屍体とシタイ女(三)

 鉄格子でできた正面ゲートは半分が閉じられ、反対側には雨合羽を着た歩哨の兵士が肩に小銃をかけて立っていた。

 ジェイコブはゲートのすぐそばまで来て、いよいよ建物へ入るのが恐ろしくなった。

 この門をくぐってしまえば、もう自分は生きて外の世界へ出られないのでは……。

 そんな考えが頭をもたげる。

 悪いことは言わない、引き返すんだ。命あってのもの種じゃないか。

 なぜか中学校へ通っていたときの恩師が、心のなかでそう忠告してきた。

 むかしから彼に逆らうとろくなことがなかった。

 腎臓を壊したのも、彼の警告を無視してシンナー遊びをつづけたせいだ。

 そうだよな、命あってのもの種だよ。金のことならなんとかなる。どこか落ち着いた場所で、今後のことをもう一度じっくり考え直してみようか。

 そう思い定め、きびすを返そうとしたとき、うっかり歩哨の兵士と目を合わせてしまった。あわてて逸らしたがもう遅かった。プロレスラーのような体格をしたその兵士は、明らかに不審者を見咎める目つきになった。肩からM四カービン銃を降ろし、ジェイコブのいるほうへつかつかと歩み寄ってくる。

 今逃げたら間違いなく撃たれる。

 そう思ってジェイコブは動けなくなった。

「おい貴様そこでなにをしている?」

 兵士は敵意をむき出しにして、いきなり銃を向けてきた。

「う、撃たないでください。この施設での仕事を紹介されたんです。嘘じゃない。紹介してくれたひとの名刺もあります。今それを見せますから……」

 シャツの胸ポケットから、相手を刺激しないようそっと名刺を取り出す。あの気味の悪い男からバーでもらった名刺だ。兵士はそれを一瞥すると、携帯無線機を使ってだれかと話しはじめた。やがてジェイコブのほうを振り返り、建物のほうへあごをしゃくってみせた。

「よし、なかへ入れ。ゲートを抜けたらそのまま直進しろ。正面玄関の横に警備室があるから、まずはそこへ行って身分証を提示するんだ。いいか、少しでも道を外れたら警告なしに射殺するからな」

 そう言って下品に舌なめずりをした。どうやら銃が撃ちたくて仕方ないらしい。ジェイコブは途方にくれた。彼はもう引き返すことのできないところまで足を踏み入れてしまっていたのだ。

 背後からの刺すような視線を感じながら、ゲートをくぐる。

 敷地のなかにある駐車場では、ジープやトラックなどの軍用車両が整然と雨に打たれていた。もとは大学の付属施設というだけあってアカデミックな造りにはなっているが、水が枯れて久しい噴水には落ち葉がたまり、玄関まえに敷かれた御影石のすき間からはストリップダンサーの恥毛のように雑草が薄く伸びている。見るからに寒々しいたたずまいだ。

 警備室へ行くと、歩哨から連絡を受けていたらしい別の兵士が待ち構えていた。ジェイコブは身体検査を受けたあといくつかの書類にサインさせられ、不織布のツナギとゴム長ぐつに着替えさせられた。

 警備兵は腰に拳銃をさげた若い男で、なぜか非常に緊張した面持ちでジェイコブを施設のなかへと案内した。建物にいるのは軍服か白衣すがたの者ばかりで、水色のツナギを着たジェイコブはかなり浮いた存在だった。すれ違う者すべてがジロジロと無遠慮な視線を向けてくる。

 いくつもの廊下を渡り、多くの研究棟のなかを通り抜けた。棟の入り口には必ずエアーカーテンつきの頑丈な扉があって、カードリーダーのスリットにIDカードを通さないと開閉できない仕組みになっている。ジェイコブは、もはや自力ではこの建物から出られないことを悟った。

 どこをどう通ってそこまで来たか、やがて二人は大きな扉のまえに立った。

 冷凍食品の貯蔵庫のように頑丈そうな扉のうえには「処置室」というプレートが貼られている。

 扉の横にあるインターホンを使い、兵士がなかの人間へ話しかけた。

「失礼します、新しいドノルィを連れて参りました」

「あ、ご苦労さん――」

 スピーカーから女の声がして、モーター音とともに鉄の扉が開いた。とたんにツンと鼻を突く刺激臭がして、ジェイコブはたまらず口を押さえ咳き込んだ。そのまま兵士に背中を押され、部屋のなかへと踏み入る。

 急に薄暗いところへ入ったせいで視力が奪われ、ジェイコブは目をショボショボさせた。それでもだんだん目が慣れてくると、そこが地下室のようなコンクリート造の部屋であることが分かってきた。

 ジェイコブを部屋へ押し込めると、警備兵は逃げるようにその場を離れていった。

 背後で音を立てて扉が閉まる。

 途方にくれ、心細げに部屋のなかを見まわした。

 壁ぎわにはステンレス製の棚や医療器械がならび、そこから伸びる電線や配管が、まるで腐葉土を這い回るミミズのように床のうえをのたくっている。仰々しい無影灯が設置されているがスイッチは切られており、代わりに天井から吊るされた水銀灯の青白い光だけが、弱々しく室内を照らしていた。

 部屋の中央に女がひとり、こちらに背を向けて立っていた。後ろで束ねられたブルネットの髪がサージカルガウンの腰のあたりまで垂れている。

「あの……」

 その女に話しかけようと二、三歩まえへ踏み出し、ジェイコブは気づいた。彼女の正面に置かれているものを……。

 キャスター付きのステンレス製ベッド。

 間違いなくそれは、解剖台だった。

 その巨大なマナ板に乗せてあるものの正体を知ったとき、ジェイコブの胃からマグマのように胃液がこみあげてきた。

 たまらずうっと呻いて、その場へしゃがみ込む。

 女が気づいて振り向いた。

「あっこらオッサン、そこでえずいたらあかん。この部屋滅菌処理してあるねん。吐くんやったら便所行ってしィや。そう、そこのドアの奥や。ほらほらほらほら、急がな間に合わへんで。ちょっとでも床汚してみィ、ホルマリンの原液で雑巾がけさせたるからな」

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