第11話
このアパート、向かい合って鎮座する玄関扉の間がかなり広く空いており、そこに、いつからあるのか分からないがテーブルと椅子が一式、据え付けられていた。
七星の部屋から出た俺は、階段を駆け下りると、そこで準備をしていた先輩達と合流する。蕎麦を入れる丼鉢の他に肉料理など、割と手の込んだ料理が並んでいたりする。
「先輩、この惣菜、買ってきたんですか?」
「いいや、珠姫が作ったのだが」
「えっ、佐々木先輩は料理、するんですか?」
「浩一がいない時はいつも珠姫がやってるんだぞ。自称、アゴがずれるくらい、の料理だとか言っているが、案外うまい」
「顎が落ちる、とかじゃないんですね」
「その突っ込みを珠姫にしたが、『ずれる』で正しいそうだ」
先輩も腑に落ちなかったのか。
「ま、ただ珠姫の作るものってジャンクフードみたいなのばっかりでさ、胃にもたれるんだよ。だからさ、浩一。またメシ頼むな」
「わかってますよ」
たまには先輩も作って……とは言えない。金平先輩の料理は七星との比較対象である。
「ところで、さ。七星さんは、どうだ?」
「な、何のことですか?」
俺は、突然に七星のことをについて振られて狼狽する。あー、顔、真っ赤?
「どうって?」
「いや、同級生だろ。七星さん、結構かわいいじゃないか。好きだったりするのか?」
直球で聞いてくる先輩に、俺は言葉に詰まる。
……好きです、といったら応援してくれるかな? いや、先輩は全力で邪魔してくるかも。冗談半分だと思うが、俺に好意を寄せていることを平然と言う以上、俺が先輩に抱いている「好き」以上の「愛」を求めている可能性だって棄てきれない。
「な、何言っているんですか。彼女は特進クラスで、俺には縁もゆかりもない人ですよ。ですよ……」
一度逢っただけで恋に落ちた、なんて言えませんよ。
「そうか……」
先輩はそれだけ言うと、
「それじゃ、話は後。準備するぞ」
そう言って、食器類を並べ始めた。
俺は、麺に付いていたスープをどんぶりに入れ、湯で薄めていた所に
「ぉ兄ちゃん、茹で上がったよ!」
大きな鍋を抱えて、祐佳里がやってくる。足許が見えないのか、フラフラしながら。
「あぶないぞ、祐佳里」
「てへっ」
鍋を受け取ると、テーブルへと急いだ。そこに花柄の入った布製の鍋敷きが置いてあった。俺はその上に鍋を置くと、菜箸を中の湯の中に差し込む。麺をすくい上げ、薄めたスープの入った五つのどんぶりに、定量ずつ、注ぎ分ける。
「私は少なめ。小食だから」
「みんな、一緒だよ」
七星の言葉に俺は耳を貸さなかった。
「浩一、なんで? 私の言うことが聞けないの?」
「みんな仲良く平等、ということだよ。他意は無い」
俺は、淡々と手を進めていく。
「私の言うこと、聞いてくれないんだ」
ふい、とそっぽを向く七星。
そんな七星の前に、真っ先に蕎麦の入った丼を置く。続いて、先輩方、最後に祐佳里の前へと丼を配膳していく。
「ま、少ないけれど……。祐佳里がこのアパートの新たな住人になるので、今後、迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む。それじゃ、食べてくれ」
「いただきます、ぉ兄ちゃん」
「うまそーだな、浩一、それじゃ、ご相伴にあずかるとするか」
「浩一殿のご厚意、本官はかたじけなくいただくでござる」
そう口々に言うと、それぞれ箸を付ける。
「七星さん、遠慮無く食べてくれ」
「言われなくてもそうするわよ」
七星は、そう言うとレンゲで汁をすすり始めた。
さあ、俺も食べようか、としたところ、祐佳里が、
「ぉ兄ちゃん、あーん、して」
あーん、って? そう思って祐佳里の方を向いたその時、半開きになった俺の口の中に無理矢理、箸と蕎麦の束が放り込まれる。
「ほぁ、ほあーーーーっ!(あ、熱いぃぃぃ)」
不意に口の中に入った蕎麦に、俺は思わず言葉にならない声を上げる。
「浩一殿、好きな声優の応援コールでありますか? 濃ゆいですな」
「面白そうだな、私も浩一に施してやろう」
「いいから、いいですから」
口の中を整理して、金平先輩の好意(?)を無碍に断る。
「いつもやっているじゃないか」
「やってないでしょ」
「そうか、モノが違うのか?」
そういって、金平先輩は胸元に手を当てる。
「また、飲みたくなったか?」
「そんな趣味はないですよ!!」
「あ、そうだ。種付けをしないと出ないから、飲みたくなる前に種付けしてくれよな」
「変なこと、言わないでください」
そんな冗談を俺と金平先輩が交わしていると、物欲しげな視線が俺を差していることに気がつく。
「御嬢はしないでありますか?」
「なんでする必要があるんですか?」
佐々木先輩の質問に、その視線……七星はふいとそっぽを向いた。
「そりゃ、面白いから。それ以上の理由があるかい?」
金平先輩が答える。
「そりゃさ、自分でもあまり品がいい話だとは思わないさ。でもな、皆で楽しくやっていきたいんだ。少しはさ、浩一の気を惹きたい気持ちだってある。いい奴だし、アタシは好きだ。だから、アタシに興味持って貰いたい。別に彼氏になってくれてもならなくてもいい。それは浩一の選択だ。それよりも、この金平みゆきのことを覚えていて欲しい。先輩だから、困った時には力になってやりたいんだ。その為に、自分をアピールするつもりで多少はバカだと思うこともやっているんだがな」
「不合理です」
七星は即座に糾弾する。
「好きなら好き、自分を愛して欲しい、って言えばいいじゃないですか」
「まあな。でもさ、浩一、なんか一線超えてくれそうにないっていうか、人付き合いがいいだけで、なんか妙に上の空って言うか……そうしているうちに、他に想い人がいるのかな、なんて思ってさ。だったらさ、好きな浩一の恋を応援していきたいし、もし、その想い人に振られた時にはアタシが受けとめられるようにしたい、という気持ちがあるのも確かだがな」
そう言って、先輩は吹っ切れたように笑い始めた。声を上げて。
「はっはっはっ、じゃ、私も告白したんだから、浩一、あと七星も好きな子をぶっちゃけ
ちゃいなさい。でないと、アタシが好き、ってことにして、襲っちゃうぞ」
そう言って、金平先輩は丼から箸を引き上げる。汁を垂らしながら蕎麦が引き上げられる。それを見た佐々木先輩も。後を追う。
「浩一……本当に好きなのは誰だい? アタシか、妹か、それとも……」
「浩一殿」
二人が、蕎麦の垂れ下がった箸を持ったまま俺に迫ってくる。
「ぉ兄ちゃんにそれをやっていいのは祐佳里だけだよ」
その様子を見ていた七星は、口に麺を含むと、
「ふぁ、ふぁぬぁんるぁ~(は、花村~)」
そういって、すっと立ち上がる。そして、手を伸ばしたかと思うと、俺の頭を捉えて自分の方へと引き寄せる。
彼女の両手に支えられた俺と、その彼女の顔とがすぐ近くで真向かいに対峙する。
いきなり彼女は俺の口許に自分の唇を重ねてきた。七星は、口に含んだ麺を俺に口移し。暖かい麺以上に、そのの中に混じる生暖かな感触が俺の口許を染めていく。
接吻?
いや、それよりもよほど濃厚な接触を俺は七星さんから受けていた。
「ぬぁ、ぬぁぬぁふ~(な、七星さん~)」
「おっ、やるね~」
金平先輩が茶化す。
「萌えるシチュエーション、でありますぞ」
佐々木先輩が、いつものような反応を示す。
「お、ぉ兄ちゃんになにを……」
といって、祐佳里は泡を吹いてその場に倒れ込む。
「失神ですぞ、衛生兵、衛生兵」
「いいか、珠姫。アタシが祐佳里さんを負ぶっていくから支えてくれ」
そう言って、二人で手際よく祐佳里を背負うと、
「それじゃ、お二人さん。心配はなしだ。後はよろしく」
「これから おたのしみに なられますよね」
と言って、金平先輩の部屋へと消えていく。
まだ蕎麦の残った丼が五つ残された現場に、俺と七星はキスしたまま残された。
口許から七星が離れる。
「どう、気が済んだ、花村」
「七星……」
「ちょっと場の雰囲気に呑まれただけよ」
俺は恍惚として、それ以上の言葉は紡げなかった。七星さんからのキス、それに舞い上がってしまっていたのだった。
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