第19話
「それじゃ、ぉ兄ちゃん。行ってきます。戻ってくるまで待っていてね」
「はいはい、わかったよ」
会場である講堂の入り口で、俺たちは別れた。離れていく間も、時々後ろを振り返る祐佳里。元気よく手を振る祐佳里を、俺は姿が消えても少しの間振り続けた。そこに残された、俺と七星。
「父兄として参加してもよかったんじゃないか?」
「いや、現役の学生が、制服着て後ろで座っているのも変だしな」
七星の言葉を聞いて、それもアリかと思ったが、とっさに思いついた言い訳を嘯く。
七星が近くにいる。その至福の時間を少しでも長くとりたくて。
「なあ、そろそろ腕、離してくれないか」
「わかったわよ」
腕組みするのは嬉しくもあるが、歩きづらいし、何より気恥ずかしい。腕組みを外すと、俺は大きく背伸びした。
「勃ってる……」
いきなり、七星がとんでもないことを口にして、俺の……を見るなよ!
「わ、私と腕組みして、興奮したの?」
腰を落として、俺の身体を下から上へと舐め回すように見て、上目づかいで俺を見る七星は、なんというか、月並みな表現だが……かわいい。
その仕草に見とれていた。
「ねぇ、どうなの」
ここで素直に興奮した、かわいいと思った、というべきか。
「本当のこと、いっていいか?」
「どうぞ」
案外、拗ねたりしていないのが不思議な感じ。
「かわいいな」
七星のことを一緒に居ると、ドキドキする……好きです、なんてことはちょっと言えなかった。
彼女は意外なことを言った。
「正常ね。あれだけ祐佳里さんや先輩方と仲良くしているにも関わらず、あまり積極的でないところから、何かあるのかと思ってた」
そして彼女は、回れ右をして背を向けて、続ける。
「これでもね、自分で……美少女、なんて言われるレベルかな、と。いや、自慢とか、驕りとかじゃなくて、ね。まさか、非公式ファンクラブまで存在するなんて、想像だにしなかったけど」
なんか、声が上擦っているんですけど。
「あのさ、花村。よかったら、私の部屋へ来ないか」
「へ、部屋って」
あのボロボロになった台所、失敬、清楚な七星さんの部屋へ、今から?
「あ、部室のこと。文芸部だ」
そういうと七星は俺の手を引く。部室棟ではなく、第一校舎のほうへ。
「どうせ、入学式が終わるまで暇しているんだろ。ちょっと付き合え」
「付き合え、とか言う前から引っ張られているんですけど。まぁ、祐佳里が出てくるまでならいいですけど」
俺はちょっとデレていた。腕組みは服の上……今は俺の手首を、七星の生の手が掴む。触れあう皮膚と皮膚。七星さんの温もりが直接、俺に伝わってくる。
「あの、確か、花村は部活、入ってなかったよな」
「何で知ってんだよ」
部活動に入ろうかと考えたりもしたのだが、アパートの住人に相談したのが運の尽き、「先輩部」といったところにそのまま流れ込んだ、みたいになったのですけど。掛け持ちは無理でした。
それにしても、部活動について七星には何も言っていなかったけど……。
「あの、それはだな……」
ちょっと口篭もる。
「あ、そうだった。私のクラスで割と人気があるんだぞ、お前。えーっと、確か、受けとかカップリングがなんとかかんとか」
「あー、それ苦手」
BLか。佐々木先輩に反BL講義を受けていたから、なんとなく分かっている。俺が同性に、とかいうのだろ。
「私も、漫画にお前の顔貼ったコラージュ見た時は、……あれは引いた」
「俺、そんなことになっているんですか?」
確か、先輩の講義では801の人は男性が二人いれば妄想の世界へ突入、そのままトリップするとかなんとか。ネット小説の異世界トリップよりも理解できない世界、とか言っていたな。
「筆舌に尽くしがたいことだが、まぁ、私のクラスの女子達の慰み者……いやいや、人気者だったりするぞ、花村」
「慰み者、って。なんで俺に人気が出たんだ?」
すると、七星は伏せ目がちになる。
「私、……あ、いや、誰かがお前のことを、ケイタイで撮ったのがクラス中に回って、みたいな」
「そうなの? 特進のクラスって変わってるね」
「そ、そうなのよ。なんで花村なんかに興味持つんだか」
そう言うと、七星はふいと視線を背ける。
「あのさ、七星さんはその俺の写真って持っているの?」
「ば、ばかっ。も、持ってる訳ないじゃないの。あんたの顔なんか見て喜んでいる変態じゃないのよ」
彼女は歩みを反転させ、俺に迫って……顔を真っ赤にして、俺の言葉を辛辣に批判してくる。
「でも、今、俺の顔を見ている……」
そして俺も、七星さんの顔をまじまじと見ていた。
「その、ぼーっとしたような顔がなんで人気が出たのか、確認しただけよ」
「そうなんだ……」
俺は、自分の肩から力が抜けていくのをありありと感じ取った。
「あ、でも、なんというか……別に、花村の顔が悪いとか言うんじゃないんだからねっ! それだけは言っておく、から。興味ないっていうか……」
取り乱したように裏返った声でまくし立てる七星さん。明後日の方向によく分からない手振りを交えながら。それから一呼吸置いて、
「顔じゃない、本質。もてたかったら、心を磨くのよ」
そういって、俺に軽くデコピンをくらわせる。
「花村、同じアパートのよしみだ。私がお前を立派な男に精神改造してやる」
「精神改造って……なんか物騒だな。文芸部だけに、古典文学を読む、とかいう感じか?」
「ま、取り敢えず部室に来い」
だいぶ歩いただろうか。校舎に入ってからもかなり歩かされたのだが、七星さんといっしょというのが正直凄く嬉しかった。何が始まるのかは分からないけど、例えそれが言葉を交わすことなく、授業以外で読んだことのない古典文学を読まされるとしても、その間、七星莉紗という美少女と一緒に時間と空間を共有できると言うことは何よりの楽しみであった。
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