殿方ごめんあそばせ(五)

 野太いアイドリング音にまじって、エルヴィス・プレスリーの『好きにならずにいられない』が聞こえてくる。装甲バイザーのフレームに吊ってあるポータブルラジオからだ。モトローラ社製の古い真空管式ラジオで、電波の受信状態が悪いらしく時おり「ガー」だの「ピー」だのとノイズが混じる。

 そのメロディに合わせ、運転席にすわる若い兵士が口笛を吹いていた。任務中にもかかわらず、彼は火のついたジョイントを指にはさんでいる。紙巻きのマリファナたばこだ。

「遅いっスね。スタンバってからもう二時間にもなるのに、いつまで待たせるつもりなんでしょう」

 助手席にいるもうひとりの兵士が、腕時計をにらんだ。

「ああ、もうこんな時間かよ。いつもならナターリャの店で一杯やってるところだ」

「捕虜どもはすっかり積み込んだってのに、肝心のゴーサインが出ないんじゃこっちは動きようがない。この作戦の指揮官は、いったいなにをやってるんでしょうね」

 彼らの車両を先頭に、十八台の兵員輸送車が教会まえのロータリーを占拠している。BTR一五二。六輪駆動のハーフトラックを軍用に改造したものだ。鋼板で覆われた運転席のうしろにはオープントップの兵員室があり、そこに捕らえられた解放軍兵士たちがぎゅうぎゅう詰めにされていた。

「今回の作戦を指揮しているのは、たしか国家保安庁のエージェントでしたよね」

 若い兵士が吸いさしのマリファナを差し出す。それを引ったくるようにして口にくわえた助手席の兵士は、けむりを大きく吸い込んで猫のように目を細めた。

「連中、こっちで点数かせいで評議会へ顔を売るのに必死なのさ」

「だけど軍には、正規の諜報機関があるでしょう。それなのに、なぜわざわざ国家保安庁なんかが前線へしゃしゃり出てくるんスかね?」

「おまえは初年兵だから分からんだろうが、ひと口にラゴス連邦といってもけっして一枚岩じゃないんだ」

 助手席の兵士は、気だるそうに鼻からけむりを吐いた。

「ラゴス連邦、正式にはラゴス首長国連邦だが、バーバリアンの血を引く八つの部族の長が、合議制によって治めている。そのなかでもとくに権力を持っているのが、陸軍を牛耳るグローズヌィ家と、そして内政を掌握するユスポフ家だ。この両家は伝統的に仲が悪く、評議会ではいつも対立している。スキあらば相手を出し抜こうと裏で画策し合っているんだ」

「じゃあ、やつらが戦場をうろつくのは、敵国の情報を集めるというより、むしろ陸軍の失態を暴き出して、それをユスポフ陣営へ知らせるのが目的なんスね」

「そういうこと。まあ、俺たち一兵卒にはあまり関わり合いのないことだが、そのせいでトーシローの指揮官に振り回されるってのは、いい気分じゃねえよな」

 短くなったマリファナを若い兵士に返して、窓の外をながめる。すでに深夜二時をまわっていた。

「――おい、今なんか呻き声がしなかったか?」

 ラジオのボリュームをしぼって聞き耳を立てた。依然として、闇に六気筒エンジンのアイドリング音が唸りをあげている。

「え、なにも聞こえないっスよ」

「今たしかに、ウウッという低い唸り声がしたんだが……」

「きっと、歩哨の兵士が立ち小便でもしていたんでしょう」

 助手席の兵士はもう一度窓の外へ警戒の目を向けてから、舌打ちした。

「ちくしょう、冷えてきやがったな。温かいコーヒーでも飲みたいぜ」

「こんな丘のうえじゃ自販機なんてありませんよ」

 聖エウロギウス教会は、閑静な丘陵地の一画に建てられている。辺りには人家もまばらで、ふもとから伸びる山道も自動車の往来はほとんどない。もちろん夜間は外出禁止令が出されているので、日が暮れてからはひと通りも完全に絶えていた。

 若い兵士がふたたびラジオの音量をあげた。プレスリーの特集でもやっているのか『ブルーハワイ』の甘い歌声が流れてくる。彼はニヤニヤしながらハンドルにもたれた。

「ところで上等兵どの。ナターリャの店も良いっスけど、今度いっぺんダウンタウンのほうへ繰り出してみませんか? オレたち駐留軍兵士を当て込んだ面白い店がいっぱいあるって噂ですよ」

「ばァか、あの辺は外人部隊の溜まり場だ。このまえも戦車兵の連中が黒ん坊とケンカして大騒ぎになったばかりだろう。こっちはあと半年で除隊をひかえてるんだ、騒ぎに巻き込まれるのは御免こうむりたいね」

「ちぇ、つまんないや。栄光あるラゴス軍兵士も、故郷へ残してきたカミさんが恋しくなっちゃ、もう終わりだ」

「うるせんだよ、若造が」

 そのとき車載通信機から小隊長の声がした 。

「一号車、聞こえるか」

 若い兵士が、あわててレシーバーを耳に当てる。

「ハイ、こちら一号車」

「たった今、司令部より退却命令が出された。捕虜をいったん本営の収容施設へ移送するから、だたちに進発してくれ」

「了解しました」

 通信を終えてから、助手席のほうを見て肩をすくめる。

「なんか退却するみたいっスよ。変ですね、反乱軍はすでに鎮圧したはずなのに」

「残党がいたんだろうよ。仮にも一国の軍隊を担っていたやつらだ、PGUごときじゃ荷が重かったのさ。フン、最初から俺たちに任せておけばいいものを。いずれにせよ今夜はもう出番はまわってこねえ、早いとこズラかろうぜ」

「そうっスね。それじゃあ出しますよ」

 兵員輸送車のライトを点灯させる。

 とたん、二人ともギャっと叫んで仰け反った。

 ヘッドライトが照らし出す闇のなかに、おびただしい数の屍兵どもが、その青白い顔を浮かびあがらせたのだ。彼らはまるで前衛劇のワンシーンのようにウネウネと上体をくねらせながら、車に群がってきた。

「ひい、なんだこいつら」

 左右のドアがひらき、無数の腕が伸びてきて兵士たちを車外へ引きずり出す。

「たたっ、助けてくれ――」

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