第37話 帝都へ
僕たちは、夜の帳が降りるのを待って、帝都外周へと向かいました。
「しかし、とんでもなく巨大な城壁ですね」
僕は帝都を囲う城壁を見上げて、嘆息を漏らします。
いにしえのドラゴンでも、飛び越えることがかなわないほど高く、峻嶮な壁。
見上げる先に壁の突端が、月明かりに照らされながら、空に霞んでいます。
正直に言って、この帝都の外周を見ただけでも、魔物の国との国力差は明らかなのでした。
「クリオがいれば、この程度の差はすぐに埋まる」
エテルナ様の言葉に、中央銀行の仕事への多大な信頼に対する誇らしい気持ちと、クリオへの小さな嫉妬との複雑な気持ちを抱きつつ、僕はただうなずきました。
「しかしこの“壁”、飛び越えるのは気が進まないな。狙撃される危険もある」
「素直に門から入りますか」
当然ながら城門は閉じられており、一般的な人間の身長の五倍はある巨大なゴーレムが五体ほど配備されています。
「エル、魔術的な介入はあるか?」
「ありますが、影響は軽微です。主に人間の使う魔術形式に対する阻害魔術が作動しており、エテルナ様の通常戦力に対する
僕がそう答えると、エテルナ様はニヤリと笑い、剣を抜きました。
「ならば突貫だ」
船上での戦い同様、“吸魔の剣”がエテルナ様の腕に食い込み、その血と魔力を吸い上げます。
しかし、生み出された刃の様相が、あの時とはまるで違いました。
あの夜は細い刺突剣のようだった刃が、今は、人の背丈ほどもある禍々しい大鎌の形に変わっているのです。
強い魔力の放出を検知し、自分たちへの攻撃と判断したのか、城門のゴーレムが同時に動き出します。
「木偶め、土に還れ」
大鎌の一閃。
死神が哭き叫ぶかのような耳を裂く音。
激烈な魔力の迸り。
それは見ている僕でさえ逃げ出したくなるような、怖ろしいまでの力でした。
ゴーレムたちはその魔力の奔流に呑み込まれ、塵と消えます。
本来ゴーレムは、周囲の土壌や鉱物を取り込んで無限に再生する力をもった厄介な存在なのですが、エテルナ様にかかれば、むしろ与しやすい相手でした。
返す刃で、大鎌が城門に叩き込まれます。
魔物の魔術方式への耐性が組み込まれていない城門は、朽木の板のように脆くも崩れ去りました。
同時に、城門周辺を守っていた守備兵たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。戦力差を悟ったとはいえ、帝都の守備兵たちの士気は、すでに限界まで落ちているように思われました。
「エル、何をしている。行くぞ」
「は、はい!」
僕たちは簡易な魔術で気配を隠すと、城門を抜け、帝都への潜入を開始しました。派手に城門を破ったことから、侵入はバレているでしょうが、詳細な位置を見えなくすることで、不要な戦闘を避け、奥へと進むことができるはずです。
「……エテルナ様、あれは……」
闇に隠れながら進むと、要塞のような外周部から、市場や工場が並ぶ市街部へと到達します。
その一角に、夜更けにも関わらず人だかりができていました。
「配給のようだな」
見ると、エテルナ様の言うとおり、兵士たちが市民と思しき人間たちに、食料を配っているようです。
「こんな夜中に?」
「昼に配り切れなかったんだろう。城門の兵士たちを見ても、数が少なすぎた。恐らくは、反乱とそれに伴う逃亡で、非常時の都市機能を維持するための人員すら足りなくなっているんだ」
様子をうかがっていると、市民たちの抗議の声が聞こえます。
「どうなってるんだ! もう昼から10時間以上も待たされてるんだぞ!」
「戦えないならさっさと降伏しちまえ!」
「いっそのこと、早く攻め込んできてくれえ!」
兵士たちは、あるいはなだめ、あるいは銃で威嚇しながら、配給を進めますが、市民たちの憤懣は募るばかりのようです。
「……他人事ではない。魔物の国でも、ルキアの艦隊が攻めてきたとき、もし籠城策を採っていれば、同じ状況になっていたかもしれない」
エテルナ様は、この様子にひどく心を痛めているようでした。
敵国とはいえ、内乱の果てに陥落を目前にした首都を見るのは、心中に苦いものを感じずにおれません。
沈鬱な気持ちを振り払うためにも、僕は地図を開き、エテルナ様に示しました。
「ルキアからもらった地図によれば、僕たちはいま、市街部の入り口にいるようです。このまま闇に紛れて指定されたルートを進めば、日付が変わる前に王宮にたどり着けるでしょう」
「ああ。今は進もう」
エテルナ様は、怒号する市民たちから目をそらすように、暗がりの道へ歩を進めたのでした。
ルキアが地図に書き込んだルートは、帝都の中に自然形成された貧民街を抜けるものでした。
見捨てられた人々の住む場所だからこそ、ゴーレムや衛兵たちも守備についておらず、容易く通り抜けられるのです。
しかし、このルートは、エテルナ様にとってつらいものでした。
糞便のにおいに混じって、処理が追い付かない廃棄物の悪臭が鼻を突きます。
劣悪な衛生環境、荒廃した住居、路。
その中で時折響く、赤ん坊の泣き声。
肉を打つような音。
貧民街では、夜更けにも関わらず人の気配がそこかしこに満ち、それでいて人々の姿は定かには見えません。
皆、暗がりに潜みながら、僕たちを見ています。
そうして、僕たちが帝都の人間でないことに気づきながら、いえ恐らくは、帝都に敵対する存在ということに気づきながら、ある種の暗い期待を込めて、僕たちが進むのを黙認しているのです。
「エテルナ様……ここは帝都です。魔物の国じゃない」
「わかっている。だが、私は知っている。ベセスダにも、貧民街がある」
クリオならばこんなときに、どう答えるのでしょう。
僕には、エテルナ様の苦しみを癒す術がない。
いかなる魔術も、この現実を打開する手立てにならない。
「今は、今は進みましょう。僕たちはまず、魔物の国に帰らなくちゃあならない」
エテルナ様は、静かにうなずき、走り出しました。
僕はそのあとを追います。
帝都の宮殿が、すぐ近くまで迫っていました。
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