将官が住まう官舎といっても、ものは佐官のそれと変わらない。なんらの個性をも主張しない玄関、機能性のみを追求したリビング・ダイニング・キッチン、かろうじて二台のベッドがおける寝室、書斎、それですべてである。それでも、家庭をもつ一般庶民の平均的な集合住宅ぐらいの専有面積をもっており、夫婦と子供ふたりぐらいの家族であれば、多少の不便をしのべば、十分くらしていける広さである。


 アダム・パーク地区にある官舎の一室は、しかし、他の部屋にくらべて、多少なりともせまく感じられた。書斎におさまるべき史書や史料のかずかずがあふれだして、リビング・ダインニグ・キッチンの支配領域を侵略しているのである。


 連邦歴史科学会会員の肩書きをも有する部屋の主人は、文字の荒海と化している書斎のなかから、関連する書籍をひろいあげて、未知の宇宙に思いをいたしていた。


我星ガイア政府領、か」


 サヤカ・シュウはつぶやいた。そのひびきは、新鮮ということばだけでは表現しきれないほどの深遠さをともなっていた。


 星々の海のはるか彼方に広がる、未知の星系群。その広大な領域に根づいた、異種の文明。それは、映画や小説などで、恒星の数ほども描かれてきた、伝統ある素材でもある。だが、それらはすべて架空のものにすぎなかった。その欠片がいま、現実のものとして、彼女の手に舞いおりてきたのである。


 もっとも、第三の宇宙の存在自体は、多くの専門家が、その可能性を指摘してきた。そのひとり、後期地球史を専門とするルーイン・ヤンゴン教授は、その著書のなかで、こう主張している。


「地球から脱出したものの、目的地にたどりつくことなく行方を絶った航宙船が、生命居住可能性の高い惑星に不時着していたとしたら、その惑星で独自の文化を形成し、我々とことなる言語や科学技術のもとで、発展をとげることは、十分に考えられる。我々は、ことばや既存の通信機能を介さずとも、かれらと交流できるよう、準備を進めておかなければならない。互いの心を理解しうる手段がないという理由で、敵対し交戦する事態を、避けなければならないのだ……」


 今回に関する限り、彼は、予測をはずしたことになる。独自の文化を形成した人間は、おなじ言語をもって、銀河連邦領内にあらわれたのだから。


「さて、どうしたものかな」


 ライトグレーの頭をかきながら、歴史家兼任の若い司令官は考えこんだ。


 上層部に話をあげるのが、筋ではある。ただ、今回、ふたりの流浪者が、第三の宇宙からの来客であるという、説得力のある証拠が、まったくない。サヤカ・シュウは、自身の人物鑑定眼に自信をもっていたが、それが他者にひとしくそなわっているものではないことをわかっていた。いま、この話を頭の固い統帥本部の面々にもちこんだところで、ふたりの客人に迷惑をかけることにしかならないだろう。


 あせってはいけない。いずれにせよ、無理に我星政府と接触をはかったところで、ヤンゴン教授の指摘を無に帰すような事態をまねいては、本末転倒である。連邦と我星政府領の距離はそう遠くないはずで、意図せずとも、ふたつの文明が交差するときはやってくる。それが一年後か、一〇〇年後かは、残念ながら、サヤカ・シュウがコントロールできることではない。いま可能なのは、せいぜい、航路開拓をともなう惑星探査や辺境哨戒で、より遠くまで歩みをすすめるよう意を利かせるぐらいだ。


「とすると、問題は、ふたりの扱いをどうするか、ということだが……」


 銀河連邦にとどまってもらう以上、アイリィ・アーヴィッド・アーライルとシュティ・ルナス・ダンデライオンに、無為の時間をすごさせつづけるわけにはいかなかった。いずれ、自分がそれなりの権限をともなう地位につけば、我星政府領へ帰還する行程表を提示できるときがくるかもしれないが、当面は、銀河連邦の社会制度のなかに、はいりこんでもらう必要がある。


 その点について、シュウはひとつの解答をすでにだしていたが、他者の意見をきいてみたくなった。彼女は、書斎から出ると、リビング・ダイニング・キッチンで立体テレビ映機ジヨンを観ながら時間つぶしに精をだしている、もうひとりの官舎住人にたずねた。 


「どう思う、イェン」


 明るい栗色の髪をもつ第三独立艦隊司令官は、名をよばれて、ソファの上に寝転ばせていた身体をおこした。


 ルーム・シェアという居住形態じたいは、何ら珍しいものではない。だが、将官の地位にあるものがひとつの部屋を共有するのは、というより、皆無の例に属した。むろん、ミレイ・イェンがこの場所で生活することになったのは、それなりに理由があってのことであった。



 彼女には両親がいなかった。そうせいしたのではない。複雑な家庭環境のもと、父性をもつ男性と、母性を有する女性が、ともに彼女のもとから立ち去ってしまったのである。五歳にもみたなかったミレイ・イェンは、未亡人となっていた祖母のもとにあずけられた。


 やがて年金暮らしとなる祖母にたよりきるわけにもいかなかったイェンは、もっとも早くまともな俸給が得られる、軍営学校を経て軍士官となるコースを選択した。収入がえられるようになると、その大部分を祖母への仕送りにあて、みずからは貧民さえも一目置くような、切りつめた生活をおくりはじめた。そして、戦場をともにしたサヤカ・シュウがその事情を知るにいたって、みずからの部屋で生活をともにすることを提案したのである。


 少将という地位をえたいま、えられる給与は飛躍的に上昇したのだが、イェンは手もとにのこす金額をほとんどかえることなく、祖母への感謝をかたちにしておくりつづけた。おかげで、彼女の祖母は、独り身でありながらも、余裕のある老後をすごせている。ほんとうは、終着点まで多くの距離を残していない人生のなかで、祖母は、金銭より、貧しい暮らしでも、孫がそばにいてくれることをのぞんでいるかもしれない。だが、それは、長期任務の終了後にあたえられる休暇のときに、欠かすことなくおとずれるというかたちで代替せざるをえなかった。


 いずれにしても、将官に昇進したことを機に、サヤカ・シュウが、祖母思いの副司令官を追い出そうなどと考えなかったことは事実である。結果、ふたりの将官が、佐官が使用するものとおなじ官舎で一緒に生活する、という事態をうみだしているわけだが、ふたりとも年齢がまだ二三であるから、ふたりの階級について前提知識を有する者でなければ、生活の様子から異様さを感じ取ることは困難であろう。


 旗艦のなかにあってはもくの土塁を築きあげている副司令官にはそんな一面があったが、私生活においても、言葉少ないその様子が大きく異なることはなかった。サヤカ・シュウに対しても、口元を微動だにさせず、ジエスチヤーのみですましてしまうこともあるほどである。


 ふたりの異邦人に対する処遇についてたずねられたイェンは、このときも、短い言葉を一、二返すのみに終始した。サヤカ・シュウはその返答に満足した。ふたりの間の意思伝達は、それだけで十分だったのである。


 ミレイ・イェンは、同居する司令官との会話がおわったことを確認すると、決して行儀がよいとはいえない体勢にもどって、視聴作業のつづきに没頭しはじめた。シュウも、大部分がもうひとりの住人に専有されているソファの端に腰をおろして、その作業に随伴することにした。あくまでもふたりは休暇中であり、艦隊運動をつかさどるときのように、難解な思考をかさねる必要は、この時点ではないはずだった。


 若くして宇宙艦隊を統率する淡墨髪の司令官は、人工的な映像のむこうに、まだ見ぬ第三の宇宙の姿をながめていた。広大な宇宙を泳ぐ者として、深遠な歴史を究める者として、いつかはその地に足を踏み入れたいという想いが、彼女の心をつかんではなさなかった。


 したがって、彼女の視線が、反対側の宇宙にむけられていなかったとしても、それはやむをえないことであった。




 これが、ふたりの異邦人が連邦首都におりたった直後の、それぞれの人間、集団の思惑である。この時点で、銀河連邦の重要機能が集中するこの惑星上に、事態を積極的に動かそうという者は、存在していない。事態が展開しないことを望む集団は、当然何らの動きも見せず、展開することを望む人間も、動くべきときはいまではない、と考えていたのである。ゆえに、このあとに生じる一連の争乱において、積極的な関与をおこなったことを主張する者があらわれなかったことは、いわば自然な結果であるともいえた。

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