始まりの終わり(三)
焼け残ったコンクリート塀のうえに、男がひとり腰かけていた。ニヤニヤしながらブルームーンたちのほうを見下ろしている。
白いスラックスに、白い麻のジャケット。シャツや皮靴、ネクタイまで白い。
あきらかに場違いな格好だが、その白一色でコーディネートされた服装を台無しにするかのように、なぜか顔だけが不自然に青黒かった。
「おまい……だれだ?」
ブルームーンは佩刀のつかに手を伸ばしながら、男を睨みつけた。
「いつからそこにいた」
「おやおや、殺る気マンマンですな。しかし武人たるもの、やたらに殺気を放つものではありませんよ」
ミキ・ミキが、吸いさしのタバコを指先でピンとはじいた。
「見たところラゴスの兵士ではなさそうだな。かといってハイキングに来た登山客ってわけでもあるまい。お前のその目、多くの人間を葬ってきた殺人者の目だ」
「ご賢察いたみ入ります」
「おおかた犯罪組織に雇われた殺し屋かなにかだろう。なんでこんな山んなかウロチョロしてる」
「あいにくですが、私はそういった類の人間ではありませんでね」
男はわきに置いてあった軍刀をつかむと、軽快な身ごなしで地面へ降り立った。鷹揚なしぐさで尻についた埃をはらう。
「というか逆に君たちのような反乱分子を取り締まる立場にあるのですよ。帝都パルチザンのミッキーくん」
「な、なぜ俺のことを知っている……」
「職業がら、私はなんでも知っていますよ。そちらのお嬢さんがペーシュダード王国の近衛騎士であることも、それからボルガンの残兵どもが昨夜全滅させられたってこともね」
「なに、全滅しただと? それはどういうことだっ」
「夕べ、君たちが野営地を進発したあとに、レンジャー部隊の急襲を受けましてね。司令官以下、全員が戦死を遂げたそうです。いや諸君らはじつに運が良かった。ラゴスのレンジャー部隊は殺人マシーンと呼ばれていますからね。偶然あの場所を離れていなければ、君たちだって今ごろどうなっていたことやら」
男は、口もとにあからさまな嘲笑を浮かべた。ミキ・ミキは奥歯をギリっと噛みしめ、サングラスの奥にある瞳を険しくした。
「おい、あんまりなめた口きくなよ、おっさん」
「やれやれ、チンピラみたいなことを言う」
「で、けっきょくあんたダレなわけ?」
気の短いブルームーンは、すでにムラマサの鯉口を切っている。その姿をジロリと横目で見て、男は急に破顔した。
「ほう、これはまた良いこしらえの刀をお持ちだ。じつは刀剣の目利きを趣味にしておりましてね。ちょっと刃文を拝見させてもらってもよろしいですかな」
「そうやって質問をはぐらかされるのが大っ嫌いなんだよね。つい殺したくなっちゃうわけ。てゆーか、もうそうするか」
ブルームーンが腰を入れてゾロリと刀を引き抜いた。白刃が朝日を浴びてギラッと輝く。それを見て男は、今度こそ本当に驚きの声をあげた。
「そ、それはもしやムラマサ……いやそんなバカな。ムラマサは、たしかフェニキア条約で魔剣認定され、当時の連合軍によって全てが破却されたはずだ」
「ところがどっこい、熱狂的な蒐集家たちによって何本かは隠匿され、極秘裏に受け継がれてきたのだよ。これは、そのうちの一振ってわけ。今は亡きわが師匠から譲り受けた、形見の剣だっ」
男は一瞬キョトンとしていたが、やがて今までのがぜんぶ作り笑いだったと確信させるような、ものすごく邪悪な笑みを浮かべて言った。
「こりゃあ良い。小娘ひとり斬ったところで面白くもなんともなかったが、思わぬところで良い拾いものをした。もしそれが本当にムラマサならば、まさに魔剣ちゅうの魔剣。この私が所有するにふさわしい刀だ……」
「悪いけど、こいつは大金積まれたって売ってはやらんぞ。ムラマサは所持する人間をえらぶ。わたしのように心正しき乙女だけが、この剣を振るうことができるのだ」
そこへ異変に気づいたライマーたちが駆けつけ、男を遠巻きにして油断なく身がまえた。
「ブルームーン様、こやつはなに者です?」
「さあ、よく分かんない。たぶん変質者かなにかだと思うけど、面倒くさいから斬ってしまおうか迷ってたとこ」
「全身にルーン文字のタトゥーを入れた男がいるという噂を、以前どこかで耳にした覚えがありますぞ。その正体はPGUのエージェントで、彼には魔法攻撃が一切通用しないという話も」
「あっ、俺も思い出した」
ミキ・ミキが叫んだ。
「五年前、トラキア諸国で魔女狩りと称して、ドルイドの聖者たちが何人も暗殺された事件があった。高位魔術師であるはずの彼らが、ほとんど赤子の手をひねるように殺されていったんだ。その首謀者が、全身にアンチマジック・スペルを刻んだPGUのエージェントだったはずだ。たしか名まえは……」
「ユーリイ・ミハイロヴィチ・ドロノフ」
自分でそう名乗ってから男は、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「いやあ驚きましたな。あなたがたの情報収集力もたいしたものだ。極秘裏に行動するのが我々の任務ですが、こうなにもかも知られていたんじゃ、もうシャッポを脱ぐしかない」
そう言ってあたまに乗せていた白いフェドラハットを脱ぐと、それでタトゥーだらけの顔をパタパタ扇ぎはじめた。
会話についてゆけないブルームーンが、ミキ・ミキのほうを振り返る。
「ねえ、ペーゲーウー、ってなに?」
「PGUとは、ラゴス連邦の秘密警察である、国家保安庁総局のことだ」
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