椎名キョウの述懐
私の名は椎名キョウ。
どこにでもいる大学講師だ。
私には部外者のくせによく研究室に遊びに来る約十年来の友人がいるのだが、その友人の様子がどうもおかしくて、一応だが気にかけていた。
……が。
「まさか、我がアジトに直接乗りこんでくるとはな、椎名……!!」
その友人は友人で、おかしさが変な方向に加速していた。
奴のアジト、ではなくサイクルショップまで出かけて行った私は、妙に機嫌良く出迎えられた。
どういうわけか、ここ数日は圧倒的なツッコミ不足が起こっていたような気さえするので、そのせいかもしれない。
「……。楽しそうだな、お前……」
それにしても、これはこれで充分オカシイと思うのだが、私はどうすべきなのだろうか。
何か変なものでも喰ったのか。いや、変なものを喰った程度でこうなるとも思えないが。
「ふん。まあいい。多少の無礼は許してやろう」
「そうか」
わりといつもの感じだったので、そのまま流す。とはいえ、機嫌が良さそうなのは確かだ。
一度は背を向けたものの、佐伯は急にこっちを振り向く。
「そうだ、椎名。貴様が壊したデジカメの事だが、三日待ってもらおうか」
「え、は? 三日?」
あまりに急すぎて、思わず聞き返してしまう。その意図を汲むまでにも数秒かかった。
覚えていたとは、変なところで律儀な奴だ。
「ああ……わかった、三日後だな。仕事か?」
「当たり前だ、私は忙しいのだ」
「そりゃ悪かったな。繁盛してるようで良かったじゃないか」
「違う。頼まれた自転車の改造をあと二日で終わらせなければならんのだ……!!」
「……」
頭の中に浮かびかけた労いの言葉が無駄になったが、口に出さなくてよかった。
「……えーと、それは……」
「一週間がいつの間にかあと二日だぞ! これが焦らずにいられるか! このままではスピードギアがつけられるかどうか……!!」
普通の自転車にそれ以上のものをつける必要があるのだろうか。
「……ま、そういうわけで。お前には借りもある。デジカメの件はタダで見てやろう」
「おう、そりゃどうも。そういえば……」
「どうした?」
「首に人が絞めた感じじゃないアザが残ったんだが、鎖みたいで面白かったぞ。もう消えたけど」
私がそういうと、佐伯は急にキョトンとしたような顔になった。
それから――急に笑い出した。今度は私がキョトンとする番で、しばらく笑っている佐伯を見ている、という奇妙な構図が完成した。
「く、くくくくっ……そうかそうか、なるほどなあ」
「……はあ?」
そのたった一言に、何を笑っているんだお前は、という意味をこめる。
一つ息を吐きだしてから、私は続けた。
「ま、いいけど。見舞い代わりに花千のケーキ買ってきたんだが、喰うか」
「貴様にしては殊勝だな。時間は厳しいがそれぐらいはある。上がるといい」
「ああ」
佐伯の前を通り過ぎて、示された部屋へと向かう。
左手は襲ってこなかったし、妙な気配もなかった。私は振り返らずに続けた。
「……あと一つ言わせてもらうと、デジカメは私は壊してない。触ったら急に壊れただけだ。たぶん寿命だ」
「それは見てみないとわからんぞ、この破壊魔め」
大体いつものような受け答えだった。
私は破壊魔ではないが、とにかく色々と元に戻ったことは喜ばしい。
何はともあれ――平和な日常は戻ってきたようだ。
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