8:蒼い眼にまつわる伝承

 外で話すのもなんなので、とメイドに案内されたのは小さな家だった。

 材木と土と煉瓦で組まれた素朴な家の周囲には豊かな家庭菜園が広がっていた。

 小麦に似た穀物が植えられた畑もある。

 さらに家畜用の柵まであり、鶏が餌を啄ばんでいた。

 隣接する古ぼけた小屋からは牛の鳴く声。

(田舎のおばあちゃんの家みたい)

 幼い頃に行った祖母の家もかなりの田舎だったが、ここには負ける。

 見渡す限り自然しかなく、他に民家もない。

 未開の大地に家を建て、その周囲をせっせと開拓したらこうなるのだろう。

 もしもこれが二人の手によるものだとしたら、ここまで開拓するのに何年の月日がかかったのか。希咲は素直に感心した。

「二人で暮らしてるんですか?」

「はい。魔王様と二人で慎ましく、自給自足の生活をしていますわ。椅子を持ってきますね」

 玄関から入ってすぐがリビングで、花が飾られている木造のテーブルセットには椅子が二脚しかない。来客など考えてもいないらしい。

 メイドはすぐに隣の部屋から椅子を運んできた。

 椅子はそれなりに重そうだったが、苦にしたふうもなく細腕の両脇に抱えている。

 だが自分よりも身長が低く、か弱そうな女性だけ働かせるわけにもいかない。

 希咲が手伝おうとするよりも先に、笠置が椅子を取り上げた。

(あら優しい……というか、笠置は元々優しい人なのよね。いつも目立たないようにしていただけで、困ってるクラスメイトにはさりげなく手を貸したりしてたもの。山下くんだって、彼が嫌な奴だったら付き合おうとはしなかっただろうし)

 ありがとうございます、とメイドが笑顔で礼を言う。

 これが乙女ゲームなら好感度アップの効果音がついたなと、希咲はどうでもいいことを考えた。

「お茶を淹れますので少々お待ちくださいね」

 メイドは言うや否や台所へ向かった。

 人数が増えたので遣り甲斐があるのか、ふんふんと鼻歌など歌いながら作業している。

 一方で、笠置の対面に座る竜の子は自分を蹴倒した相手を客人として家に招き入れることに納得がいかないようだった。

 顔をそっぽ向けて仏頂面をしている。

 こうして落ち着いて見ると、綺麗な顔立ちをしている子だった。

 燃えるような真紅の瞳孔は縦に切れ上がっている。

 顔の両脇から伸びる角は煌びやかに美しく、半透明の水晶を削り出したようだ。

 背中に抱いた翼は蝙蝠よりも大きく立派。

 身長の半分くらいある尻尾は黒い鱗に覆われていて、滑らかな光沢を放っていた。

(竜の子かぁ……凄いなぁ。まるっきり幼い頃に憧れたファンタジーの世界だわ。火とか吐くのかしら。飛ぶのかしら)

 開いてしまった距離を縮めるべく、希咲は話しかけることにした。

「そんなに拗ねなくてもいいじゃない。可愛い顔が台無しよ?」

「ふん、心にもないことを。第一、人間に褒められたところで嬉しくないわ」

「あら、外見に似合わず可愛くない言い方するのね。そもそも魔王ってなんなの? 竜の子なのにあなたが魔王なの?」

「疑うのかたわけ者。これを見るが良い!」

 水戸黄門の印籠よろしく竜の子は袖を捲り上げた。

 右腕の肘から手の甲にかけて刺青のような紋様が覆っている。

 渦巻く炎のような、翼のような、神秘的な形。赤く仄かに輝いていた。

(まあ、綺麗)

 竜の子は偉そうにふんぞり返っている。

 これを見せれば恐縮すると思ったのだろう。

 だが、綺麗だとは思っても、その意味がわからない希咲には通用しなかった。

「で、これがなにか?」

「……っ!? 何を言うか! この『徴』こそが魔王の証拠ではないか! どこまで無知で阿呆なんだ!? どんな教育を受けてきたんだ!?」

「いや、それなりの教育は受けてきたけど、そもそも私はこの世界の住人じゃないしなぁ……」

 困って頬を掻く。

「くっ、こやつは駄目だ使えぬ! なら貴様はどうだ! 『女神の右眼』を持つなら当然に知っておろうな!? 恐れ戦くが良い!」

「いや、何言ってるかわからない」

 勢いよく顔を向けられた笠置もばっさり切り捨てた。

 竜の子が希咲を殴ろうとしたことを根に持っているらしく、その対応は限りなく冷ややかだった。

 しゅんとした竜の子を見てさすがに可哀想になり、希咲は笠置の腕を肘でつついた。しかし彼はそう簡単に許すつもりはないらしく無言のままだ。

「あらあら魔王様、どうなされました?」

 そこへ良い香りのするお茶をお盆に載せたメイドが登場した。

 竜の子が「もうやだこいつら」とメイドに泣きついた。

 メイドは竜の子を宥めながら、手際よくお茶をそれぞれに配っていった。

 椅子は二つしかなくともカップは三つあったらしく、みんな同じ柄だった。

 喉が渇いていないのか、メイドの分はない。

 ハーブティーのような良い香りがする。

 希咲が顔を近づけてその香りを楽しんでいると、隣で笠置が尋ねた。

「毒は入ってないでしょうね」

「ちょっと、なんてこと言うのよ。せっかくメイドさんが淹れてくれたのに」

 一気に食欲が減衰し、希咲は顔を上げて彼を諌めた。

「うふふ。入っていませんよ。お疑いならこうしましょう」

 メイドは笠置に配ったものと竜の子のものとを交換した。

「これならいかがです?」

「おい貴様、仮にもこいつは魔王たる我に仕えるメイドだ。矮小で軟弱な人間相手に毒殺なんてまどろっこしい真似はせんぞ。やるなら正々堂々と殺るわ馬鹿者」

「……。まあ大丈夫かな」

「大丈夫に決まってるじゃないの」

 疑り深い笠置にため息をついてから、気を取り直していただきます、とお茶を口に含む。飲んだことのない味だが、酸味の中にもほんのりと甘みがある。

「あ、おいしい。笠置くんも飲んでみなさいよ」

「……いただきます」

 仕方なく、といった様子で笠置が口をつけた。

「どうでしょう?」

「……うん。おいしい」

 期待を込めたメイドの問いに、笠置は渋々と認めた。

「当然だ。このメイドが作るものはなんでもおいしい」

「お褒め頂き光栄ですわ」

 自分の手柄のように胸を張る竜の子に、メイドはにっこり笑った。

「さて、そろそろ訊いても良いかしら。といっても、訊きたいことが多すぎるんだけど……まず、ここはどこ? あの白いドームはなに?」

「あまりに初歩的な質問ですね。知っていて襲撃してきたのではないのですか?」

 メイドは不思議そうに目を瞬いた。

「だから、襲撃したつもりはないのよ。言っても信じてもらえないと思うけど、私たち、異世界から来たの」

「なるほど。異世界人ですか」

 予想に反してあっさりとメイドは納得したようだった。

 竜の子も疑うそぶりがない。

「……え? 信じるの?」

 希咲は驚いた。自分なら、もし誰かに『実は私、異世界から来ました』と言われたら、まず熱を疑うだろう。

 そして精神病院に行くことをお勧めしてしまいそうだ。

「もちろんです。過去に何例も報告がありますし、50年ほど前に魔王となった邪悪な魔族を倒したのも『スズキタロウ』という異世界から召喚された勇者ですわ。あなたは『タチバナキサキ』様ですよね。異世界人はみんな不思議なお名前で覚えにくいです」

 困ったように頬に手を当てるメイドから、視線を笠置に移す。

「鈴木太郎って……ひょっとして」

「ひょっとしなくてもあの鏡の所有者だった人だろうね」

「……え、っと……」

 笠置の同意を得て、再び視線をメイドに戻す。

「わかってくれるなら話は早いけど、私たち、元の世界で階段を下りているときに足を踏み外したの。気づいたらこのドームの真上にいて、重力のままここに落ちたの。あなたたちを襲撃しようとか、そんなことは全然考えてなかったのよ。あくまでこれは不幸な事故なの」

「疑問点があるのですが」

 と、メイドは人差し指を立ててみせた。

「私たち、と言いましたね? ということは、『女神の右眼』を持つカサギ様も同じなのですか?」

「だからそれはどういう意味なんだ。この眼がどうかしたのか?」

 いい加減じれったくなったのか、笠置は少し苛立ったような口調で言った。

 彼が感情を表に出すのは珍しい――と思いかけてから、思い直す。

(いや、ここに来てからだいぶ無感情のフィルターが取れてきたわよね。さっきだって竜の子に冷たくしてたし)

 そのきっかけが自分だとは気づかなかったが、希咲はその変化を歓迎していた。

 無表情でとっつきにくい彼よりは、いまの彼のほうが人間らしくてずっと良い。

「ご本人が知らないとは……良いですか、それは生きとし生けるものの『過去』を見通す女神の右眼なのです。その蒼い瞳と五芒星が何よりの証」

 そう言って、マリアはこの世界に伝わる伝承を教えてくれた。

 遥か昔、神話の時代――

 とある南西の島で大規模な地震が起き、その地殻変動によって魔界へ続く『ゲート』が開いた。美しかった青空は瘴気に覆われて黒く染まり、空間の歪みたる『ゲート』からは異形の魔物たちが溢れ出た。

 幾多の魔物を従えた魔王は次々と国を滅ぼしていった。

 闇に閉ざされた世界で、東の大国の王はこの災厄を嘆き、神に深く祈りを捧げた。すると、暗黒の空に燦然と輝く四つの星と伴星が現れ、星々は五柱の神と化して地上に降り立った。

 四柱は勇ましい武神で、一柱は戦う力を持たぬ女神。

 四柱の武神たちは人間の戦士を伴って『神剣』を振るい、邪悪な魔王を討伐し、四つの剣を一つに束ねた聖なる力で『ゲート』を閉じた。

 清浄な世界を取り戻した神々は従者であった人間に『神剣』を与えて天へと還っていった。

『神剣』を与えられた人間はそれぞれが王となって東の大陸に四つの国を作り、『神剣』を神殿に祭って平和の礎とした。

 一方、戦う力を持たぬ女神は代わりに四人の人間に自身の持つ能力を与えた。『破壊』の右手と、『神癒』の左手。『過去視』の右眼と、『未来視』の左眼。

 人間に己の力を与えた女神は力尽き、消滅した。

 自らの命と引き換えに力を与えた女神は最も慈悲深き神として讃えられている。

「カサギ様の『過去視の蒼眼』は『未来視の碧眼』や、ここにおわせられる魔王様の『破壊』の右手と同様、この世界の住人にしか発現、そして遺伝しない特別な眼で……あ、訂正しますわ」

 メイドは右手で軽く唇を押さえ、かぶりを振った。

「住人といっても、女神の能力が継承されるのが必ずしも人間に限るわけではありません。女神が初めに能力を与えたのは人間ですが、時には他の種族に継承されることもあるようです。50年前の魔王の一件が良い例で、女神の能力は所有者が死ぬと即座に他の誰かに移るのですわ。カサギ様はいつからその能力を受け継いだのですか?」

 メイドが首を傾げた。

「……物心ついたときには視えるようにはなってたけど……立花さんみたいに見えない人間もいるし、触れば生きていない物の過去だって見える。これって過去の所有者は皆そうだったのかな?」

「どうなのでしょう? 私にもそれはわかりかねますが……」

 笠置の質問に、メイドは困った顔。

「まあ、何事にも例外はつきものですし。触れば物でも見える、あなたの場合はそうなのでしょう」

「…………」

 笠置は無言になった。視線をテーブルに落とし、何か考え込んでいる。

「どうかしたの?」

『過去視』の眼の所有者として、気休めじみたメイドの言葉にそう簡単には納得できないのかな、と思っていると、彼は全く違うことを口にした。

「俺の祖母の旧姓が鈴木だったことを思い出した」

「え。ってことは、笠置くんは鈴木太郎さんの縁者? でも、それでも鈴木さんは私たちの世界の人でしょう? その眼はこの世界の住人にしか遺伝しないはずで」

 混乱する希咲を置いて、笠置はすっと手を上げた。

「一ついいかな」

「はい、どうぞ」

 メイドは生徒から質問を受けた教師のノリで頷き、発言を許した。

「異世界から来る人間がいるなら、逆にこの世界の人が俺たちの世界に行くことはある?」

「あっ」

 その考えはなかったため、希咲は目を丸くした。

「はい。スズキタロウ様と一緒に魔王を倒した僧侶は世界を繋ぐ『鏡』を使って、あなたたちが暮らす世界へ行ったそうですよ。共に数々の苦難を乗り越えて絆を深め、見事魔王を打ち倒した二人は愛し合う恋人になり、周囲の反対を押し切ったそうです。まあよくあるお話ですよね」

 メイドは朗らかに微笑んだ。

「つまり、笠置くんのご先祖様の誰かがこの世界の住人だったからその目を受け継いだんだね。私たちの世界が右眼にとっては異世界だったせいか、これまで能力はあっても見た目に異常はなかったけど、あの白いドームにぶつかった衝撃で完全に覚醒したんだ」

「……そうかな。表面上はともかく、逆に劣化した気がするけど」

 笠置は腑に落ちない顔で呟いた。

「どうして?」

「だって、視ようとしても二人とも何も見えない」

「それはそうでしょう。魔王様はあなたと同じ女神の力、『破壊の右手』を持つが故に、その能力は効きません。そして私は生物ではありませんから」

 メイドは笑んだまま、さらりと驚くようなことを口にした。

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