「本気なのか、カムレーン」


 連邦軍第五艦隊司令官ジュ・リンちゆうじようは、驚きの感情を目と声の双方に表現していった。


「心苦しいですが」

「しかし、君は才覚が豊かだ。いずれ、いや、近いうちに、艦隊司令官を拝命する日も来るだろう。我が艦隊の副司令官が君にとって最善の地位だとは必ずしも思わんが、なにも独立艦隊の参謀長にくだることはないではないか」


 わずか二〇歳ののもとに、とまでは、その中年提督は口にはしなかった。

 彼は絶対的な年功序列主義を信奉しているわけではなかったから、二〇歳のサヤカ・シュウが独立艦隊司令官に就任すると知ったときも、またか、という以上の感想や偏見をいだいたわけではなかった。だが、口にはしなかったものの、有能な副司令官が奪われるとあっては、心の海は白浪たてずただ穏やかなり、というわけにもいかなかったのである。


「申し訳ありませんが、すでに転属願も受理されましたので」

「……そうか」


 副司令官の語気はけっして強いものではなかったが、リン中将は、慰留の無益をさとった。結局、彼は、納得はしないが理解はする、という妥協案を自身の感情に提出して、優秀な片腕を送り出したのである。


 こうして、きわどいところで旧上官との間にいさかいを生ずることなく転仕することができたグライド・カムレーンであったが、彼の権能の及ばないところで、品質の低い風評が散布されはじめた。三六歳の将来有望な壮年副司令官が、二〇歳の女性司令官のもとで参謀長をつとめることを望んだ、という事実は、ある種の想像をかきたてるのに、十分な栄養素を含んでいた。いわく、


「グライド・カムレーン少将閣下は少女趣味であるか」


 というのはそのなかでも最大限に悪意をこめたものであったが、銀髪の少将が一五も年下の艦隊司令官に思慕の念をいだいてるらしい、といった噂話が、静脈注射された興奮剤のごとく、銀河連邦軍の内部をかけめぐったのである。


 結論をいえば、これは笑い話ですんだ。そうでなければ、このときすでに妻子をそろえていたグライド・カムレーンは、少なからず家庭内において困難に直面することになったであろう。常日頃からの、彼の女性に対して私心をいだかない誠実な態度と、高水準の才幹と人格に対する周囲の尊敬が、無責任な噂話に深刻さの着色料を添加することを阻止したのである。後日、彼の妻が、連邦軍にひろまった夫の風説を耳にしたときも、彼の家庭における態度を宇宙でもっともよく知るその女性は、夫に対して、何らの感想も述べることはなかった。


 ただし、彼自身がその噂話の伝播にまったく責任がなかったかといえば、そういうわけでもない。彼は、その噂の真偽について尋ねられたとき、はっきりと否定することを、こんにちまでまったくしなかったのである。噂のもう一方の当事者が、その流説を論ずるに値せずとして黙殺したので、結果的に両者語らずということになってしまい、下世話な世間話を好む連中にとって格好の酒の肴となってしまったのであった。

 


「まあそういったことがありましてな。とくに具体的な障害があったわけでもないのですが」


 濃茶髪の客人が興味を示したので、参謀長は当時のことを語って聞かせたのであるが、やはり苦笑するしかないという表情であった。


「しかし、どうして世間というのは、かの噂話のような、な話を好むのだろうな。自分の人生の役に立てるわけでもあるまいに。自己けんさんに時間をてたほうが、よっぽど効率的だ」


 若き司令官少将のその意見に、アイリィはしゆこうした。ただ、アイリィは、おそらくは異例の部類に属する才覚を有するがゆえに一般的感覚を理解できないのであろう淡墨髪の提督とことなり、世間一般の側にも視点を移せる人間であったから、彼らの心情もわかる。才能にめぐまれなかった、もしくは開花させる努力をしなかった人々にとって、噂話は彼らの人生における、ささやかな楽しみなのであろう。アイリィも、もし自身の槍術の才に気付かなかったとしたら、他人の色恋沙汰に一喜一憂しながら、平凡な人生を送っていたかもしれない。このとき、自身が恋愛の当事者となって人生に色彩をほどこそうという発想をもたないのが、彼女の彼女らしい部分でもあった。


「ところで、参謀長閣下は、ほんとうに我らが司令官に好意をもたなかったのですか? 年齢がひとまわり以上ちがうといっても、その障害を軽々と飛び越えてしかるべき魅力が、我らが司令官にはあると思うのですが」


 と上品な口調で質問をしたのはミュー少佐である。意外な角度から攻撃を受けて、どうも今日は苦笑を強制される日であるらしい、と感じた参謀長であった。


「私があと十数年遅く生まれていたら、惚れていたかもしれませんな。いや、まったく、私の人生に大きな失敗があるとするなら、提督とおなじ年代に生を享けそこなったことでしょう」

「よく言う」


 シュウ提督も笑って応じた。純黒髪の少佐の質問はその場をなごませるための冗談であることがあきらかであったから、当事者をはじめその場の人間に不快感を生じさせることもなかった。

 その話の流れを継いだつもりで、アイリィは言ってみた。


「私などはお会いしてまだ数日ですが、それでもシュウ提督のお人柄が良いことはわかります。参謀長閣下も、そのあたりの人格に心かれたのではないですか」


 これはむしろ会話を潤滑にすすめるためのつなぎとして発した言葉であって、当たり障りのない発言を、アイリィはしたつもりであった。だから、参謀長が一瞬返答を詰まらせたとき、アイリィは意外さを感じることになった。


「そうですな」


 その短い返答が、表面上の意味よりも深い感情を包摂していることが、アイリィにもわかった。だが、彼女はそれ以上の質問を避けた。この場でたる銀髪の人物が棲まう心の邸宅の、玄関より先に進む資格を自身が有していないことを、アイリィはわきまえていたのである。


 したがって、その深い部分に包摂された感情が、異邦人のふたりの今後を左右する原因の一片になると知り得なかったとしても、それはやむをえないことであった。

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