第十章  血染めの草薙の剣

 藍は、椿が二本の神剣を呼び戻して接近して来るのに気づいた。

「雅は?」

 彼女は周囲を見渡した。すると椿が嘲笑して、

「雅は尻尾を巻いて逃げ出したわよ、藍ちゃん。残念ね、貴女のナイトがいなくなってしまって」

「……」

 藍はその言葉に赤面したが、

「椿さん、貴女は間違っています。後醍醐天皇を摩醯首羅王に転身させても、日本は良い国にはなりません」

 すると椿は、

「では今は日本は良い国なの?」

「えっ?」

 椿の思わぬ問いかけに藍はギクッとした。

「他人の迷惑など全く省みない人間ばかりで、命を大切にしない。自分の命も、他人の命も。その反面、異常に執着心を持ち、つまらない事に怒り、どうでもいいことにこだわる。何か間違っているでしょう、今の日本は?」

 椿は巨大化して行く後醍醐天皇の霊を見つめて言った。

「日本は一度大浄化する必要があるのよ。この国は汚れ切っている。黄泉の国よりもね。だから、後醍醐帝のお力が必要なの」

「椿さん……」

 藍は椿の中に何か別の意識がある事に気づいた。

「貴女は誰? 椿さんじゃないわよね?」

 藍が尋ねると、椿は悪鬼のような形相になり、

「何を訳の分からないことを言っているの! 私は小野椿。それ以外の何者でもないわ!」

と怒鳴った。

「椿様!」

 そこへ賢吾が呪符に乗って現れた。藍は賢吾を見るなり、ギョッとした。

「お、お前は!?」

 彼女は賢吾の身体から発せられている妖気に気づいた。賢吾は狡猾な笑みを藍に見せてから、

「椿様、今ここに小野宗家の仁斎と、京都小野家の丞斎が向かっております」

 呪符の上で跪いて報告した。椿はフッと笑って、

「こちらから出向く手間が省けたわね。ちょうど良かったわ」

「は、そのようで」

 賢吾は頭を下げて、椿に見えないところでニヤリとした。

「藍ちゃん、良かったわね。黄泉路への旅が大勢になりそうよ」

 椿は愉快そうにそう言った。そして後醍醐天皇が掲げる三つの剣を見上げて、

「もうすぐね。もうすぐ、血染めの草薙の剣ができるわ」

 賢吾を見た。賢吾は、

「ははっ!」

 さらに深々と頭を下げ、

「この命、椿様に捧げます」

 バッと呪符から飛び立ち、後醍醐天皇に向かった。

「帝よ、我が血で剣を!」

 賢吾の叫びに呼応して、後醍醐天皇は三つの剣を振り上げ、賢吾を貫いた。血飛沫が上がり、辺りが血で染まった。

「!」

 藍は仰天した。

「兄さん!」

 仁斎と共にその場に駆けつけた大吾が絶叫した。

「我が血で、最強の剣を作りたまえ……」

 賢吾はそう言い残すと、絶命した。彼の血が三つの剣の剣身に流れ落ちた。その瞬間剣が妖気を噴き出し、賢吾の身体は剣から弾き飛ばされて、まるで使い捨てられた人形のように地上に落下した。

「兄さん!」

 大吾が思わず駆け寄ろうとしたが、仁斎がそれを止めた。

「近づいてはならん。あの妖気、尋常ではない」

「でも……」

 大吾は涙声で仁斎に反論しようとした。

「ついに完成するわ、最強の魔剣が!」

 椿は狂喜して叫んだ。大吾はその椿をキッと睨みつけた。

「あれは……」

 藍は妖気に包まれていく剣を見ていたが、やがてそれが一つにまとまり始めたのに気づき、

「いけない!」

 後醍醐天皇に接近した。

「邪魔はさせない!」

 椿が藍の前に立ちはだかった。藍は椿を睨んだ。

「何のため? 何のためにこんなことをするの?」

「決まっているわ。小野一門殲滅、そして日本浄化のためよ」

 椿は再び剣を飛翔させ、藍を攻撃した。

「くっ!」

 藍は天津剣で防御したが、椿の秘術の前に後退していた。椿は狡猾な笑みを浮かべていた。その顔はかつてのあの女神のような椿の顔ではなくなっていた。

「ウオオオオッ!」

 後醍醐天皇はついに摩醯首羅王へと転身し始めた。剣はついに一つになり、強烈な妖気を放ち始めた。

「完成したわ」

 椿は後醍醐天皇の前に回り込んだ。

「帝、剣を妾に」

 後醍醐天皇は椿を見やり、剣を下ろした。藍はようやく飛翔する剣を消し飛ばし、

「椿さん!」

 椿は一瞬藍を見てニヤッとし、後醍醐天皇が下ろした剣を受け取った。剣は小さくなり、椿にちょうど良い大きさになった。

「ありがたき幸せにございます」

 椿は恭しく頭を下げた。

「椿!」

 丞斎と康斎も到着した。

「遅かったか……」

 丞斎は後醍醐天皇の姿と、椿の持っている剣を見て呟いた。

「これで私はもう一度天下に号令できる。もう一度我が世の春を謳歌できる」

 椿は剣を高々と掲げて叫んだ。

「フオオオオオッ!」

 後醍醐天皇の額に縦の眼が現れた。いわゆる一隻眼である。

「後醍醐天皇が……」

 藍が呟いた。後醍醐天皇はさらに巨大化し、その姿は吉野山全体を覆い尽くすかのようになっていた。

「帝、いざ、京の都へ」

 椿は後醍醐天皇を先導するように北に向かって飛翔し始めた。後醍醐天皇はそれに応じ、椿の後を追うように動き始めた。

「藍、椿を止めるのだ。後醍醐帝を吉野から出してはならん!」

 仁斎が叫んだ。藍は仁斎に頷き、椿を追った。椿は藍に気づき、

「邪魔は許さぬ。我が剣の力を見よ!」

 血染めの草薙の剣を振るった。剣撃が藍を襲った。

「くっ!」

 藍はこれをなぎ払いながら、椿に接近した。椿は剣を中段に構え、藍を迎え撃った。

「椿さん、目を覚まして下さい!」

「うるさい! 妾(わらわ)の邪魔をいたすな!」

 二つの剣がぶつかり合い、火花が飛び散った。

「ワラワ?」

 藍は椿の言葉遣いが変わっているのに気づき、

「やっぱりそうなのね? 貴女は誰?」

 すると、

「そいつは阿野廉子だ。後醍醐天皇の寵愛を一身に受け、その親政を賄賂まみれにした女だ」

 雅が藍の後ろに現れて言った。椿の顔が醜く歪み、雅を睨んだ。

「阿野廉子?」

 藍は雅を見てから、もう一度椿を見た。椿は不敵な笑みを浮かべていた。

「いかにも妾は阿野廉子。帝のご復活を切に願う者。これより帝は京にお帰りになるのだ。何人たりとも、邪魔は許さぬ」

 藍は雅を見て、

「取り憑かれているのに、私達は、どうして今までわからなかったの?」

「取り憑かれているんじゃない。椿が生まれた時、椿の魂魄を阿野廉子が乗っ取ったんだ。完全に融合してしまっているから、わからなかったんだ」

 雅は椿を睨んだ。そして、

「幼少の頃から呪力が高く、三歳で自分の父親を凌駕するような力を得ていたのには、そういうカラクリがあったということだ」

 雅の話を下で聞いていた丞斎は驚愕していた。

「吉野山中で椿を見つけた時、すでに椿は二つの魂魄を持っていたというのか……」

 仁斎は眉をひそめて、

「しかし、どうやって阿野廉子は椿に融合したのだ? そんなことをするには、それなりの呪術の心得がなければならんはず……」

 椿、いや、阿野廉子はキッとして、

「お前ら下賎の者共の戯れ言を聞いている時ではない。妾は帝と京を目指す」

 再び飛翔を始めた。

「待って!」

 藍が前に回り込んだ。

「ここから先は行かせない! 椿さんの身体を返して!」

 そんな藍の言葉に阿野廉子は嘲笑し、

「何を申す? この身体は妾の身体。誰にも返す必要なぞないわ!」

「ならば私が追い出す!」

 藍は剣をベルトに差し、柏手を二回打った。

「高天原に神留まりまして事始めたまいし神ろき神ろみの命もちて天の高市に八百万の神等を神集え集えたまい神議り議りたまいて我が皇御孫尊は豊葦原の水穂の国を安国と平らけく知ろしめせと天の磐座放たれて天の八重雲をいつの千別きに千別きて天降し寄さしまつりし時に誰の神をまづ遣わさば水穂の国の荒ぶる神等を神攘い攘い平けむと神議り議りたまう時に諸の神等皆量り申さく天の穂日の命を遣わして平けむと申しき!」

 藍の祝詞が椿を覆ったが、何も起こらない。

「無駄だ、藍。阿野廉子は憑衣しているのではなく、融合しているのだ。椿を殺す以外、止める手立てはない」

 雅が言った。藍は悲しそうに雅を見た。

「その者の申す通りじゃ。妾はこの身体の主。追い出す事なぞ叶わぬ」

 阿野廉子はクククと笑いながら言った。そして血染めの草薙の剣を振り上げ、

「消えよ、下賎の者共!」

 再び幾筋もの剣撃を放った。

「くっ!」

 剣撃は藍ばかりでなく、雅にも、そして仁斎や大吾、丞斎、康斎にまで襲いかかった。藍と雅は剣でそれをなぎ払った。

「船戸の神よ、黄泉の汚れに染まりし者を押し止めよ!」

 仁斎は結界を作って剣撃を防ごうとした。ところが剣撃は結界を通り抜け、仁斎を斬った。

「ぐっ!」

「お祖父ちゃん!」

 藍はそれに気づいて絶叫した。

「ど、どういうことだ?」

 仁斎は苦悶に顔を歪めて呟いた。それを見た丞斎と康斎は剣で剣撃をなぎ払い、大吾は護符で剣撃を消した。阿野廉子は大笑いして、

「わからぬのか。この剣は、陰陽の力を合わせ持つこの世で唯一の魔剣。光の結界も闇の結界も防ぐ事はできぬ」

「何だと?」

 仁斎は悔しそうに阿野廉子を見た。

「だから。だから、天津剣でも砕けないのね。あれは光の力も使うのか……」

 藍は改めて血染めの草薙の剣の恐ろしさを知った。どうすれば椿を救えるのか、考えてしまった。

「帝、急ぎましょう。京へお帰り下さいませ」

 阿野廉子は後醍醐天皇を誘導しようと前に出た。その時だった。

「くっ!」

 廉子の動きが止まった。というより、血染めの草薙の剣が、廉子と反対方向に動こうとしているようなのだ。

「な、何事ぞ?」

 廉子は仰天して周囲を見渡した。藍と雅はその様子に気づき、顔を見合わせた。

「剣よ、本来の主の元に還れ」

 声がし、ついに血染めの草薙の剣は阿野廉子の手を離れ、飛び去ってしまった。

「何?」

 大吾は仰天していた。血まみれの賢吾が立ち上がり、飛んで来た剣を受け止めたのだ。

「兄さん、生きていたのか?」

 大吾が喜んで駆け寄ろうとすると、賢吾は全く別人の声で笑い出した。

「皆の者、大義であった。これにて我の目論みは全て叶った」

 仁斎は賢吾を見て、

「その声は、やはり……」

 丞斎と康斎も賢吾に近づいた。

「やはり、奴か。そういう事だったのか」

「あの神皇正統記はここに至るまでの伏線だったのです。不覚でした」

 康斎は言った。

「どういうことじゃ、闇の神よ。約束が違うぞ。その剣は妾のものにして下さると、おっしゃったではないか?」

 阿野廉子が狂乱状態で叫んだ。すると賢吾はニヤッとして廉子を見上げ、

「そのようなこと、申した覚えはない」

「おのれ、たばかったな!」

 阿野廉子は怒りに震えて賢吾に襲いかかった。すると賢吾はバッと剣を振るい、その剣撃が廉子に当たった。

「ギャアアアッ!」

 融合していた魂魄から、廉子の魂魄だけが弾き飛ばされ、椿の肉体から離れた。椿はその衝撃で倒れてしまった。

「汚れているのはうぬよ」

 賢吾の言葉に廉子は歯ぎしりして悔しがり、

「闇の神と言えども、今の帝のお力なら、ものの数ではない。帝は最強の神、摩醯首羅王である」

 後醍醐天皇の顔の位置まで飛翔した。

「帝、あの者に罰をお与え下さい」

「ウオオオオッ!」

 後醍醐天皇の六つの手に剣が現れた。

「オンマケイシバラヤソワカ!」

 後醍醐天皇の剣が一斉に賢吾に投げられた。

「愚かな。身の程を知るが良い」

 賢吾は再び剣を振るった。すると六本の剣がその剣撃で弾かれ、全て廉子に向かい、彼女の身体に突き刺さってしまった。

「イヤァァァッ!」

 廉子は断末魔を上げて霧のようになり、消滅してしまった。

「廉子よ……」

 後醍醐天皇が廉子の消滅を見て賢吾を睨んだ。その次の瞬間、後醍醐天皇はついに転身を完了し、摩醯首羅王になってしまった。賢吾は摩醯首羅王を見て嘲笑し、

「うぬは思い違いをしておる。我こそ最強の神。うぬは我の贄に過ぎぬ」

 賢吾のその言葉に、仁斎は大吾を見て、

「やはり奴はわしの思った通りの化け物だった。さっき仕掛けたものを発動させてくれ」

「はい」

 大吾は上着の内ポケットから榊を取り出し、地面に刺した。

「むっ?」

 賢吾はその行為に気づき、ギョッとしたようだった。

「姫巫女流古神道奥義、黄泉戸大神!」

 仁斎が叫んだ。雅がその言葉にハッとして仁斎を見た。

「これは……」

 以前一度、その奥義に助けられた事がある雅は、仁斎の読みの深さに感心していた。

「さすがだな」

 藍はこれから何が始まるのかわからなかったが、仁斎の力は誰よりも知っているので、これで終わると思っていた。

「うぬっ!」

 榊の刺さったところから、四方八方に光の筋が地面を走った。

「貴様を縛る結界はすでに完成させてある。思い通りにはいかんぞ」

 仁斎は大吾に肩を貸してもらいながら、賢吾を睨みつけた。賢吾はしばらく仁斎を見ていたが、

「笑止。我をこの程度で足止めすること能わず」

 光の結界が賢吾を縛り始めた。幾筋もの光が賢吾を覆っていく。しかし賢吾は一向に慌てている様子がない。

「仕掛けは一つではないぞ」

 丞斎が言った。賢吾は丞斎を見て、

「何?」

 丞斎はニヤリとし、

「姫巫女流古神道奥義、黄泉戸大神!」

と康斎と共に同じ奥義を発動した。二つの榊から光が放たれ、賢吾を縛った。ついに賢吾は光の筋で見えないほどに縛られてしまった。

「終わったか?」

 雅が呟いた。藍はごくりと唾を呑み込んだ。

「揃いも揃うて、非力なり、小野の者共!」

 声がし、光の縛は消滅してしまった。

「何っ?」

 仁斎、大吾、丞斎、康斎は、唖然としてしまった。賢吾は全くの無傷で、光の縛りを消してしまったのだ。

「黄泉路古神道奥義、黄泉醜女!」

 賢吾がそう言うと、賢吾がいる場所とは無関係に、無数の黄泉醜女が現れ、藍達に襲いかかった。

「こ、これは一体?」

 藍や雅は虚を突かれながらも何とか醜女を撃退した。賢吾はその隙に飛翔し、後醍醐天皇の頭の上に行った。

「うぬは我の復活のための贄よ」

 賢吾はそう言い、

「滅!」

 血染めの草薙の剣を振るい、後醍醐天皇の魂魄を斬り裂いてしまった。

「ウオオオオオッ!」

 天津剣の剣撃を弾いた後醍醐天皇の神気が、血染めの草薙の剣の剣撃にはなす術がなかった。後醍醐天皇の魂魄は、血染めの草薙の剣に吸い込まれるように消滅してしまった。

「これにて我の半身は甦る。後は女王の力のみ」

 賢吾はその視線を藍に向けた。

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