(V)

第35話

 ……眠れなかった。

 朝の五時。ようやくうつらうつらしてきた頃、俺は、携帯電話の鳴動で覚醒する。

 メールの主は莉紗だった。

『隣の部屋にお姫様が眠っています。キスで目覚めさせるように。合鍵はポストに入れておいたから、受け取って』

 寝惚けているのか、俺? お姫様ぁ? き、きす?

 目をこすりながらもう一度、ディスプレイの文字を見る。

 キス、は赤文字で強調されていた。

 莉紗は、何考えているんだ?

 いや、キスするのは……前にも口づけしたし、なんというか。いやいや、あれは事故だ。事故ったら、事故だ。首を左右に振り回し、そんなことを忘れようと振り払う仕草をすればするほど、あの感触がありありと脳内で再生される。

 ……目の前に迫る、莉紗の顔。うるんだ桜色の唇が俺を求めて彷徨う。やがて出逢った皮膚の感触を通じて、心まで溶け合って……

 そんなポエムじみた言葉でイメージしながら、寝惚け眼をこすりつつ、着替えて出発の準備する。

「ぉ兄ちゃん、おはよう。朝早くからどうしたの?」

 それは、祐佳里の声であった。着ぐるみ風の寝間着姿。飛び出した耳が彼女の片目の前に垂れ下がる。

「昨日も説明したじゃないか。デートだよ」

「祐佳里との?」

「莉紗と、だ」

 そう言い放つと、洗面台に向かう。いつもより入念に髪をセットして、服の皺に注意を払う。

 その間に祐佳里は、慌てて服装を整え、めかしてくる。

「ぉ兄ちゃん、朝早くからどこへ行くの? 祐佳里とのデートは?」

「莉紗とデート、だって」

「えっ、何言ってるの。婚約者の祐佳里を放っておいてどこへ行くの?」

 行く手を遮るように、ドア側へ回り込む祐佳里。

「婚約……はしてないだろ、祐佳里」

「とにかく、行くのはダメ」

「じゃ、俺はそんな邪魔をする祐佳里がだめだ」

「もうっ」

 悔しがりながら、俺を見過ごす祐佳里。

 俺は、ドアポストから鍵を回収した。その鍵には、

“鍵はこーいちにあげます。いつでも入ってきてね”

というシールがキーホルダーに貼られてあった。

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