あとニ十七本... 「桜の木」
妹が死んでいた。
その事実を前に、急に俺の体は燃えたように熱くなり、脂汗が噴きだした。だが頭の中は冷え切ってきて、頭の中が真っ白になったあと、意味のない言葉が浮かんでは消えた。何度もそれが夢であることを祈ったが、紛れもない現実だった。
妹は小汚い部屋の真ん中で、俺が殴って出て行った時そのままの恰好で倒れていた。
小競り合いになったのは、妹が五月蠅かったからだ。
「いい加減、バイトでもいいから仕事してよ」
「はあ? 仕事なら毎日してるだろ」
毎日のようにそれを言うので、俺は飽き飽きしていた。どうも俺がパチプロを名乗るのが気に入らなかったらしい。
俺は今年で三十八、妹は今年三十四になる。妹は保険会社で事務だかなんだかをやっていて、そこそこの収入があった。俺だって、もう少しすれば絶対に二十万や三十万稼げるようになるはずだという自信があった。ただ今は、負けが続いているだけだ。もうちょっとで良い台や何かがわかるはずだ。
「お兄ちゃんはプロでもなんでもないじゃない。ただ遊んでるだけでしょう。だいたい、掃除や洗濯や、ご飯の用意だってあたしに全部押し付けて!」
確かに妹が稼いだ金で生活はしているが、生活費として入れている以上俺のものでもあるはずだ。あまりに生意気だったので舌打ちをして睨みつけた。
「なんだよ。文句あんのかよ」
妹は黙ってじっとしていたので納得したのかと思ったが、やがて沈黙のあとに、立ち上がってこう言った。
「あたし、明日出て行くから。もう部屋も決めてあるの。この家はお兄ちゃんの名義なんだから、明日からは自分でなんでもしてね」
「はあ?」
俺は一瞬意味がわからず、同じように立ち上がって肩を掴んだ。
「離して」
「なに勝手な事してんだ? この家出てどうしようっていうんだよ!」
「だから、自分でやってって言ってるでしょ? 大体、三十八にもなって、あたしに甘えないで!」
もみ合いになり、カッとなった俺は居間に妹を突き飛ばした。床にぶつかった妹は何かうめいていたが、俺はそこに馬乗りになると殴りつけた。いつからこんなワガママな女になったのかわからないが、どちらが強いのかわからせてやれ。数度ばかり頬をひっぱたいてやると、俺の腕にかみついてきた。
「なにしやがる、このアマ!」
俺は妹の胸倉を掴むと、その体を持ちあげてテーブルに叩きつけた。鈍い音がする。その腹を踏みつけたあと、居間を出て妹の部屋へと入った。部屋の中は妙にがらんとしていて、明日から出ていくというのは本気だったらしい事が窺えた。異様にむしゃくしゃして、傍にあった机を蹴りつけたあと、置いてあったバッグから財布を探して取り出した。
財布にあった一万と二千円を抜きとると、廊下へ出る。
「俺に口答えした罰だからな」
財布だけは投げつけて返してやると、俺は仕事へ出かけた。
行きつけのパチンコ店で、苛々しながら打ちこんだ。だがそんな気分で大穴が出るはずもなく、三十分ごとに台を変わったが、結局その多くをスッた。
数時間後、苛立ちは最高潮に達していた。
何もかも妹のせいだ。
家に戻ると、妹が出て来た時のまま転がっていた。
「おい、いつまで寝てんだ。飯」
寝ている妹を蹴りつけて促したが、反応がない。
舌打ちして胸倉を掴んだ時、異常に気付いた。妹の息は既になく、妙に冷たかった。思わずその手を離すと、妹は人形のように床にどさりと倒れた。
死んでいる……。
苛立ちは消え、今や何も考えられないでいた。違う、俺のせいじゃない。いったいどうすればいいのかわからず、俺はしばし妹の死体を見つめた。
しばらくは妹の金があるから喰っていける。もしくは、その金でどこか遠いところに行ってやり直せばいい。こいつだってそれをやろうとしたんだ、俺だってできるはずだ。だがその前に、何とかしてこの死体を隠さなければ。
体をばらばらにして捨てるべきか、ゴミの日はいつだったか、色々なことが浮かんでは消えた。ふと居間の外に目をやったとき、荒れ放題の庭が目に入った。
枯れた桜の木があった。桜の木はとっくに枯れていたが、切り倒すだけの費用がなかった。いつだったか、俺が切っておいてやると豪語した気がする。ホームセンターでチェーンソーでも買えば一発で終わると思ったが、ホームセンターに行っている暇はなかった。それでも庭の片隅に置いてあるスコップを見つけると、俺は死体を埋めることにした。
妹の体をゴミ袋の中に入れる。昔は黒や青のゴミ袋もあったのに、家の中にあったのは透明なビニール袋だけだった。この際仕方がない。一枚では足らず、いくつかのゴミ袋を破って巻きつけ、最後にガムテープで固定した。暗くなるのを待って、桜の木の下に穴を掘る。
土まみれになった服をどうすればいいかわからず、適当に洗濯機の中に突っ込んだ。
何もかも妹のせいだ。
俺はぜえはあと息を切らしながら、居間に転がった。疲労はピークに達していて、やがてやってきた睡魔に勝てず眠りこんだ。
はっと起き上がったときは、もう次の日の朝十時になっていた。
何もかもが夢であればいいと思ったが、俺は前日と同じところに転がっていて、洗濯機の中には土まみれの服が空しく放り込まれていた。何とか洗おうとしたが、使い方がわからない。
「くそっ」
とにかくスタートボタンだけ押すと、ごうんごうんと音がし始めた。なんとか洗濯はスタートしたらしい。昨日の夜から空腹なせいか、胃が痛む。腹立ち紛れに洗濯機を蹴っておいた。
冷蔵庫の中もろくなものが入っていない。なんとかカップ麺があるのを見つけると、湯を沸かしてそれを食った。腹が満たされてから、妹の部屋に入り、通帳かカードがないかを探す。だが、肝心なものは見つからなかった。
それとも、昨日投げつけた財布の中か。
――ピリリリィ ピリリリィ
顔をあげた途端に鳴った音に驚くと、妹のカバンの中から四角い携帯電話が出て来た。ボタンが無いから、スマートフォンだかスマホだかいうものたりい。だが、あいつはいつも携帯電話を使っていたはずなのに……。
カバンの中を見ると、いつもの携帯電話も出て来た。どうやら俺の知らないうちに契約したようだ。知らないところで男でも作ったんだろうか、クズ女め。いくつか連絡が入っていたが、そのまま電源を切った。
まだ時間はある。
この家に、大きめの旅行カバンはあっただろうか。さすがに着の身着のままというわけにはいかない。
かび臭い押し入れの中を漁ると、なんとか黒いボストンバックが出て来た。昔、中学生ぐらいの頃に使っていたものだ。中には何も入っていない。とにかく必要なものだけはここに詰めて、他のことはそれから考えよう。
居間の真ん中にボストンバックを投げだし、放り投げたままになっていた財布を探す。カード入れを漁ると、何の役にも立たないようなポイントカードをすべて取り出し、他に何か使えそうなものはないかと、順にテーブルの上に投げだした。
外ではわあわあと子供の声がしていた。
一体どこのクソガキかと思って庭を見ると、ピンク色が目に入った。財布を漁る手が止まる。
枯れて、何年も花をつけなかったはずの桜が、そこにあった。
庭は一つの絵画のように、窓枠にはまっていた。
かつてそうであったように、美しく咲いている。風に流れてちらちらとピンク色の花弁を揺らし、おそらく塀の向こう側にいる奴らの目を奪っていた。
その下に、妹が立っていた。
無表情のまま、昨日着ていた服そのままで、俺をじっと見つめていた。
瞬きもできぬまま、手がじっとりと濡れていくのを感じた。腰を抜かし、両足を情けなく畳にこすりつけながら離れる。背中が壁にぶつかった。
「ひっ……」
生き返ったのかと思ったが、そのすぐあとには消えていた。
眼をこすってみたが、やはりそこには誰もいなかった。ただ、外から子供と思しき甲高い声が聞こえるだけである。
心臓の鼓動がやけに早い。
「幻覚……?」
まさか。昨日からつぼみがあったとかならともかく、昨日の今日で枯れた桜が咲くはずがない。あれはただの何の役にもたたない老木だった。
だが、桜はそこに咲いていた。間違いなく幻覚などではない。その桜は美しくも不気味で、異質なものだった。
俺は逃げるようにボストンバックにすべての荷物をつめて、玄関を出た。庭に目を向けることもなく、走り抜ける。親子連れが奇妙な目で俺を見たが、構うものか。
だが、俺は目を見開いた。
季節は三月。
外では桜が満開だった。
ここは地獄だ。頭の悪い馬鹿なくそ野郎どもが桜を見ながら、きゃあきゃあとこれまた頭の悪そうな耳触りな声をあげている。
あいつらには視えないのか。
桜の木の下から、俺をじっと見ている妹の姿が。
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