ッ!」

 しかし、その声は兵士達に届かなかった。

 こうしている内にも、松明(たいまつ)の群れは亡霊の如(ごと)きに忍び寄ってきているのである。

長老「リステス殿ッ!ゴブリンの兵士だけでも撤退を許可して

   頂けないでしょうかッ!?どうか」

 その言葉を聞き、リステスは心の苦悶に顔を歪めた。

リステス「・・・・・・いい、ですわ。全部隊に撤退を許可します」

 これを受け、長老はリステスの代わりに全部隊へと撤退命令を下(くだ)すのだった。


 それからは植物族にとって悲惨(ひさん)となった。

 ただでさえ足が速くなく、さらに夜で動きが鈍っている植物族は、敗走が遅れた。

 そこへ追撃してきたロー達に追いつかれ、次々に彼らの凶刃に散るのであった。


 追撃はデ・トネ川を越えるまで続き、リステスはそこで陣を張らせようとしたが、恐怖に怯える兵士達は彼女の言う事を聞かず、そのままゼ・ヤ城塞まで走り帰ってしまった。

 あまりの強行軍に、多くのゴブリンと植物族がゼ・ヤ城塞で倒れ、中には外傷が見当たらなくとも過労による死で、二度と起き上がらない者も少なくなかった。


 だが、今回の戦ではローの部隊にも損害は少なくなく、これに関して、ローは反省をする事となった。

 明け方、戦死者の亡骸(なきがら)は火葬されていく。

 それを無言で見送るローと幹部達・・・・・・、その姿には悲しみを隠すように悲壮感(ひそうかん)が漂(ただよ)うのであった。










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