後編

 クリスマス前の土曜日――。

 この日から、ぽつぽつと予約のケーキが持ち帰られるようになった。

 二十四日と二十五日が平日だから、その前にパーティをすませる人もいるんだろう。家族ならまだしも、友人同士だったりするとそういうことも多々ある。俺たちも今年はバイトが入ってるから、年末年始に忘年会を兼ねてやることになった。クリスマス当日は家でケーキと鳥肉を食べればそれでクリスマスになりえるし、友人なら一緒に食べて飲んでゲームでもしていれば楽しいから、それはそれでいいんだけど。

 予約の引き換えはまだ店内のみで行うことになっていた。クリスマス当日に向けた予行演習のような形になるのはありがたい。


「すいません、ケーキの引き換えいいですか」

「あっ……はい!」


 女性の声に振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。

 思わずその女性と二人して顔を見合わせてしまう。


「なんだ、土田じゃないか」

「椎名さん!」


 見た事のある顔に、思わず驚いてしまった。

 彼女は椎名キョウ、俺の大学の講師をしている。二十代後半という、俺たちよりは当然年上になるわけだけど、教授陣全体から見ればずっと若いせいで生徒たちからはうけがいい。


「サンタの恰好じゃあないんだな。バイトか?」

「え、ええ。……それより、椎名さんもケーキ予約してたんですね。これからパーティかなにかですか?」

「そうそう。みんな奇跡的に今日が空いてたから、佐伯とか、あと何人かとな。がっちりパーティってよりは適当に飲んで食ってゲームしてって感じだけど」


 差し出された予約票を受け取り、番号と名前を照合して取り出す。レジに戻ってケースの上に置いて、予約一覧にチェックをした。


「いいじゃないですか、楽しそうで」

「近いからって理由で、予約と引き取り押し付けられたけどな」


 押し付けられた、というわりには、椎名さんの口の端は上がっている。

 ケーキの箱を渡すと、思わず笑ってしまった。


「お前も、バイトがんばれよ」

「はい。ありがとうございます」


 そうして椎名さんは出て行こうとする……出て行こうとした。

 その次の瞬間だった。

 唐突に影が落ちたかと思うと、ケーキの箱目掛けて何かが振り下ろされそうになったのだ。

 俺が何か言う前に、椎名さんの手がケーキの箱を速やかに上に持ちあげ、振り下ろされたハンマーを持つ手の方を速やかに蹴った。


「ぐほあっ!!」


 そして叫び声もした。

 相変わらず椎名さんの反応は早い……けど、一体何が起こってるんだ。

 目をやると、うしろへよろめいたのは、黒いサンタクロースの衣服を身にまとった男だった。たぶんつけ髭とおぼしきものをつけているので、声はくぐもっていて、顔はよく見えない。手には巨大な黒いハンマーを持っている。店内という空間であることを差し引いても、すごく邪魔だ。


「おい、なんだこれは」

「……さあ……」


 椎名さんの目が死んでる。嫌な予感を感じ取っているのかもしれない。


「くそっ、貴様、只者じゃないな……いい蹴りだったぜ……!」


 ハンマーを持つ手が微妙に震えている。既にダメージが大きそうだが大丈夫なんだろうか……。


「ああ、うん……。ともあれ、なんなんだお前は? 営業妨害か?」

「ふっ……聞かれたならば答えなくてはならないな! この店のケーキはすべて僕が壊させてもらうぞ――」


 嫌な予感はひしひしとしているけれども、それはあっけなく現実となった。


「黒衣のサンタ――推参!!」


 やばい。直接きた。

 俺と椎名さんは若干似たような表情で相手を見ていたと思う。即ち、死んだ魚のような目の、ひきつった顔で。

 そして、店内中から悲鳴が聞こえた。


「なんなの!? 悪の組織!?」

「まさか、あれが黒衣のサンタクロース……!!」

「ば、ばかな! 都市伝説じゃなかったのか!」

「このままじゃ、私のケーキが……!」

「誰か助けてえーっ!」


 店内はいまや阿鼻叫喚だった。

 黒サンタはハンマーを振り回し、今にも店のガラスケースを破壊しそうな勢いだ。ここは休戦地帯じゃなかったのか。


「と、とにかく、営業妨害なので警察を……」


 電話を手に取りかけたところで、唐突にスタッフ用扉が勢いよく開く。


「マサヒロ! いったいこの騒ぎはなんだ!?」

「あ、烈土」


 この状況に加えて余計にややこしい奴が。


「それが――」

「えー。ご来店のお客様」


 店の中に、突然店長の声が響き渡った。


「現在、当店は悪の組織の襲撃を受けております。速やかに店員の指示に従ってください。くりかえします、速やかに店員の指示に――」


 店長と何人かの社員さんが、手早くお客さんを裏口の方に誘導している。どこまでこなれてるんだあの人たち。


「と、とにかく椎名さんは行ってください。このままだと危ないです、主にケーキが」

「そ……そうか。わかった。お前も頑張れよ」


 この気遣いが時折、とてもありがたい。

 やっぱり似たような立場にいるからだろうか。椎名さんはケーキの箱を片手に、誘導される人々に混じって裏口の方へと向かった。


「椎名さんもいたのか。でも、あっちは店長がなんとかしてくれてるけど、このままじゃあ……」


 烈土が客はもとより、若干俺のことを気にしているのがわかる。

 ひょっとしてここは俺が空気を読むべきなのかと思ったその瞬間。




「ちょーーーっと待ったああーーーっ!!」




 女の子の声が響き渡った。


「はっ……この声は!」


 烈土が顔をあげた。

 この声は……凄く聞いた事がある。

 どちらかというとここ最近同じバイト仲間として働いていたような気がする声は、スタッフ用の入口の方から飛びこんできたかと思うと、素早くレジカウンターの上に飛び乗った。ブーツの音がスタッと響き渡り、黒い影が立ち上がる。

 こちらは同じく黒い恰好のサンタだが、スカート仕様だ。そして、手には巨大なハンマーらしきものを持っている。ハンマーだけは赤と緑で装飾されたクリスマス仕様だった。


「なっ……黒サンタがもう一人!?」

「……えっと……笹葉さん……?」


 そして当人はどう見ても笹葉さんのような気がしないでもない。

 それにしても、なんでみんな同じような掛け声で現れるんだ?

 笹葉さんもとい笹葉さんにとてもよく似た感じの女の子は、充分に溜めたあとに、黒サンタを指さした。


「正義のクネヒト・ループレヒト、リン・レヒト参上!!」


 間違いなく笹葉凛その人物だが、他人の空似という事にしておく。


「な、なんだって!?」


 隣で烈土が心から驚いている。

 ……存在を知らなかったのか。ヒーローっぽいのに。


「というか、クネなんとかってなんだ!?」


 それを知らずになんで今驚いたんだよ。


「なんとかじゃなくて、クネヒト・ループレヒトだと思うけど。……確かドイツの方の伝説で、サンタの助手だったと思う」

「助手だって? つまりヒーローなのか?」

「ヒーローかどうかは知らないけど、伝説の方だと、悪い子に石炭やお仕置きのための鞭をあげるんじゃなかったか。黒服のサンタもそうだけど、怪物の姿で描かれる事が多いな」

「その通り……!!」


 笹葉さ……じゃなくて、リンが声をあげた。


「ようやく会えたわね、サンタクロースの名を汚す、悪の黒サンタ! サンタに代わって、この私が正義の鉄槌をプレゼントよ!」


 リンは片手でハンマーを勢いよく振り回したかと思うと、軽々と頭上に掲げた。

 そのハンマーはいったいどうなってるんだ。


「なんだと……? ふん。僕を止められるものなら、とめてみるがいい! その前に、すべての花千のケーキをぶち壊してくれるっ!」


 だからなんで花千のケーキを狙い撃ちなんだ。

 黒サンタの方はといえば、自分の黒いハンマーを肩から下ろし、リンを無視してショーケースへと振り下ろした。


「させないわ!」


 レジから飛び降り、ショーケースの目の前にリンが立ちはだかる。ハンマーとハンマーがぶつかりあい、火花が散ったのは多分気のせいだ。

 ショーケースを挟んだ向こう側でそんなことが行われているものだからたまらない。

 リンが相手のハンマーを無理やり押しのけると、二人は再び対峙してハンマーを構えた。


「とにかく、奴はリンに任せてもよさそうだな」


 ショーケースの後ろで二人してしゃがみこむと、烈土が言った。


「だけど、このままじゃ埒が……」


 言いかけた途端に、再びハンマーとハンマーがかちあう音が響き渡った。振り回してはお互いの武器をかちあわせる。そのうちどちらかのハンマーが備品に当たるんじゃないかとひやひやした。

 俺は辺りを見回して、レジとカウンターと、置いてある備品、そして二人が闘っているところ、そして身を隠せそうなところを何となく把握する。


「あ――そうだ」

「なんだ? 何かいい方法思いついたのか、マサヒロ!?」


 いい方法ということでもないけれど、俺はそっとキッチンの方へと回る。後ろではまだハンマーがぶつかりあう音や、風を切る音が響いてきた。


「ええい、ちょこまかとっ! 我が暗黒のハンマーよ! 打ち砕けええっ!」


 後ろで気合を入れた声が聞こえたかと思うと、黒い風が舞った気がした。気が付いた時には備品が舞い上がり、せっかく積み上げた広告やなんかが風に巻かれて、黒サンタを中心にぐるぐるとうねっていた。正直、店内ではやめてほしい。


「こ、これは……!」


 リンが驚いた矢先、風の中央から不意に現れたハンマーに吹き飛ばされた。


「キャァアッ!」


 リンは悲鳴をあげて、テーブル席の方に飛ばされた。テーブルに叩きつけられたリンが、うう、と小さな呻き声をあげた。


「僕の邪魔をするからさ! さあ、そこで見ているがいい!」


 とはいえ、その時にはもう既に目当ての物は見つかっていた。キッチンから紙皿にクリームを大量に乗せたもの――即ち、良く投擲に使われるクリームパイ――を黒サンタの顔面目掛けて投げつけた。

 さすがにコショウは量が足りなかったし、それをばらまくのは自滅の可能性もあったからやめておいた。

 パイは見事に二人分、黒サンタの顔面に貼りついた。


「ぶっ!?」

「リン! 今だ!」


 言ったのは烈土なのであしからず。

 リンは頷くと、体勢を立て直してハンマーを構えた。


「くらえ! わたしのアンハッピー★プレゼント!!」


 叫びながら、構えたハンマーを頭上に振りあげる。

 両手で黒サンタに特攻し、おもいきり振り抜いた。


「正義の! ド直球! ブラック・ウィーーップ!!」


 どう考えても鞭じゃないけど、似通ったネーミングセンスを持つ奴ならば知っているので、たぶんそういうことだと思っておこう。


「う、うわああああーーーッ!!?」


 ハンマーが黒サンタの腹にぶちあたり、姿が消えた。

 それそんな威力あるのか!?

 黒サンタはハンマーに吹っ飛ばされ――本当に、人がハンマーに吹っ飛ばされる場面を生まれてはじめて目撃し――状況に脳が追いついた時には、彼はいつの間にか開いた自動ドアから外へと飛びだし、向こう側のオブジェの台座に激突した。

 ぱらぱらと小さな瓦礫が落ちてきている。


「プレゼント完了!」


 いいのか、それで。

 それよりも黒サンタが動かないのだが、これは大丈夫なのか?

 ひきつって何も言えなくなっていたが、さすがにまずいのでは、と思い始めたところで、彼がぴくりと動き、よろよろと上半身を立て直しはじめた。


「く……くそっ……」


 い、生きてる!

 良かった! とりあえず死んでなくて良かった!

 たぶん骨折的には絶対大丈夫じゃないだろうけど!


「だ……大丈夫ですか」


 とりあえず近寄って声をかけてみる。怪人としてではなくとりあえず普通の人間として、だ。今、完全に普通の人間じゃ出せないような力を出した女子高生(仮)を見たような気がするけど。


「くっ……花千のイメージを落として、うちのケーキを売る作戦が……!」

「ケーキ? ということは、もしかして商売敵なんですか?」


 髭がずれて、声もはっきり聞こえるようになった。


「……って、あれ? あなた、ひょっとして――」


 なんか声も聴いた事があるし、顔も見たことがあるような気がする。隣に烈土や店長もやってきたけど、俺は構わずにじっと顔を見る。

 記憶を探るまでもない、この人は……。


「……原田さん……!?」

「え!? あのバイト仲間のか!?」


 烈土もびっくりしている。

 というか普通に相手の正体が認識できることに驚きそうになってしまった。


「まさか、内部犯の仕業だったとはな」


 内部犯の意味が若干間違ってる気もするけど、今はそんなことはどうでもいい。


「ふふっ……正体がばれてしまったのなら仕方がない……そう、俺の名は原田……。尾長町にあるケーキ店、クレオールの菓子職人だ……」


 いや、そこまでは聞いてないけど。


「今まで花千にいやがらせをしてたのは、あなたなんですか?」

「花千のせいでクレオールの売り上げは落ちる一方……、ならば花千を潰してしまえばいい!!」

「そんなことをするより、菓子職人なら自分の菓子で勝負してほしい気もするんですけど!?」

「ええい、黙れ! 今回はしくじったが、次回こそは必ず……ぐおお……!!」


 骨が痛みだしたらしい。


「……あの人、警察につきだしたほうがいいんじゃ……」


 面倒だし。


「さあて、どうしようねえ」


 そう言ったのは店長だ。


「自分の菓子で勝負してほしいのはこっちも同じだから。というか、他の人たちだってみんなそうだろうからね」


 そりゃあまあ、そうだ。

 花千が人気だから自分のお菓子が売れないなんて、そんな理屈は通らない。売れないなら売れるように努力をするしかないと思う――と、ある意味理想論ではあるんだけど。

 それでも、いくら花千が有名だっていっても、他のお店でお菓子を作ってる人はたくさんいるし、そのお菓子が好きな人も当然いる。


「ま、顔も覚えたし、次があるとは思わない方がいいかもね。とりあえずいつも通りにしようか。赤野君、病院に連絡してくれるかい?」

「は、はい!」


 烈土が店内にとって返した。

 店長は相変わらずくすくす笑っている。……やっぱり食えない人だ。


 それから、店にいた店員とバイト総出で店の中を片付けた。物凄くテキパキと片付けられていくのは、果たして店員としての腕なのか、慣れなのか……。

 避難していたお客さんたちも戻ってくると、何事もなかったかのように思える。全部気のせいだったら良かったのに。

 そしてもう一人。


「えーっ! お店の方はそんなことになってたんですかー!」


 笹葉さんが驚きの声をあげた。

 俺と烈土から大体の状況を聞いた笹葉さんは、半分驚き、もう半分は……。


「あたしも見たかったですよー!」


 なんだか嬉しそうに言うのはなぜだろう。

 ま、まあ、何もいわないでおこう。


 とりあえずこれで、平和な一日だった……というべきなのだろうか。一人抜けた分の穴があるから、シフトを組み直すという頭の痛い作業が残っているわけだけど。それを考えれば全然平和でもなんでもないが、ともあれ。

 とにかく、平和なクリスマスは守られた――と思いたい。

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